スポーツパーソンシップ教育

今回はスポーツパーソンシップ教育について書きたいと思います。

日本では、スポーツパーソンシップを教えてもらうということはなかなかありません。
スポーツパーソンシップを全く考えずにスポーツに関わっている人も多くいます。

そこに日本のスポーツの問題点があり、スポーツパーソンシップ教育が今後の日本のスポーツのさらなる発展や普及につながるのではないかと思います。

前回の投稿(スポーツパーソンシップとは)でスポーツパーソンシップとは、スポーツの本質であり、スポーツの価値そのものだと言いました。
優れた人格を身に付けるための心構えであり、スポーツを通じて少しずつ身に付ける人格的な総合力であるとも言いました。

スポーツパーソンシップを学ぶことで、スポーツの価値を上げることや人格的な総合力を上げることにつながります。
スポーツを手段に生きていく力を育むことができると言えます。

なぜスポーツパーソンシップを学ぶことで生きていく力を育むことができるのかというと、19世紀後半のイギリスのパブリックスクールでは、「社会的な能力」を身に付けるための教育ソフトとしてスポーツを行っていたと言われています。リーダーシップ教育や中間管理職の人材育成にスポーツを取り入れていました。
これはひとつの例ですが、このことからも社会で必要とされるさまざまな能力や精神がスポーツを通じて身につけることができると言えると思います。

スポーツパーソンシップとは、前回の「スポーツパーソンシップとは」で説明したように、自分を取り巻く様々なものを「尊重する」ということです。

「感情の抑制」「相手に対する思いやり」「フェアプレー」は自分やチームや相手を客観的に見て、尊重することが大切になります。
それにより、自分や他人を冷静に評価することができ、違う立場や価値観の人の存在を認めることができます。

フェアプレーを学ぶことにより、社会のルールを尊重し、フェアに行動することにつながります。

謙虚さを学び、自分を過大評価しないようにするだけでなく、自分自身を把握し、自らの長所を伸ばしながら短所を補うことができるようになります。
負けた時や思い通りにならなかった時に、冷静になって本当の敗因や原因を探り、それを克服するための方法を考え、実践することにより立ち直る力や挑戦する勇気を育むことができます。
この、立ち直る力や失敗を恐れずに挑戦する勇気は生きていく上でとても重要な力だと思います。

また、エモーショナル・リテラシーと言われる、感情に振り回されるのではなく、自らの感情を理解し、使いこなすことができる能力や自己管理能力、自らの感情だけでなく他人の感情を想像できるようになり、思いやり等も育むことができます。

スポーツに参加することで得られる喜びや楽しさを感じ、スポーツの最中、スポーツ後に「自分」「チーム」「相手」を客観的に評価し、振り返り、次に備えて目標を定め、努力をすることで新たなスタートとなり、スポーツにおける燃え尽き症候群の減少にもつながるのではないかと思います。

弱いものいじめせず、フェアプレーを貫き、立派な行いをすることがスポーツであり、違う立場や価値観の人を尊重することにより、いじめや暴力、パワハラ、セクハラ等のハラスメントに対しても効果があるのではないでしょうか。

言い訳や悪口を言ったり、価値観の違う人を攻撃したり、すぐにイライラする人などはスポーツパーソンシップを実践できていないと言えます。

このようにスポーツパーソンシップ教育はスポーツ現場だけでなく、実社会において役に立つと思われる社会性を教育することができます。
スポーツを通じ、選手の身体機能や身体操作を向上させるだけではなく、スポーツに関わる人の、人格、社会を円滑に動かしていく力などの強化もしなければなりません。

優れた人格を育むための方法を広め、スポーツを通じて、生きていくために必要な、知識やスキルを身につける方法を学ぶことがスポーツパーソンシップ教育です。

部活や競技団体、競技連盟が抱える問題の解決策として、ルールを作るということも有効かもしれませんが、スポーツパーソンシップの意義と価値を説明し、スポーツパーソンシップを広く普及させることがもっと大切で本質的だと思います。

長年スポーツに関わってきて、スポーツの素晴らしさをもっと多くの人に知ってもらいたいと思うとともに、スポーツがさらに魅力あるものになっていくと信じています。
そのためにはスポーツパーソンシップを広め、スポーツの価値、スポーツをする人の価値を向上させていくことが重要であると思います。

スポーツパーソンシップ教育が広まっていくことを願って、数回に分けてスポーツパーソンシップについて書いてきました。

 

最後までお読みいただきどうもありがとうございました。

スポーツパーソンシップとは

前回は「スポーツとは」を説明しました。

今回はスポーツパーソンシップの説明をしていきたいと思います。

僕のスポーツパーソンシップの理解は、実家に貼ってある紙が元になっています。
その紙に書かれていることは以下です。

 

スポーツ宣言

スポーツマンの義務

  1. スポーツマンは完全な忠誠をもってルールの条文とその精神に従わなければならない。どんな状況においても公衆に対し正しい態度を保持しなければならない。
  2.  

  3. スポーツマンは競技の前後、最中において、相手、および審判を尊重しなければならない。
  4.  

  5. スポーツマンは常に自制を保ち、自己の冷静さと尊厳を保持しなくてはならない。勝利のために最善を尽くすが、敗北に伴う落胆を避け、勝利に伴う放漫を諌める。スポーツマンの得る報酬は、努力から生まれる喜びと充実している存在の感情である。

 

《フェアプレーの理念のないところに真のスポーツはない》

 

スポーツマンシップ(スポーツ精神)


感情の抑制

相手に対する思いやり

フェアプレー

 

この文がどこから引っ張ってきたのかはわかりませんが、父親がスポーツをやる上での心構えとして作成し、トイレに貼りました。

この文の理解がスポーツパーソンシップです。

もう少しわかりやすく説明したいと思います。

「感情の抑制」
どんな状況においても自分自身をコントロールして、冷静に物事を見るということです。
勝ちや成功におごらず、また、負けてふてくされたり、落胆することなく次に備えなければいけません。
負けた時、自分の感情を抑えて相手の勝利や成功をたたえ、それに負けないように自分が努力するということです。

「相手に対する思いやり」
相手の素晴らしかったプレーを評価し敬意を持つということです。
自分たちがやられて気分が悪いと感じることは相手にもしてはいけません。
相手あってのスポーツなので、相手に気分よくプレーしてもらい、それでも負けないぞという気持ちでお互いに勝つために全力でプレーします。
プレーヤー、審判、観衆、など、ゲームに関わるみんなでいい試合を作っていくということが大切です。

「フェアプレー」
プレーヤー(味方と相手)、ルール、審判を尊重し全力を尽くすことです。
スポーツにルールができたのは、暴力をなくすことや、相手と条件を同じにするためや、ルールを作ることにより難易度を上げ、より楽しめるようにするためです。
ルールを守ることで、より良い試合ができるようになります。
そのルールを運用し試合を円滑に進めるサポートをするのが審判です。

このような心構えがスポーツパーソンシップです。

さらに「スポーツマンの義務」で書かれているように、スポーツパーソンシップをどんな状況でも守り、周りに対してもスポーツパーソンシップを忘れてはなりません。
「競技の前後、最中において」なのでスポーツをしている時だけではなく、スポーツを離れても自分の周りのさまざまなものに尊重の精神を持つことです。
「good loser(良き敗者)」という言葉がありますが、この言葉はスポーツパーソンシップの中の重要な概念で、思い通りにならなかった時こそ、尊重の気持ちが、より試されます。
そのためには、常に自制を保ち、自分の言葉、態度、表情をコントロールしなくてはいけません。
勝利や成功を目指し全力を尽くし、競い合うことにより多くの価値が得られます。だからといって勝ちや成功におごらず、また、負けて腐らず次に備えなければいけません。
勝ちや成功を目指して努力することが大切で、「スポーツマンの得る報酬は、努力から生まれる喜びと充実している存在の感情である」という部分が僕は、とても重要だと思っています。

スポーツパーソンシップとは、優れた人格を身に付けるための心構えであり、スポーツを通じて少しずつ身に付ける人格的な総合力のことだと言えます。
スポーツに大切なものを尊重し、自らが判断するということは、スポーツをする上で求められる最も基本的な要素です。
その競技の歴史的な成り立ち、伝統を学び、理解した上で、その競技自体を尊重する心を持つ必要があります。

スポーツを楽しむには、弱いものいじめせず、フェアプレーを貫き、立派な行いをし、全力で戦いながら寛容さと遊び心を忘れないことが重要です。

前回の投稿の

スポーツとは

と合わせて考えると、強制されて行うのではなく、自らの判断で行い、スポーツパーソンシップを守り自由にプレーを想像するのがスポーツです。
成果や結果ではなく、勝利や成功を目指して努力する過程こそがスポーツの重要な意味を持ちます。
スポーツパーソンシップとは、スポーツの本質であり、スポーツの価値そのものであると思います。
技術や肉体同様に、スポーツパーソンシップもスポーツを通じて少しずつ身につけていくことが大切です。

問題が起きればルールを作るという考えが多くありますが、スポーツパーソンシップの意義と価値を説明し、スポーツパーソンシップを理解することがルールを作るよりも、大切で本質的だと思います。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

スポーツとは

僕自身、小学校2年生の時に野球チームに入り、野球によって育てられました。
僕の精神や人格は野球を通じて身に付けてきたものが本当に多くあります。
その中心にあるのはスポーツパーソンシップの考え方です。

また、今スポーツの現場で上がってくる問題の解決に、スポーツパーソンシップの理解がないとできない問題が多々あるように感じます。

スポーツパーソンシップは、スポーツの世界だけでなく、学校生活、仕事、社会など、生きていく中で、役に立つことがあると思うので、スポーツをしていない人にも、是非参考にしていただきたいと思います。

これから何回かに分けて、そのスポーツパーソンシップについて発信していきたいと思っています。

スポーツパーソンシップとは、スポーツマンシップのことです。
最近は「ビジネスマン」という言葉を使わずに「ビジネスパーソン」
「スチュワーデス」は「キャビンアテンダント」のように男女を別ける言葉は使わなくなっています。
実際、「スポーツマンシップ」でひとつの単語であり、「man」という単語には「人、人間」という意味もあるので問題はないのかもしれませんが時代の流れを考え、「スポーツパーソンシップ」という言葉を使います。

スポーツパーソンシップを話す前に「スポーツとは何か」を説明しなくてはなりません。
スポーツを知らないでスポーツパーソンシップを理解することはできないからです。

今回はその「スポーツ」の説明をしたいと思います。

スポーツとは、辞書には、
「楽しみを求めたり、勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動の総称。陸上競技・水上競技・球技・格闘技などの競技スポーツのほか、レクリエーションとして行われるものも含む。」
と書かれています。

「スポーツ」の語源を調べると、スポーツという言葉は、15世紀前半のイギリスで生まれたと言われてます。

「deporatare(ラテン語)」日常生活の労働から離れた、遊びの時空間。余暇、余技、レジャーといった意味。

そこから「desporter(フランス語)」に転じ、

さらに「disport(英語)」disもport(港・持ち運ぶ)も基本的に「離れる」というという意味。日常生活の労働から離れることを意味する。

disport(u), sporteから、やがて頭音が消失して「sport(s)」となったようです。

19世紀には、ドイツ語、フランス語にも取り入れられ、現在は世界共通語として用いられているようです。

日本の昔の文献では日本語訳として「スポーツ=釣り」と翻訳され、続いて「スポーツ=乗馬」という訳語が現れました。
これは、釣りや乗馬をしていた外国人がスポーツをしていると言ったことからそう書かれたと言われています。

スポーツの意味には「楽しむ・競技」という意味もあり、欧米ではチェスやビリヤードも「スポーツ」として認知されています。

近年では、「eスポーツ」という新しいスポーツもできました。
「eスポーツ(e-sports)」とは、「エレクトロニック・スポーツ」の略で、コンピューターゲーム、ビデオゲームを使った対戦をスポーツ競技としています。

つまり、「スポーツ」とは、「競技」「遊戯」「娯楽」「レクリエーション」のことを言っています。

日本人の感覚では、スポーツとは、競技のことを言い、娯楽やレクリエーションといった感覚はあまりなく、ましてや、テレビゲームをスポーツと捉える人はなかなかいないように感じます。

スポーツ=体育と思っている人も多いのではないのでしょうか。
しかし、実際には「スポーツ=sport」「体育=P.E.(physical education)」なのでスポーツと体育は違います。
スポーツは、もともと日常生活の労働から離れることを意味していたことからも、自ら楽しむもので、強制されて行うのではなく自らが判断して行うということが言えます。
このことからもスポーツと体育は、違うということが理解できるのではないでしょうか。

本来、スポーツとは、難しいものではなく、「遊び」と「真剣さ」のバランスによって成り立つ、身近で手軽に参加することができるものなのです。

これが「スポーツ」です。
どのように感じたでしょうか?

本来のスポーツとはすこし違う方向でスポーツをしている人やチーム、団体や協会もあるように感じます。

そして、ここで説明したスポーツをする上での、心構えが「スポーツパーソンシップ」です。
スポーツパーソンシップを守りながら自由にプレーを創造するのがスポーツということになります。

今後、スポーツパーソンシップについても、もう少し詳しく説明していこうと思っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

センスを身につけることの大切さ。

今までたくさんの野球選手を見てきましたが、センスのある選手しかプロ野球選手になっていません。
かなり厳しい言い方をしましたが、これが現実です。
プロ野球の世界で長く活躍するような一流選手は、ずば抜けたセンスをしています。
僕が思う、プロ野球の超一流選手とレギュラークラスの1番大きな差はセンスの差です。
レギュラークラスの選手とベンチ入りの選手の差もセンスの差です。
1軍と2軍の差もセンスの差です。
支配下選手と育成選手の差もやはりセンスの差が大きいと思います。

上のレベルになればなるほどセンスの差がそのまま野球の実力の差になっていると感じます。

なぜなら、

センスがある選手とは、飲み込みが早く、やろうとした動きをより早く身につけます。
センスがある選手が、10回やって身に付けることを「センスがないから100回やって身に付ける」というやり方では、一流選手には勝てません。
一流のプロ野球選手はセンスがあるのに100回かそれ以上やる人間の集まりだからです。
センスがある選手は動きに無駄が少なく、効率的な練習を選択できるので、多く反復することもできます。
多くの反復ができるのでどんどん体力もついていきます。

つまり、「センスのある選手に練習の質でも量でも勝てない」からです。

それが積み重なれば、実力の差も開いていくことが想像できると思います。

もし、10回で身に付けられる選手がいて、その選手を上回りたいと思うなら、9回で身に付けられる人間になるか9回で身に付けられる別のやり方を探す必要があります。

もちろん、100回の反復ができるのも上手くなるための大切な能力の1つですが。

もうひとつセンスがある選手の特徴とは、自分自身で上手くなる環境を整えられることです。
あの試合で上手くなった。あの練習で上手くなった。あの合宿で上手くなった。高校生が甲子園で上手くなった。など、一定の期間に急に上手くなった。成長したという経験をしたことがある。もしくはそういう選手を見たことがあるという方がいると思います。

その一定の期間に急に上手くなったという状況を普段の練習から作り出せる人がどんどん上手くなる、センスのある選手です。
そのような状況にするには、プレッシャーやモチベーションなどいくつかの条件が整わなければなりません。その条件を自分から整えて練習や試合を行うので、より上達や成長に繋がります。

アマチュア選手には、本当に熱心に、長い時間練習し、たくさんトレーニングをし、身体を追い込んでいる選手を見ますが、センスを身に付けて反復することが1番効率的なやり方だと思います。
練習やトレーニングをすればするほど上手くなる。きつい練習をすれば上手くなる。といったような考えを変えなくてはいけません。
繰り返し練習しているにも関わらず、上手くいかなかったときに「まだ足りない。もっとやらなきゃ」という考えになる前に「このやり方ではダメなのか?」という考え方ができるようになれば、今まで見えなかったことが見えてくるのではないでしょうか。

これは努力をしなくてもいいと言ってるわけではなく、センスを磨く努力を一生懸命しようということです。
センスを磨いて、効率的で合理的な努力をすることが上を目指すための努力だと思います。

これは僕が実際に経験して学んだことです。
現役時代、ひたすら走り込みをし、トレーニングをし、数をこなす練習を繰り返しました。
そのエネルギーをセンスを鍛えることに向けていたらもうすこしプロ野球の世界で結果を残すことができたのではないかと思います。
おそらくセンスがある先輩方は僕の取り組みを見て「もっと効率的で合理的な努力をすればいいのに」と思っていたのではないのでしょうか。

今更ながら、気が付くことができたので、僕の気付きがこれからの選手の役に立ってくれたらと思います。

「肘をしならせて投げる」とは?

「しなり」という言葉はバットをしならせて打つや腕をしならせて投げるなど野球でよく聞く言葉です。
実際に僕も、小さいころから肘をしならせて投げるように言われて育ってきました。
しならせて投げるイメージで成績を残しているプロ野球選手もたくさんいます。

しかし、いろいろな選手を見る中で、肘をしならせようとして投げることによって、うまく身体を使えていない選手も数多くいるように感じます。

本当に「肘をしならせて投げる」という投げ方は理想の投げ方なのでしょうか?

まず、理解しなければならないことは、野球でよく使う「しなる」というのは、しなっているわけではなく自分の感覚や見た目の感覚を言葉にしているだけです。
実際は「しなっているように見える」ということです。

例えばペンを軽く持って振るとペンが曲がって見える現象があります。しかし実際にはペンは曲がっていません。それに近い感覚でしょうか。

目で追えない速さになってしまうと、しなっているように見えてしまいます。
投球時の腕の動きは高速のため、しなっているように見えてしまいます。
小学生がどんなにいいフォームで投げても、プロ野球選手のように、しなっているようには見えません。
逆に150キロを超えるボールを投げて、しなって見えない選手を見たことがありません。

投球を動画撮影してみると、しなって見えるのもカメラの性能の問題で速く動いている部分の映像がぼやけてしなって見えているだけです。
スマートフォンで投球フォームを撮影し、それを見てみると、いつもよりもしなっているように見えるのはそのためです。
昔の携帯電話のカメラ機能よりかは格段に進歩しているとは思いますが、投球時の高速で振られる腕はどうしても、しなっているように見えてしまいます。

プロ野球中継を録画してスローで再生して見てみると、やはりバットや腕がしなって見えます。
球場にもっと性能のいいカメラを持っていき、撮影することはできないのかと思い、質問してみたのですが、野球場で使うカメラはとても性能のいいカメラみたいです。

では、なぜ腕がしなって見えるのか?

実際に撮影された映像データは、膨大なサイズのファイルになっているので、映像データを圧縮してテレビ等で放送します。そうすると、早く動いている部分の映像が荒くなってしまい、しなって見えてしまうそうです。
実際に撮影したサイズで映像をスロー再生して見たら、そこまでしなって見えないそうです。
それなので、テレビやYouTubeなどで投手の映像を見ると、ファイルのサイズを小さくしているため、どうしてもしなって見えてしまいます。
これは、プロ野球引退後、テレビ関係の会社に勤め、映像等を編集したりもしている、千葉ロッテマリーンズでチームメートだった山本徹也氏に聞きました。

「しならせろ」と言う指導は、「実際の動きとは違う感覚のことを言っている」ので全く理解できない人もいるので注意が必要です。
感覚を感覚で教えるというのは、僕の考えている指導レベルの最高レベルの指導になります。(例えば、長嶋監督が松井秀喜さんにしていた、擬音を使った指導)
この指導でお互いが理解ができるレベルは理想ではあります。
しかし、この指導は、プロ野球のレベルでも、指導者の伝えたいことがなかなか正確に、選手に伝わらないので、大人が中学生や高校生に指導するときやプロがアマチュア選手に指導するときには適していないと思います。

現場で肩や肘が痛いという選手と話すと「しならせる」というのを上手く理解できていないことが多いと感じます。

しならせて投げようとして、肘を先行させ過ぎて、手が遅れると、肘への外反ストレスが増え故障に繋がります。
肘だけでなく、肩関節を上手く固定するのも難しくなり、肩の故障のリスクにもなります。
また、しならせようとし、手首を伸展することや尺屈する(手首が寝る)ことにより、肘を守るための筋肉である屈筋回内筋群(特に尺側手根屈筋)が機能しにくくなり、内側側副靭帯損傷、骨が成長しきっていない子供なら裂離骨折(靭帯より骨のほうが弱いため靭帯を損傷する前に、骨が剥がれる)、等の選手生命を左右するような重大な故障につながります。

例えば、「もっと腕をしならせて投げろ」と指導されたときに、
「あっ!力が入りすぎてるのか。もっと胸を緩めてRSSC(回旋系伸張反射)を使ってしなやかに投げたほうがいいってことね」
といったように、自分のフォームを客観的に見ることができ、アドバイスをくれた人が、「こういうことを言っているのか」とイメージを作れる人には問題ない指導だと思います。

しかし、そこまで考えられない選手には、危険性がある、教え方だと思います。

指導者は、選手の、自分の動きを正確に判断できる能力や自分の評価がより正確にできる能力といった「客観的に見る能力」を把握する必要があります。
その能力のレベルに合わせて指導方法を調整しなければ、正確に伝えたいことが伝わらない可能性がでてきてしまいます。
もちろん、選手の客観的に見る能力を伸ばすことも大切になります。

「肘をしならせて投げる」という指導は、「実際は、しなっているわけではなく、しなって見えている」という、自分の感覚や見た目の感覚を言葉にしているだけだということを理解して使わなければなりません。
教える対象のレベルに応じて、柔軟に指導方法を変え、その中で「しならせる」という言葉が選手の成長につながると判断したら、使うことが選手のためになるのではないでしょうか。

選手ファースト(武雄ボーイズ)

武雄ボーイズでは、選手ファーストのチーム作りをしています。チームの中心は選手であり、選手のためのチームを作りました。

常に、どうすることが選手のためになるのかを考えています。
その大前提にあるのが「健康、安全を最優先する」ということです。日本のアマチュア野球では、優先順位が高くないことがよくあります。しかし、選手を1番に考えたら優先順位は最も上になければならないと考えています。
健康、安全を考えた上で、選手をどう成長させるかを考えています。

指導者の方針として、「選手あっての指導者である」ということを共通理解をしています。選手へのリスペクトを忘れないで、指導者も選手と一緒に考え、共に成長することを目指しています。
成長しない責任は指導者にあり、すぐに根性論やメンタル論で片付けずに、論理的に分析し、しっかりとした技術を身につけさせるようにしています。

僕が考える、技術を身につける上で最も必要なことは「夢中になる」ということです。
選手が時間を忘れて夢中になって取り組める1番簡単な方法は楽しませることです。そのためには選手が自分の意志で価値を見出し自分から行動することが大切になります。
選手がミスを恐れずに、新しいことにどんどんチャレンジできる雰囲気を作り、選手がやりやすい、夢中になって楽しめる環境になるように全員で努力しています。

そのような環境の中でどのように選手を指導していくのかというと、
指導者は選手を「知っている」の状態ではなく、「理解している」の状態にするような指導をします。頭ごなしに「ああやれ、こうやれ」と教えれば「知っている」という状態は作れると思います。しかし、本当に役に立つようにするには、理解をし、自分に合った自分なりのやり方に変えて初めて自分のスキルになると考えています。自分の頭で理解できなければ、応用することも難しくなります。また、質問されたときに、説明することもできません。
深く理解してもらいたいので、返事を「はい」だけでは終わらせないで、本当に理解しているのかを確認するようにしています。また、自分の言葉で伝えることにより、さらに理解が深められるので、選手どうしで教え合い、アドバイスし合うようにしています。

具体的には、指導者に「求めているのは選手に良い質問をすることで、技術指導は一切求めていません」と伝えています。
例えば、
「なぜ上手くいかなかった?」
「どうすれば上手くいく?」
「どんな練習をする?」
「どのくらいの期間でできる?」
「手伝うことはある?」

このように選手に考えさせるような質問を繰り返して選手を導くやり方です。
また、
「今日の目標は?」
「今日なにしたい?」
「課題は?」
といったような質問を繰り返すことにより、選手はグランドに入った時には、なにをするべきか内容が頭に入っていて、課題を認識している状態に導いていけると思っています。
それができれば、練習の質があがり、短時間での内容の濃い練習に変わっていくと思います。

選手同士、選手と指導者、指導者同士が常に、自分の考えを意見できる会話の多い環境を作るようにしています。

また、選手のデータを集めて違いに気付くように、どのくらい成長しているのかを判断できるようにしています。
そのデータや指導内容を指導者同士で共有するように心がけています。

実際に行っている具体的な普段の練習内容は、
選手が自ら考え行動するために、アップは各自で行い、ラダーやミニハードルなどを使ったドリルは「こういうメニューがあるよ」というのを教えてそれを踏まえて自分たちでメニューを選ぶようにしています。
練習の中に自主練習を積極的に入れていき、選手がコーチに「ノックを打ってください」「バッティングしたいので投げてください」のように選手が自ら考え大人がその練習に協力するという環境を作っています。
まだチームができて間もないので、決してレベルの高い練習ができている訳ではありませんが、選手の自主性は育ってきていると実感しています。

僕が考える選手の評価は

  1. 自主性が身についてなく、どのような練習をするべきか指示を出してくれる人がいないと練習できないレベル。
  2. 自主性が身についていて、やる気、向上心もあるが、練習のやり方や練習メニューを理解できないレベル。
  3. 自主性が身についていて、練習のやり方や練習メニューを理解しているので指示があればしっかり練習できるレベル。
  4. 自主性が身についていて、選手が自分の練習メニューを、作成、実行、評価、再構築できるレベル。

卒業の時には「4」のレベルに持っていきたいと思っています。そこまでいけば、自分から成長できる選手なので、同じ思考方法で、野球に限らず、本人が目標に定めた分野で活躍が期待できる人になると思っています。
逆に「1」のレベルの選手は、社会に出るとなんのために働いているのかわからない、指示がないと何もできない、というような人になると想像できます。

選手ファーストのチーム作りはこれからの時代を生きていく力を身につけるのに適したやり方だと思います。
野球を通じて、優れた人格を身につける。生涯学習できる人を育てる。という指導理念には、欠かすことのできないやり方だと思っています。

本当に上手くなっているのか?(アマチュア野球界の現状)

今やっている練習で本当に上手くなっているのか?
選手のためになっているのか?
それを見極めなければなりません。

現状、選手にとってマイナスな指導や練習がかなり多いと感じます。

個人差はありますが年齢が20代前半くらいまでは身体が成長するのでマイナスな練習でも身体の成長が上まわりトータルでパフォーマンスは伸びます。
しかし、自分の現状にあった練習を選択できない選手や上手くなる練習を知らないでマイナスな練習を繰り返す選手は身体の成長が止まったらどんどん下手になっていきます。

アマチュア野球の現状を見てみるとこのケースが非常に多いように感じます。

その証拠に社会人野球を見てみるとほとんどが辞めていく選手と入ってくる選手を比較した時に辞めていく選手の方が実力が下です。
それは年齢的に身体の成長が止まる社会人野球選手がパフォーマンスを向上させることができる練習に取り組めないため、入社した時よりも下手になっているからであると考えられます。

大学生でも1、2年生で活躍した選手が3、4年生で活躍できなくなるケースを目にすることがよくあります。
怪我などの例外はあるものの、大学3、4年というのはちょうど身体の成長が止まる、もしくは緩やかになってくる年齢です。
年齢やその時の状況にあった練習ができていない。今までマイナスな練習を繰り返していたが、身体が成長していたのでトータルでパフォーマンスが上がっていた選手がその練習で上手くなったと思い込み、同じ練習を繰り返し、身体の成長というアドバンテージを失い、下手になっていっている証拠ではないでしょうか。

野球という技術や経験が重要になる競技のキャリアのピークが20歳そこそこになるというのは考えなくてはいけないことだと思います。

もうひとつ問題なのが、そのことに気が付いていないので今までのやり方を変えられないことです。
小学1年生からどんなに変な練習をしても6年生になれば1年生の時よりもパフォーマンスが上がっているのは想像がつきます。
中学生もたいして練習していなくても、中学3年で卒業する頃に中学入学時よりパフォーマンスが上がってる選手がほとんどではないでしょうか。
高校生も小学生や中学生ほどではないですが、入学時よりも卒業時の方がパフォーマンスは高くなっていると思います。
それは身体の成長によるものが大きなウエイトを占めているからだと思います。

見極めは簡単ではないと思いますが、練習によってパフォーマンスがどのくらい伸びているのか。
身体の成長によってパフォーマンスがどのくらい伸びているのか。
それぞれを別々に見極め、考えなければなりません。

マイナスな練習ではなく、パフォーマンスを上げる練習をするためには、
選手それぞれが、明確な目標を定め、今やっている練習やトレーニングの目的を理解する。
そしてその練習やトレーニングを客観的に振り返り、評価をし、それを踏まえて次の練習やトレーニングを決めていく。
このような作業を繰り返し行う必要があります。
身体の成長が止まった後もパフォーマンスをどんどん伸ばしていくプロ野球選手などはこの能力が極めて高いように思えます。

アマチュア野球の現状は、自分の練習や行動の振り返りができ、それを踏まえて、自ら練習やトレーニングを選択できる選手をほとんど育てられていない。
ここにアマチュア野球の伸びしろがあり、まだまだ選手も指導者も成長できると感じています。

僕自身も、自ら考えて行動できる自立した選手を育てられるよう、また、より良い野球界になるように微力ながら努力していきたいと思います。

球数制限

ボーイズリーグは連盟が投球制限を設定しています。

武雄ボーイズでは、それに加えて、選手の身体を守るために独自の球数制限を作っています。
ルールにして、それに従うことでわかりやすく選手の肩や肘を守ることができると考えました。
僕の考える球数制限は、試合の勝利よりも選手の身体や将来を第一に考えているという前提から成り立っているということを理解していただきたいと思います。

先ず、球数制限がなぜ必要なのか?それを考えたいと思います。
・選手の健康が最優先されるべきだから。
・選手の肩肘の故障が多すぎるから。
・中学生は特に選手の実力に差があるため限られた選手の酷使が起こりやすいから。
・投げ過ぎを見極めるのが難しいから。
・勝負である以上どうしても勝ちたいという気持ちが出て、無理をさせてしまうから。
・ルールなら守らざるえないから。
・「大丈夫です。まだ投げられます。」と言う選手を止められるから。

このようなことがあげられます。

ボーイズリーグの連盟の投球制限は
・1日7イニング以内とし、連続する2日間で10イニング以内とする。
・練習の中での全力投球は、1日70球以内、週350球以内とする。また週に1日以上、全力による投球練習をしない日を設けること。

これが連盟の出している投球制限です。

この連盟の投球制限の不足分を補いたいと思い独自の球数制限を作りました。
不足分とは、選手の成長段階やフォームは一切考慮されないので人によっては投げ過ぎになってしまいます。
7イニング以内なら何球でも投げられてしまうということもあります。
これを補うために独自の球数制限を加えました。

武雄ボーイズ独自の球数制限は
・1人の投手が投げられる球数は、1イニングの投球数から10を引いて、その球数の合計が25球までとする。(例えば、毎イニング15球だとしたら5イニング投げられる)

・打者の途中で球数制限に達した時はその打者までとする。

つまり、1イニング10球以内なら何イニングでも投げられることになります。(連盟のルールで7イニングしか投げられないので最高でも95球)

なぜこの球数制限にしたのか理由を説明します。

僕は、投手が故障をする1番の原因はフォームにあると考えています。
そのため、故障をしない1番の方法は「いいフォームで投げること」であると思っています。
そのいいフォームとは、
・可動域が確保されていて、極力、代償運動をしないフォーム。
・バランスのいいフォーム。
・身体機能、身体操作が十分にできているフォーム。
・腕に頼らないフォーム。

非常に簡単にですがこのようなフォームをいいフォームと考えています。
選手には、いいフォームを身につけてほしいと思っています。

いいフォームで投げていなくても成長が早く身体が大きい選手はスピードは出せます。
しかし、いいフォームで投げていないとなかなかコントロールはつきません。コントロールのない投手は球数が増えてしまいます。
つまり、この投球制限は、いいフォームを身につけた選手でなくては多くイニングを投げられないようになっています。

ただボールを投げさせないで故障を防ぐだけでは選手の将来のためには十分ではありません。パフォーマンスを上げることも必要です。
そのためには、極端な話をすると絶対に故障しない、疲労しないのであれば、数多く投げた方が上手くなる可能性は上がると思っています。
故障のリスクが低い、いいフォームの選手ほど多く投げることができます。
選手の身体を守りつつ、よりパフォーマンスをあげられるように考えました。

これは、選手がどうしたらいいフォームを身につけられるのか、という考えに導きやすいという面もあります。

また、どんどんストライクゾーンで勝負するという方向にも繋がるのではないかと思います。

見た目ではいいフォームで投げられていても、筋肉が関節を守る働きをしているので疲労で筋肉が働かなくなると故障のリスクは上がります。
ピッチャーはイニング間に疲労を回復させながら投げています。1イニング10球以内ならイニング間にある程度筋肉の疲労を回復させられると思います。
1イニングの球数が増えればそれだけイニング間の筋肉の回復が間に合わなくなり、関節に負担が掛かります。
1イニングの球数が多くなるほど球数制限に近づくので、筋疲労による関節の負担を減らせます。

さらに、経験上、疲れている時や不調時に多くの球数を投げることで故障のリスクが上がるということを感じています。
故障をしないピッチャーは「違和感があるから投げない」という判断が優れています。
その判断力が身についていなくても、この球数制限は、不調時に球数を多く投げるのが難しいルールにもなっています。

このようなことからこの球数制限を決めました。

しかし、球数制限は、僕の本意ではありません。本来は指導者や選手自身がこれ以上は危険と予測して球数やイニングを決めるべきだと思っているからです。制限があるからといって選手の状態を見極める努力を怠ってはならないと思っています。
球数制限はありますが、この制限は上限であり、選手を見極める能力は必要です。制限に到達しなくても危険と感じたら止めることができなくてはいけません。指導者の目が完璧なら制限はいりません。指導者はその完璧な目を身につけることを目指して努力しなくてはなりません。

この球数制限は、ベストではありません。まだまだ改善の余地があります。そのように思っています。
情報を集め、探究を続け、選手にとってより良い環境を作っていきたいです。

センスとは

普段生活している中で、「センス」という言葉がいろいろなところで使われています。
スポーツの世界でも、本当によく使われている言葉です。
スポーツだけでなく学校や塾では「勉強のセンス」仕事の現場では「ビジネスセンス」「営業センス」その他にも「音楽センス」「ファッションセンス」「お笑いのセンス」「料理センス」…等々、いろいろなところで使われています。

「センス」を辞書で調べてみると
・物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的なセンスがある」「センスのよくない服装」「バッティングセンス」

・判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンスを問われる」

別の辞書では
・物事の微妙な感じや機微を感じとる能力・判断力。感覚。 「ユーモアの-」 「 -に欠ける」

と書いてあります。

実際に「センスがある」といえば「判断力が優れている」「感覚が優れている」「才能がある」のような意味で使われています。
逆に「センスがない」といえば「下手くそ」や「才能がない」のような意味で使われていることが多いと感じます。

そして「センス」は持って生まれた能力、生まれ持った才能のように思われています。

では、「センスのある人」「センスのない人」とはどのような人でしょうか。
センスのある人
・何をしてもできる
・要領がいい
・判断力がある
・少ない時間で課題を終わらせる
・どんどん成長する
・モチベーションが常に高い
・集中力がある
・想像力がある
・感覚が優れている
・同時に多くのことができる
・動きがしなやか
・プレーの切り替えが早い
・自己評価が正確

センスのない人
・何をしても上手くできない。
・要領が悪い
・すぐミスをする
・よく怒られる
・行動が遅い
・課題をするのに時間がかかる
・成長しない
・モチベーションが低い(上下する)
・何をしていいかわからない
・集中力がない
・動きが硬い
・プレーの切り替えが遅い
・自己評価が曖昧(正確にできない)

とても簡単にですがこのように比較することができると思います。

センスという言葉は運動センス、野球センス、サッカーセンス、勉強のセンス、ビジネスセンス、営業センス、音楽センス、ファッションセンス、お笑いのセンス、料理センス…等々、いろいろなところで使われていますが、このセンスの多くは共通の能力です。
その証拠に本当に優秀な人は何をやっても優秀です。センスのある人自身がその物事に価値を感じてやろうと決めたら成果を出します。

センスは優れたスポーツ選手になるには欠かすことができない能力です。スポーツだけでなく何の分野でも優れた人になるためには欠かすことのできない能力だと思います。

野球の現場では「センスがない」で片付けられてしまうことが多々あります。
野球以外でも「センスがないから」と言われているのを耳にします。

では、センスのない人はダメなのか?可能性がないのか?

僕はそうではないと思います。

なぜなら

センスは
「生まれ持った能力ではなく後天的に身についていった能力」だからです。
トレーニングによって向上させることができる能力だと思っているからです。
センスがある人とは、生まれてから今までの生活や遊びや環境などによってセンスを身につけてきた人です。

センスがない人をトレーニングによってセンスのある人にすればいいと思います。

例えば、
野球を教える時に、モチベーションがなく、集中力がないといったような選手をどう成長させるかと考えた時にセンスを鍛えて向上させることが何よりも必要だと思います。
そのような選手をそのまま練習させると、技術練習に入る前に、どうやってやる気を出させようか、どのように集中させようかを考えなくてはいけないため、モチベーションを上げることに多くのエネルギーと時間を使います。
センスを鍛えてセンスを身につけたら高いモチベーションを持ち、高い集中力を発揮して練習に取り組むのでその必要がなくなり、そのエネルギーと時間を他の練習に当てられるのでより効率的に成長します。

センスはとても重要な能力で向上させることができるにも関わらず、あまり目を向けられていないのでセンスに目を向けてトレーニングしていくことがとても大切だと考えています。
細かく教えてもなかなか成果が出ない場合にセンスにアプローチしてみるのも面白いと思います。