スポーツパーソンシップの先に。

夏の甲子園と言われる、全国高等学校野球選手権大会が終わりましたが、猛暑の中の試合や選手の酷使の問題など賛否両論ある大会になったのではないかと思います。

今年に入りスポーツで話題になった問題をあげてみました。
カヌーのライバル選手の飲み物に、禁止薬物を混入した問題。
大相撲(スポーツと言っていいのかわかりませんが…)の問題。
レスリングの問題。
アメリカンフットボールの問題。
アマチュアボクシングの問題。
そして高校野球。

このすべての問題の改善策に、スポーツパーソンシップの徹底があります。

僕は、日本中にスポーツパーソンシップが浸透したら、日本のスポーツが劇的に発展するのではないかと思っています。
理想論で現実的ではないと思われてしまうかもしれませんが、スポーツパーソンシップが浸透したスポーツ界を想像してみました。

 

「部活動は学校教育の一環」という捉え方が変わります。
現在、その解釈が曖昧で、学校教育と人間教育が、ごちゃごちゃになり、多くが人間教育のことを言っています。
スポーツとは、学生だろうと、子供だろうと、大人だろうと、おじいちゃんだろうと、プレーするすべての人にとって人間教育という要素が含まれています。
部活動だけが人間教育の一環ではなく、スポーツとは誰がやろうと、人間教育の一環です。
スポーツパーソンシップが広がれば人間教育の一環は当たり前なので、学校教育の一環というのが、認識されてくるのではないでしょうか。
そうなると学生の本分である、勉強を疎かにすることが減ってくると思います。

 

選手の身体が守られるようになります。
例えば、野球の球数制限。
アメリカで導入されている、ピッチスマートと言われる球数制限は、スポーツパーソンシップがあるから成り立っていると思います。
もし、今、日本で導入されたら、待球作戦やカット打法などをするチームが出てくることが想像できます。
また、試合では球数制限があるから、練習でたくさん投げさせるということも、起こるかもしれません。

野球というスポーツを理解し、卓越性を相互に追及するというスポーツパーソンシップがなければ、球数制限も効果が少なくなってしまいます。

そもそも、選手への尊重、選手を大切に思う気持ちがあれば、球数制限をルールにしなくても、選手に無理をさせることがなくなるはずです。

体罰、暴言、いじめ、などのハラスメントがなくなるだけでなく、怒るという行為自体が少なくなるのではないでしょうか。

競技人口が激減している今、競技人口を増やす努力も必要ですが、競技を続けてもらう努力も必要です。
怪我や燃え尽き症候群、競技を嫌いになるなどの、競技を辞めてしまう原因にもアプローチをしなくてはなりません。

 

スポーツパーソンシップが優先されると、勝利至上主義がなくなり、選手の将来やその競技の将来が考えられるはずです。
勝利至上主義のチーム同士が戦えば、勝たなければ無意味ということになってしまいます。
勝たなければ価値がないという勝利至上主義の考えは、勝てなかった時に、不幸を生む、戦争と似たような争いになってしまいます。
勝っても負けても、価値のあるものでなければならないのがスポーツです。

これは社会人野球がいい例になっているのではないでしょうか。
企業チームの数が、数十年前の約半分になっています。
その間の社会人野球とは、僕の知る限り、多くのチームが「反則してでも勝て」「勝たなきゃ意味がない」という考えで、相手に野次を言ったりスポーツパーソンシップを無視してきました。
そのやり方では、1年間で評価されるチームが、優勝した1チームだけになってしまうので、チームの価値を持ち続けることは難しく、休部や廃部に追い込まれていくのは、仕方のないことだと思います。

 

スポーツをビジネスにして、資金調達でき、そのお金をスポーツの発展に使うという流れを作ることが可能になります。
スポーツパーソンシップがなければプレーヤーが利用されるだけになってしまうので、スポーツパーソンシップの浸透が必要不可欠です。
それぞれの競技の発展には、お金が必要です。
そのお金をどう作り出すのかを考えることは、これからのスポーツには欠かせないことだと思います。

 

優れた人格を身につけられるので、スポーツパーソンの価値が上がり、スポーツ自体の価値も上がる。
そうすることにより、見る人が増え、競技人口が増え、スポーツが発展します。

 

スポーツが日本の社会に貢献できることはたくさんあります。
今の日本は、スポーツの力を活かしきれていないと思います。
スポーツパーソンシップが日本中に浸透した時、スポーツだけでなく、日本全体が発展するのではないかと思います。

スポーツパーソンシップが浸透した日本の未来を見てみたいです。

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