大人の熱心さが子供の成長を止める。

僕が子供たちの指導をする上で、どのように考えているのかを書いてみました。
先ず、根本にあることは「子供の才能を潰してはいけない」ということです。
子供ひとりひとりを大切にし、どう才能を伸ばしていくのかと考えれば、行動は決まってきます。
何か参考になることがあればと思います。

 

いつも考えていることは、子供を変えようとするのではなく、子供を変えるために自分がどう変わるかということです。
子供を変えようと大人が熱心になりすぎることで、才能が潰れていくのをたくさん見てきました。
子供に合わせることをせずに、「自分のやり方はこうだから従え」というやり方では、多くの選手は伸びません。
子供のためを思い「勉強しろ」「練習しろ」「真面目にやれ」などと言いうことにより、伸びない子供に変えていってしまってると感じることが多々あります。

多くの選手が練習や課題は、指導者に用意して貰って、与えられてやるものだと思い込んでいます。
それは、大人によって思い込まされているとも言えると思います。
少なくとも、僕の見てきたトッププレーヤーにこのような考えの選手はひとりもいませんでした。
課題は自分で見つけて、それに対して練習します。
自分の理想とする選手に近づけるよう考えるということです。

僕は「教えたことは身につかない」と思っています。
教えたことが身につくのなら、みんなテストで高得点を取れるし、みんなプロ野球選手のように上手くなれるはずです。
いつもフォアボールを出すなと教えられている野球のピッチャーがフォアボールを出すようなことはなくなるはずです。
しかし、現実はそうなっていません。
多くの指導者が、自分が教えられて身につかなかったことを体験していながら、子供たちに同じことをしています。

僕は、選手に技術を教えて上手くさせようとすることは選手のためにならないと思っています。
指導者が選手を上手くするのではなく、勝手に上手くなる選手にどう変えてあげられるのかを考えるのが指導者だと思っています。

本人が「どうしたら身につくのか」「どうしたら上手くなるのか」考えなければ身につきません。
重要なことは考える習慣を作ることです。
早く結果を出させようと、考える時間を削り、答えを教えていくことで、考える習慣が失われていきます。
そうすることで知らず知らずのうちに子供の才能が潰されていきます。

正しいことを教えることで成長するという考え方は、勉強や練習の本質ではなく「自分はこう考える」や「自分はこう感じる」「こうやってみよう」というように、あくまで自分で決め、行動に移すことが重要だと思います。
自ら学びたいと思い、学び続けることが成長に繋がります。
スポーツを通じて主体的に学び、自分で考えることが好きになれば、その先の将来にも役に立つと思います。
「今結果を出すことだけに関心を置く」「試合での勝利にこだわりすぎる」「大人主導の練習をする」「練習を多くやらせる」「上手ければなんでもいい」などの考え方では、子供の才能を引き出せません。

野球やスポーツや勉強自体を好きだったり、考えることや学びが好きになった上で次のカテゴリーに進むのと、もう野球やスポーツは嫌だな、勉強は嫌だな、というふうに感じて次のカテゴリーに進むのでは、その後、大きな差になることは想像できます。

 

大人や指導者に求められることは、完全な人間はいないという大前提の上で、子供の存在自体を認めるということです。
子供はみんな未熟です。
どんな子供にも居場所が必ずあるということを本人に理解させることをしなければなりません。
どんなに野球が下手だろうと、どんなミスをしようと、どんなに悪いことをしようと、その中でも、子供が持っている輝ける部分を見つけてあげることが指導者だと思っています。

そもそも大人ですら完璧な大人はいないわけで、子供の未熟さにイラッとしてしまう時点で、大人が自分はまだまだ未熟であると思うべきです。
大人が子供にイラッとするというのは、大人自身に弱さがあるからであり、自分の我慢強さが足らないことや自分の思い通りにならないことで怒りを生んでいることを正当化してはいけません。
大人自身が自分の弱さを認めることができれば、子どもの未熟なところにいちいちイライラしなくなります。
逆に言えば、子供の未熟さにイライラしてしまうということは、大人自身が自分の未熟な部分を直視できていないということです。
自分が未熟なのに子供にだけそれを直させようと考えるのは、難しい話です。
子供と一緒に成長していくということが大切な心構えだと思います。

 

つまりは、子供を成長させたければ、自分自身を成長させなければならないということです。
自分のやりやすいように管理するよりも、突拍子もないことをする子供に接する方が、自分自身の引き出しも増え、より成長できます。
それが、子供の才能を潰さないことにつながるのではないかと思います。
子供を育てているようで子供に育てられている。
この関係が重要なのではないかと思います。