日本の子供たちの野球、サッカー、バスケ、バレーボールなどの多くのチームスポーツはボランティアコーチに支えられて成り立っています。
お金を貰うわけでもなく、ボランティアでチームに携わっています。
そのため、子供たちは月に数千円の活動費を払うことで、チームに入ることができます。
僕自身もそのような環境で野球をしてきました。
中には、週6日活動をしているチームも珍しくありません。
それだけボランティアコーチが頑張ってくれているということでもあります。
ボランティアコーチには、感謝しかありません。
小学生のチームの父兄コーチは、自分自身の子供がチームに入り、そこでコーチになり、子供が所属している間、コーチをすることが大半だと思います。
その中で、自分の子供がチームを卒業した後も残ってコーチを続ける人もいます。
チームの活動のために家庭の理解を得て、時間を作りチーム運営を助けています。
仕事が忙しい中でも、時間を作ってやっています。
また、コーチだけでなく、審判をやったり、連盟の手伝いをしたり、選手の送迎をしたりと試合運営やチーム運営のために、時にコーチとして、時に審判として、時に連盟の役員としてグランドに足を運んでいます。
そこまで人生に打ち込むことができることがあることは素晴らしいことだと思いますし、スポーツ少年団や学童チーム、町クラブはそういう無償ボランティアの方に支えられて活動できているのが事実です。
そういう方々が多くいて、頭が上がらないし、本当に頑張っていると思います。
現状の子供たちのスポーツチームには、ボランティアコーチは必要な存在だと思っています。
自分の暮らしている地域で、その競技が好きで教えているのであれば、それはすごく良いことだと思います。
また、そこには少なからず「現状よりも少しでもチームを良くしたい」「試合で勝ちたい」「子供たちに成長してほしい」というような意気込みもあると思います。
そこで重要になることは、子供たちに愛を持って接するということです。
子供が生まれたときに「生まれてきてくれてありがとう」「そこにいてくれるだけでいい」と思えるその気持ちが「愛」です。
尊重する、感謝する、信じて耐える、認める、許す、学ぶ、などが愛で接するということです。
愛の対象の心の自由を奪わないことでもあります。
愛は見返りを求めないということです。
「自分がこんなにやってあげているのだから、感謝しろ」とは言いません。
そこに大人の感情が加わると上手くいかなくなってしまいます。
子供たちのスポーツをする環境に、大人のエゴやプライド、欲、しがらみ、嫉妬、などといった様々な感情が絡んでくることで様々な問題が生まれてきます。
いかに、大人が感情をコントロールしてチームや子供たちに関わるかが重要です。
「愛情」ではなく「愛」で接するということです。
愛情は、字のごとく「情(感情)」が入ってしまうので「こういう人にしたい」「言うことを聞かせたい」と言ったように自分の感情を押し付けることになってしまいます。
世間体や見栄えがあったりで、子供たちをコントロールし、思い通りにさせたいだけだったりします。
「選手のため」と言いながら、実は自分のためだったりします。
酷くなると、暴言や体罰に発展します。
その時によく聞くのが「子供のためを思って愛情を持って怒っている」という言葉です。
「愛情」ではなく「愛」で接すればそうはなりません。
大人の感情が加わらなければ、子供がスポーツを心の底から楽しめ、それを見た誰もが楽しくなる、素晴らしい活動になっていくと思います。
親は、いつでも我が子が心の底から楽しんでいる姿を見たいと思います。
愛を持って子供たちに接するボランティアコーチがたくさんいることを知っています。
問題はそのようなコーチがなかなか学ぶことができずに、自分が昔、やっていたことを思い出し、それを子供たちにそのままやらせています。
学ぶ気持ちがないわけではなく学ぶ時間と環境がないだけのように思います。
志あるボランティアコーチに感謝すると共に、学べる場を作ることが、より子供たちの楽しめる、成長できる環境につながっていくのではないかと思います。
今後、そんなことができる環境を作っていきたいと思っています。