物事の考え方は様々あります。
物事をどのような視点から見るかで大きく変わってきます。
しかし、自分の価値観でしか物事を見ることができなければ見えないものがたくさんあります。
物事を多方面から見て考えるということで今まで見えなかったことが見えてくることがあります。
昔、暗記をするときに、緑のマーカーペンと赤い下敷きを使って勉強していました。
暗記したい単語を緑のマーカーで塗ってそれを赤い下敷きを使って見ると単語が黒く塗りつぶされ見えなくなるという仕組みです。
または、オレンジのペンで文字を書くとその文字自体が消えて見えなくなります。
何が言いたいかというと、赤い下敷きというフィルターを通して物事を見ていると緑で塗りつぶされたものは理解できないということです。
さらには、オレンジで書かれたことは、書かれていることすら気がつかないということです。
それを見るためには赤い下敷きを緑の下敷きや違う色の下敷きに変えなければなりません。
自分の価値観というフィルターでしか物事を見ることができないと、ほかの人の価値観が全く理解できずに衝突してしまいます。
物事を違う角度から見ることをしないと入ってこない情報もあります。
自分のフィルターを通して物事を判断しているという認識を持つ必要があります。
他の人の意見を聞くときに、自分のフィルターだけで聞くのではなく、物事を俯瞰し、異なる立場や方向から判断することが重要です。
今話題となっている高校野球の投げさせるべきか、投げさせないべきかの問題もそうです。
観る人の立場から考えれば、多くの人が160キロを超えるような高校生を見たいと思います。
選手の身体を守るという視点から考えれば、まだ大人の身体になっていない選手に登板間隔が少ない中で多くの球数を投げさせるべきではないという考え方になります。
学校の経営という視点から考えると、とにかく甲子園に出て、名前を売ってくれということになります。
メディアにしてみれば、話題性も抜群で注目度もあるので、毎試合出て、勝ち上がってほしいと考えると思います。
この間に立たされている監督はとても難しい判断をしなければならないので本当に大変です。
どんな判断をくだそうとも批判を避けられないのではないかと思います。
そういう意味では、監督を守る意味でも何かしらのルールを作る必要があるのかもしれません。
「価値観」は、育った環境や社会環境によって大きく変わってきます。
時代によってもどんどん変わってきます。
その時代時代で、なにが良くてなにが悪いのかという基準は大きく違うこともあります。
長時間働くことが求められていた時代もありましたが、今は短時間で効率的に働くことが求められています。
同じ人でも価値観は変わるということです。
そんな中でも、物事を判断し行動していかなければなりません。
その基準になるものは、根本にある本質的な目的ではないかと思います。
様々な価値観を持った人が集まった時に、目指すべきところを共通認識することが必要です。
ここが曖昧ではなかなか意見をまとめることは難しいと思います。
高校野球を例に出して言えば、「教育を受ける権利」を前提とする「教育の一環」であり「野球はスポーツである」ということから考えるということです。
違う価値観というのは自分にとって新しい考え方です。
価値観が違う人との出会いは、新しい物事の見方に気がつくきっかけになります。
同じような価値観を持った人といる方が楽で居心地がいいかもしてませんが、様々な価値観に触れることで自分自身をより成長させることができます。
時代が変化するスピードが加速度的に早くなっている現代において、多くの色のフィルターを持つことが、考え方が多様化している今の時代を生きる上で必要になってくるのではないかと思います。