スポーツをする目的のひとつに教育があると思います。
教育と言っても、技術を教えるのも教育。身体を鍛えるのも教育。人格を育てるのも教育。
教育には様々あります。
僕のスポーツを通じた教育に関する考え方です。
僕は教育の優先順位を間違えないように気をつけています。
優先順位の上にあるのは、人間性を高め、人格の形成を目指すということです。
人として生きていくには、理性や倫理があり、外れることなく生きることをしなければなりません。
社会に出て、真っ当な生き方ができる人に育てるのが教育です。
理性や倫理は人である以上、全員が持っていなければいけません。
これを育むのに必要なことがスポーツパーソンシップを理解し実行することです。
スポーツパーソンシップとは「感情の抑制」「相手に対する思いやり」「フェアプレー」そして「卓越性の追求」です。
理性を保ち、周りを尊重し、ルールや倫理を守る。そして自分を育てるということです。
優先順位のその次が、それぞれの人が持つ目標が達成できるように、技術や身体を教育することです。
この優先順位を守ることが教育では重要だと考えています。
これは技術や身体教育が重要ではないと言っているわけではありません。
技術を習得したり身体を育てることで、自分の可能性を広げていくことができます。
しかし、これらの技術や身体をどのように使うのかは、人間性や人格が関係してきます。
スポーツパーソンシップに則ってプレーすることができなければ、いくら技術を身につけようとスポーツにはなりません。
ドーピング違反がこの優先順位を誤ったいい例だと思います。
技術や身体を作るためにアンフェアなことをするということです。
これからのドーピングはゲノム編集なども考えられます。
遺伝子操作は倫理の問題でもあります。
高度なドーピングが考えられる今こそ、倫理を守ることが必要だと思います。
ドーピング違反は規則違反なので厳しく罰せられますが、ルールがなくても守らなければならないのがスポーツパーソンシップです。
指導者はスポーツを通じて人間性や人格を育てる努力をしなければなりません。
試合で勝つというのは、その上で目指すものです。
どうしても勝負がかかると熱くなりこの優先順位を誤りそうになりますが、指導者が理性を保ち、行動で示すことで、選手の人格形成につながっていくのではないでしょうか。
指導者がスポーツパーソンシップに則った行動をできなければなかなか選手が育つことは難しいと思います。
僕は、選手に対して、「人格を磨く」「自分自身を成長させる」などの人生の目的を持つことの重要性を伝えています。
幸せになるために自分を育てるということです。
そう思えれば、自分の感情をコントロールできます。
我慢強くいられ、現実を受け入れ、不幸を幸せに変える努力ができます。
人のためになるように一生懸命に働くこともできます。
自分を育てるという目的があれば、ストレスになるような出来事や嫌なことも「成長のためのいい経験」と捉えることができると思います。
優れた人格を持った人が高い技術を使うことで、様々なところで評価されます。
技術を持ってもそれを真っ当に使えなければ、宝の持ち腐れになってしまいます。
逆に、優れた人格を持っていても、技術がなければ人の役に立つことがなかなかできません。
スポーツの素晴らしさのひとつが、人の教育に適しているものだと思っています。
スポーツではスポーツパーソンシップを理解し少しずつでも実行できるように努力することで人格を育てることができます。
そこから、技術の習得を目指すことで、生きていく力をつけることができます。
自分で課題を見つけ、それに対してアプローチすることで、技術を身につけていきます。
生きていく力とは、技術を習得するやり方であり、課題をクリアするやり方です。
しかし、先程書いたように、教育の優先順位の上には、人間性を高め人格の形成を目指すということがあることを忘れてはいけないと思います。
理性を保ち、周りを尊重し、ルールや倫理を守る。そして自分を育てる。
スポーツを通じて身につけた能力を社会や学校、仕事などで活かしていき、人生を豊かなものにしていってほしいと思います。