望さんありがとう。

記事の更新ができていなかったのですが、どうしても記事に残しておきたいことがあったので久しぶりに投稿します。
今日の朝、望月一さんが死去というニュースが飛び込んできました。
52歳という若さでお亡くなりになり信じられない気持ちと感謝してもしきれない気持ちが溢れてきました。

 

望さんは、僕が千葉ロッテマリーンズ時代に球団の理学療法士(PT)としてとてもお世話になった方です。
望さんは、1986年に広島カープに入団し2度の右肘の手術を経験しながらもリリーフ投手として活躍されました。プロ野球選手引退後に国家試験に合格し理学療法士になられました。
プロ野球で活躍した後に理学療法士となりトレーナーとして広島カープ、千葉ロッテマリーンズで選手を支えてこられました。

僕のプロ野球人生は入団から3年間1軍でプレーし、残りの5年間は5回の手術を経験し、ほぼ2軍でリハビリをしていました。その5年間ずっとリハビリに付き合っていただいたのが望さんでした。
手術の時は病院で手術が終わり麻酔から覚めるまで付き添っていただき、後に麻酔でもうろうとしている状態を真似して笑いを取ったり口数は決して多くはありませんが、ユーモアある会話で明るい雰囲気を作るのがとても上手でした。

リハビリ中は「大丈夫、大丈夫」と毎日何度もおっしゃっていました。プロ野球という世界にプレーできない選手がいる場所はありません。大丈夫のはずがないのに望さんに毎日「大丈夫、大丈夫」と言われると人柄も相まってか焦る気持ちが和らいでいきました。
リハビリは毎日毎日単純なトレーニングの繰り返しで、前進したと思ったら後退してを繰り返し、決して楽なものではありません。
時には、ボールが投げられないのでサッカーボールを持ってきて2人でフリーキックの練習を真剣にしたこともありました。折れそうな心を支えていたのは間違いなく望さんの優しさだったと思います。
誕生日が同じということもあり誕生日にはお互いにメールを送りあったりしていました。

2013年の6月に右肩を手術しリハビリがなかなか思い通りにいかない中、12月に左膝の前十字靭帯断裂の再建手術をすることになり絶望の中にいる時も笑顔で励ましてくださり、毎日一生懸命に身体をケアしてくださいました。翌年の2014年シーズンは投げることができずにシーズン終了後に自由契約となりました。その時に1番に思ったことが5年間もの間、1日たりとも手を抜くこともなく毎日変わらずにリハビリに付き合っていただいた望さんにもう1度元気に全力で投げる姿を見せたいという思いでした。
その思いがあったので2015年から2年間社会人野球でプレーし、都市対抗野球の予選を勝ち上がった時に、望さんに電話をし「遅くなりましたがお陰様で完全復活しました。」という話をしました。望さんもとても喜んでくださったことを思い出します。望さんのお陰もあり社会人野球での2年間は故障することもなく元気にプレーできました。

 

望さんの中では自身が現役時代に肘の故障に苦しんだので同じような境遇の選手を助けたいという思いを強く持っていたのではないかと思います。
僕自身も怪我や故障で投げられないということは、サヨナラホームランを打たれるより、打たれて降板するより、不甲斐ない投球をしてお客さんから罵声を浴びせられるより、はるかに苦しいことでした。
だから今の僕の考えの根本にあるのは何があっても故障させてはいけない。携わっている選手の身体は全力で守ってあげなくてはならないということです。
なかなか故障をし長いリハビリを経験しないとわからないことだとは思いますが、1度故障してしまうと選手生命に関わる問題になりかねないのでなんとかそのような選手を減らすことができないかと考えています。

望さんは僕の恩人でありとても感謝をしています。それだけでなく僕の人生に大きな影響を与えていただいた方です。僕の中には望さんから学ばせていいただいたことがたくさんあります。

 

突然の訃報に信じられない思いで心の整理がつきませんが、
今まで本当にどうもありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。