自由と規律。

昔に比べて最近は怒られることが少なくなってきています。
だからと言い、何をしてもいいわけではありません。
いつの時代もダメなものはダメであり、怒られないからと言って、してはいけないことが少なくなったわけではありません。

一昔前は、ダメなことをすれば、殴られたり、怒られたりしていました。
今、同じようなやり方をすれば、問題になってしまいます。
しかし、殴られないからといい、何をしてもいいというようになったわけではありません。
むしろ、より規律が必要になったといえるのではないかと思います。

 

運動部では、長時間練習が良くないと言われ、練習時間が短くなってきています。
ここで重要になってくるのが、練習の質であり、練習が短くなったことで生まれる、自分の時間の使い方です。

「好きにしていいよ」と言われて、自分を成長させれるように行動し、パフォーマンスがさらに向上する人がいます。
その一方で、自分がやるべきことができずに、生活が乱れて、なかなか成長できない人がいます。

この違いは、単純に自分の中に「規律」があるかないかの違いです。
規律がある人は、自分の中にルールを設定しています。
だから、誰も見ていなくても、どれだけ権力が与えられても、自分の決めたルールを守ることができます。
しかし、規律がない人は、自由になった途端に崩れてしまいます。
ひとりの時の自分が、本当の自分であり、誰からも見られていないところでいかに自分を磨いていけるのかが重要です。

 

自由と規律のバランスを理解し、実行できる選手に育てていくことは、僕の目指しているところのひとつでもあります。
そのために、僕が教えている選手によく言うことが「自分との約束を守ろう」ということです。
自分がやると決めたこと、または、やらないと決めたことを守ることができるようにすることは、自分を成長させるためにも、他人から信頼されるためにもとても重要なことです。

個人の成長だけでなく、自由と規律のバランスを理解した選手を増やすことが、チームワークを高めることにつながると考えています。
自由を尊重して、その中でも、自分をコントロールして責任のある行動を心掛けます。
その責任のある行動を決める基準は「スポーツパーソンシップ」にあります。
自制を保ち、周りを思いやる。ルールを守る。そしてお互いに成長を目指す。
この基準で行動することが自由と規律のバランスを保つことになります。

子供たちには、自分の発言や行動が、結果として他の選手たちの「自由」を阻害してしまうことがよくあります。
チームでは、お互いの自由を尊重するため、規律が必要です。
なぜ規律があるのかというと、お互いを思いやり、お互いに成長を目指すためであり、自由を作るためということになります。

 

それを理解し、自分で自分の規律を作ることができれば、
時間を守る。
身だしなみを整える。
あいさつをする。
人や道具を大切にする。
マナーを守る。
などといったことの本質を理解できるのではないかと思います。
これを、怒られるからやる。ガミガミ言われるからやるでは、自立(自律)した選手になったとは言えないと思います。
人権を無視するような、暴力や罵声ではなく、時間はかかるかもしれませんが、辛抱強く自由と規律の重要性を理解させていくことが大切です。
ルールで縛るのではなく、最低限のルールで組織を円滑に運営し、発展させていくことが理想的です。
そのためには、個人個人が自分のルールを決め、守っていくことが必要です。
簡単に身につけられるわけではないので、指導者や大人が自己規律を自らの背中で見せることで、選手、子供が自ら学習し、自律的な子供を育てることにつながると思います。

 

自由や自主性と言われますが、自由をはき違えて、マナーやモラルがない人に何も言わずに放っておくというのは、違います。
それを、暴力や罵声というやり方ではなく、指導者の指導力によって、理解させなければなりません。
つまりは、指導者は、今まで以上に指導力が求められ、指導者自身が成長していくことで、子供の成長を促していくことが、必要になってきているのではないでしょうか。

これからの時代の人の評価は、今まで以上に、年齢や学歴や国籍などよりも、人間性という物差しで評価されるのではないかと思います。
スポーツを通じて、評価される人間を育てていくことはスポーツの発展においても重要になってくると思います。

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