忍耐力を発揮しない。

忍耐力とは「辛いことや苦しみなどを耐え忍ぶ力。辛抱する力。」のことを言います。
時と場合によるとは思いますが、忍耐力を発揮しないことで上手くいくと思うことが多々あります。
そんな話をしたいと思います。

 

忍耐力が成長を阻害していると思う選手を何人も見てきました。
忍耐とは同じところでとどまることです。
例えば、寒さに耐える。暑さを我慢する。といったように苦しみなどを耐え忍ぶ力のことです。
現状を改善しようと前向きに行動することは忍耐ではなく努力と言います。

肉体的に限界を超えた我慢や忍耐は身体を傷つけ、酷くなれば故障に繋がります。
精神的に度量を越えたパワハラなどの我慢や忍耐は心がすり減り崩壊します。
酷くなれば引きこもりやうつ症状になることすらもあります。

このような過度の肉体的、精神的ストレスに忍耐力を発揮する必要はありません。
耐え忍ぶことを美徳だと勘違いし、理不尽なことや嫌なことに我慢し続けることは良いことだとは思いません。
指導者や大人が子供に対して、本人が嫌なものを無理矢理継続させようとしたところで、そこに集中力は生まれません。
集中して物事に取り組むことができなければ、期待しているほど、子供の力を伸ばすことはできないと思います。

たしかに、嫌なことを我慢しなくてはいけない場面はあるとは思いますが、ずっと我慢を続けていたら、人間の心と身体はすり減っていってしまいます。
それを防ぐためには、ただ我慢し続け、耐えるのではなくて、回避する方法を考えたり、現状から抜け出す努力をしていくことです。

僕が感じたトップ選手が持つ能力は、嫌なことや辛いことを我慢し続ける忍耐力ではなく、それをどうやれば成長につなげられるのかを考える力であり、自分の夢や目標に向かって努力する力です。
目標を実現するためのチャレンジする力と粘り強く継続していく力を持っています。
ここに忍耐力はありません。

本人に話を聞くと、努力をしているという感覚よりも、好きで楽しいから、他人からやり過ぎるなと言われても勝手に好きでやってしまうというように感じます。
心の底から好きなことは楽しいから続くのであって、完全に習慣化できているので、努力して続けているわけではありません。
表現は難しいですが、トップ選手は忍耐も努力もしていません。(している感覚はありません。)

 

指導者は忍耐力を育むことや物事を継続させようとしますが、僕はそれはそこまで重要だとは思っていません。
それよりも、競技を好きにさせることや、好奇心や創造力、そこにチャレンジする能力のほうが重要だと思っています。
そうすると結果的に辛いことやハードなトレーニングを継続できるようになっていきます。

上のレベルになればなるほど、現状を大きく変えることは簡単なことではありません。
だからこそ、どうすれば現状を変えることができるのかを試行錯誤しながら、何度も粘り強くチャレンジする必要があるはずです。
その場で耐え忍ぶ忍耐力ではなく、自分を成長させるために何度もチャレンジし続けられる力が必要です。

 

場面によっては忍耐力が必要ないと思うこともあります。
忍耐力がないが故に、自分ができないことがあることに耐えられないのでできるまで練習するということができます。
下手に忍耐力があると、できない自分に耐えられてしまうので忍耐力が成長を阻害してしまいます。

僕は、忍耐することがとにかくできません。
嫌なことに耐えることが苦痛です。
小さな頃から、勝負に負けることに我慢ならなかったので、負けないようにいつも考えていました。
負けることに耐えられないので練習を繰り返していました。

嫌なことが目の前にあり続けていたり、何度も起こっていたら、忍耐力を使わないことが物事を良い方向に持っていけると思います。
嫌なことを我慢するのではなくそれを回避するために行動することが重要です。

何かを成し遂げるのに必要なのは忍耐力ではなく努力です。
努力を続けることです。

努力をすれば成長できるという成功体験を多く経験することができれば、成長するために、努力することができるようになってきます。
これを続けて、努力することを習慣化できれば、努力ではなく習慣になります。
習慣化されれば頑張る必要もなくなり、自然と練習ができます。

 

なかなか、わかりにくい表現になってしまいましたが、仮に、忍耐力が必要だというのなら、自分の目標に向かう過程に忍耐があるのだと思います。
忍耐力をつけるのではなく、学びの過程に忍耐があるということです。
物事を耐え忍ぶ力よりも、現状を切り開く力を身につけてほしいと思います。

大人の熱心さが子供の成長を止める。

僕が子供たちの指導をする上で、どのように考えているのかを書いてみました。
先ず、根本にあることは「子供の才能を潰してはいけない」ということです。
子供ひとりひとりを大切にし、どう才能を伸ばしていくのかと考えれば、行動は決まってきます。
何か参考になることがあればと思います。

 

いつも考えていることは、子供を変えようとするのではなく、子供を変えるために自分がどう変わるかということです。
子供を変えようと大人が熱心になりすぎることで、才能が潰れていくのをたくさん見てきました。
子供に合わせることをせずに、「自分のやり方はこうだから従え」というやり方では、多くの選手は伸びません。
子供のためを思い「勉強しろ」「練習しろ」「真面目にやれ」などと言いうことにより、伸びない子供に変えていってしまってると感じることが多々あります。

多くの選手が練習や課題は、指導者に用意して貰って、与えられてやるものだと思い込んでいます。
それは、大人によって思い込まされているとも言えると思います。
少なくとも、僕の見てきたトッププレーヤーにこのような考えの選手はひとりもいませんでした。
課題は自分で見つけて、それに対して練習します。
自分の理想とする選手に近づけるよう考えるということです。

僕は「教えたことは身につかない」と思っています。
教えたことが身につくのなら、みんなテストで高得点を取れるし、みんなプロ野球選手のように上手くなれるはずです。
いつもフォアボールを出すなと教えられている野球のピッチャーがフォアボールを出すようなことはなくなるはずです。
しかし、現実はそうなっていません。
多くの指導者が、自分が教えられて身につかなかったことを体験していながら、子供たちに同じことをしています。

僕は、選手に技術を教えて上手くさせようとすることは選手のためにならないと思っています。
指導者が選手を上手くするのではなく、勝手に上手くなる選手にどう変えてあげられるのかを考えるのが指導者だと思っています。

本人が「どうしたら身につくのか」「どうしたら上手くなるのか」考えなければ身につきません。
重要なことは考える習慣を作ることです。
早く結果を出させようと、考える時間を削り、答えを教えていくことで、考える習慣が失われていきます。
そうすることで知らず知らずのうちに子供の才能が潰されていきます。

正しいことを教えることで成長するという考え方は、勉強や練習の本質ではなく「自分はこう考える」や「自分はこう感じる」「こうやってみよう」というように、あくまで自分で決め、行動に移すことが重要だと思います。
自ら学びたいと思い、学び続けることが成長に繋がります。
スポーツを通じて主体的に学び、自分で考えることが好きになれば、その先の将来にも役に立つと思います。
「今結果を出すことだけに関心を置く」「試合での勝利にこだわりすぎる」「大人主導の練習をする」「練習を多くやらせる」「上手ければなんでもいい」などの考え方では、子供の才能を引き出せません。

野球やスポーツや勉強自体を好きだったり、考えることや学びが好きになった上で次のカテゴリーに進むのと、もう野球やスポーツは嫌だな、勉強は嫌だな、というふうに感じて次のカテゴリーに進むのでは、その後、大きな差になることは想像できます。

 

大人や指導者に求められることは、完全な人間はいないという大前提の上で、子供の存在自体を認めるということです。
子供はみんな未熟です。
どんな子供にも居場所が必ずあるということを本人に理解させることをしなければなりません。
どんなに野球が下手だろうと、どんなミスをしようと、どんなに悪いことをしようと、その中でも、子供が持っている輝ける部分を見つけてあげることが指導者だと思っています。

そもそも大人ですら完璧な大人はいないわけで、子供の未熟さにイラッとしてしまう時点で、大人が自分はまだまだ未熟であると思うべきです。
大人が子供にイラッとするというのは、大人自身に弱さがあるからであり、自分の我慢強さが足らないことや自分の思い通りにならないことで怒りを生んでいることを正当化してはいけません。
大人自身が自分の弱さを認めることができれば、子どもの未熟なところにいちいちイライラしなくなります。
逆に言えば、子供の未熟さにイライラしてしまうということは、大人自身が自分の未熟な部分を直視できていないということです。
自分が未熟なのに子供にだけそれを直させようと考えるのは、難しい話です。
子供と一緒に成長していくということが大切な心構えだと思います。

 

つまりは、子供を成長させたければ、自分自身を成長させなければならないということです。
自分のやりやすいように管理するよりも、突拍子もないことをする子供に接する方が、自分自身の引き出しも増え、より成長できます。
それが、子供の才能を潰さないことにつながるのではないかと思います。
子供を育てているようで子供に育てられている。
この関係が重要なのではないかと思います。

選手を育てる指導者。

選手を育てるということは簡単ではありません。
選手によってやり方を変えていくことが重要になりますが、多くの引き出しを持っていることが多くの選手を育てていくことに繋がります。
選択肢のひとつとして参考になればと思います。

 

今回紹介するやり方は、指導者が一歩下がって、選手の成長を促すというやり方です。
今までの多くの指導者が、自分が選手よりも上に立っているという認識のもとで、自分が持つ地位や権力を使って選手を指導しています。
そうではなく、指導者がひとつ下がった視点から選手を目標に近づける手助けをするというやり方です。
指導者が選手を後ろから支えるイメージです。
そうすることで、指導者と選手の間に信頼関係が生まれ、結果的に選手を導いていきます。
指導者は「先ず選手に尽くした後に、導く」ということです。

先ず指導者が考えることは、選手に対するリスペクトであり、思いやりを持ち、選手に尽くすということです。
指導者は選手の成功と成長のために尽くすということなので、指導者にカリスマ性はいりません。

選手の成長を支援し続けるということなので、選手が成長し続けるにはどうしたら良いのかを考えます。
決して自分のエゴや自分の地位を守るために選手を使うということはありません。
スポーツでは、相手がいることなので、勝利や個人の成績を自分自身でコントロールすることはできません。
それなので当然、指導者がコントロールすることもできません。
できるのは、成長できる環境を整え、成長を促すことだけです。
選手の成功と成長のために尽くすということは、選手が結果を出せない時でも、諦めずに我慢強く支援し続け、導いていかなければなりません。
そのやり方も、自分の知識や経験で選手を動かそうとするのではなく、選手を尊重する姿勢や選手の意見を聞き、そこから勉強し、共に成長していくという姿勢を見せることで選手からの信頼を得て、選手の行動変容に繋げていきます。
選手の意見を聞くというのは、相手が「どうなりたいのか」なった後に「何がしたいのか」を聞き出す努力をし、どうすれば役に立てるのかを考えます。
選手の立場に立って選手の気持ちを理解するよう努めます。
何かを強制してやらせるのではなくコミュニケーションを通じて、選手に納得してもらい、選手が主体的に行動できるようにします。

 

選手の話を聞くということは簡単なことではありませんが、選手自身が尊重されている、親身になって話を聞いてもらえると思えば、より信頼感を持ってもらえます。
大切にしてくれていると感じ、信頼感が上がれば、コミュニケーションの質が高くなり、より指導のレベルも上がっていきます。

選手が指導者に威圧感や恐怖感を感じれば、言ったことに表面的には従いますが、本音で従っているのかは分かりません。
それが進めば、選手は言い訳を考えたり、自分の意志で行動できなくなってしまったり、考える力が奪われてしまいます。
そうなってしまっては、誰のために指導しているのかがわからなくなってしまいます。

 

指導者が選手を後ろから支えるような、ひとつ下がった視点から選手を目標に近づける手助けをするというやり方のメリットは、選手は指導者を信頼し、自発的に考えて、行動していきます。
指導者側から選手を尊重し、選手それぞれがチームで最も価値のある存在だと伝え続け、選手のために尽くしていくことで、信頼を得て、結果的には選手を導いていくことに繋がります。

このようなやり方は、人の価値を優先するため、選手それぞれに寄り添い、成長のために共に努力をします。
選手個々の能力を伸ばすことに適しているので、より多くの選手を成長させることができます。

その中でもこのやり方で僕が感じる1番のメリットは、チームワークが高まることです。
成長するという目標は全選手に当てはまるので、全員を同じ方向に向けることができます。
僕の経験上「優勝する」などの目標では、ベンチ入りできない選手や怪我をしている選手を同じ方向に向けるのは難しいことです。
どうしても選手の中でも温度差が生まれてしまいます。

 

今回紹介したやり方は、個人の成長が促され、チームワークが高まるので、結果的に勝利にも近づくのではないかと思います。
これを実行するには、指導者の我慢強さや器の大きさが必要になりますが、選手のためになるやり方ではないかと思います。

選手を成長させる方法のひとつとして参考になればと思います。

子供を育てるには。

他人を育てるということはとても難しいことです。
正解がなく、同じことをしても同じようには育っていきません。
ここで書くことも、あくまで選択肢のひとつで、絶対ではありませんが、何かヒントになることがあればと思います。

 

他人を育てるのに「これが正解」というものはなかなか示せませんが、「これはしてはいけない」ということはあると思います。
簡単にいえば、倫理的に問題のあるやり方を使って、相手の成長を促そうとすることです。
例えば、そのひとつに暴力があります。
暴力を振るうにも理由があります。

自分のストレスを他人にぶつけるということもあります。
部活動でよく聞く話で、「今日は指導者の機嫌が悪いから気をつけろ」というやつです。
他で作ったストレスを関係のないところでぶつけるということです。
その時の機嫌なので、同じことをしているのに怒られる時もあれば平気な時もあります。

相手を支配したいという考えから暴力に走るということもあります。
指導者自信が軽蔑されたり、甘く見られたり、攻撃されないように暴力による力で上に立ち、自分を守るということです。
暴力や大声で怒鳴ることなどは、相手が段々と慣れてしまい、もっと声が大きくなったり、暴力がエスカレートしていきます。
一度、そういったやり方を身に付けてしまうと、何か問題があった時に、何が悪いのかをきちんと説明し、相手を説得し、納得させて行動変容を促すということが面倒になり、暴力や大声で怒鳴ることから抜け出せなくなってしまいます。
実際の話で、「暴力による指導は子供のためになりませんよ」という話をしたら「じゃあ、どうやって指導すればいいのですか」と言われたことがあります。
暴力から抜け出せなくなっている典型的な例です。

本当に暴力が相手のためになり、成長を促すためにと思って、暴力を振るう人も多くいます。
その多くが、自分自身が暴力や体罰により育ったという思いがある人です。
人間は、理不尽なことがあると、自分がして来たことを肯定するために、理不尽さのなかにも、なんとか良い理由に結びつけようとする心理的傾向を持つと言われています。
「あれは自分のためを思ってやってくれた」「自分はあれによって成長できた」「苦痛は無駄ではなかった」といった形で事実のほうを自分の都合のいいように置き換えて考えます。

このように暴力を使った指導をするのにも様々な理由はあると思います。
体罰やDVを受け続けると、被害者が加害者に好意を抱く。または被害者が身を守るために好意を装うといった行動が見られます。
すると「暴力による指導を理解してくれている」などと思い込むことも少なくないと言われています。
さらに子供になると、善悪の判断ができないので、そのような大人の振る舞いを真似して学習していくことが考えられます。

これだけ暴力根絶が叫ばれている中でなくならないのは、このように非常に根の深い問題だからだと言えます。

 

だからと言って、アメとムチを使うような、褒める、叱るの指導が効果がないわけではありません。
だれが、いつ、どこで、なにを、なぜ、どのように褒めるのか、もしくは叱るのか、を工夫することで効果的になります。
子供相手なら、子供の発達段階や性格、どのくらい信頼感を持っているかでも大きく効果が変わります。
人によってそれぞれなので正解は分かりませんが、アメとムチを使うには、気をつけた方がいいことはあると思います。

そのときどきの気分や都合で変わるのではなく、一貫性があること。
公平性があり、納得してもらえること。
結果ではなく行動の善し悪しを見ること。
他人との比較ではなく、本人の能力と比較すること。

このようなことに注意を払う必要はあると思います。

褒められた相手がさらにやる気になる褒め方だったのか。
叱られた相手が素直に反省し、行動変容を決意するような叱り方だったのか。
このあたりがアメとムチの使い方の基準になるのではないかと思います。

使い方を間違えてしまって、罰の回避が最優先されれば、創造的な行動や新しい挑戦が促されず、思考が停止した状態を作り出しかねません。
周りへの影響も考えなければ、精神的なダメージを与えてしまうことも考えられます。
子供ならそこから、いじめや不登校になってしまうこともあるかもしれません。

 

子供は大人の行動や姿勢を見て、育っていきます。
良くも悪くも、身近にいる大人に影響されます。
大人の学ぶ姿勢や諦めずに我慢強く接するのを見て、子供は諦めずに、我慢強く物事に取り組めるようになっていきます。
大人も子供と一緒に成長していき、子供の手本となることが大切だと思います。

指導者と子供とのコミュニケーション。

子供たちを指導する上で、コミュニケーションは欠かすことができません。
大人と接している時と同じ接し方で子供たちと接するのでは十分ではないと思います。
子供と接するには、子供とどう接するべきかを考える必要があります。
そんな選手とのコミュニケーションの話です。

 

選手とのコミュニケーションなしには的確な練習はできません。
指導者の考えを一方的に伝えるというのではコミュニケーションとは言えません。
選手が望んでいることを聞き出すために、まずは選手の話をしっかり聞き、どうすれば役に立てるか考える必要があります。
相手の語彙力や伝える能力を把握した上で、選手の言い分を聞かなければ対応も決まりません。

特に子供たちの気持ちや考えというのは、見た目ではなかなかわからないものです。
会話の中で、質問を繰り返すことで、どうしたいのかを把握していくことをしなければなりません。

例えば、試合に負けた子供たちが悔しくなさそうに見えることがあります。
そのような選手を見かけると、大人たちはつい「悔しくないのか」とか「勝ちたいという気持ちが足りない」などと言ってしまいます。
しかし、子供の気持ちは見ただけではわかりません。
そう見える選手の中には、悔しいし、勝ちたいと思ってやっている選手は多くいます。

練習の取り組む姿勢も、それと同じです。
指導者には、選手が練習もやる気なさそうで、ダラダラした態度に見えてしまうことがあります。
実は、話を聞くとやる気に溢れていたり、ダラダラした態度をしている感覚がなかったりします。

本当にやる気がないのか、そう見えるだけなのか、コミュニケーションを取って整理しなければなりません。
やる気がなさそうに見えても、会話をしてみたらやる気があると知ることができます。
やる気はあるけどその練習メニューはやる気が出ないというのはよくあることです。
そのような選手なら、なぜそのメニューが必要なのかを理解できていればやる気を出してやるはずです。
上手くなりたいと思っている選手が、やる気を出して練習に取り組まないのは、提供している練習メニューが良くないということです。
選手に「やる気を出せ」と言う前に、指導者が変わる必要があります。

ダラダラしていると感じてしまうと「ちゃんとやれ」とか「真面目にやれ」などと言ってしまいます。
指導者の考える「ちゃんと」や「真面目に」が選手が考える「ちゃんと」や「真面目に」と共通の認識を持っているとは限りません。
選手は「真面目にやってるし、ちゃんとしてるよ」と思っているかもしれません。
指導者の「練習というものはこうあるべきだ」という考えが選手に伝わっていないかもしれません。
それをコミュニケーションを取ることで詰めていく必要があります。

 

選手の目指しているところや目指している選手像を共有することは大切なことです。
それに向かってどうアプローチしていくのかを考えていきます。
選手が目指す方向に指導しなければ、選手は話を聞きません。

指導者は、選手が上手くなるために言っているのか。
自分の言うことを聞かせたいだけなのか。
自分の言うことを聞かせたいだけの指導者は自分を変えることができません。
仮に選手が上手くなるためにと思って言っていても、それが選手が感じ取れなければ、やり方を考えなければなりません。
選手を変えるには、指導者自身が変わるしかないということです。
自分がどうすることで、選手はいい方向に行くのかを考えるということです。

ヘラヘラした態度で練習している選手に「ヘラヘラするな」などと怒ることで変わる選手はほとんどいないのではないかと思います。
言われた選手が「ヘラヘラしないで練習しなきゃ」と思って練習したところで、質の高い練習ができるようになるとは思えないからです。
そもそも、その練習の目的を理解し、自分が上手くなろうと思っていればヘラヘラするわけがありません。
だから、選手自身が上手くなろうと思えるようにアプローチしたり、練習の目的を選手に理解させることをしなければ選手のためにはならないと思います。

 

指導者と選手に信頼関係があることはとても重要なことです。
それを作るのに有効なのが、コミュニケーションです。
選手の話に耳を傾け、選手が目指すところにどうすれば近づけるのかを一緒に考えることで、さらに信頼関係が深まります。
そうすると、選手の本音が聞きだせるようになり、さらに質の高いやり取りができるようになります。
この選手には、こうコミュニケーションしようと考えることが選手を成長させる一歩になるのではないかと思います。

定時制高校野球部。

僕は昨年から、ある定時制高校の軟式野球部を指導しています。
それまでは、定時制高校の野球は全く知りませんでしたが、定時制高校の野球がとても重要なポジションを担っているということを知りました。

注目度も高くないので、知っている人は少ないとは思いますが、少しでも多くの方に知っていただきたいので投稿します。

 

定時制高校軟式野球は「全国高等学校定時制通信制軟式野球連盟」に属しています。
高野連(高校野球連盟)の管轄ではないので、僕も自由に教えに行くことができます。

高野連に属している硬式野球部とは違い、生徒の多くがアルバイトをしています。
練習に行っても、「アルバイトがあるので帰ります」と練習途中で抜ける生徒も珍しくありません。
多くの生徒が勉強とアルバイト、そして野球の3つが生活の中心になっています。

 

高野連の調査では、1年生が3年生まで高校野球部で活動を続けている継続率は91.0%というデータがあります。
これは過去最高の数字みたいですが、それでも1割近くが硬式野球部を退部しています。
そのうちの何人が、部活だけでなく学校も辞めているのかは把握できていませんが、僕の知る限り、高校野球の強豪校やスポーツ推薦で入学した生徒が高校で野球部を退部したら学校も辞めている生徒がほとんどです。
それが、野球部員が何か問題を起こしたとなれば、退部→退学は当たり前になっています。
本来、そのような生徒こそ真っ当な社会人にするべく、教育が必要なはずですが、学校も経営があるので退学させるのが一般的です。

そう考えると、毎年数百人単位の高校野球部員が、高校を退学していることが予想されます。

野球に多くのエネルギーを傾けていた生徒が、退部し退学することにより、そのエネルギーを向けるところを間違ってしまうことや、引きこもりになってしまうことは防がなければならないことです。

そこで、野球を続ける受け皿として定時制高校や通信制高校があるのはとても大きいな意味があると思います。
実際、そのような生徒の一部が定時制高校や通信制高校で野球を続けています。

もちろん、学校を辞めれば、時間ができ、自分の好きな環境で好きなことができるので、目的がしっかりしていて、それに向かって時間を有効に使い、学ぶことができれば、高校中退だろうと問題はありません。

しかし、高校を中退してからの進路には、もう一度進学するか就職するかを考えます。
就職を目指す場合、高校中退だと、最終学歴は中卒になります。
中卒では社会的信用が薄く、就ける仕事の選択肢はどうしても狭まってしまうということが現実です。

生徒の将来を考えた時に、もう一度学校で教育をし直すということは必要なことです。
そういう意味で、定時制高校の野球部がとても重要な役割を担っていると思います。

 

まだ人間的に未成熟な生徒が多くいることも事実ですが、野球に対する真摯な姿勢や目標に向かって全力で取り組む姿を見ると、これからの成長が楽しみになります。

幸いにも、野球には、人格を育み、生きていく力を養っていける力があります。
全部員が、野球が好きで入部してきているので、好きな野球を通じての人間教育はとても効果的だと感じています。
中学校で不登校だった生徒が1日も休むことなく通学しているという話を聞いたり、高校を退学して入学してきた生徒が一生懸命練習する姿を見ると、人は変われるということを実感します。
野球を通じて、どんどん成長していく姿を見ると、改めてスポーツの教育的価値を感じます。

逆に、野球がなかったらどうなってしまうのだろうとも思います。
自信が持てない生徒が、野球で努力して成長することで自信をつけていきます。
それが積み重なれば、自分はやればできるということを感じていきます。
ちょっと頑張ることを積み重ねるだけで、人は変われるということを本人が知っていきます。

僕自身も、定時制高校の生徒に携わることで、とても良い経験ができ、成長させてもらっています。
今までのやり方では、生徒に伝わらないことがたくさんあります。
生徒とともに成長していくことの大切さを感じます。

 

一度、道を外れかけた生徒がもう一度教育を受けることができる。
定時制高校の全国大会もあるので、軟式野球とはいえ、日本一を目指し本気で野球に取り組める。
そのような生徒にとって、定時制高校や通信制高校が重要な役割を担っているということを知っていただきたいと思いました。
もし高校を辞めてしまっても、選択肢のひとつとして、定時制や通信制の学校で再び学び直すことができます。

 

いよいよ、僕が見ている定時制高校も、全国大会の予選が始まります。
日々成長している生徒たちが、さらに成長できる場になってほしいと思います。

負けず嫌い。

プロ野球選手は負けず嫌いの集まりだと思います。
僕が見てきたプロ野球選手はみんな負けず嫌いでした。
野球以外でも、勝負となればすぐに本気になります。
僕自身も、とにかく負けず嫌いで、子供の時から負けたとしても、負けを認めませんでした。
負けず嫌いはプロ選手になるための条件でもあるように感じます。
その負けず嫌いを考えてみました。

 

プロ野球選手の負けず嫌いの根底にあるのは、勝負がかかれば何事にもすぐに本気になるということがあると思います。
何気ないノックでもルールを決め、勝負にしてしまいます。
それを本気で行います。
それは野球だけでなく、何の勝負でも本気になります。
すぐに本気になれるから負けず嫌いとも言えると思います。
本気にならなければ、負けて悔しいという感情にはなりません。

そこに自分が負けるはずがないという自信が重なってさらに負けず嫌いになっているように思います。

野球以外の、何気ない勝負でも本気になるくらいなので当然野球では、もっと本気になって負けず嫌いが発揮されています。

本気になっている分、負けたときの悔しがり方も相当なものがあります。

これが子供のころからそうなので、悔しい思いをしたくないと思い、練習に真剣に取り組んだり、どうしたら勝てるのかを真剣に考えるので、成長につながります。
そうすると、自分に自信がつき、さらに自分が負けるわけがないという想いが強くなっていきます。
パフォーマンスが向上していくだけでなく、さらに負けず嫌いになっていきます。
このようなスパイラルでどんどん成長していきます。
プロ野球選手は、自分が勝つことが前提に試合に臨んでいます。
自分に自信が持てなければ「どうせ勝てるわけがない」「負けても仕方ない」と思ってしまい、負けず嫌いにはなっていきません。

子供は本来負けず嫌いです。
自分で目標を立て、それに対して、自分で考えた練習や自分で調べたり、真似したりして探究し、目標を達成していき、成長していくと、自信をつけていきます。
自分はできると思えることで、できなかった時に、心を折られることなく、また挑戦します。
負けたときの悔しさや上手くいかなかったことを糧に「なぜ負けたのか」「なぜ上手くいかなかったのか」を探究し、それに対してチャレンジすることが重要です。

プロ野球選手の負けず嫌いは、勝敗だけに限らず、上手くできなかったことや、練習でどうしてもできないプレーなどでも発揮されます。
それを「悔しい」と思い「どうしたらできるようになるのか」を考え、挑戦します。

「次は上手くいく」「次は勝つ」と思い、そこに向かっていくために「なぜ上手くいかなかったのか」「何がいけなかったのか」「次はどうするのか」といったように考えます。
この思考が、行動力となり、自分を高めていきます。

決してやらされてやるということではなく、負けず嫌いがエネルギーとなり、はたから見たらすごいと思うような努力を、努力と感じることなく、自分を成長させるために自分から継続的に取り組むことができます。
また、勝った時や上手くいった時の喜びも大きくなります。

これが「やらされている」となると、負けた時や上手くいかなかった時に「怒られる」や「何か言われる」という感情が生まれ、悔しいと思う前に、結果や評価を気にしてしまいます。
そうなると勝った時も喜びが生まれるというよりもホッとしてしまいます。

自分から取り組むのと他人からやらされるのでは大きな差になるということがわかると思います。
負けず嫌いがやる気を生み出していると言えます。

負けず嫌いという気持ちがなくなると成長も緩やかになってしまうと思います。
どんな選手でも、負け続けたり、上手くいかないことが続きすぎたら負けず嫌いの気持ちが弱まってしまいます。
喜びも悔しさもどちらも経験することが成長には大切だと思います。
喜びも「また味わいたい」と、次へのエネルギーになります。
悔しいという気持ちも「今度こそは」と、次へのエネルギーになります。
そこが偏りすぎないように、目標のレベルを的確に設定することも重要です。
勝つ確率の低い勝負を挑まないことも時には必要な時もあると思います。

 

プロ野球選手が持っている負けず嫌いは、勝つためのことは十分にしてきたという気持ちと、自分ならできるはずだという自信からきていると思います。
子供のころから負けず嫌いに育てていくことは、勝負の世界では大切なことだと思います。

教育の優先順位。

スポーツをする目的のひとつに教育があると思います。
教育と言っても、技術を教えるのも教育。身体を鍛えるのも教育。人格を育てるのも教育。
教育には様々あります。
僕のスポーツを通じた教育に関する考え方です。

 

僕は教育の優先順位を間違えないように気をつけています。
優先順位の上にあるのは、人間性を高め、人格の形成を目指すということです。
人として生きていくには、理性や倫理があり、外れることなく生きることをしなければなりません。
社会に出て、真っ当な生き方ができる人に育てるのが教育です。
理性や倫理は人である以上、全員が持っていなければいけません。

これを育むのに必要なことがスポーツパーソンシップを理解し実行することです。
スポーツパーソンシップとは「感情の抑制」「相手に対する思いやり」「フェアプレー」そして「卓越性の追求」です。
理性を保ち、周りを尊重し、ルールや倫理を守る。そして自分を育てるということです。

優先順位のその次が、それぞれの人が持つ目標が達成できるように、技術や身体を教育することです。
この優先順位を守ることが教育では重要だと考えています。

これは技術や身体教育が重要ではないと言っているわけではありません。
技術を習得したり身体を育てることで、自分の可能性を広げていくことができます。
しかし、これらの技術や身体をどのように使うのかは、人間性や人格が関係してきます。
スポーツパーソンシップに則ってプレーすることができなければ、いくら技術を身につけようとスポーツにはなりません。

ドーピング違反がこの優先順位を誤ったいい例だと思います。
技術や身体を作るためにアンフェアなことをするということです。
これからのドーピングはゲノム編集なども考えられます。
遺伝子操作は倫理の問題でもあります。
高度なドーピングが考えられる今こそ、倫理を守ることが必要だと思います。

ドーピング違反は規則違反なので厳しく罰せられますが、ルールがなくても守らなければならないのがスポーツパーソンシップです。
指導者はスポーツを通じて人間性や人格を育てる努力をしなければなりません。
試合で勝つというのは、その上で目指すものです。
どうしても勝負がかかると熱くなりこの優先順位を誤りそうになりますが、指導者が理性を保ち、行動で示すことで、選手の人格形成につながっていくのではないでしょうか。
指導者がスポーツパーソンシップに則った行動をできなければなかなか選手が育つことは難しいと思います。

 

僕は、選手に対して、「人格を磨く」「自分自身を成長させる」などの人生の目的を持つことの重要性を伝えています。
幸せになるために自分を育てるということです。
そう思えれば、自分の感情をコントロールできます。
我慢強くいられ、現実を受け入れ、不幸を幸せに変える努力ができます。
人のためになるように一生懸命に働くこともできます。
自分を育てるという目的があれば、ストレスになるような出来事や嫌なことも「成長のためのいい経験」と捉えることができると思います。

 

優れた人格を持った人が高い技術を使うことで、様々なところで評価されます。
技術を持ってもそれを真っ当に使えなければ、宝の持ち腐れになってしまいます。
逆に、優れた人格を持っていても、技術がなければ人の役に立つことがなかなかできません。

スポーツの素晴らしさのひとつが、人の教育に適しているものだと思っています。
スポーツではスポーツパーソンシップを理解し少しずつでも実行できるように努力することで人格を育てることができます。
そこから、技術の習得を目指すことで、生きていく力をつけることができます。
自分で課題を見つけ、それに対してアプローチすることで、技術を身につけていきます。
生きていく力とは、技術を習得するやり方であり、課題をクリアするやり方です。

しかし、先程書いたように、教育の優先順位の上には、人間性を高め人格の形成を目指すということがあることを忘れてはいけないと思います。
理性を保ち、周りを尊重し、ルールや倫理を守る。そして自分を育てる。
スポーツを通じて身につけた能力を社会や学校、仕事などで活かしていき、人生を豊かなものにしていってほしいと思います。

防衛本能を働かせない。

前回の投稿で「子供の成長段階」があるという話をしました。

子供が、スポーツにどのように向き合っているのかを見て、接し方を変えていくという話をしましたが、それだけでなく、子供が置かれている状況にも目を配る必要があります。
どのくらいのストレスを与えることが適切なのかを考える必要があります。
筋肉をイメージしたらわかりやすいと思いますが、適度な負荷をかけることで筋肉は成長していきます。
人の成長も同じで、適度なストレスは成長には欠かせません。
しかし、過度なストレスは成長を阻害します。

それをどのように判断するのが良いのかという僕の考えです。

 

人間には防衛本能が備わっています。
自分を守るということを本能的(無意識)に行ってしまいます。
この機能を作動させないことが成長には重要になります。
人を成長させるには、自分を守るという行動ではなく、上手くなりたいと思い、自分を成長させる行動をする必要があります。

例えば、お腹が空いて空腹では、練習どころではありません。
水分を摂らずに、喉がカラカラになれば、ハードな練習はできません。
睡眠不足で眠くなれば、集中できません。
上手くなりたいと思う前に身体を守らなくてはという防衛本能が働いてしまいます。
これは極端な例ですが、食事、睡眠が重要であり、疲れていては成長につながらないということがわかると思います。

怪我をしている状態でのプレーも防衛本能が働いてしまいます。
怪我を悪化させないと思えば、上手くなるという考えではなく、身体を守るという考えになってしまいます。
僕自身が、そうでした。
痛みがある中で無理してプレーしていた時は、成長しようという考えではなく、どうしたら痛くないかという考えになってしまっていました。
自分を成長させるにはどうするかという考えにはなりませんでした。

怒鳴られたり、殴られたりすると思えば、怒鳴られないようにや殴られないようにという思考が働いてしまいます。
これも防衛本能が働いてしまい、「どうしたら怒られないか」といったような、自分を守るための行動を取ってしまいます。
これでは「上手くなるためにどうしよう」「成長するためにどうしよう」という思考にはなりません。
「これをしなければ練習させない」「これをしろ」というような強制による支配も同じです。
成長するためではなく自分の立場を守るためにそれをしなければという発想では、なかなか上手くなりません。
ミスすると怒られたり、「ああしろ、こうしろ」と細かく言われ続けている選手は、チャレンジすることをしません。
このような選手は、話をしている時に視線が定まらなかったり、練習中や試合中にベンチやスタンドに視線を送るのですぐにわかります。
自己防衛のために言い訳を考えたり、人のせいにしたりします。
自分が成長するためにという思考は追いやられてしまっています。

特に問題なのが、監督やコーチにそうされているよりも、親にそうされている選手です。
子供は親に認めてもらいたいというのは本能です。
上手くなるためには上手くなりたいと思い、チャレンジすることが重要です。
「こうやったらどうなるのかな」「こんなやり方思いついた」と好奇心と遊び心を持ってやってみることが成長につながります。
しかし、そのような新しい挑戦には、ミスが付き物です。
それを怒られてしまったり、ふざけないでやれと言われてしまっては、成長につながりません。
見ていても楽しそうではないし、誰のためにスポーツをしているのかがわからなくなるような選手を見るのは辛くなります。

このような選手には、その競技を好きで楽しいと思ってもらうことを考えます。
挑戦レベルを下げ、遊びに近い形で楽しませることが必要です。
そして、どんなにミスをしようと、チームの勝利に貢献できなかろうと、人格が否定されることはないということを理解させていかなければなりません。
「今は上手くいっていないかもしれないが、選手を成長させるためにチームがあり、そのためにコーチがいる」ということを伝え続けることが重要です。

防衛本能が働かない状態ができなければ、成長しようという思考にはなかなかなれません。
「怒られるからやろう」から「期待されているからやろう」そして「成長するためにやろう」に持っていくことを考えます。

 

例外として、防衛本能が働かずに、自分を守るためには成長することや上手くなることだと考えられる人もいます。
思考技術が優れているので、本能(無意識)に思考(意識)を加えられるので、ストレスに対する耐性が非常に高いです。
このような人はかなりのストレスを与えてもそれを力に変えて成長します。
海外の貧困を脱出するためなどのハングリー精神を持った選手や強烈なストレスをかけた指導で成長した選手などは、僕は例外だと思っていますが、一定数いることも事実です。
このような選手も含めて、選手の状況を見極める努力をすることも指導者の役割のひとつです。

 

前回書きましたが、子供たちの成長段階には個人差があります。
適切な負荷も人それぞれです。
与えるストレスを適切にすることが成長には欠かせません。
それを見極め、その選手に適した接し方ができるようコミュニケーションを取りながら成長を促していけたらと思っています。

子供の成長段階。

子供には成長の段階があり、いきなり大人になるわけではありません。
これは、身体的な部分だけでなく、精神的な部分や考え方も同じです。
子供たちに大人と同じように接したり、大人と同じようなトレーニングをやらせることが効果的ではないことも多々あります。
僕が子供たちと接する時に注意していることを書いてみました。

 

スクールや様々なチームを見ているので本当にいろいろな子供がいるということが良くわかります。
その中で、それぞれの子供に成長してもらいたいと考えたときに、その子供に適した接し方ができるかで成長が大きく変わってくると感じます。

先ずは、子供たちが積極的に身体を動かす習慣を作ることを心掛けます。
特定のスポーツをやるよりも、遊びでもいいので身体を動かすことで様々な動きを覚えていくことが重要だと思っています。
身体を動かすことが好きという子供にすることが、後のスポーツ競技での成長につながると思います。

その中で、スポーツを少しずつ覚えていき、スポーツを好きになってもらえるよう楽しませることを心掛けます。
その競技が好きだというようになることがその競技力を上達させるのに欠かすことができないことです。

競技の技術や体力を高めていくのはその後だと思っています。
野球でいえば「打った」「抑えた」といったような個人のスキルをどう伸ばしていくかを考えます。
まだこの段階では、チームの勝利を求めることはしません。
個人のスキルが上がることで、さらにその競技が楽しくなり、ますますその競技が好きになるという循環を作ることが大切です。

もっと上手くなりたいという思考と、「試合で勝ちたい」「勝つことがうれしい」といったような感情が芽生えてきてから、チームプレーやチームの勝利にどう貢献するのかを教えていき、相手に勝つことを目指します。

さらに上を目指したいという選手には、プレッシャーなどのストレスをストレスとして感じるのではなく力に変えていくことを教えていきます。
カテゴリーが上がれば厳しさが増していくということも教えていく必要があります。

 

大まかに、このような段階を踏んでいくことを心掛けています。
この順番を無視して選手を育てていくことは難しいと思っています。

外遊びなどで身体を動かして遊ぶことで土台を作り、スポーツが好きで楽しいと思うことで自分から進んで練習に取り組むようになります。
これがないのに技術や体力をつけさせようとトレーニングさせても選手にとっては苦痛になってしまいます。
本人が「上手くなりたい」「成長したい」「いいプレーをしたい」と思って初めてトレーニングに積極的に取り組むことができます。

ある程度まで成長しなければ「チームにどう貢献するか考えろ」や「負けて悔しくないのか」と言ったところで理解できません。
だから、子供の中には、チームが勝っても自分が活躍できなければ落ち込んでいる子供がいるし、逆に、チームが負けても自分が活躍できていたら喜んでいる子供もいます。
チームが負けたことをチームメートと悔しがり、負けたことから何を学び、それを次にどう活かしていくかが考えられるようになってやっとチームの勝利を全力で目指しにいくということができます。

これらの段階は、積み上げていくものなので、いつになっても身体を動かすことが好きで、スポーツを楽しめないといけません。
上のレベルになれば、自分をどうしたら成長させれるかを常に考え、献身的にチームのために動くことを考えることが必要です。

 

このような段階で子供たちに接することで子供たちは、競技を夢中になって行い、楽しむことができます。
夢中になれないようなら、ひとつ前の段階に戻って子供のやる気を引き出す必要があります。

どうやっても夢中になれない、心の底から楽しめないようなら、他の競技をしたり、他のことをしたりしてその子供に合うものを探すことも考える必要があると思います。
親や大人がやらせたいものを無理強いするのではなく、子供がやりたいこと、打ち込めることを一緒に探してあげることも重要なことです。

子供たちの成長段階には個人差があります。
それを見極め、その選手に適した接し方ができるようコミュニケーションを取りながら成長を促していけたらと思っています。

指導者は、子供たちがどうしたらスポーツを楽しめるかを考えることが大切です。
その競技を嫌いにさせないということは、選手を上手くすることよりも遥かに重要なことだと思います。
スポーツを通じて人格を身につけ、生きていく力を育み、それを次の世代に伝えていくという流れを作ることがこれからのスポーツ界が目指さなければならないことではないかと思います。

相手に対する思いやり。

スポーツはスポーツパーソンシップに則って行われます。
スポーツパーソンシップとは、「感情の抑制」「相手に対する思いやり」「フェアプレー」そして「卓越性を相互に追求する」といった、スポーツをする上での心構えのことをいいます。

なぜ、スポーツマンシップではなくスポーツパーソンシップという言葉を使っているかというと、最近は「ビジネスマン」という言葉を使わずに「ビジネスパーソン」「スチュワーデス」は「キャビンアテンダント」のように男女を別ける言葉は使わなくなっています。
実際、「スポーツマンシップ」でひとつの単語であり、「man」という単語には「人、人間」という意味もあるので問題はないのかもしれませんが、「person」には「人、人間」という意味と「人格」といった意味もあるので、今後のスポーツの持つ位置づけも考え「スポーツパーソンシップ」という言葉を使っています。

今回は、スポーツパーソンシップの中の「相手に対する思いやり」について考えていきたいと思います。

 

「相手に対する思いやり」とは、相手を尊重する、敬意を払う、リスペクトするといったようなことを言います。
相手を大切に思うこととも言えます。

この大切に思う相手とは、対戦相手だけのことを言っているわけではありません。
相手以外にもチームメートや、審判、指導者、観客、家族、関係者、など競技に携わる人たちのことを指します。
それだけでなく、道具、施設、ルール、歴史や伝統なども尊重する対象です。
そして忘れてはならないのが、自分自身を大切に思うことです。
自分自身を大切に思えば、自分自身に正直になり、誇りを持った行動ができると思います。

相手に対する思いやりを持つことで、相手の素晴らしかったプレーを評価し敬意を払います。
思いやりのある人というのは、相手の立場になって考えることができる人であり、まわりの人の感情を思いやって行動することができる人です。
自分がやられて気分が悪いと感じることは相手にもしてはいけません。

相手あってのスポーツなので、相手に気分よくプレーしてもらい、それでも負けないという気持ちでお互いに勝つために全力でプレーします。
常に全力を尽くしてプレーすることは、相手に対する思いやりでもあります。
試合には勝ち負けがありますが、より強い相手に勝てたときの方が大きな喜びがあります。
相手のおかげで自分も頑張れたし、成長できたと思えるはずです。
お互いにベストを尽くせたときに、純粋にスポーツを楽しいと感じ、充実感や達成感があるのではないかと思います。

また味方同士も思いやりを持つことが大切です。
味方の足りないところを補い合い、味方のミスを怒ったり責めたりするのではなく、カバーすることが大切です。
ひとりひとりを大切にし、個人個人が持っている個性を尊重しながらチーム力の向上を目指していきます。

また負けた時でも、他人のせいにしたり、ふてくされた態度をとるのではなく、自分より相手のほうが強かった、上手かったと思うことが大切です。
自分の弱さや課題を教えてくれたと思うことで次の目標ができ、次に進んでいけます。
このような態度が人間的な成長やプレーの向上につながるだけでなく、皆からも尊敬される良い人間になれるのではないかと思います。

思いやりの心は、他から強制されてできるものではなく、日頃から自分で意識し個人として判断力を磨かなければ、なかかな身につきません。

思いやりを持てる子供に育てるには、周囲のすべての大人が「思いやりの心」を持って子供に接することだと思います。
親、先生、指導者、審判員、など、周囲の大人が、子供の人格を認め、思いやりの心を持って接すれば、子どもは自然に思いやりの心を持つようになるのではないでしょうか。
自らが相手への尊重を示せば、相手からも尊重が返ってくると思います。
スポーツでは、その競技の歴史的な成り立ち、伝統を学び、理解した上で、その競技自体を尊重する心を持つ必要があります。
それを少しずつ教えていくことも指導者の役割です。

 

スポーツにおいて相手に対する思いやりを持つことは、勝利よりも優先すべきことだということを忘れてはいけません。
人間の尊厳を保ち、個人の人格を尊重し、ルールを守り、他人や周囲を思いやる気持ちを持った中でベストを尽くすのがスポーツです。
スポーツである以上優先されることは、個々の選手の健康・安全、そして努力から得ることができる喜びだと思います。
勝利は、喜びの中のひとつの要素にすぎないと思います。

 

スポーツパーソンシップとは、優れた人格を身に付けるための心構えであり、スポーツを通じて少しずつ身に付ける人格的な総合力のことだと言えます。
スポーツに大切なものを尊重し、自らが判断するということは、スポーツをする上で求められる最も基本的な要素です。

プレーヤー、審判、観衆、など、スポーツに携わるすべての人の行動がスポーツを作っていくということだと思います。

子供のスポーツ離れ。

今、野球人口が激減しています。
特に小学生や中学生の野球離れが進んでいます。
その原因を考えてみました。
野球だけでなく、子供の競技人口が減ってきているスポーツは共通しているところが多くあると思います。
スポーツ離れが進んでいるという現状を踏まえて考えてみました。

 

子供のスポーツ離れの原因はいろいろ考えられると思います。

公園や広場など、子供が外でスポーツをする機会が減ってきました。
スポーツの楽しさを知る機会が減り、室内で簡単に遊ぶことができるゲームやスマートフォンに魅力を感じる子どもが増え、ゲームやスマートフォンの利用時間が増えたといったような環境的要因もあります。

監督、コーチが上手な選手、レギュラー選手のみ大事にしたり、勝つことがもっとも優先されるような勝利至上主義。
子供それぞれの能力を伸ばすような関りなどポジティブな指導を行っているかといったようなチームの方針や指導者のやり方の問題もあります。

塾や習い事を多く習わせる傾向が強まっているという社会的背景がある中で、練習を休んだら試合に出さないといった指導者もいます。

親の関わりの問題もあります。

さまざまな問題が考えられますが、その中で「親の関わりの問題」を掘り下げて考えてみたいと思います。

 

親とキャッチボールをしたりボールを蹴ったりする中で、楽しいと思うことで子供はスポーツに興味を持ちます。
環境の問題もあるとは思いますが、核家族化や共働きで、子どもの面倒を見る時間が少なくなり、親が子供と一緒に公園などで外遊びをして身体を動かす機会が少なくなっています。
また、地域の父兄さんたちもスポーツ少年団などの指導をする時間的余裕がなくなっています。

特に野球では保護者に負担が大きくかかります。

休日に早く起きて、弁当作りをします。
お茶出しやお茶当番などがあり、グランドにいかなければなりません。
試合や練習の送迎や道具を車で運んで準備することもあります。
グランド整備や草むしりなどもします。
ボランティアでコーチを頼まれたり、球拾いをすることもあります。
試合になれば審判をしたりします。
父親だけでなく、母親も試合中のアナウンスをしたりスコアを書いたりもします。
大会ともなれば声を出して応援しなければいけないチームもあります。
家に帰ればユニフォームの洗濯もしなければいけません。

これらは、やり方やチーム方針次第で大きく減らすことができます。
チームによって大きく異なりますが、昔からやるのが当たり前でやってきたので、なかなか改善されていない現状があります。

時代も変わってきて保護者自身のプライベートな時間も尊重し、好きな保護者は来ればいいし無理してくる必要はないといった雰囲気を作ることも大切だと思います。

また、保護者間で子供のレギュラーをめぐる争いがあったり、保護者同士で揉め事があったりするチームもあります。

せっかく見に行っても自分の子供が全く試合に出られないことも親としても子供としても面白くはありません。
チームに所属しているのに、いろんな経験を積むことができないということになってしまいます。

金銭的な負担になるということもあります。
学校の部活動は金銭的な負担も保護者が関わる負担も少なく済みますが、全国的に縮小傾向にあります。
地方では、運動部が2つや3つしかないという学校もあります。

そのようなことも子供のスポーツ離れに大きく影響していると思います。

 

せっかく子供がスポーツをやりたいにも関わらず、「親の当番の負担」や「親同士の人間関係」が原因でチームに入れないということをなくさなければいけません。

今まで当たり前だったやり方が原因で子供をチームに入れたくない保護者が多くいると思います。
多くの家庭が、習い事を多く習わせている現状を考えると、時代の変化を感じ取り、子供の将来に役に立つと思わせることができれば、スポーツ離れを食い止め、競技人口を増やしていくことは可能なのではないかと思います。
そのためには、スポーツの本質を考え、スポーツの価値を高めていく必要があると思います。

現代の子供の体力・運動能力の低下。

数十年前よりも子供の体力、運動能力の低下が見られます。
小学校、中学校で行われる体力テストの結果としてはっきりと示されています。
現代の子供の体力・運動能力の低下について書いていこうと思います。

 

体力は人間の発達・成長にとても重要なものです。
体力をつけることで、病気への抵抗力を高めたり、健康を保つことができます。
体力が向上することで、身体がよく動くようになると気力が湧いてきたり、何かをする意欲が増したりとモチベーションにも関わります。
精神的ストレスに対する抵抗力も高まります。

より豊かで充実した人生を送るためにも、体力を高めることは必要な要素です。

その体力を高めるために適しているのが、運動やスポーツです。

近年よく言われている、子供の運動やスポーツ離れが進んでいることが、子供の体力・運動能力の低下の原因にひとつになっていると考えられます。
子供の野球の競技人口が激減していると言われていますが、これは野球だけの問題ではなく、サッカーなど他のスポーツにも言えることです。
野球離れという問題で考えるのではなくスポーツ離れという問題で考えるべきだと思います。

 

子どもは、外遊びなどによる運動を通して、体力をつけ、五感を鍛え、身体の動かし方を学び、脳の発達を促していくなど、運動が心身の発達に深く関わっています。
外遊びのような運動は、ただ身体能力を向上させるだけでなく,知力や思考力の向上の基礎になります。
外遊びのような運動をすることで、身体を自分の思う通りに動かす能力を向上させることにもなります。

幼少期には、特定のスポーツをするよりも、外遊びの方が動きの種類が豊富なので、運動能力が高くなると言われています。
決まった動きを繰り返すよりも、好き勝手に遊ぶ方が多くの種類の動きを経験できるので、外遊びをすることはとても重要なことです。

さらに、スポーツをすることで、自己のコントロールや仲間との関わりから思いやりの心などの精神的な面を育むことができます。
優れた人格を身に付け、生きていく上で重要な自ら学び自ら考えることができる人材を育てるのにスポーツがとても役に立ちます。

 

このように本来、運動をすることやスポーツをすることで得られることはたくさんあります。
人間が生きていく上で、運動やスポーツは必要なことだと思います。

しかし、現状を見てみると、スポーツ離れが進み、子供の体力は低下していっています。
なぜそうなるのかを考えると、多くの人が運動やスポーツの価値を感じていないからだと言えます。
もちろん、多くの公園で野球やサッカーが禁止されていたり、少子化の影響でスポーツチームが減ってきていたり、受験勉強が優先されるといったこともありますが、人々の意識の中に運動やスポーツをする意義が薄れているということだと思います。

親やスポーツ指導者が、子供の発達段階に応じた指導方法を知らずに、いきなり技術的なことを教えたり、勝ちにこだわった指導をして、子供がスポーツの楽しさを知ることなくやめてしまったり、スポーツ嫌いになってしまうこともあります。
スポーツの本質を教えることなく技術指導を中心にすることにより、楽しくスポーツをする環境を作れないことも問題になっています。

スポーツを好きな子供を増やすためにも、子供の発達段階に応じて指導し、先ずは、スポーツをする楽しさを感じさせることをしなければならないと思います。
早期に特定種目へ専門化してしまうよりも、遊びやいろいろなスポーツに挑戦したり触れることで、その楽しさや喜びを味わったりすることができます。
自分にあったスポーツを見つけるためにも多様なスポーツをすることは必要です。
親や指導者は、個人の能力・適性を伸ばしていく視点に立って、体力や運動能力を向上させていくことで、子供の将来につなげていけると思います。
学生時代に運動部やスポーツクラブに所属していた人は、大人になっても高齢者になっても運動をするケースがそうでない人に比べ、多いと言われています。
健康的で歳を重ねても体力テストの点数が高いそうです。

生涯スポーツを楽しむためには、大人になってから突然スポーツを始めるのは難しいので、子供時代からスポーツに親しんでおくことが良いと思います。

 

生活習慣の基本は、バランスの良い食事、適度な運動、十分な睡眠(休養)です。
これは何歳になっても言えることで、子供の時からの習慣にすることで、充実したより良い人生を送ることにつながると思います。
スポーツをするということは、肉体的にも精神的にも得るものは多く、教育的な人材育成だけでなく、地域振興や地方創生、スポーツ産業、など多くの価値を生み出します。
もっともっとスポーツの価値を示し、スポーツを発展させていく必要があります。

子供の遊びの重要性とスポーツの本質を広めることが、子供の体力・運動能力の低下に歯止めをかけ、スポーツ離れをなくすことにつながると思います。

イチロー選手は何がすごいのか?②

前々回の投稿で「イチロー選手は何がすごいのか?」という投稿をしました。
それをさらにかみ砕いて説明していきたいと思います。

イチロー選手の優れた能力のひとつに「目標設定能力」があります。
その「目標設定能力」について説明していきます。

 

目標設定は能力です。
よく「目標を立てろ」と言われますが、能力なので能力がない選手は言われただけでは目標は決められません。
考える技術を上げなければ、的確な目標設定はできません。
優れた思考技術がなければ優れた目標設定ができないということです。

この目標設定能力が低いと、練習やトレーニングを継続することが難しいだけでなく、適切な練習もできません。
明確な目標設定をすることで得られる効果はたくさんありますが、そのひとつが行動力が上がることです。
目標を設定することで学び続けることもできるようになります。
成長するためには欠かすことができない能力です。

 

明確な目標を設定するには、目的がなければなりません。
目的にいくまでの通過点が目標だからです。
「こうなりたい」しかし「今はこうだ」というのを理解して、それを近づけていくのが目標になります。
それなので、目標は何個もあって当然ということになります。
大きな目標から小さな目標までたくさんの目標を設定することです。
その目標が、易しすぎず難しすぎない難易度であることが重要です。
挑戦と自分の能力のバランスが大事で、能力を超えすぎた挑戦はやる気を失うことになります。
逆に、能力以下の挑戦は成長機会を失うことになります。

少し頑張れば達成できる目標を大量に設定し、それを達成し続けることで、頑張ればできるという確固たる自信が身についていきます。
達成感や満足感から得られる喜びは、味わえば味わうほど、さらに前に進めるエネルギーになると思います。

目標は達成することが重要であるということです。
つまり、目標設定能力と目標達成能力はセットで考える必要があります。
そのためには、自分を客観視できなければ的確な目標は立てられません。
自分の能力を客観的に見る能力を養い、能力に合わせた目標設定をすることです。

「試合に勝つ」「ヒットを打つ」などの結果目標だけにならずに、自分が頑張れば達成できるような「練習でしてきたことを出す」「自分のスイングをする」などのプロセス目標にすることも重要です。
与えられた目標ではなく、自分が本当に目指している目標で、なるべく具体的なものにすることです。

「明確な目標設定をする」ことで成果を出すことや成長につながります。
ここで本当に重要なことは「目標設定」よりも「明確な」の部分です。
「明確な」というのは、今やることを指します。
そうすることで「他人」や「環境」や「出来事」といった自分でコントロールできないことに意識を向けるのではなく、今やるべきことに集中できます。
これが成長につながり、パフォーマンスを発揮するにも重要な思考でもあります。

また、目標の1つに「家族のため」「チームのため」プロ選手であれば「ファンのため」など誰かのために頑張るのだという目標を入れることで、やる気を高めることもテクニックのひとつです。

 

「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道」とイチロー選手はコメントしていましたが、まさにその通りだと思います。
それを身をもって体現したのが、イチロー選手ではないでしょうか。
自分に常に課題を持って、さらなる成長を目指す姿は、見習うべきポイントです。
イチロー選手の行動が、毎日24時間をどれだけ目標に支配させることができるかが重要であるということを証明していると思います。
自分自身をコントロールできていなければできないことです。

 

目標設定能力を高めるためには、他の能力も高めなければなりません。
例えば、客観的に見る能力がなければ自分にあった目標設定はできません。
自分自身を知るということはとても重要です。
高い目標を立てることで行動力が上がる人は高い目標を立てれば良いと思います。
しかし、全員が高い目標を立てることが良いというわけではなく、人によっては、高い目標を立てることで不安な気持ちになる人もいます。
そのような人は、無理をして高い目標を立てる必要はないと思います。

人それぞれ目標が違って当然です。
自分に合った目標を設定できるように思考技術を高め、目標設定能力を上げていくということも必要なことだと思います。

イチロー選手は何がすごいのか?

先日、イチロー選手が現役を引退しました。
僕の講演やスポーツセンシングの話を聞いたことがある方はわかると思いますが、僕の言う「スポーツセンシング」の塊のような選手がイチロー選手です。
プロ野球を見ていると、選手のスピードやパワー、体格、技術、結果などに目が行きます。
それで、スピードやパワー、体格、技術、などを向上させようと練習しますが、そのような選手のようにはなれません。
一流選手がパフォーマンスを生み出している本質的な能力は、スポーツセンシングだからです。
その極みがイチロー選手です。
イチロー選手の引退会見などから考えてみたいと思います。

 

イチロー選手の根本にあるのは、野球を誰よりも愛して探究することで充実感や喜びを得ているということではないでしょうか。
この「喜び」という部分は「楽しむ」と表現するトップ選手が多くいますが、会見の中で、「楽しかったか」という質問に「楽しい」とは言いませんでした。

この感覚はトップ選手とアマチュア選手では、大きく異なっているように感じます。
トップ選手の楽しむは、達成感や喜びを表しています。
それを得るために、練習中でも試合中でも、自分のやるべきことを明確にし、感情を消して夢中になります。
夢中なので、そこに楽しさは感じません。
逆に、苦しさも感じません。
だから、ハードな練習にも取り組めるし、練習を長く続けることもできます。
はたから見たら「努力している、頑張っている」と見えますが、そういう意識は本人にはないように感じます。

僕がプロ野球の世界に入り、トップ選手を見て感じたことは、努力を努力と思った時点で勝負にならないということです。
周りから見たらすごい努力しているように見えても、本人は努力だと思っていないで、当たり前にやらなければいけないこと、やるべきことだと思ってやっています。
イチロー選手の話を聞いていると、努力とは、やる気でするものではなく習慣であると感じます。
自分がやると決めたことは、やる気のあるないにかかわらず、やるべきこととして、いつも通りできます。
「やりたいこと」と「やるべきこと」が同じ、もしくは近い認識をしていることが重要です。
「やりたいこと」より「やるべきこと」が優先して行われるのがトップ選手です。

その積み重ねが良い結果や成績につながるのだと思います。

 

そうなるには、イチロー選手のように自分を成長させるということに価値を持つことも重要な要素です。
比較対象が周りの選手ではなく今までの自分と比較して成長することを目指していることがわかります。
だから、数々の記録や成績を残しても、人々に称賛されても、浮かれることも慢心することもないのではないでしょうか。
所属チームが決まっていなくても、試合に出場する権利を持っていなくても、黙々とトレーニングができるのも昨日の自分よりも成長したいという想いと、そうすることが道を切り開く最善だと考えているからだと思います。
メジャーリーガーは筋肉増強剤などのドーピング疑惑がかかる選手がいますが、イチロー選手は、まったくクリーンな選手であり、初動負荷トレーニングによって、自らを鍛え上げ、感覚を研ぎ澄ましてきたことからも、常に自分自身と向き合ってきたことがわかると思います。

 

スポーツセンシングに優れているとは、いくつかの能力が優れているということですが、その中に、優れた感覚を使って物事をとらえる能力があります。
まさしくイチロー選手が、他の選手と比べ、特に突出して高い能力です。
人よりも優れた繊細なセンサーを身に付けてるので、僅かな違いを感じ取り、パフォーマンスに生かすだけでなく、それを身体に記憶させていくことで次にもつなげていきます。
それだけでなく、怪我を予防することにも役立ちます。
多くの選手が、怪我や故障に苦しんでいますが、イチロー選手は引退まで徹底した自己管理と優れたセンサーにより自分自身の身体を守ってきました。
その物事をとらえる能力を磨くためにやっていることのひとつが、自分の決めたルーティンを決して怠らないことです。
試合の日は朝起きるところから寝るまで、球場入りの時刻やアップ、練習、食べ物まで、同じ行動パターンを一貫して繰り返しているそうです。
それが習慣として定着しているので、身体の僅かな変化に気がつき、微調整できます。
何年も一貫して、同じ行動をしているのに対して、バッティングフォームは毎年変化しています。
探求心を持って、これが自分にとって最善だと思う方法を追求し続けているということです。
自分で様々なことを試し、チャレンジする判断力がなければ、なかなかできることではありません。

 

フィジカルトレーニングや技術練習は重要ですが、もっと重要なのがスポーツセンシングを磨くことです。
イチロー選手を見ていると本当にそう思います。
行動すべてがそこにつながっています。
スポーツセンシングを磨くこととは、それに必要な様々な能力を向上させることですが、イチロー選手の会見を聞いてさらに確信を深めることができました。