イチロー選手は何がすごいのか?

先日、イチロー選手が現役を引退しました。
僕の講演やスポーツセンシングの話を聞いたことがある方はわかると思いますが、僕の言う「スポーツセンシング」の塊のような選手がイチロー選手です。
プロ野球を見ていると、選手のスピードやパワー、体格、技術、結果などに目が行きます。
それで、スピードやパワー、体格、技術、などを向上させようと練習しますが、そのような選手のようにはなれません。
一流選手がパフォーマンスを生み出している本質的な能力は、スポーツセンシングだからです。
その極みがイチロー選手です。
イチロー選手の引退会見などから考えてみたいと思います。

 

イチロー選手の根本にあるのは、野球を誰よりも愛して探究することで充実感や喜びを得ているということではないでしょうか。
この「喜び」という部分は「楽しむ」と表現するトップ選手が多くいますが、会見の中で、「楽しかったか」という質問に「楽しい」とは言いませんでした。

この感覚はトップ選手とアマチュア選手では、大きく異なっているように感じます。
トップ選手の楽しむは、達成感や喜びを表しています。
それを得るために、練習中でも試合中でも、自分のやるべきことを明確にし、感情を消して夢中になります。
夢中なので、そこに楽しさは感じません。
逆に、苦しさも感じません。
だから、ハードな練習にも取り組めるし、練習を長く続けることもできます。
はたから見たら「努力している、頑張っている」と見えますが、そういう意識は本人にはないように感じます。

僕がプロ野球の世界に入り、トップ選手を見て感じたことは、努力を努力と思った時点で勝負にならないということです。
周りから見たらすごい努力しているように見えても、本人は努力だと思っていないで、当たり前にやらなければいけないこと、やるべきことだと思ってやっています。
イチロー選手の話を聞いていると、努力とは、やる気でするものではなく習慣であると感じます。
自分がやると決めたことは、やる気のあるないにかかわらず、やるべきこととして、いつも通りできます。
「やりたいこと」と「やるべきこと」が同じ、もしくは近い認識をしていることが重要です。
「やりたいこと」より「やるべきこと」が優先して行われるのがトップ選手です。

その積み重ねが良い結果や成績につながるのだと思います。

 

そうなるには、イチロー選手のように自分を成長させるということに価値を持つことも重要な要素です。
比較対象が周りの選手ではなく今までの自分と比較して成長することを目指していることがわかります。
だから、数々の記録や成績を残しても、人々に称賛されても、浮かれることも慢心することもないのではないでしょうか。
所属チームが決まっていなくても、試合に出場する権利を持っていなくても、黙々とトレーニングができるのも昨日の自分よりも成長したいという想いと、そうすることが道を切り開く最善だと考えているからだと思います。
メジャーリーガーは筋肉増強剤などのドーピング疑惑がかかる選手がいますが、イチロー選手は、まったくクリーンな選手であり、初動負荷トレーニングによって、自らを鍛え上げ、感覚を研ぎ澄ましてきたことからも、常に自分自身と向き合ってきたことがわかると思います。

 

スポーツセンシングに優れているとは、いくつかの能力が優れているということですが、その中に、優れた感覚を使って物事をとらえる能力があります。
まさしくイチロー選手が、他の選手と比べ、特に突出して高い能力です。
人よりも優れた繊細なセンサーを身に付けてるので、僅かな違いを感じ取り、パフォーマンスに生かすだけでなく、それを身体に記憶させていくことで次にもつなげていきます。
それだけでなく、怪我を予防することにも役立ちます。
多くの選手が、怪我や故障に苦しんでいますが、イチロー選手は引退まで徹底した自己管理と優れたセンサーにより自分自身の身体を守ってきました。
その物事をとらえる能力を磨くためにやっていることのひとつが、自分の決めたルーティンを決して怠らないことです。
試合の日は朝起きるところから寝るまで、球場入りの時刻やアップ、練習、食べ物まで、同じ行動パターンを一貫して繰り返しているそうです。
それが習慣として定着しているので、身体の僅かな変化に気がつき、微調整できます。
何年も一貫して、同じ行動をしているのに対して、バッティングフォームは毎年変化しています。
探求心を持って、これが自分にとって最善だと思う方法を追求し続けているということです。
自分で様々なことを試し、チャレンジする判断力がなければ、なかなかできることではありません。

 

フィジカルトレーニングや技術練習は重要ですが、もっと重要なのがスポーツセンシングを磨くことです。
イチロー選手を見ていると本当にそう思います。
行動すべてがそこにつながっています。
スポーツセンシングを磨くこととは、それに必要な様々な能力を向上させることですが、イチロー選手の会見を聞いてさらに確信を深めることができました。

選手宣誓。

スポーツ大会の開会式では、選手宣誓を行います。
この選手宣誓とは何を宣誓するのか?
最近、選手宣誓の本来の意義が忘れられてしまっているように感じる選手宣誓を聞くことがあります。
しっかりした選手宣誓をすることが、スポーツを正しい方向に持っていくことにつながるのではないかと思います。
少し説明していきたいと思います。

 

「我々選手一同は、スポーツマンシップに則り、正々堂々プレーすることを誓います。」

定番の選手宣誓ですが、これが選手宣誓です。

「我々選手一同は」という部分は、選手宣誓する人は、選手を代表して宣誓しているので、必ず言う必要があります。
そして、選手の総意を言わなければいけません。

「スポーツマンシップに則り」という部分は、「感情の抑制」「相手に対する思いやり」「フェアプレー」というスポーツパーソンシップを守るということです。
自制を保ち、自らの感情をコントロールし、味方、相手、審判を尊重し、その競技、ルールを尊重し、フェアーにプレーするということです。

「正々堂々プレーする」という部分は、公正で偽りなく、卑怯なことなどをせずに堂々とプレーすることを言っています。

これらのことを、自分自身、相手、審判、観客などに宣言するということです。
「我々選手一同は、スポーツマンシップに則り、正々堂々プレーすることを誓います。」
と誓うことにより、勝つためにどんなことでもやっていいわけではなく、スポーツパーソンシップに則ってプレーすることを再認識します。
たとえルールでは禁止されてなくても、やってはいけないことはあるということを選手全員に周知させ、確実にそれに則ってプレーさせるためのものです。

「スポーツパーソンシップに則って、正々堂々とプレーする」と宣言することにより、卑怯なことはしにくくなります。
周りの人も宣言している様子を見ることで、「きっと卑怯なことはしないだろう」と安心します。
対戦相手も、それを聞いて安心して、試合に集中して、正々堂々と戦えるようになります。

この選手宣誓が曖昧では、その大会での各選手の行いや、各チームの戦い方に違いが出てくるのではないかと思います。

また、大会は普段の練習の成果を披露する場と考えるならば、普段の練習から、スポーツパーソンシップに則り、正々堂々プレーするということを磨いていなければなりません。
大会でしっかりした選手宣誓をすることで、普段の行いを正す効果も期待できるのではないかと思います。

 

選手宣誓とは、宣誓する人の個人の決意表明ではないということです。
「感動を与える」「勇気を与える」というのではなく、選手の代表として、自分たちがどのような行いをするのかを宣言しなければなりません。

そこで、オリンピックで行われる宣誓がとても参考になります。
スポーツの世界基準がわかると思います。

オリンピックの宣誓では、選手・審判・コーチのそれぞれの代表が出てきて、それぞれが宣誓した後、選手代表が宣誓文を読み上げます。
その内容は、決まっています。

「私たちは、すべての名において、オリンピック憲章に則り、公平なルールを尊重し、スポーツマンシップとフェアプレーの精神を増進させることで、スポーツの栄光と、チームの名誉のため、決してドーピングをしないよう、オリンピック競技大会に参加することを誓います。」

というものです。

全選手の総意でなければならないという点でも、余計なことを言うよりもこのような形が適切なのではないかと思います。

 

今、日本のスポーツに1番欠けていることはスポーツパーソンシップだと思います。
それが選手宣誓に出ているのではないかと思います。
スポーツパーソンシップに則りという一文を使わない、選手宣誓にとても残念に思います。
僕は、スポーツの本質はスポーツパーソンシップにあると思うのでスポーツパーソンシップがもっと広まることを願っていますし、それに少しでも貢献していきたいと思っています。

スポーツパーソンシップの理解がなければ、解決できない問題はたくさんあります。
野球界で話題になっている投球制限もそのひとつです。
少なくともスポーツパーソンシップに則り、正々堂々プレーすれば、待球作戦などの発想は起こらないのではないかと思います。

選手宣誓の意味を教えることは、指導者が選手に教えなければならないことのひとつです。

ボランティア指導者

日本の子供たちの野球、サッカー、バスケ、バレーボールなどの多くのチームスポーツはボランティアコーチに支えられて成り立っています。
お金を貰うわけでもなく、ボランティアでチームに携わっています。
そのため、子供たちは月に数千円の活動費を払うことで、チームに入ることができます。
僕自身もそのような環境で野球をしてきました。

中には、週6日活動をしているチームも珍しくありません。
それだけボランティアコーチが頑張ってくれているということでもあります。
ボランティアコーチには、感謝しかありません。

 

小学生のチームの父兄コーチは、自分自身の子供がチームに入り、そこでコーチになり、子供が所属している間、コーチをすることが大半だと思います。
その中で、自分の子供がチームを卒業した後も残ってコーチを続ける人もいます。

チームの活動のために家庭の理解を得て、時間を作りチーム運営を助けています。
仕事が忙しい中でも、時間を作ってやっています。

また、コーチだけでなく、審判をやったり、連盟の手伝いをしたり、選手の送迎をしたりと試合運営やチーム運営のために、時にコーチとして、時に審判として、時に連盟の役員としてグランドに足を運んでいます。

そこまで人生に打ち込むことができることがあることは素晴らしいことだと思いますし、スポーツ少年団や学童チーム、町クラブはそういう無償ボランティアの方に支えられて活動できているのが事実です。

そういう方々が多くいて、頭が上がらないし、本当に頑張っていると思います。

現状の子供たちのスポーツチームには、ボランティアコーチは必要な存在だと思っています。

 

自分の暮らしている地域で、その競技が好きで教えているのであれば、それはすごく良いことだと思います。
また、そこには少なからず「現状よりも少しでもチームを良くしたい」「試合で勝ちたい」「子供たちに成長してほしい」というような意気込みもあると思います。

そこで重要になることは、子供たちに愛を持って接するということです。
子供が生まれたときに「生まれてきてくれてありがとう」「そこにいてくれるだけでいい」と思えるその気持ちが「愛」です。
尊重する、感謝する、信じて耐える、認める、許す、学ぶ、などが愛で接するということです。
愛の対象の心の自由を奪わないことでもあります。
愛は見返りを求めないということです。
「自分がこんなにやってあげているのだから、感謝しろ」とは言いません。

そこに大人の感情が加わると上手くいかなくなってしまいます。

子供たちのスポーツをする環境に、大人のエゴやプライド、欲、しがらみ、嫉妬、などといった様々な感情が絡んでくることで様々な問題が生まれてきます。
いかに、大人が感情をコントロールしてチームや子供たちに関わるかが重要です。

「愛情」ではなく「愛」で接するということです。
愛情は、字のごとく「情(感情)」が入ってしまうので「こういう人にしたい」「言うことを聞かせたい」と言ったように自分の感情を押し付けることになってしまいます。
世間体や見栄えがあったりで、子供たちをコントロールし、思い通りにさせたいだけだったりします。
「選手のため」と言いながら、実は自分のためだったりします。
酷くなると、暴言や体罰に発展します。
その時によく聞くのが「子供のためを思って愛情を持って怒っている」という言葉です。
「愛情」ではなく「愛」で接すればそうはなりません。

大人の感情が加わらなければ、子供がスポーツを心の底から楽しめ、それを見た誰もが楽しくなる、素晴らしい活動になっていくと思います。
親は、いつでも我が子が心の底から楽しんでいる姿を見たいと思います。

 

愛を持って子供たちに接するボランティアコーチがたくさんいることを知っています。
問題はそのようなコーチがなかなか学ぶことができずに、自分が昔、やっていたことを思い出し、それを子供たちにそのままやらせています。
学ぶ気持ちがないわけではなく学ぶ時間と環境がないだけのように思います。

志あるボランティアコーチに感謝すると共に、学べる場を作ることが、より子供たちの楽しめる、成長できる環境につながっていくのではないかと思います。

今後、そんなことができる環境を作っていきたいと思っています。

卓越性の追求。

スポーツでは、「卓越性の追求」という概念を忘れてはいけないと思います。
僕がスポーツパーソンシップを教える時に、同時に教える概念です。
それだけスポーツをする上で欠かすことができない考え方であるとも言えます。

何かヒントになることがあればと思います。

 

卓越性とは、より高いところを求め続ける心と行動を言います。
スポーツで重要なことは、卓越性をお互いに追求するということです。
対戦相手同士が同意したルールのもとで、選手が互いに最善を尽くし、卓越性を相互に追求するということです。
勝ちを目指して全力でプレーする中で、自分自身がより成長することを目指すだけでなく、チームメートや相手チームの選手も卓越性を追求し、お互いのパフォーマンスの向上、上達を目指すことがスポーツでは重要です。

スポーツでは、相手を騙すプレーや弱点を突くプレー、相手の嫌がることをする、などということは試合で勝つために必要になります。
「騙す」「嫌がることをする」といったことのすべてがスポーツパーソンシップに反しているわけではなく、スポーツを面白くするための要素でもあります。

野球では、ストレートと思わせて、変化球を投げる。インコースと思わせてアウトコースに投げる。
走らないと思わせて、盗塁する。
といったような駆け引きがあります。
サッカーやラグビー、バレーボール、バスケットボール、格闘技、などの対面のスポーツには、相手との駆け引きでフェイントを使います。
「弱点を突く」「嫌がることをする」というのは、相手の能力の劣るところを狙ったり、技術が低いところを攻めたりします。
例えば、サッカーで足の遅い選手のサイドを狙ったり、バスケで背の低いところに背の高い選手をマッチアップさせたり、バレーボールでレシーブが苦手な選手を狙ったりといったことです。
または、ピッチャーの癖を探したり、こう動いたら牽制球を投げるなどを知り、攻略に役立てる。
サッカー、ラグビー、バスケなどでは、こうパスを回したらここにスペースができるからそこを狙うといったこともあります。
そのためにデータを集めたり、相手を観察したりして戦略を立てます。
これらの「騙す」「弱点を突く」「嫌がることをする」というのは勝つための戦略になります。
戦略を立てて駆け引きをすることはスポーツの楽しみのひとつです。

逆に、「騙す」「弱点を突く」「嫌がることをする」といったことがスポーツパーソンシップに反していると捉えられる場合もあります。
審判を騙してプレーする。サッカーでレフリーに見えないように相手を引っ張る。野球でバッターがキャッチャーの位置をチラ見する。相手に野次を言いプレーの質を下げる。大声で威圧する。などの行為です。

これはわかりやすい例を挙げましたが、判断に迷うことがあると思います。
その判断材料になるのが、お互いに卓越性を追求できているのかということになります。
スポーツは、ただ勝てば良いのではなく、スポーツパーソンシップに則り、お互いが成長につなげることができなければなりません。

試合の本質とは、スポーツパーソンシップに則り、相手より優れていることを示す。また、相手と共に成長を目指し、お互いが充実した感情を得ることであると言えます。
卓越性を追求することで、成長につながり、充実と自信が生まれます。
成長で得た自信や能力は、プレーの質を変えるだけでなく人間そのものを変えることができます。

技術的成長、身体的成長、精神的成長、などが、選手が目指すべき目的です。
勝敗は、卓越性を追求する過程でどちらかに決まります。勝者がいれば敗者もいます。
だから、目先の勝利よりも、勝っても負けても人間的な成長を目指すことが重要になります。
勝利だけを目指し、成長を考えずに小手先だけで勝とうとすることはスポーツの理解に乏しいと言えます。
また、相手や味方選手に怪我をさせては、その選手の成長機会を奪うことになります。
そうなれば相互に成長を目指すことはできなくなります。
選手の身体を守ることも考えなくてはなりません。

 

まとめると、
競技スポーツの本質は、対戦相手同士が同意したルールのもとで、スポーツパーソンシップに則って、卓越性を相互に追求するということです。
さらに、これらのことをプレーヤーだけでなく、監督、コーチ、観客も含めた関係者が理解することで、より良いスポーツ環境になっていくと思います。

「卓越性の追求」を頭に入れて考えることは、選手や指導者が肯定的で健全な選択をし、何をするときにも、どうすることが成長につながるのかを考える助けとなるのではないでしょうか。
これは、人により考え方に違いが出てくるとは思いますが、自分なりの「卓越性の追求」の考えを持ち、物事を判断することが重要だと思います。

教育とは。

「教育とは流水に文字を書くようなはかない業である。
だがそれを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。」(森信三)

僕がいろいろと勉強させていただいている先生がいます。
先日、その先生が大切にしている言葉として、紹介していただきました。

とても心に響く言葉だったので共有したいと思いました。
この言葉が教育の本質であり、教育者の我慢強さなしには、人は育たないということを表しています。
子供たちを育てるスポーツの現場でも同じことが言えると思います。
自分自身に言い聞かせる意味でも書いてみました。

 

「流水に文字を書く」というのは、いくら文字を書いてもあっという間にかき消されてしまうという例えです。
指導者がいくら情熱を傾けて子どもたちに指導しても、それがすべて結果につながるわけではありません。
教えたことが、まったく身につかないこともよくあります。
いくら情熱を持って取り組んだとしても、それがすべて身になることはあり得ないことです。
なかなか思うようにならないのが「教育」だということです。

そんな中でも「巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」ということです。
何度も、我慢強く、忍耐強く、刻み込むように取り組む覚悟がなければ、教育はできません。
指導者はそれだけの真剣さを持たなければいけないということです。
「流水に文字を書く」「巌壁に刻む」くらいの信念と熱意を持って取り組んでいかなければならないということを改めて感じました。

 

「何度教えればわかるんだ」と言う前に、「まだ、たった10回しか言ってないのか」「まだ20回しか言ってないのか」「まだ30回しか言ってないのか」そんな考えで接することが教育ではないでしょうか。
もしくは、「この言い方では伝わらないのか」「教え方を変えてみよう」と考えることが重要だと思います。

練習前に言ったことを直後の練習で覚えていないこともあります。
それが次の日ともなれば、覚えていることのほうが少ないはずです。
書いても、書いてもその場から消えていく文字、それでも真剣に書き続けるのが教育ということです。
「何度言ったらわかるんだ!」は教育者の発言ではないということです。

少しでも少ない回数で理解してもらうには、「わからない」「理解できない」と言える環境を作ることが有効です。
わからないときにわからないと言える環境を作るには、指導者の姿勢が重要です。
「なんで、わからないんだ」という叱責ではなく、「言い方が悪かった。ごめんごめん、これじゃ、わからないよね。」という姿勢で選手に接することです。
選手に責任を押しつけるのではなく、指導者が責任を負います。
選手が意欲的に練習に取り組まないときや、やる気がないときに、与えたメニューが悪いからそうなるんだと考えることです。
そうすることで選手とのコミュニケーションが取れるようになっていきます。

例えば、見逃し三振をした選手に「バットを振らなきゃ話にならないだろ」と指導したとします。
それは、ただ叱っただけの自己満足で指導とは言えないと思います。
「どうタイミングを取っていたのか」「どういうボールを待っていたのか」「何を考えていたのか」「なぜ手が出なかったのか」などと、一緒に考えて、改善策を探すことが指導です。
指導とは、諭すことであって、叱ったり、脅したりして言うことを聞かせるという単純なことではないということです。

 

この言葉で思うことは、人への教育のその前に、自分自身を育てることが目の前の選手を育てる1番の教育なのではないかということです。
人を「教え」「育てる」と同時に、指導者自身が「教えられ」「育てられる」という意識を持つことが必要なのではないかと思いました。
「選手だけが」でもなく「指導者だけが」でもない。共に成長を目指すということです。

子供を育てるのでも、仕事でも、何事にでも、共に成長を目指すという気持ちは大切ではないかと思います。

子供よりも大人になってからの人間教育のほうがはるかに難しいと思います。
年を重ねるほど、さまざまな人生経験から自分が正しいと思い込みがちになります。
また、自分を守るために、自分のしてきたことを正当化し、否定することが難しくなります。
そんな考えに陥らずに、先ずは、自分自身からと強く思いました。

教育に正解があるのか、ないのかわからない中で、何が正しくて何が間違っているのかの判断はとても難しいことだと思います。
さまざまな情報が溢れる中で指導していくのに、自らが学び、後ろ姿で見本を示すために行動する。
そして「子供たちのためになるか」という判断基準を持っていれば、間違った方向に行くことは少ないのではないかと思います。

投球数制限。

今、新潟県での高校野球の投球数制限が話題になっています。
投球数制限には、たくさんの考え方があると思います。
実際に意見がかなり分かれているように感じます。

僕の個人的な意見としては、高校生だけでなく育成年代はすべて、今すぐにでも厳しい投球数制限を設けるべきだと思っています。
その理由を書いてみました。
長文になってしまいましたが、お付き合いいただければと思います。

 

肩や肘を痛めないようにするために、注意しなければならないことは、大きく5つあると思います。
・投球数
・フォーム
・疲労
・投球強度
・成長度合い

この5つです。

・投球数
どんなに良いフォームでも、投げ過ぎれば故障します。
フォーム、疲労、投球強度、成長度合いによって投げられる球数は変わってきますが、それを判断するのは、とても難しいことだと思います。
その中でも言えることは、どんな選手でも、ある一定の投球数を超えれば、投球数が増えれば増えるほど故障のリスクは上がるということです。

・フォーム
身体に負担の少ないフォーム。関節に過度の負荷がかかっていないフォーム。
このようなフォームを身につけることができれば格段に、故障するリスクは下げることができます。
これは見た目だけの動きではなく、どこの筋肉を使っているのかまで注意を払う必要があります。

・疲労
人それぞれ回復力も違うので、疲労を見極めるのは非常に難しいと思います。
筋肉が疲労すれば柔軟性が落ちます。それだけでなく、筋出力が低下するので、関節を守る力が弱くなります。
投球数、フォーム、投球強度、成長度合いによっても大きく違ってきます。
その日や前日の投球数だけでなく、過去を見る必要もあります。
勤続疲労や蓄積疲労という言葉が使われるように、疲労は蓄積されていくと考えるべきです。
栄養不足、休養、睡眠不足も原因のひとつになります。
疲労は筋肉だけでなく精神的な疲労もあるということも忘れてはいけません。

・投球強度
投球強度が上がれば上がるほど負担は大きくなります。
出力する技術が高い選手はより注意が必要です。
身体ができていないのに速い球が投げられる選手や常に全力投球する選手も注意が必要になります。
それぞれの選手の投球強度が、どのくらい故障につながるのかの判断は非常に難しいことです。

・成長度合い
大人と子供では骨が違います。
子供の骨は、大人の骨に比べ、柔らかいので、外力や負荷に弱いです。
骨は、そのままの形で大きくなるのではなくて、骨の端に軟骨ができ、それが骨に置き変わることで大きくなります。
軟骨部分と骨の間が開いていて、そこが徐々に閉じていくということです。
この軟骨と骨の間に見られる線を骨端線と言います。
最終的には、骨端線の両側の骨が癒合し、骨端線が見えなくなり大人の骨になります。
骨端線が消えるまでは、関節部分は軟骨でできているので、特に弱いということです。
骨端線が消えるのは身長が伸びなくなることが目安になりますが、定期的に検診を受けて、レントゲンで見ることが大切です。
骨の成長度合いだけでなく精神的成長度合いもあります。
考え方もまだ成長段階で大人ほど先を考えて行動することができないということも理解しておかなければなりません。

 

この5つを常に注意しておくことが選手の身体を守ることになります。

実際に投球数制限をしたところで、5つの内の1つしかクリアできません。
しかし、投球数以外のフォーム、疲労、投球強度、成長度合いは、指導者の目が必要です。
経験、技術的、医学的、身体的な知識などがなければ正確に判断することが難しく、医療機関の協力も必要になります。
指導者の育成には相当な時間がかかると思います。

それに対して、投球数をルール化することは今すぐできる対策です。
投球数制限をしたら終わりではありません。
スポーツやスポーツパーソンシップ(スポーツマンシップ)を理解した行動をすることや、指導者の育成を進めなければ根本は解決しませんが、それらをしている間にも、身体を壊す選手は存在するということです。
現状を考えたら、早く対策をする必要があります。
指導者の目が確かで、スポーツパーソンシップに則った判断ができれば、投球制限はいらないので、厳しい投球制限をルールにして、そこから緩和していくという方向が良いのではないかと思います。
投球制限の撤廃を目標に、投球制限がなくても選手の身体を守れるということを証明することです。
投球制限の目的は、ピッチャーの身体を守ることなので、この意識がなければ練習で投げる分には関係ないという考えになってしまいます。

 

このような意見を言うと必ず出るのが、子供の投げたいという気持ちを尊重するべきだという意見です。
子供は大人よりも危険を察知する能力が低いというのは誰もがわかっていることだと思います。
子供が怪我をしそうな危険なことをしたら、いくら子供がやりたいと言っても注意したり、やめさせるのに、なぜ、投球においては、投げすぎたら危険とわかっていながら、選手(子供)の気持ちを尊重するという発想になるのか、ということです。

もうひとつが、チームに複数の投手が必要になるので、部員数が多い学校ではそれは可能だが、部員数が少ない学校では難しい。投球制限をすれば勝てなくなる、格差が広がるという意見です。
部員数が少ないのは選手の問題ではなく、指導者や学校、もしくは仕組みの問題であり、それを一部の選手の肩に背負わせるというのはいかがなものかと思います。
昨夏の大阪桐蔭がなんの努力もせずに、3人のピッチャーをそろえたわけではありません。
勝ちたければ普段からあらゆる努力をする。部員集めもそのひとつです。
それを怠って大会の時だけ勝つためにと、ひとりの選手に背負わせ、投球制限をすれば勝てなくなると言うのは、大人の言い訳に聞こえてしまいます。
部員数の減少は、野球界、スポーツ界が早急に、取り組まなければならない別の問題です。

 

投球数制限のルール化により、監督を守ることにもなると思います。
もしルールがない中で、エースピッチャーを交代して逆転を許してしまったときに、「なぜ交代した」というバッシングから守ることができます。
ピッチャーを交代するハードルを下げることができます。

スポーツパーソンシップに則り、医学的な視点から選手の身体を守り、選手の将来を考えた上で、「全力で勝ちを目指し、強いチームを作ってください。」
という話です。
何をしてでも強いチームを作れば良い、勝てば良いという話ではありません。

僕が会社で働いていた時も、「健康・安全はすべてに優先する」といろいろな職場に書かれていました。
人が生きていく上での、基本的な考え方だと思います。
それが野球は違う。スポーツは違う。とはならないと思います。
「定年でもう仕事を辞めるから、健康・安全を無視して働いてくれ」とはなりません。
それと同じで、もう野球をやらないからという理由で、健康・安全が優先されないとはならないと思います。

投球数制限の導入で選手の肩、肘を守るだけではなく、投球数制限の導入により、世間に考えるきっかけにしてもらい、スポーツに携わる人のマインドを変えることで、選手の肩、肘だけでなく、将来や人権を守るところまで見据えることが必要だと思います。
その一歩として投球数制限を導入してほしいというのが、僕の考えです。
それと同時に、スポーツの本質、投球制限の本質の理解を広めていくことが必要です。
球数を投げさせるために、待球作戦をしたり、ファールを狙って打ったりは、野球というスポーツの理解に乏しいと思います。
試合で投げれないから練習で投げる、というのも投球数制限の本質を理解できていないと起こってしまいます。

 

今までの野球のあり方が悪いと言っているわけではありません。
今までのやり方があったからこそ、ここまで野球が発展してきたのだと思います。
野球には素晴らしい伝統があり、甲子園を見ても、これほど注目されるスポーツは日本の中には数えるほどしかありません。
今まで多くの人が作り上げ、積み上げてきた実績であり、守っていかなければならないものでもあると思います。
日本のスポーツをリードしてきた野球がこれからの時代でも日本のスポーツをリードしていくために、時代の変化に沿ったやり方に変えていく必要があると思います。
その一歩が投球数制限になるのではないかと思います。

野球が安全なスポーツであり、生涯スポーツとして楽しめる。誰でもピッチャーができるということを広める方が野球界にとって、プラスが多いのではないかと思います。

2020年の東京オリンピック期間中に高校野球の地方大会が行われることになると思います。
世界中から集まるスポーツパーソンに、日本の誇る、部活動をアピールするチャンスになります。
そこに現状のような、選手を酷使するやり方では、海外の人たちには評価されません。
これまでとは時代が変わってきたということです。
来年いきなりは変えるのは難しいので、今から変えていくべきではないのかと思います。

アグレシーボ体験会。

先日、堺ビッグボーイズの主催するアグレシーボ体験会に行ってきました。
この体験会は、野球チームに入っていない幼稚園児、小学生低学年を対象にした野球の体験会です。
どの子供たちも楽しそうに、積極的に走り回る姿が印象的でした。

体験会終了後に筒香選手が報道陣に向けて、野球界の現状。どうすることが良いのか。といったような内容の話をしました。
それを現場で聞いていました。
指導者や大人が変わらなければ、子供たちの野球の環境は良くならない。皆で、子供の将来を考えて、より良い環境を作っていきましょう。
といったようなメッセージでした。

彼は、数年前にドミニカのウインターリーグに参加したときに、ドミニカの野球環境を見てきています。
ドミニカは人口1000万人くらいの国ですが、日本とは比較にならないくらいメジャーリーガーを多く輩出しています。

現役選手でありながら、日本の学童野球にも注目していて、現状をよく理解しています。
実際に学童野球の現場を見に行ったという話もしていました。

日本の良さ、ドミニカの良さ、自分の育った環境、今ある子供たちの環境、それらを踏まえて、日本の子供たちの野球環境について発言をしています。

今回、筒香選手と直接話をしましたが、一流選手の考え方に触れることは非常に貴重であり、いろいろと勉強させてもらいました。

その中で、感じたことは、なぜ自分が成長できたのかを深く理解しているということです。
僕の言っているスポーツセンシングも今まで会った選手の中でも最高クラスだと感じました。

そしてなによりも、日本の子供たちの野球環境を良くしたいという、高い志を持っています。
僕自身も子供たちのために何かできないかと考えさせられました。

 

プロ野球選手になるために重要なことは、野球を好きであることです。
どんなに才能があろうと、身体能力を持っていようと野球が嫌いで辞めてしまってはプロ野球選手にはなれません。
これは当たり前のことです。

少なくとも、指導者や大人が子供の好きという気持ちを失わせるようなことをしてはいけないと思います。

もうひとつが、どんなにいい選手だろうと、怪我をしてしまったらプロ野球選手にはなれません。
プロ野球選手になれないどころか、野球を楽しむこともできません。
特に、ピッチャーは、肩や肘を痛めたら、取り返しのつかないことになりかねません。
子供たちの身体は、指導者や大人が責任を持って守っていかなければならないことです。

これらは、プロ野球選手を目指している選手だけのことではありません。
野球がスポーツである以上、上手い下手関係なしに、どの選手だろうと、スポーツを楽しむ権利を持っています。
それを奪ってはいけません。
高校野球で、「高校卒業後、野球を続けない選手も多くいるのだから、選手の投げたいという気持ちがあれば、無理させてでも投げさせてあげるべき」といった意見を聞きますが、人の身体の健康や安全以上に優先されることがあるのでしょうか。
もしそのような選手がいたなら、「スポーツとはそういうものではない」ということを教えるのが指導者の役割だと思います。

指導者は預かった選手を無傷のまま、次のステップに進ませる努力をすることは当然のことだと思います。

選手の目標に向かう手助けをするのが指導者で、指導者のエゴを押しつけてはいけないと思います。
指導者の勝ちたいという気持ちを押しつけることもするべきではありません。
主役は子供たちであり、子供たちのための野球であるからです。

本気でプロ野球選手になりたいという選手がいれば、相当な覚悟が必要だということも教えなければならないと思います。
しかし、これは小学生に「覚悟を持て」と言ったところで理解できません。
選手の成長を見てどう声をかけるのかを考えなければなりません。
それにはコミニュケーションは必要不可欠です。
選手の考えていることを理解しないことには、指導方法は決まらないと思います。

指導者は選手のためにいるはずです。
指導者が勉強を怠っては、選手のためにはなりません。
もし勉強を怠っている指導者がいれば、それは選手のために指導しているのではなく自分の自己満足のために指導者をしているということであると思います。

野球の技術もトレーニングもすごいスピードで変化してきています。
スポーツのあり方も変わってきています。
世間のスポーツを見る目も変わってきています。
それらを踏まえて、どうするべきなのか考えなくてはいけません。

そして現在、過去最高にたくさんの情報であふれています。
今後、さらに多くの情報であふれることが予測できます。
動画を探せば、多くの動画があり、映像で確認するということもできます。
アンテナを張って日々勉強していかなければ、ついていけないということになります。
情報処理能力はこれからの時代の必須能力であると思います。

 

筒香選手が発言したように指導者や大人が変わらなければ、子供たちの野球の環境は良くなりません。
皆で、子供の将来を考えて、より良い環境を作っていきましょう。

大人と子供。

大人と子供では、考え方が違います。
歳を重ねるごとに思考も変わってきますが、そこには個人差もあります。
思考の成長度合いの個人差は、5歳差あると言われています。
例えば、同じ10歳でも、12歳くらいの子もいれば、8歳くらいの子もいます。
さらに、3月生まれと4月生まれでは約1年の差があるので、上と下で1年ずつプラスして考えると、同じ学年でも7歳くらいの差があってもおかしくありません。

そのことを踏まえて子供たちと接していく必要があると思います。

 

まず知っておかなければならないことは、子供が何かをする動機は「楽しいから」です。
例えば、野球の練習をする理由も楽しいからです。
大人になれば「この目標を達成したい」「成長したい」という動機で何かをすることができますが、子供はそうではありません。
目の前の興味で行動します。

それだけでなく「チームのために」ということも理解できません。
「チームを勝たす」「負けたくない」といった意識よりも自分が「打ちたい、抑えたい」という考えでやります。
まず理解できるのは「自分のために」だけです。
だから、チームワークは、みんなで揃ってやチームのためにではなく「自分のために一生懸命やること」がチームワークと教えるべきだと思います。
その中で少しずつ「自分がどうしたら上手くなるか」「どうしたら成長できるか」といったことを教えながら、他人の意見や価値観を尊重し、耳を傾け、お互いに卓越性を追求するということを理解できるようにしていきます。

また、子供は「努力」すれば「勝利」が近づくという「努力」と「勝利」を結び付けて考えることができません。
例えば、子供に「遅刻するから、早く準備して」と何回言っても子供は急がずにゆっくり、といったような経験があると思います。
それは、未来と今を結び付けられないからです。
大人は論理的に未来を見通し、現在の行動における結果を予測できるのですが、子供はそれができないので「今急がないと、後々の行動に影響がでる」「今急がないと、他の人に迷惑がかかる」といった因果関係を理解できません。
言って急ぐのは「言われたから」や「怒られたから」という理由です。
未来と現在を結び付けられないので、勝つために練習するということも理解できません。
「練習しろ」「勉強しろ」「早くしろ」と命令したり、「それじゃ無理」「そんなんじゃ失敗する」と否定したりすることよりも、子供の発想で経験を積ませることの方が、子供の成長につながります。

「負けて悔しくないのか」「チームのために動け」「勝つために練習しろ」と言って動くのは、それを理解しているわけではなく「コーチが怒るから」「コーチに言われるから」といったような動機でやっているだけだと思います。
このように言うことは、子供の成長を妨げます。
それだけでなく、こうした関わり方をすればするほど、脳が育っていかないので、集中力のある子に育っていきません。

中学生くらいになれば理解できるようになってきますが、1人1人成長度合いが大きく違うので、それぞれの個性に合わせて接することが大切になります。
ゴール(目標)に向かって行動すれば、成長できるということを、少しずつ理解させていくことが重要です。

自分で考えて行動に移すことや失敗の体験をさせずに、手っ取り早く結論や成功ルールを導き出す方法を教えることは、過程での経験を積めず思考が育ちません。
考える経験を十分にさせないで先に教えることは、創造性が育たず、新しいことを見つけたり、人と人との関係の中で、上手に生きたりしていくことができる人には、なりにくいと思います。

 

子供にとって今やるべきことは何なのか。
どのようなやり方が子供の将来のためになるのか。

日々研究が進み、今までのやり方より、もっと効果的なやり方が出てきたり、分からなかったことが証明されたりしてきています。
親や指導者の我慢強さや知識が子供をより成長させることになると思います。

スポーツセンシング、感覚

前回の投稿で「センスのある人の記憶」(スポーツセンシング、記憶)について書きました。
センスのある人とない人の記憶に、大きな差があるということは、感じることができたのではないでしょうか。

記憶だけでなく、「感じとる感覚」にも、非常に大きな差があります。

今回は「センスのある人の感覚」について考えてみたいと思います。

 

優れたスポーツセンシングを持った選手の感覚は想像以上です。
おそらく、この投稿を読んでくださっている方たちの想像をはるかに超えているのではないかと思います。

優れたスポーツセンシングを持った選手は、とんでもなく感覚が研ぎ澄まされています。

プロ野球選手のバッターを例に説明すると、
一流のバッターは、バットにかなりのこだわりを持っていますが、木製バットの素材をアオダモは柔らかくしなりやすく、メープルは硬くてしなりにくいと言います。
しかし、あんなに硬い木製バットがしなったとしても1ミリにも満たないのではないかと思います。
それをよくしなるやしならないと感じています。

それだけでなく、ボールを打ったとき、バットによって、バットとボールがくっついている時間が違うという表現もします。
アオダモは柔らかいので、バットとボールが接地している時間が長く、その時に後ろの手で押し込む、などと言います。
バットとボールがくっついている時間なんて、ほんの一瞬でしかありません。
そのくらい感覚が研ぎ澄まされています。
その研ぎ澄まされた感覚は、バットを通しても感じられているところからも、バットと一体になっているとも言えると思います。

ピッチャーでは、リリースの直前で「これはボールが抜ける」や「これは打たれそうだ」というのを感じ、ボールを押さえつけたり、直前で対応したりしています。
ゴルフでも、プロゴルファーがスイングの途中に打ち損ねるのを感じとり、スイングを微妙に変化させたりする、と聞いたことがあります。
陸上選手は風を感じて走ると多くの選手がコメントしています。
水泳でもプールと一体になっている感じと言います。

優れたスポーツセンシングを持った選手がプレー中に感じていることは、一般人の想像をはるかに超えています。

 

一流ピッチャーが「今日はフォームを変えて投げた」ということがよくあります。
しかし、はたから見たらまったく違いがわかりません。
感覚が優れているので、ほんのわずかな違いをとても大きな違いに感じています。

これはバッターも同じです。フォームを微調整したと言っても、ほとんどの人は、気がつかないくらいわずかな違いです。

でも、同じレベルかそれ以上のセンスを持っている人は、その違いに気がつくことができます。
わずかに変わったタイミングや動きを見て、ピッチャーはバッターの狙い球を予測したり、バッターはピッチャーの球種やコースを判断しています。

ピッチャーは、例えば「チェンジアップを投げる時、着地の瞬間に膝の力を抜く」「スライダーを投げる時、身体の開きを一瞬我慢する」などといったような、それぞれ独自の感覚を持っています。
しかし、どんなに映像で見比べても同じフォームで投げているようにしか見えません。
誰も気がつかないくらいのほんのわずかな違いで球種を投げわけています。
もし、これが、ピッチャーよりもバッターの感覚(センス)の方が優れていれば、フォームから球種がわかってしまいます。

例えば、ボクシングでは、相手がパンチを打ってくる時のわずかな初動や雰囲気を感じとり対応しています。
決して右のパンチを右手の動きだけを見て対応しているわけではありません。

卓球も、球だけを見て、返してるわけではなく、相手の身体の動きやラケットの振り始めのわずかな違いを感じとり対応しています。

サッカーの一対一の場面でも、わずかな重心の移動を感じとって相手を抜いていったり、逆に、わずかな動きからこれはフェイントだと感じ、フェイントにかからずにボールを奪ったりします。

人それぞれ感じとれる感覚の違いがあるので、もしそれが、本人は感じとれないわずかな差が、相手には感じとれる差であれば勝負は見えています。

 

前回の「記憶」と合わせて考えると、優れたスポーツセンシングを持った人は、感覚が研ぎ澄まされ、そこから仕入れた情報をどんどん記憶していくので、同じことをしていてもどんどん成長していきます。
感じとる力が違うので、わずかな動作を修正し記憶していくので、教えられたことを、自分の感覚に変えて記憶します。
トレーニングでも、感覚に優れているので、細かく意識できたり、より正確な動きができるだけでなく、動作を記憶する能力もあるので、効率よくトレーニングできます。

「なんでわからいの」「なんでできないの」というのは、スポーツセンシングが低いからです。
でも、スポーツセンシングは、鍛えることができる能力なので、鍛えることで、人の可能性は広がっていくと思います。
「記憶」「感覚」だけでなく他にも得られることが多くあるので、スポーツセンシングを身につけることは、とても重要だと思っています。

スポーツセンシング、記憶

僕は、以前から「センスを鍛えることをしなくてはならない」「優れたスポーツセンシングを身につけなければ、上のレベルにいけない」と言ってきました。
そのくらい、スポーツセンシングの差は、大きな差だと思っています。
同じ練習を同じ量しても、スポーツセンシングの能力の差で、結果に大きな差がつきます。
スポーツセンシングを持たない選手が、どんなに練習しても、優れたスポーツセンシングを持つ選手に勝てない、というのが僕の経験から感じることで、僕の考えでもあります。
現実に、アマチュア選手と比べて、センスがないプロ野球選手を見たことがありません。

今回は「センスのある人の記憶」について考えてみました。

 

「センスの差を練習量で埋めることは現実的ではない」という理由を「記憶」という観点から見てみます。

例えば、ある選手(A投手)が、ピッチング練習を50球したとします。
それを、後から振り返った時、A投手は、1球目から50球目まで、何の球種をどこのコースに投げたのか、すべて覚えていました。
同じように、別の選手(B投手)がピッチング練習を50球したとします。
それを、B投手が後からそれを振り返った時に、最後の1球だけ覚えていました。
そうしたら、このA選手とB選手の、この練習で覚えられた差は、50倍あると言えます。
単純計算で、B投手がA投手と同じ効果を出すには、2500球投げなくてはなりません。

これは練習だけでなく試合でも同じです。
優れたスポーツセンシングを持った選手は、試合で投げたボールすべてを記憶しています。
「あのバッターの時は、こういう配球をして、こう打ち取った」というのをすべて覚えています。

プロ野球の先発ピッチャーは、試合前のブルペンでの投球練習も記憶しています。
このボールの後は、この球種を、このコースに投げた、というのを覚えています。

これはまったく大袈裟な例ではなく、よくある例です。
僕も現役時代、その日を振り返った時に、投げたボールすべてを、思い出すことができました。
しかし、ピッチング練習の最後の1球しか思い出せないという選手も多くいます。

これは、覚えようと思って覚えているわけではなく、僕がスポーツセンシングといっている、自動化された脳が、その時の感覚も含め、自然と記憶していっています。
表面的な、球種とコースを覚えているだけでなく、その時の感覚も合わせて記憶しています。
これを毎日繰り返していたら、どんどん差がついていくことは、容易に想像できると思います。

ピッチャーの例を出しましたが、バッターも同じです。
1打席1打席すべてのボールを、その時の感覚も合わせて記憶しています。
それなので、打席に立てば立つほど感覚が磨かれていきます。

 

これが僕が、スポーツセンシングを身につけなければ、上のレベルにたどり着かないと言っている理由のひとつです。

生活している中で、「覚えよう、覚えよう」と思っているのになかなか覚えられないのに、覚えようと思っていないのに、頭に入っていることがたくさんあります。
音楽が頭に残っていたり、食べた料理の味を覚えていたり、旅行した時の風景を覚えていたり、1度の経験で忘れられない記憶になることがあります。

この「覚えようと思っていないのに、頭に入っている」というのを、作り出せれば成長が加速します。
間違えてほしくないのは、覚えようとして覚えるのではないということです。
ピッチング練習や試合で、自分の投げたボールを覚えることが目的になってしまっては、パフォーマンスを発揮できないだけでなく、スキルも上がりません。
「覚えようと思っていないのに、頭に入っている」という状態でなければなりません。

特にスポーツでは、これを使って、動作や感覚を身体に覚えこませていきます。
これができるのが、スポーツセンシングの優れた人です。

センスのない人が練習をしても、教えられても、なかなかできるようにならないのは、脳や身体が記憶していかないからです。
センスを身につけて、記憶できる状態を作ることをしなければ、どんなにいいと言われている指導者の指導を受けても、どんなにいいと言われているトレーニングをしても、なかなか成長できません。

 

これは野球だけに言えることではなく様々なことに言えることです。
他のスポーツでも、仕事や勉強でも記憶することができなければ、なかなか成長できません。

センスのある人は、自分が必要だと思ったことは、どんどん記憶していきます。
だから、僕が、以前から言っているように、センスを身につければ、いろいろな分野で力が発揮できるようになるのではないかと思っています。

今回は、センスがある人の記憶の話をしましたが、他にもセンスがある人とない人では、たくさんの差があります。
そこの差を縮めることができなければ、センスがない人は、いつまでも「センスがないから」で片付けられてしまうのではないかと思います。

スポーツセンシング。

野球センス、運動センス、勉強センス、ビジネスセンス、営業センス、音楽センス、ファッションセンス、お笑いセンス、料理センス。
日本では様々なところでセンスという言葉を使います。

しかし、このセンスという言葉が曖昧なので、僕は、「スポーツセンシング」という言葉を使って、体系立てました。
センシングとは、「感じる」「感じ取る」という意味もあります。
自動運転の車にも、センシング技術という言葉を使っています。

「スポーツセンシング」とは、僕が作った言葉で、センス、優れた感覚、自動化された運動、などを持った人のことを指す言葉です。

スポーツセンシングをいくつかの能力に体系立てました。

 

野球センス、運動センス、勉強センス、ビジネスセンス、営業センス、音楽センス、ファッションセンス、お笑いセンス、料理センス…等。
このセンスは、ほとんどが共通の能力です。
その証拠に、本当に優秀な人は、何をしてもできてしまいます。

そのほとんどが共通の能力ですが、違うのが、五感を通じて得た情報を脳が処理する能力です。

球技では、目でとらえた情報をどう脳が処理するかです。
料理センスでいえば、味覚を通じてとらえた情報を脳がどう処理するかであり、音楽センスでは、聴覚でとらえた情報をどう脳が処理するかです。
つまり、五感を通じて得た情報を脳が処理する能力とは、「物事のとらえ方」のことです。

「物事をどうとらえるのか」です。

本当にセンスのある人は、レベルの高い、物事のとらえ方さえできれば、なんでもできてしまいます。

同じピッチャーを見ても、人によって見え方は違います。
同じ料理を食べても感じ方は違います。
それは、勉強でも音楽でもお笑いでも人によって感じ方は違います。

しかし、スポーツセンシングで最も難しいのが、この物事のとらえ方です。
特にスポーツで、このレベルの高い、物事のとらえ方をすることは非常に難しく、すぐにできることはありません。

優れた、物の見方ができれば、野球でボールが止まって見えたという人もいます。
サッカーやラグビーやバスケットボールでは、視野が人より広いと言われます。
ボクシングや格闘技では、相手とのスピード感がまったく違ったりします。

スポーツセンシングがある選手は、見ている世界が違います。
しかし、他の人の物事の見方がわからないので、優れた選手も、そうでない選手も、自分の物事の見方を、みんながしていると思っています。
ここが変わらなければ、センスがない選手がセンスのある選手を超えることはできないと思います。

野球の中でも、野手と投手では、物事のとらえ方は全然違います。
野手は、それを身につけることが大変で、時間もかかります。

それに比べて、ピッチャーは、物事のとらえ方が難しくありません。
なぜなら、いいと言われるフォームがある程度決まっていて、わかっているので、その通りに身体を動かせれば、いいパフォーマンスが出せます。
試合でのプレーも1回1回止まり、自分から動き出せるので、瞬時に物事をとらえて判断するという作業は、野手ほど必要ありません。

これはアメリカンフットボールのオフェンスにも言えることです。
サインによって動きが決まっていて、その通りに動くことが重要だからです。
プレーも1回1回止まり、自分たちから動き出せるので、瞬時に物事をとらえて判断するという作業は、そこまで必要とされていません。

だから、物事のとらえ方以外は、共通の能力なので、日本でもっとも勉強センスがある人が集まる東京大学からプロ野球選手になれるのはピッチャーばかりということになっています。
京都大学からプロ野球選手になったのもピッチャーでした。

アメリカンフットボールは、偏差値が高い大学が結果を出しやすいのも同じ理由です。

 

このようなことから言えることは、人やチームによって、鍛えるところが違うということです。
スポーツセンシングの劣っている能力が、物事のとらえ方なら、物事のとらえ方を重点的にトレーニングすれば可能性が広がると思います。
他の能力が劣っているならそこにアプローチすれば、センスを身につけられます。

以前にも書きましたが、重要なことはセンスを身につけることです。
センスを身につけることは、さまざまな分野で、活躍できる可能性を高めるということです。

野球が好きなら、野球を通じてセンスを鍛える。
勉強が好きなら、勉強を通じてセンスを鍛える。

今回説明したのは、「物事のとらえ方」ですが、スポーツセンシングは、いくつかの能力に分かれています。
それぞれを高めることができれば、センスは持って生まれた能力ではなく、鍛えることは可能だと思っています。

チームの特徴。

野球というスポーツは、年代が替わるごとにチームが変わります。
監督が代われば違うチームに変化します。
今まで経験したチームの特徴を振り返りながら、どのようなチームがあるのかを考えてみました。

これは、チームの目的によって違ったり、時代や、チームが求められていること、社会が求めている人材によっても違ってくるので、良い、悪いを判断するのはとても難しいと思います。
良い、悪いではなく、これを踏まえて、参考になることが少しでもあればと思います。

 

まず初めに、独裁チーム。
ひとりのトップが全てを決めるようなチームのことです。
トップに立つ個人の力で支配的に運営します。トップの言うことは絶対です。
そのために、トップの力が重要で、トップに全員が依存する状態になります。
このやり方では、トップに立つ人の能力以上の人材は生まれないと思います。

僕自身は、このようなチームは経験したことはありませんが、話で聞いたりはしました。

 

次に、数十年前の部活動によくあった、トップダウンの年功序列に基づくチーム。
軍隊や昔の部活動をイメージするとわかりやすいと思います。
監督→コーチ→キャプテン→上級生→下級生のように、上下関係が決められています。
その上下関係が年功序列のように決まっていて、変えることができません。
チームの決まりに順応し、下の者は「はい」「いいえ」の答えのみというように、発言権は与えられてはいません。
そのため、指示や命令に順応に従う人を育てます。
変化や競争よりも上下関係が優先されるために、成長しようとするモチベーションはなかなか生まれません。
チームワークは生まれずに、チームワーク=支配という形になります。
同じ階級で励まし合ったり、慰め合うことで仲間意識をつくります。

 

次に、上記のチームの上下関係が年功序列ではなく、成果や成功により変わるチーム。
年功序列ではなく、実力や評価を得た人が上に立つことができます。
成長しようとするモチベーションは生まれ、競争が可能になります。
その代わりに、結果を出し続けなくてはなりません。
上に立つ者の態度が大きくなったり、偉ぶるということがよく見られます。
常に、評価を気にするあまり、幸福度が低くなる恐れがあるのと、好きという感覚がなくなるということが問題になります。
しっかりした上下関係があるので、例えば、選手間で問題が発生した時に、選手→キャプテン→コーチ→監督のように伝言ゲームをしなくてはならず、問題が正確に伝わらない可能性が高くなるのと、時間がかかってしまうということも起こります。

 

次に、ファミリーのようなチーム。
ファミリーなので、チーム内の人それぞれが、お互いを大切にします。
結果や成果だけでなく、それぞれの幸せまで考えます。
共有された価値観(目標)を持ちやすく、チームワークが生まれます。
主体性が発揮され、個人個人の多様性が尊重されるので、新しくチャレンジすることも可能です。
決定権は上に立つ人が持っていますが、意見はみんなが出せます。
しかし、最終的な意思決定は上の人がするので、上の人に頼る傾向も生まれます。

 

最後に、チームワークをもった個々の集合体チーム。
偉い人がいないで、チームワークのあるチームです。
「監督」や「コーチ」はいますが、偉いという感覚ではなく、単なるチームメートで、違う役割の仕事をしてくれている仲間という感じです。
命令をすることはなく、お互いにコミュニケーションをとり、どうしたらより上手くいくのか、より成長できるのかを考え、協力するということです。

上の人が下の人に指導するといったような関係ではなく、誰も年齢や役職を気にせず、自分で考えて、お互いが助け、助けられ、尊重し、感謝します。
自分で意思決定をして物事を進めることができます。
全員が対等に意見でき、価値観のすり合わせができます。
その反面、全員に責任が生まれ、全員が責任感を持つ必要があります。
練習や試合に対する姿勢が無責任な選手、誰かに依存的な選手、どうすればより成長し、良いチームになるか考えていない選手、などがいなくなるので、チームワークが最大限に発揮されます。

このようなチームは、いきなりできるわけではないと思います。
このようなチームを目指すには、チーム方針やチーム理念に基づいた、共通の認識が必要です。
自制を保つ、思いやりをもつ、フェアプレー、卓越性をお互いに追求する、といったようなスポーツパーソンシップの理解がなければ実行できません。
お互いを尊重し、目的のために協力する姿勢が重要です。

 

時代の変化とともにチームのあり方も変化してきています。
学校教育も詰め込み教育から考える教育に変わってきています。
忍耐力を持った人材よりも主体性を持った考えられる人材の育成が求められるようになってきました。
そう考えると、これからのチームは、ファミリーのようなチームであり、チームワークをもった個々の集合体のようなチームが求められるようになってくるのではないでしょうか。

すべてをいきなり変えるのではなく、所属する人の成長度合いに合わせて、バランスを取りながら、ファミリーのようなチームからチームワークをもった個々の集合体のようなチームに変えていくというやり方も必要だと思います。

 

どんなチームにも信頼関係は必要であり、個人として、それぞれが、満足度が高く幸せを感じられるか。学ぶことが多く、成長を感じられるか。
チームとして、良い結果が残せるか。効率よく発展できるか。
このようなことが可能なチームを目指すことがひとつの基準になるのではないでしょうか。

チームワーク

チームワークはとても大切です。
これを否定する人はいないのではないでしょうか。
スポーツに限らず、人が集まればチームワークが必要になります。
野球やサッカーのようなチームスポーツだけでなく、体操やマラソンのような個人スポーツでも、コーチやトレーナーなどとのチームワークはとても重要です。
仕事でも学校でも家族でもチームワークは必要になります。

僕も、いろいろなチームに属し、それぞれのチームにある、チームワークを経験してきました。
そのチームワークについて考えてみました。

 

野球では、多くのチームがチームワークを発揮しきれていないというのが、僕の感想です。

「チームワーク、チームワーク」と過剰に言うことで、個性や個人の能力を抑えつけてしまっています。
チームワークとは、みんなで揃って、同じことに取り組むことであると誤解されているように感じます。
個性を抑えつけて、見た目で、まとまった感じを作ることでチームワークがあるように見せています。
「個」を潰すことが、まとめるためには、簡単で楽だと思いますが、それでは選手が育たず、結局はチームも育ちません。
指示待ち人間のイエスマン集団を作るには、いいかもしれませんが、選手1人1人の将来を考えて、それぞれを導いてあげるのが理想だと思います。

そもそも、みんなが全員で同じことをやっていたら人数がいる意味はありません。
このチームワークの考え方だと、人数が増えれば増えるほど、まとめるのが難しくなり、チームワークがなくなることになります。
反省では、ダメだった人や、ダメだったところをあげ、建設的ではない議論になってしまいます。

 

僕が考えるチームワークとは、他人の意見や価値観を尊重し、耳を傾け、お互いに卓越性を追求するということです。
お互いに刺激し合うことで、向上心を生み出し、ひとりでは達することのできなかった、高みへと成長させてくれます。
すでに持っている個人の能力を合わせ、更なる力を発揮するためのものであり、多種多様な知識やスキルやアイデアが集まるほどチーム力は高まるはずです。
チームワークによって、より多くの可能性を生む、きっかけになると思います。

では、どのようにすることがよいのかというと、

「それぞれが自分のためにやる」

ということです。

それがチームのためになると思います。
個々が持っている力を発揮して、役割をはたし、それが結果としてチームの力になります。
チームのためにという考えよりも自分のためにと考える方が、自分に厳しくできるし、言い訳もできません。

チームワークのよいチームとは、ひとりひとりが、成長するための努力をし、お互いに成長するためにはどうするべきかを考え、その上で連携や組織力を高めようと考えているチームということです。
「個人の成長」「個人の努力」がないチームはチームワークがよいとは言えないと思います。
チームワークがあるチームでは、努力をしないことは、チームワークを乱しているという考えになるはずです。

人は、それぞれに、得意不得意があります。上手くいくときもあれば上手くいかないときもあります。
それを、メンバー同士が理解し合い、カバーし合うことによって、得意な分野に対する能力を最大限に発揮させることができるだけでなく、苦手な分野や上手くいかない場合の対処に役に立ちます。
例えば、
なにか新しいことにチャレンジするときに、それぞれが、自分が思う最善のやり方をすると、上手くいく人と、そうでない人が出てきます。
上手くいかなかった人は、上手くいった人に「なぜ上手くいったのか」「どのようにしたのか」と聞く、または、観察することで、次に自分が上手くできる確率を上げることができます。
もし、全員で同じことをしていては、それができません。それだけでなく、上手くいったか、いかなかったのかの比較がないので、次につなげることが難しくなります。
自分が上手くいったと思っていても、もっと上手くいった人がいるかもしれません。逆に上手くいかなかったやり方をみて、これでは上手くいかないのかと知ることもできます。
それぞれの経験を、チーム全体の経験に変えることができます。

それがなければ、上手くいかないことも、ひとりの力で対処しなければならず、多くの時間と労力を奪われてしまいます。
チームの成長は、個人の成長の単純な合計ではなく、それ以上のものへとなっていきます。

 

個人個人が、どうしたら上手くなるか、どうしたら成長できるかといった、卓越性を追求した上で、技術面、精神面、フィジカル面、環境面、などみんなで協力体制が整えられた状態がチームワークです。
この共通認識がないまま、チームワークという言葉を使うと、連携面ばかりが言われてしまい、最も重要な、個人の成長が軽視されるチームになってしまいます。

チームメートを尊重するということを守った上で、それぞれが自分が思う最善のやり方をし、チームでお互いの意見を出し合うことにより、改善策や、新たなアイデア、発見を目指すことがチーム力の向上につながると思います。

指導に暴力は必要なこともあるのか?

今月初めに、「スポーツパーソンシップからハラスメントについて考える」というセミナーを行いました。
その中で、テーマにしたことと同じことが、話題になっています。
体操でのパワハラの問題です。
セミナーの内容を取り上げつつ、考えてみたいと思います。

 

セミナーで行った内容が以下です。

あなたはスポーツチームの監督をしています。
ある熱心な保護者から
「子供を厳しく指導してください」
「強くなるために、殴って指導してもらっても構わないです」
「子供もそれを望んでますから」
「どうかよろしくお願いします」
とお願いされました。
あなたならどうしますか?

 

ということを議論しました。

 

指導や教育は、人それぞれ違うので正解はありませんが、このような保護者をどう説得するかということはとても重要になります。
異なる価値観の人に「体罰はいけませんから」では、なかなか納得してもらえません。

なぜ暴力や体罰がいけないのかを説明しなければいけません。
厚生労働省が出している、「愛の鞭ゼロ作戦」はとても参考になります。
http://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/ainomuchizero.pdf

脳の観点から、悪影響であることが証明されています。
前頭前野(前頭連合野)の機能は、思考(考える)、学習(記憶する)、感情のコントロール、創造性(イメージをつくる)、意欲(やる気)などです。
集中力にもかかわります。
前頭前野の委縮は、ドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質の分泌にも、大きく関係するので、パフォーマンスを発揮するのにも、物事を記憶するのにも大切な、ゾーンやフローといわれる状態を作ることも難しくなります。

日本で育ったなら、怒鳴られて育つのが当たり前で、自分は体罰で強くなったという人も多くいるように感じます。
体罰や暴力、暴言、きつく怒るというのは、短期では、とても効果的な手段です。
特に子供は、恐怖を与えれば、言うことを聞きます。
これは、その物事の本質を理解して、言うことを聞いているわけではなく、恐怖から逃れるための防衛本能で言うことを聞いているだけです。
長期的な視点で見れば、脳が委縮してしまうのでマイナスということが証明されています。

日本の野球が中学生くらいまでは、世界一強いのに、メジャーリーガーが数人しかいないのも、もしかしたら、このあたりが関係しているのかもしれません。
日本の少年野球を観たら、ほとんどのチームがミスをすれば、怒鳴られたり、罵声を浴びせられています。
逆に、アメリカやドミニカなどの中南米などの指導は、ミスをしても怒らずに、チャレンジしたことをほめる指導が中心と聞きます。
短期では、成長が遅いかもしれませんが、長期的にみたら脳が育つので、大人になってから日本人よりもはるかに多い選手がメジャーリーガーになり、活躍できているのかもしれません。

脳への悪影響は、体罰や暴力を受けた人だけでなく、それを見た人にもあると言われています。
日本のスポーツでよくある、見せしめで殴るや怒るというのも、脳科学的な観点からは、マイナスということになります。
たとえ本人が体罰を受けなくても、それを見るだけで脳に悪影響があるので、仮に、怒鳴ることが必要だと判断しても、他の人には見せてはいけないということになります。

 

様々なことがどんどん証明されていき、今まで当たり前にしてきた指導方法が、実は、もっといいやり方が存在した。ということが出てきています。
アンテナをはって、自分の経験と上手く融合させ、よりいいものを作っていくことが重要です。
自分はこれでよくなったを、もしかしたら、こうしてたらもっとよくなったのでは?と考えることが大切だと思います。

また、人それぞれ価値観も違えば、性格も違うので、例外もあるかもしれません。
本当に、殴られて怒鳴られて強くなった人もいるかもしれません。
でもそれは例外ということになります。

同じ人間はいないので、指導の正解は、わかりませんが、脳科学的な視点からは、選手が怖がるコーチは必要ないと言えます。

選手のために、愛の鞭だと思ってしていることが、選手を苦しめる可能性があります。

本当に選手のためになってるのかを勉強し、考え続けることが大切です。

スポーツパーソンシップの先に。

夏の甲子園と言われる、全国高等学校野球選手権大会が終わりましたが、猛暑の中の試合や選手の酷使の問題など賛否両論ある大会になったのではないかと思います。

今年に入りスポーツで話題になった問題をあげてみました。
カヌーのライバル選手の飲み物に、禁止薬物を混入した問題。
大相撲(スポーツと言っていいのかわかりませんが…)の問題。
レスリングの問題。
アメリカンフットボールの問題。
アマチュアボクシングの問題。
そして高校野球。

このすべての問題の改善策に、スポーツパーソンシップの徹底があります。

僕は、日本中にスポーツパーソンシップが浸透したら、日本のスポーツが劇的に発展するのではないかと思っています。
理想論で現実的ではないと思われてしまうかもしれませんが、スポーツパーソンシップが浸透したスポーツ界を想像してみました。

 

「部活動は学校教育の一環」という捉え方が変わります。
現在、その解釈が曖昧で、学校教育と人間教育が、ごちゃごちゃになり、多くが人間教育のことを言っています。
スポーツとは、学生だろうと、子供だろうと、大人だろうと、おじいちゃんだろうと、プレーするすべての人にとって人間教育という要素が含まれています。
部活動だけが人間教育の一環ではなく、スポーツとは誰がやろうと、人間教育の一環です。
スポーツパーソンシップが広がれば人間教育の一環は当たり前なので、学校教育の一環というのが、認識されてくるのではないでしょうか。
そうなると学生の本分である、勉強を疎かにすることが減ってくると思います。

 

選手の身体が守られるようになります。
例えば、野球の球数制限。
アメリカで導入されている、ピッチスマートと言われる球数制限は、スポーツパーソンシップがあるから成り立っていると思います。
もし、今、日本で導入されたら、待球作戦やカット打法などをするチームが出てくることが想像できます。
また、試合では球数制限があるから、練習でたくさん投げさせるということも、起こるかもしれません。

野球というスポーツを理解し、卓越性を相互に追及するというスポーツパーソンシップがなければ、球数制限も効果が少なくなってしまいます。

そもそも、選手への尊重、選手を大切に思う気持ちがあれば、球数制限をルールにしなくても、選手に無理をさせることがなくなるはずです。

体罰、暴言、いじめ、などのハラスメントがなくなるだけでなく、怒るという行為自体が少なくなるのではないでしょうか。

競技人口が激減している今、競技人口を増やす努力も必要ですが、競技を続けてもらう努力も必要です。
怪我や燃え尽き症候群、競技を嫌いになるなどの、競技を辞めてしまう原因にもアプローチをしなくてはなりません。

 

スポーツパーソンシップが優先されると、勝利至上主義がなくなり、選手の将来やその競技の将来が考えられるはずです。
勝利至上主義のチーム同士が戦えば、勝たなければ無意味ということになってしまいます。
勝たなければ価値がないという勝利至上主義の考えは、勝てなかった時に、不幸を生む、戦争と似たような争いになってしまいます。
勝っても負けても、価値のあるものでなければならないのがスポーツです。

これは社会人野球がいい例になっているのではないでしょうか。
企業チームの数が、数十年前の約半分になっています。
その間の社会人野球とは、僕の知る限り、多くのチームが「反則してでも勝て」「勝たなきゃ意味がない」という考えで、相手に野次を言ったりスポーツパーソンシップを無視してきました。
そのやり方では、1年間で評価されるチームが、優勝した1チームだけになってしまうので、チームの価値を持ち続けることは難しく、休部や廃部に追い込まれていくのは、仕方のないことだと思います。

 

スポーツをビジネスにして、資金調達でき、そのお金をスポーツの発展に使うという流れを作ることが可能になります。
スポーツパーソンシップがなければプレーヤーが利用されるだけになってしまうので、スポーツパーソンシップの浸透が必要不可欠です。
それぞれの競技の発展には、お金が必要です。
そのお金をどう作り出すのかを考えることは、これからのスポーツには欠かせないことだと思います。

 

優れた人格を身につけられるので、スポーツパーソンの価値が上がり、スポーツ自体の価値も上がる。
そうすることにより、見る人が増え、競技人口が増え、スポーツが発展します。

 

スポーツが日本の社会に貢献できることはたくさんあります。
今の日本は、スポーツの力を活かしきれていないと思います。
スポーツパーソンシップが日本中に浸透した時、スポーツだけでなく、日本全体が発展するのではないかと思います。

スポーツパーソンシップが浸透した日本の未来を見てみたいです。