普通ってどういうこと?

「そんなの普通だよ」とか「当たり前でしょ」とか「常識でしょ」というような言葉をよく耳にしますが、人によって、普通や当たり前や常識は違うことがあります。
人間は誰しも、今まで自分がやってきたことを普通と思い込んでいます。
それなので普通というのは人によって違います。
そんな普通とはどういうことかということを考えてみました。

 

プロ野球選手の普通と思っていることとアマチュア選手の普通と思っていることは異なります。
プロ野球選手になりたければプロ野球選手の普通を知り、実行することが近道となると思います。
ですが、難しいところはアマチュア選手は自分のやっていることが普通で当たり前だと思い込んでいて、プロ野球選手も自分のやっていることが普通で当たり前だと思い込んでいるので、そこが交わることがなかなかないということです。
プロもアマチュアも同じような練習をしていますが、個人個人のその練習に取り組む姿勢はまったく違ったものであると感じています。

例えば、キャッチボールと言う小学生でもやるような練習のひとつ見てみても、プロ野球選手はそのキャッチボールの中で自分のフォームがどうなってるのか、自分のボールがどうなってるのか、今日の自分の身体がどうなってるのか、などを確認しながらキャッチボールの中でも自分のパフォーマンスをどうやったらあげれるかを一球一球考えながら投げています。
これは特別なことではなく普通のことなのでキャッチボールをやるときは毎回このような意識を持って行なっています。

プロの選手にとって、グランドにいるときだけでなく普段の生活からどうやったら野球につながるかを考えることは普通のことであり、当たり前のことです。
僕は現役でプレーしてた時、食事を好き嫌いで食べるということはありませんでした。
栄養を考えながら何が自分の身体にとって必要なのかを考え、それに沿って食事を選んでいました。
これは特別なことではなく、そうやって食事を摂ることが普通であり、当たり前でした。
普通のことなで、頑張って食事をするといったような感覚もないし、それで楽しいのと言われても何とも思いませんでした。
それが普通なので、そうすることが当たり前であり、習慣なので何とも思わないということです。
普通とか当たり前とはそういうものです。

食事だけでなく生活の中でもこのようなことは多くあります。
普通で当たり前のことなので習慣になっているということでもあります。
プロの選手とアマチュアの選手では、持っている習慣が全く違います。

 

これは、野球選手だけに言えることではなく、何の分野でも同じではないかと思います。
優秀な人とは、普通や当たり前のレベルが高いということです。
レベルの高い普通や当たり前を作り上げていくことが上のレベルに行くことになるのではないかと思います。

そのためには、自分の普通や当たり前が、実は、普通や当たり前ではないのではないかと思うことが必要です。
そして自分が優秀だと思う人が、どのような習慣を持っていて、どのような生活をしているのかを知ることはとても重要なことです。

僕の考え方は、普通や当たり前、常識を疑えというわけではありません。
今までのやり方を否定するということでもありません。
普通や当たり前、常識を何も考えずに信じるのではなく、なぜそれが正しいのかを理解しておくべきということです。
そうやって根拠を考える習慣を持つことで、普通や当たり前、常識というものが、少しずつレベルの高いものに変わっていくのではないかと思います。

 

僕が多くの選手を見てきて感じることは、普通や当たり前のレベルを上げていくことなしに、高いレベルに近づくことは難しいということです。
しかし、トップ選手は自分のしていることが、特別ではなく、普通であり当たり前だと思っているので、アマチュア選手も同じだと思っています。
逆にアマチュア選手も自分のしていることが、普通であり当たり前だと思っているので、トップ選手も同じだと思っています。
このプロの選手とアマチュアの選手の普通や当たり前をチューニングすることができれば、アマチュア選手にとってとても価値のあることになると思います。
野球では、プロアマの問題があったりとプロの選手がアマチュアの選手を指導する機会がなかなかありませんが、この投稿から気づきを得る選手がひとりでも出てくれればと思います。

今までの自分を超えることはすごいこと。

「比較対象は今までの自分。今までの自分よりも少しでも成長することが大切。」
僕がいろいろなところで言っていることです。
どんなにすごい人でも、今までの自分を少し超えるということを多く積み重ねているだけです。
生まれたときからプロ野球選手の人はいません。
オリンピックやプロスポーツでは相手に勝つことが重要になってきますが、子供達や部活動ではそれ以上に今までの自分よりも少しでも成長することのほうが重要であると思っています。
比較対象を常に今までの自分に置いておき、それを超えることを目指すことが重要だと考えています。

 

大谷翔平選手は投げるボールの最速が165キロです。
これは日本人最速でもあります。
大谷翔平選手が166キロを投げるのと、今までに120キロしか投げたことがない選手が121キロを投げることは、本人からしてみれば、どちらも自己記録を更新し自己最高記録を出したという意味では同じことです。
仮に大谷選手が166キロを投げたとしたら、おそらく大谷選手にとっては通過点でしかないとは思いますが、周りの人は評価をし祝福するのではないかと思います。
それと同じように120キロしか投げたことがない人が121キロを投げることができたらその周りにいる人は評価をし祝福してあげるべきです。

大切なことは良い結果が出たときや良いパフォーマンスが出せた時には、周りはその出来事を褒め称え一緒になって喜ぶことです。
これは野球に限らず、他のスポーツでも勉強でも多くのことに当てはまります。
人の記憶というのは、心の底から喜んだり、感動したりすることによって、より強固になっていきます。
その証拠に今までで一番嬉しかったことや喜んだこと感動したことは鮮明に覚えているのではないでしょうか。

だからこそ新しくできたことや上手くいったことは、本人が忘れずに、より記憶できるように周りの人は本人に喜びを与えるようにしてあげることがその人のためになります。

 

それとは別に、身の危険を感じたことや恐怖を感じたこと、恥ずかしかったことなども記憶に残りやすいことです。
だからこそ、ミスをしてしまった時になるべく記憶に残さないように怒ったり恥ずかしい思いをさせないように少しでも周りが助けてあげることが必要です。
ミスをするたびに怒られたり、恥ずかしい思いをさせられると、そのミスをどんどん記憶していき、気がつけば記憶の中が上手くいかなかったことばかりになってしまいます。

本当に酷い場合にはトラウマのようになり、同じような場面で上手くいかなかったことを思い出してしまいプレーに支障が出ることもあります。
ミスしたことを記憶するのではなく、そのミスの改善方法やミスをしないで上手くできるやり方を記憶しなければなりません。
ミスだけを記憶するということは良いことではないので、ミスを記憶に残さないように周りも協力してあげることがその人のためです。

 

成長するとは、今まで知らなかった新しいことを記憶したり今までにできなかった動きが新しくできたりと、脳に新しい回路ができることです。
その新しい回路を引っ張り出してきて必要な時に使えるようにするのに記憶が重要です。

大人は簡単だと思っていても子供にとっては難しいことはたくさんあります。
「1+1」は大人は誰でもできますが子供はどこかのタイミングで「1+1」ができるようになります。
生まれた瞬間からできたわけではありません。
大人にとってはできることが当たり前でも、子供にとっては当たり前ではなく自己新記録に近いような状況は多くあります。
できないことばかりを注意するのではなく、今までの能力を見極め、例えたいしたことではなくても、できたことをしっかりと褒めてあげることも成長には大切なことです。

 

褒めることの狙いのひとつが、その相手を喜ばせることによって感情を刺激し、より記憶に残してもらうことです。

逆に、怒るということは脳を萎縮させるだけでなく記憶の面でも、チャレンジを促す面でも非常に多くのデメリットがあります。
時代が変わったから怒ってはいけないのではなく、怒ることで成長を阻害させてしまうということが、科学的に証明されてきたから怒ってはいけないということです。

指導者のアプローチで記憶に残したり、記憶に残らないようにしたりを上手くコントロールすることができます。
今までの自分を少しでも超えることができたのなら、それを評価してあげることが、さらなる成長につながっていくのではないかと思います。

肩痛は休んでいるだけでは完治しない。

野球では1度肘や肩を痛めた選手が何度も同じ箇所を痛めてしまっています。
逆に、1度も肘や肩を痛めることなく長くプレーしている選手も多くいます。

痛くなるには痛くなるような原因があり、その原因にアプローチしなければまた同じように痛くなる可能性があります。
肘や肩が痛くて投げられない選手は休んでいるだけでは投げられるようにならないという話をしていこうと思います。

 

整形外科での診察では投げられないほど肘や肩を痛めているわけではないという診断結果が出ているにもかかわらず投げたら肘や肩が痛くなってしまい思ったように投げられないという選手がいます。
投げたら痛くなり、また休んである程度状態が良くなり、投げるとまた痛くなってしまう、と言ったことを繰り返しています。

このような選手の多くが自分の肘や肩など痛みのある部分を痛めていると思い込んでいます。
病院でもう投げても大丈夫だと言われても本人は病院の診断が正しくないと思っているような選手すらもいます。

現状を見ていると、肘や肩が痛くなった選手はただ休んだだけではまた投げると痛くなってしまうことがほとんどではないかと思います。
投げて肘や肩が痛くなったのなら休むだけでは完治させることは難しいということです。
痛くなるということは痛くなるような身体の機能をしていたり、痛くなるようなフォームで投げています。
そこにアプローチしなければなりません。

 

肘の関節はそんなに強度があるわけではないと思った方が良いと思います。
肘に負担のかかる投げ方をすれば簡単に痛めてしまいます。
投げるたびに肘が痛くなってしまうという選手も少なくないのではないかと思います。
そのような選手は肘が痛くなった時に、ただ休んでいるだけでは、また投げれば痛くなってしまいまいます。
肘に負担のかかっているその投げ方自体を修正する必要があります。

 

肩というのは野球をしていない一般の方でも肩こりになったり腕を上げるのが辛いというような症状を持っている人も多くいます。
四十肩や五十肩と言われるように肩の機能というのは低下しやすい部分でもあります。

ボールを投げるという動作はそのような方よりもはるかに多く肩を使うので当然、肩を痛めないように予防のためのトレーニングをしたり、肩のコンディションを整えるために気を配らなければなりません。

投げて肩が痛くなってしまう選手は身体の機能を整えたり、身体の動かし方を変えたり、投球フォームを見直したりしない限りは投げればまた肩が痛くなってしまいます。
ただ何もせず休むだけではなかなか完治させることは難しいことです。

段階としてはまずは身体機能を整えるようにします。
猫背になっていたり肩が前に出ていたりしていないのか。
僧帽筋など肩回りの筋肉を緩んだ状態にすることができているのか。
筋肉を緊張させることなく、背骨の上に頭がしっかり乗っているような適切な姿勢を作れていなければなりません。

次に肩回りの細かい筋肉(インナーマッスル)を中心に筋肉をうまく連動させ、しっかり力が入り肩関節を固定することができるようにします。
それができていればそこから動きの中でも同じように、肩関節を固定し、腕を肩甲骨に引きつけておくことができるようにしていかなければなりません。
このような身体機能があり、基本的な身体操作ができなければ肩に負担がかからない適切なフォームで投げることは難しいことです。

ここまでできて初めて、肩に負担がかからない適切なフォームを身につけることができる土台ができたことになります。
ここからフォームを追求し、自分に合った肩に負担のかからない適切なフォームに変えていかなければ痛みを完全になくすことはできません。

 

今回は野球選手の肘や肩の話をしてきましたがこれは他のスポーツであったりスポーツをしてない一般の方の膝や股関節、腰痛、肩痛などにも当てはまる考え方です。

最終的には痛くなってしまった原因である動きを改善しなければ、また同じように痛くなってしまう可能性は高く残ってしまうということです。
ただ何もせず休んで痛みが無くなるのを待つだけでは完治させることは難しいので、痛みの原因となっている部分にアプローチしてみてほしいと思います。

「なぜ結果がでなかった?」を考える。

スポーツをしていれば、結果が出る時もあれば、出ない時もあります。
野球では、打たれることもあれば、抑えることもあります。
バッター側からみれば、打てることもあれば、打てないこともあります。
野球だけでなくすべての競技に言えることです。
サッカーでもパスが通る時もあれば、パスが通らないこともあります。

結果が出た、出なかったをどう分析して、次につなげていけるかが大切になってきます。
今回は、プロ選手の考え方なので、いつもよりも少しレベルを上げた、話をしていこうと思います。

 

思い描いていたような結果が出なかったり、ミスをしてしまったりした時に、それがなぜそうなってしまったのかを考えなければなりません。
その根本にあるのが、行動を起こす前の物事の捉え方の部分、つまり、「こうしよう」というイメージを創る部分でミスをしてしまったのか、その行動自体にミスがあったのかを見極めることが重要です。

例えば野球のピッチャーが打たれてしまった時に、自分が思った通りのボールを投げて打たれてしまったのか、思った通りのボールが投げれずに打たれてしまったのかを見極めます。
もし狙った通りに投げていたにも関わらず打たれてしまったのなら、それはそのボールを選択したこと自体がミスをしていたことになります。
投げる前のサインを決めた時点で、コースなのか球種なのか、抑えることができると思って創ったイメージが良くなかったということです。

物事をどう捉えるかのインプットのミスと自分の身体をどう動かすのかのアウトプットのミスで分けなければいけません。

「失投した」と言われるような、狙ったところに投げることができずに打たれてしまうのはインプットのミスというよりも、アウトプットの部分でのミスです。
そもそものフォームが悪かったり、タイミングがずれてフォームが乱れたりといった部分の不具合から生じます。
そうではなく、狙っとところにイメージしたボールを投げられたにも関わらず打たれてしまったのなら、それは相手との駆け引きや抑えるイメージをしたそのイメージが良くなかったということです。

バッターで言えば狙ったところにしっかりバットを出せているにもかかわらず打ち取られてしまったのか、そもそも技術が足りずにバットを出そうと思ったところにしっかりとバットを出せなかったのかこれを見極めなければなりません。
バットを狙ったところに出して、捉えたと思ったにも関わらず打ち取られてしまったとしたら、それはアウトプットのミスではなくインプットの部分でミスをしているということです。
バッターのインプットの部分でのミスというのは目から得た情報を脳が錯覚し、ずれてしまっているということです。
ここが改善できなければいくらバットを振って狙ったところにバットが出せるようになっても打てるようにはなりません。

サッカーで言えば、例えばパスを出した時に、そもそもそのパスを出そうとした場所が悪かったのか、もしくは技術的に足りずにそこにパスが出せなかったのかを考えなければならないということです。
パスをする技術が足りなかったのかインプットの部分、つまり想像力や創造性、発想と言われるようなイメージの部分が足りなかったのかを考えなければなりません。

 

上のレベルを目指すのなら、この物事の捉え方の部分とその動き自体、両方を向上させる必要があります。
動きのミスは目で見ればわかるので、すぐに見つかりますが、物事の捉え方の部分は目では見えないので、指導をする場合には、選手との会話の中から見極めていかなければなりません。

何の競技でも相手とのレベルがかけ離れてしまっては物事を捉える部分(インプット)のミスなのか、その動作(アウトプット)でミスをしたのかの判断は難しくなります。
しっかりした技術、つまりアウトプットができなければ物事の捉え方でミスをしているのかが曖昧になります。

極端な例で言えば100キロぐらいのボールしか投げられないピッチャーがプロ野球選手と対戦した時に、配球が悪いから打たれたというのは通用せずに単純に投げる技術が足りないから打たれてしまったのであるということです。
どんなに物事の捉え方の部分が優れていたとしてもアウトプットの技術が低すぎては抑えることは難しいということです。

 

物事の捉え方のレベルを高めようと思ったら、身体を動かす技術が高くすることが大切です。
この相乗効果でスポーツのパフォーマンスは上がっていきます。

上手くいかなかった時にその原因がどこにあるのかを正確に把握し、そこに対してアプローチできればどんどん成長していきます。
どうしても目に見えるフォームや動きの部分ばかりをトレーニングしてしまいますが、高いレベルになればなるほど物事の捉え方の部分が重要になってくるので、早くからイメージを創るレベルを高めるための創造力や感覚を磨いていくことが重要だと思います。

考えてプレーする?考えないでプレーする?

前回、「論理と感覚。」の話をしましたが、どちらもスポーツには大切な能力です。
考えてプレーするのと考えずに直感でプレーするのをどう使い分けるかの話をしていこうと思います。

 

論理的に考えてプレーするということは、今までの経験や知識の中から行動を考えていく。
つまり、記憶したものを並べ替えたり組み合わせたりしているということなので、その能力は記憶に大きく左右されます。
それなので、今までに経験したことがないことやイレギュラーなことが起こると混乱してしまったり、答えを出せなくなってしまいます。
考えてプレーすることばかりだと創造力に欠けてしまい、瞬時に判断することが難しく、プレーのスピードも上がりません。
まだ野球のピッチャーのような自分から動けるような競技では、なんとかなるかもしれませんが、野球の打撃や守備もそうですが、サッカーやラグビーのような常に目の前で起こったことに反応していくような競技では、対応できません。
相手選手の能力も様々で、目まぐるしく変わる状況の中で最適なプレーを選択し決めていくのは、直感に頼らなければなりません。
だからといって、何も考えずに本能だけでプレーしていても、同じ問題を繰り返したり、悪い癖、悪いパターンなどを改善することができないので、両方を上手く使い分けなければなりません。

 

具体的には、
どうしたら上手くなれるのか、成長できるのかを論理的に考えて、フォームを調整したり、練習やトレーニングを行っていきます。
反復することで、段々と考えずにできるようになっていきます。
考えずに無意識でその動きができるようになると、素早く行動に移せるようになるので、パフォーマンスが上がるということになります。
それだけでなく、考えることを止めることで、創造力が働き、感覚は研ぎ澄まされ、直感的な判断で行動することができるので、コツを掴んだり新しいひらめきがあったりします。
この直感で得た創造やひらめきを再び論理的に考えていきます。
直感で得た創造やひらめきだけでは、それが良いのか、悪いのかが分からず、それを評価することができません。
起こったことを評価するのは、論理的に考えることをしなければならないので、論理的に考えて、評価することが必要です。
スタートは、考えることからでも直感で行動することからでも構いませんが、そこから、論理的と直感的を上手く組み合わせながら、何も考えずになんとなくプレーしているレベルを上げていくことがパフォーマンスを上げていくことにつながります。
ハイパフォーマンスは余計なことを考えていない夢中になっているときに発揮されます。
直感と論理の相乗効果を生むことが、パフォーマンスを高めるために重要なことです。

 

指導者は、選手を指導することやアドバイスをすることで、選手が直感を磨くための材料にしてもらい、感覚やコツを掴めるように導いていくことが大切です。
それには、選手が自分の理想と考えている動きと実際の動きの違いをどの程度理解しているのか。
指導者の理想としている動きと選手の理想としている動きとがどの程度同じか。
指導者が言っていることをどの程度感覚に落とし込むことができているのか。
などをコミュニケーションを取り、お互いに共通の認識を持ち、論理的に説明するだけでなく、感覚を伝えるなど選手によって、接し方を変えていかなくてはなりません。
その選手が動きを覚えるだけでなく、感覚やコツを掴むところまで落とし込むことができればパフォーマンスは上がっていきます。
この感覚やコツが掴めなければ、いくら頭で分かっていても、論理的に説明ができたとしても試合でのパフォーマンスは上がりません。
フォーム分析や身体について詳しい専門家やトレーナーが高いパフォーマンスを発揮できるわけではないことからも分かると思います。
多くの指導者は考えさせたり、フォームや動きを教えようと試行錯誤しますが、なかなか選手の創造力や感覚、コツを掴む能力を高めようとはしません。
実際に重要な能力は、効率的に感覚やコツを掴む能力です。

 

選手にとっては論理的に考えるということは、感覚やコツを掴むための手段にすぎないとも言えるのかもしれません。
考える、考えないというのを上手く使い分け、レベルアップにつなげていってほしいと思います。

論理と感覚。

スポーツ選手には、試合や練習、トレーニングなどを行う時に、頭で考えて行動に移す選手と、考えずに感覚や本能に任せて行動する選手がいます。
僕は、この考えて行動するのも、本能や感覚に頼って行動するというのも、どちらも重要なスキルだと思っています。
そんな頭の使い方を考えてみました。

 

頭で考えて行動するというのは、問題を整理することで、仮説を立て、記憶したもの(経験や知識)を並べ替えたり組み合わせたりして行動を決め、それを行動に移していきます。
言葉を話したり、理解して論理的に説明したりする時にも、頭で考えています。
筋道を立てて考えるので、様々なことが複雑に絡み合っていることでも、ひとつずつ整理していくことによって、問題への理解を深め、仮説を立てることで行動を決めていけます。
これは、問題解決や情報の整理など、様々な場面で役立つスキルです。

考えずに感覚や直感、本能に任せて行動するというのは、前置きや仮設などを立てることなく、無意識に行動を決めていきます。
なんとなく決めるということです。
実は、普段の生活のほとんどは特に考えずに行動を決めています。
これは、幼少期から当たり前に身につけているやり方で、素早く行動に移したり、アイデアを出すときに役立つスキルです。
子供は、今の興味だけで行動します。
なぜそれをするのかなど一切考えません。
考えないので、言葉にするのではなくイメージを創ったりもします。

 

この2つのスキルはどちらも大切なのですが、
選手によって考えるのが優位な選手。
直感や本能優位な野性的な選手。
論理と感覚をバランスよく使う選手。
などそれぞれです。
これが選手の個性であり能力、人格、プレースタイルなどにも現れます。

当然、教え方も変わってきます。
考えるのが優位な選手に「ギュッとためてパッと投げればいい」と言ったところでなかなか伝わりません。
逆に、本能でプレーするような選手にロジックを細かく説明してもなかなか理解できません。

 

スポーツ種目や同じ野球でも投手と野手では、その重要度も変わってくると思っています。
野手は投手に比べて、考えずに感覚や直感、本能に頼ってプレーすることが求められます。
投手は情報を整理したり、自分のタイミングでプレーできるのに対して、野手は投手の投げてくるボールを打ち返したり、飛んできた打球に素早く反応してアウトを取ったりと、目の前で起こる出来事に素早く反応して行動に移さなければならないからです。

だからといい、野手は考えて行動するというスキルが必要がないのかというとそうではありません。
逆に、投手は、考えずに感覚や直感、本能に頼るスキルが必要ないのかというとこれも違います。
どちらも重要なスキルですが、比重が違うということです。

 

多くの指導者は、本能でプレーするよりも考えてプレーすることの方が重要であると考えているように感じます。
自由な発想で、ひらめきを大切にするよりも、学校のテストのように答えはひとつで、教えたことを忠実にできるように型にはめるような教え方をする指導者が多いことからも、考える選手は、頭脳明晰で成功確率も高いと考えているのではないでしょうか。

しかし、僕の経験では、プロ野球選手やそれぞれの競技のトップ選手を見ると、それが、必ずしも正しいとは言えないと思います。
なぜなら、何を考えているのかわからないような、感覚でプレーしてるような選手が多くいるからです。
トップ選手は、直感的に決める決断が的確で、高い判断レベルを持っています。
さらに、プレー中は感覚を研ぎ澄まし、その一瞬に持っている力を総動員するような選手ばかりです。

 

この2つの頭の使い方を同時に発揮することはできません。
選手は、場面場面で、考えて動くか、直感や本能で動くかを選択します。
多くの選手は無意識に選択してしまっています。

この選択が的確でなければプレーに支障が出てしまう可能性があります。
例えば、内野手が打球を捕り、1塁にボールを投げる時には、考えずに直感や本能で投げることが理想です。
そこに、投げる途中に、「腕をこう動かして」や「暴投しないように丁寧に」などと考えてしまっては、暴投の確率は上がってしまいます。

 

問題点を解決するには、考えるというのは、とても重要です。
しかし、考えるというのは、今までの経験や知識の中から行動を考えていくので、今までにしてきた動きしか選択できません。
新しいものを生み出したり、新しい発見をすることには向いていません。
論理的に考えたり、データを集めて正確な分析をすることなどが、前例のない問題を解決する過程にあると思いがちですが、前例のない問題を解決するのは、直感的な判断によって生まれるひらめきです。
思考に思考を重ねて脳が一杯一杯になった後、リラックスした状態の時や環境が変わった時などに、潜在意識に埋もれている何かがつながり、直感としてひらめきます。
何かをひらめくというのは、ひらめきやすい状態というものがあり、そういう状態を意識して作り出すことが本能や直感という感覚を高めるスキルと言えます。
このスキルを磨くためには、常識や先入観を頭の中から排除し、考えることを止めなければなりません。

 

論理的に考えることも重要ですが、直感や感覚でプレーすることも重要です。
指導者は選手の個性や考え方、プレー中の頭の使い方などを認識した上で、どう接するのが良いのかを考えていく必要があるのではないかと思います。

スポーツの力

これまでスポーツには様々な楽しみ方があるという話をしてきました。

競技スポーツの魅力
生涯スポーツの魅力
スポーツ観戦の魅力

スポーツには、単純に楽しむということだけでなく、今後の日本の発展に影響を与えることができる力を持っていると思っています。
そんなスポーツの力について考えてみました。

 

まず、これまで書いてきた、スポーツをプレーすることで、自分自身を豊かにしていくことができます。
競技スポーツとして、相手と競うことを楽しんだり、成功や成長を目指すことで努力し、充実感や達成感を得ることができます。
競技スポーツに限らず、スポーツに親しむことによって、他者との連帯感や精神的な充実を得ることにもつながります。
体力の向上、ストレスの発散、生活習慣病の予防など、心身共に健康の維持、増進に大きな効果を得ています。
高齢化社会へと向かっていき、高齢者の医療費の問題は、より大きくなっていきます。
そこで、言われているのが予防医療の重要性です。
日ごろの健康維持にスポーツが大きな力を発揮できることは間違いありません。

それは、高齢者だけに限ったことではありません。
どの年齢でもスポーツをすることが健康増進につながるだけでなく、プレーしなくても、競技スポーツを見たり、スポーツに携わることで、スポーツに打ち込む選手のひたむきな姿や高い技術は、スポーツへの関心を高め、夢や感動を与えるなど、人々の生活を豊かにすることができます。

スポーツ少年団やスポーツクラブ、部活動などは、スポーツを通じた青少年の健全育成という役割も担っています。
スポーツをすることで、身体の健全な発達を促し、体力を向上させます。
身体だけでなく、コミュニケーション能力や自己コントロール能力、思いやりなど、精神や人格を育みます。

適度なスポーツ環境は、子供たちの運動不足や心身のストレスの解消にもつながり、多様な価値観を認め合う機会を与えるなど、青少年の健全育成に大きな力を発揮します。

 

人に影響を与えるだけでなく、地域振興や地方創生にも大きな役割を担っています。
スポーツ産業など経済発展にもスポーツの持つ力を使うことができます。
例えば、プロスポーツチームを地域に密着させることで、そこに人が集まり、人が集まることで、仕事が生まれ、雇用が生まれます。
特に、地方の町からしてみれば、人が集まり、そこでお金を使ってもらうことが、地域の活性化につながります。
一緒に地元のチームを応援したり、スポーツクラブに集まることなどを通じて地域の人々が交流を深めていくことは、地域の一体感を生んだりと大きなエネルギーを生み出します。
地域に愛着を感じたり、連帯感や誇りを持つことが、地域振興や地方創生の土台となります。

アメリカのスポーツ産業の規模を見ても、まだまだ日本のスポーツ産業には発展する余地が多く残されているのではないかと感じます。
スポーツに魅力を感じてもらい、スポーツを発展させることで、スポーツ産業が広がり、それに伴って、雇用が生まれたり、観光産業が広がったりと世の中の経済発展にもスポーツの持つ力を役立てることができます。
人材教育が進むことで、優秀な人間を増やすこと自体が経済発展につながっていきます。
健康増進が進めば、医療費が削減され、これもまた経済発展につながります。

 

スポーツの持つ力として平和と友好ということも挙げておきたいと思います。
「スポーツは世界共通の文化」や「スポーツは世界共通言語」と言われるように、多様な価値観や言葉を超えて、人と人、地域と地域をつなげる力を持っています。
今行われているラグビーワールドカップでも、カナダ代表が台風の被害にあった地域にボランティア活動をしたという話がありました。
それぞれの国は大会期間中に練習や調整を行うために合宿をしています。
合宿地となった地域の人たちが、その国を応援するということもありました。
また、選手もその地域の人たちとの交流を楽しんでいるというニュースも見ました。
このような国際的な親善に役立てることができるのもスポーツの力であると言えます。

 

このようにスポーツの力は多くあります。
にもかかわらず、その力を十分に使えていないのが現状のように感じます。
子供の頃から勝った負けた。
オリンピックでメダルを何個取った。
感動させてくれ。
といったようなことだけではなく、子供の健全育成、人の幸せ、健康、国際交流などを大切にし、もっとスポーツを文化として根付かせることが必要だと思います。

スポーツに携わる人が、スポーツの本質を理解し、スポーツの文化を創っていくという意識を持つことでスポーツがより素晴らしいものになっていくのではないかと思います。

スポーツ観戦の魅力

前々回、「競技スポーツの魅力
前回、「生涯スポーツの魅力
とスポーツをプレーする魅力について考えてみました。
スポーツの魅力はプレーするだけだなく、見るという魅力もあります。
プロ野球は近年、観客動員数がどんどん伸びてきています。
高校野球でも観客動員数は増えています。
今回はその見たり応援したりする魅力を考えてみようと思います。

 

今、アメリカメジャーリーグのプレーオフ、日本のプロ野球のクライマックスシリーズ(プレーオフ)、ラグビーのワールドカップ、等、テレビで見て、興奮しています。
僕は、スポーツをすることも好きですが、見ることもとても好きです。
このスポーツを見るのが好きだったり、楽しいと思っている人が世界中に多くいます。
今の時代は、テレビやインターネットを通じて国内のスポーツだけでなくアメリカやヨーロッパのスポーツを見ることもできます。
アメリカメジャーリーグ(MLB)などアメリカの4大スポーツやヨーロッパのサッカーなどは、放映権が数千億円という額で売られています。
その放映権の値段を見れば、見るスポーツの人気や価値が分かると思います。

 

テレビやインターネットでスポーツを見るだけでなく、スタジアムなど、現地に行き観戦する楽しみもあります。
実際に、現地で競技を観戦すれば、テレビには映っていない選手の動きを見ることができます。
テレビではわからない、競技中の音に触れることもできます。
選手の声もそうですが、その競技によって、音で楽しむことができます。
野球ならボールをバットで打つ音。これは選手の打撃力によって全然音が違います。
サッカーのボールを蹴った時の音もテレビとは違った音を聞けます。
ラグビーでは、人と人がぶつかる音があります。
応援する音もあります。
様々な音を含めて、会場に行けば、テレビではわからない雰囲気を味わったりすることができます。
同じ選手やチームを応援することで、一体感を味わうこともできます。

 

見る人が増えることにより、プロスポーツでは、ファンに見せる役割も大きくなってきています。
試合時間をお客さんが入りやすい時間にしたり、東京オリンピックでは、アメリカの時差を考えて、アメリカの時間に合わせて行ったりと見せることを前提にして行われます。

手に汗握るといったような、夢中になれる時間というのは、充実感を味わうことができます。
仕事や普段の生活から離れ、スポーツを夢中になって見るということが生きがいになるという人もいます。
特定の選手や特定のチームを応援することが生きがいになるという人も多くいます。

スポーツを発展させるには、プレーヤーだけでなく見る人のことも考えなければならないと言えます。
しかし、当然、スポーツはする人がいなければ見ることはできません。
見る楽しみを増やすためには、競技のレベルを上げることは大切なことです。
そのためには、競技人口を増やすことは必要なことです。

スポーツはプレーヤーだけでなくコーチや審判、観客など多くの人の支えがあり、良いものになっていきますが、忘れてはいけないことは、スポーツが結果的に人々に感動をもたらすことがあっても、決してそれは目的にはなりえないということです。
競技に携わる人すべてが、プレーヤーズ・ファーストの考え方とスポーツパーソンシップ(スポーツマンシップ)に則った行動をすることで、選手を育て、スポーツをさらに魅力的なものに変えていくのではないかと思います。

 

今、ラグビーの世界一を決めるワールドカップが日本で開催されています。
来年には、競技スポーツの最高峰といわれるオリンピック・パラリンピックが東京で行われます。
どちらも、競技スポーツの大会であり、日本人だけでなく世界中のほとんどの人にとっては見るスポーツの大会です。
再来年に関西で行われるワールドマスターズゲームズは生涯スポーツの最高峰の国際大会です。
生涯スポーツはスポーツを行うこと自体に目的があります。
そのため、勝たなければ出場権がないオリンピックなどの競技スポーツとは違い、年齢制限はありますが、誰でも参加することができます。(参加したい人はぜひ!!)

立て続けに日本で、世界的なスポーツのビッグイベントが行われます。
競技スポーツ、生涯スポーツ、見るスポーツ、と多くの人にスポーツの魅力を伝え、感じてもらうチャンスです。
それ以外にも、選手をサポートしたり、大会をサポートしたりとスポーツに携わったり、スポーツについて語り合ったりと、それぞれのスポーツの楽しみ方を見つけてほしいと思います。

 

今、スポーツに携わっている人たちの言動が、スポーツの未来を創っていきます。
スポーツの様々な魅力を伝えることでスポーツが発展していきます。
僕も、少しでもスポーツの魅力を多くの人に伝えていけたらと思っています。

生涯スポーツの魅力

前回「競技スポーツの魅力」について書きましたが、今回は、生涯スポーツの魅力について書きたいと思います。
生涯スポーツとは、その生涯を通じて、健康の保持・増進や自己実現、レクリエーションを目的に「だれもが、いつでも、どこでも気軽に参加できる」スポーツのことを言います。

競技スポーツは、より成長することや、より良い成績を目指し勝ち負けを競いますが、生涯スポーツは、健康促進や自己実現、仲間との交流に意味があります。
つまり、「スポーツをすること」自体が目的になるということです。

 

日本のスポーツは、部活動を中心に競技志向にあります。
もちろん競技スポーツも日本では欠かすことができないものですが、もっとライトなスポーツの関りをする生涯スポーツを広げることは、とても重要になってくるのではないかと思います。

競技スポーツではない生涯スポーツやレクリエーションとしてスポーツを楽しむことで、充実した人生を送る手助けになります。

人間は年を重ねるごとに体力が衰え、健康も損なわれていきます。
スポーツを続けることは、体力を向上させ、健康促進に役立ちます。
特に、日本の高齢者医療の問題にスポーツが大きな役割を担っているのではないかと思います。
高齢者だけでなく、現代は、ストレス社会といわれるように、多くの人が、多くのストレスにさらされています。
ストレスと上手く付き合うことは、健康ともつながります。
スポーツを通じて、爽快感や達成感を得ることで、毎日の充実や生きがいに結びつけることができます。
ストレス社会への対策としてもスポーツを楽しむことは、重要な役割を担っています。

 

健康や体力づくりだけでなく、スポーツを通じて、他者とのつながりを作ることもできます。
人と人とがコミュニケーションを取り、地域コミュニティや家族との交流をすることで、人と人との結びつき、支え合いや助け合いを通じて絆を深めることができます。

地域にはスポーツクラブが多く存在しています。
テニスコートや草野球場、フィットネスジム、体育館などで、人々が集まり行うスポーツ活動は、競技スポーツとは異なり、年齢も幅広く、運動能力や体力にも差があります。
そのような人たちが一緒に汗を流し、運動する楽しみを味わうことができます。

スポーツという共通言語を使い、生涯スポーツの場では、普段の生活では知り合う機会がなかなかないような人々とも知り合い、交流することができます。

相手に勝利することを目指すのではなく、健康のためや交流のため、単純に楽しみのために行うのも立派なスポーツと言えます。

僕の周りには、元プロ野球選手だけでなく、部活動などで競技スポーツに一生懸命になっていた選手たちが、今は年齢を重ね生涯スポーツとして草野球を楽しんでいる人が多くいます。
若い時は、しっかり練習し、トレーニングを繰り返し、ひたすらに勝利を目指していた選手たちが、現在は、試合の時だけ集まり、今ある力で野球を楽しみその仲間たちと交流するといったような、競技とは、かけ離れた野球をしています。
中には、草野球を生きがいに、仕事のモチベーションを保っているような人もいます。
スポーツの歴史を辿ると、元々は、日常や仕事を離れた遊びがスポーツの始まりなので、このような生涯スポーツが本来のスポーツの姿とも言えるのかもしれません。

 

どんな選手でもいつかは、競技スポーツから生涯スポーツに切り替えるタイミングが来ます。
競技スポーツは、上のレベルになればなるほど、技術やパフォーマンスの向上を目指し、自分の身体の極限へ挑戦していきます。
そのために競技スポーツは健康を害するところまで自分の身体を追い込んでしまう危険性があります。
だからこそ、競技スポーツの現場には、生涯スポーツの現場にはいない、選手にブレーキをかけられる冷静な指導者が必要であると思います。
僕の考えとしては、競技スポーツで燃え尽きてはいけないし、怪我や故障で将来そのスポーツができなくなるのは避けなければならないということです。
スポーツは生涯にわたってプレーされるべきだと思っています。

 

近年は、スポーツをやる環境が変化してきています。
テクノロジーが発展し、IT技術や交通手段が発達し、身体運動の機会が減ってきています。
そんな時代だからこそ、ぜひ、多くの人に、自分の人生をより良いものにするために、何かしらのスポーツをする習慣を持ってほしいと思っています。

競技スポーツの魅力

今、日本ではラグビーのワールドカップが行われています。
陸上の世界選手権である世界陸上がカタールのドーハで行われています。
来年には、東京でオリンピックが開催されます。
これらのスポーツの大会は、選手たちが日頃の練習やトレーニングの成果を競い合うことを目的とした競技スポーツの大会です。
僕自身も野球というスポーツを競技として長くプレーしてきました。
そんな競技スポーツをする魅力について考えてみました。

 

競技スポーツをする魅力は、スポーツを通じて楽しみや喜びを得ることができるということに尽きると思います。

競技の1番の楽しさは、競争する楽しさではないでしょうか。
野球やラグビー、サッカーのような球技でも世界陸上で行われているような種目でも、体操のような採点種目でも、決められたルールに則って、プレーしなければなりません。
普段の生活には存在しない、スポーツだけに通用するルールを守りながら競争します。
どちらのチームが相手よりも多くの得点を入れることができたのか。
誰が最も早く走ることができたのか。
誰が最も遠くまで物を投げることができたのか。
など、その瞬間に緊張し、全力を出し、どちらが優れているかを競い合うことで、すべてを忘れて夢中になれるところに、競技の楽しさがあります。

 

それだけでなく、今までよりも成長したい。
パフォーマンスを少しでも高めたい。
今までできなかったことをできるようにしたい。
といったような少しでも高みを目指し努力を重ねることで、充実感や喜びを得ることができます。
相手を抑えるといったように、他の誰よりも良い成績を残すことを目指します。
そのために、もっと速い球を投げられるように、もっとコントロールよく投げられるようにといったことを目指して努力を重ねます。
陸上選手なら、100分の1秒でも記録を縮めたい。
体操選手は、まだ誰も成功したことのない技に挑戦したい。
などと以前の自分よりも優れた状態にすることを目指します。
今までの自分に挑戦すること自体が、喜びとなります。

 

どんな優れた選手でも、最初にボールに触れた瞬間から一流選手のように打ったり投げたりできるわけではありません。
野球に限らず、どの競技でも、最初から理想のフォームで投げたり、打ったり、跳んだり、走ったり、泳いだりできるわけではありません。
選手は時間をかけて試行錯誤を繰り返しながら、理想のフォームやプレーを身につけていきます。
自分が思い描く、身体操作ができるように学ぶことで、できなかったことができるようになったり、自分が理想とするフォームを身につけたりすることができます。
自分自身の身体を変えていくことにも喜びを得ることができます。

 

選手にとっては達成感も喜びのひとつです。
たとえ試合に勝てなくても、自分で目標を立て、それに向けて努力を重ね、自分で納得できる結果を得られたとき、達成感を得ることができます。

競技スポーツではすべての人が勝利できるわけではありません。
優勝した選手以外は負けることを経験します。
たとえ負けたときでも、自分が精一杯の努力をして全力で戦ったならば、達成感があります。
達成感からなる喜びは、苦労や困難を克服したときに味わえる喜びです。
この達成感は、チームや集団で味わうこともできます。
僕は、抑えのピッチャーというポジションを経験しましたが、他の選手がつないでくれたことにより、出番が巡ってきます。
そこで抑えた喜びは、自分だけの喜びではなく、チームメートやそれをサポートしてくれた人たち全員の喜びになります。
喜びを分かち合えることも競技スポーツの大きな魅力のひとつです。

 

どの競技でもトップ選手たちは、人々に素晴らしいパフォーマンスを見せてくれます。
それは、その選手が、より良い成績が残せるよう、高みを目指し努力を重ねることで生まれます。
プロスポーツになれば、結果も大切になりますが、競技スポーツの魅力は、努力の過程があってこそで、成長を目指して行動し、自分自身の身体を変えていき、達成感を得ることで、自分自身の存在価値を示していくところにあると思います。
スポーツを競技として行うことは、自分と向き合い、自分を成長させることにつながるということも魅力のひとつだと思います。

確率を考える。

前回の投稿で確率の話(実力?運?)をしましたが、試合で成功する確率をどう上げていくかを考えながら、普段の練習から取り組むことが大切です。
今回も確率を考えてみたいと思います。

 

野球だけでなくスポーツは勝つか負けるか。打つか打たないか。抑えるか抑えないか。のように結果が明確にわかります。
このように結果が明確だと、どうしても人はそこに運があったとしても、もっと納得しやすい他の原因を見つけてこようとしてしまいます。
運による影響に目をつぶり、別の因果関係を過大に評価してしまいます。
成功も失敗も、ある程度は運的なことがあるということを理解することは必要です。
もちろん結果が出ればそれなりの要因があり、結果が出ないのも出ないなりの要因はあります。
しかし、そこには偶然の働きもあったはずです。
だからこそ、成功や失敗も、すべてはできる限り確率的に捉える必要があります。
実力がない打者でもたまたまヒットを打つこともあります。
どんなにいい打者でも、打ち損じることはあります。
初心者のような悪いフォームでも狙ったところに投げられる場合もあります。
逆に、適切なフォームを身につけた一流の選手でも狙ったところに投げられないこともあります。
しかし、両者が狙ったところに投げられる確率には大きな差があります。
これらを確率的に捉えることができなければ、実力を正確に判断することができません。
この自分の実力を正確に判断できるのも能力のひとつです。

 

成長できない選手によく見られるのは、うまくいった要因を自分に求めたがります。
その要因が相手であったり偶然のおかげだとは思いません。
一方で、失敗については自分以外にその要因を求めたがります。
「うまくいったのは自分のおかげ、うまくいかなかったのは他人のせい」といった感じです。
成功は自分のおかげと考えることで、前向きな自信を維持できるということもあります。
また、うまくいかなかったのは自分以外の要因のせいと考えることで、そのことに対していちいちくよくよしないで済むという利点もあります。
しかし、運の要素を度外視した、自分の実力を測ることができなければ、成功を続けるということは難しいと思います。

運による成功に対しても自分の貢献度を過大に評価し、たまたま、うまくいった自分のやり方を絶対視してしまったり、反対に、結果が出ないことが続いたときには、「今はたまたま運が悪いだけだ」と考えるだけで、自分のやり方を変えようとは思わず、そこから学ぶことができなくなってしまいます。

そのような選手に多い特徴として気持ちや気合で乗り切ろうとします。
道を切り開くには、気合を入れて努力することは必要なことです。
大きな成果を出すためには、苦しいときに諦めずに努力を続け、チャレンジを続けていくことは重要です。
しかし、それも現状を正確に判断して、適切な方向に努力を積み重ねる場合の話です。
今までのやり方が通用しないときに、やり方を変えずに気合だけで乗り切ろうとしても、その方向が適切でなければ、その努力は報われないものになってしまいます。

成長しないチームの特徴として、苦境になればなるほど、気合に頼ろうとする傾向が強くなっていきます。
文句を言わず、良い結果だけを信じて、一致団結して悪い状況を打破しようと考えます。
うまくいっていないのなら、まずは、今までのやり方がうまくいかない状況にきているのではないかと考えるべきです。
方向を決め、そこに努力を傾ける必要があります。
気合に頼る精神論は、そうした方向性の修正をなかなかしないために、的外れの方向に努力を重ねる結果につながってしまいます。
過去にたまたま成功したことが、そのやり方を正しいと思い込み、新たな状況に適応できなくしてしまいます。

 

スポーツである以上、相手がいることなので、うまくいくこともあればいかないこともあります。
そこには、少なからず、運も存在しています。
運が存在しているからこそ、確率を高める努力をしなければなりません。
成功、失敗両方から学び、次につなげていくという姿勢が成長につながります。
結果だけに左右されずに、もっと本質的な部分を評価していくことが重要です。

運が存在するということを理解して、成功する確率を少しでも上げていけるように努力をすることが大切だと思います。

実力?運?

野球は確率のスポーツと言われていますが、運の要素が多いスポーツとも言えると思います。
だからこそ、運の要素をなるべく減らせるように、プロ野球ではシーズンを143試合と多くの試合数をするのではないでしょうか。
そんな確率の話をしていきたいと思います。

 

例えば、ジャンケンをして勝つ確率は5割です。
負ける確率も5割です。
勝敗は運によって決まります。
ジャンケンを5戦した時の勝ち負けを表してみました。
「○●○○●」
「●●○●●」
「○○○○○」
ジャンケンを5戦した時の勝率は毎回変わると思います。
5戦だけでは、5連勝の勝率10割も考えられます。

「○●○●○●○●○●」という10戦の勝敗を見て、11戦目の勝敗を予想すると「○」と思い込む人が多くいるのではないでしょうか。
しかし、11戦目の勝率も5割です。
「○●○●○●○●○●」のように勝ち負けが交互に続く確率も「●●●●●●●●●●」と10連敗になる確率も実は同じです。
常に次の勝負の勝ち負けは五分五分であるということです。
10戦だけでは勝率5割から大きく離れることもありますが、勝負の数が増えれば、勝率は5割に近づいていきます。

ジャンケンとプロ野球が同じとは到底言えませんが、今年のプロ野球は全球団が勝率4割~6割の中にいます。
大型連勝や大型連敗が多くなるのも野球の勝敗には運の要素が多くあるという証でもあるのではないでしょうか。

 

次は野球の打者の打つ確率を考えてみたいと思います。
プロ野球の打者でいえば、例えば、今年のここまでの打率が3割の選手が今日、打席に立ったとします。
しかし、その打席でヒットを打つ確率は、3割とは言えません。
投手との相性、打者の調子、環境、状況、運、など非常にたくさんの要素によって、打つ確率が決まります。
どんなに会心の当たりを打とうがそこに野手が守っていて捕ってしまえばアウトです。
当然、相手のバッテリーも球種別の打率やコース別の打率など、様々なデータを頭に入れています。
それを踏まえ、抑える確率が高いであろう配球をしてきます。
野球の面白いところは、投手がボールを投げる前は確率しかありません。
実際に投球した後には、結果しかありません。
確率の厄介なところは、実際に結果が出てしまうと、確率が意味を持たなくなってしまうということです。
しかし、結果を多く積み上げていくと、そこには再び確率が現れます。
それがシーズンの打率であり、対戦成績です。

確率のスポーツと言われる野球をするには、未来を予測して上手くいく確率の高いプレーを選択することはとても重要なことです。
先に起こることを確率的に捉えながらプレーする必要があります。
しかし、運の要素が多く、相手もいるので、一回一回の結果ではなく、パフォーマンスや長い目で見たトータルの結果でその善し悪しが判断されなければなりません。
判断材料を増やし、トータルで見ることが、運に対処するためには必要なことです。

 

未来をすべて予測することは難しいですが、未来には、予測可能な未来と予測不可能な未来とがあります。
例えば、技術や知識は未来の予測を可能にします。
今回の夏の高校野球の話題を呼んだ、佐々木朗希選手のドラフト1位指名は予測できます。
しかし、クジ引きになった時に、どこの球団がそのクジを引くかは予測できません。
すべてを予測しようという考え方ではなく、予測可能な未来においては、できるだけその精度を高められるように、全力で努力をしていくということです。
能力や技術を向上させることで、活躍できる確率を高めることは可能です。
しかし、相手がいることや運的な部分は予測ができません。
予測できる未来にアプローチせずに、見逃していたのなら、それは改善しておく余地がありますが、運が多く存在する場面では、上手くいかない出来事が起きたときに、いかに冷静に、いかに柔軟に対処できるかということが重要です。

 

すべての予測は、未来に起こることの、当たる保証のない仮説のひとつにすぎないということです。
予測が当たらないことが問題なのではなく、予測できないことに予測することで対処しようという考え方があまり良い考え方とは言えません。
自分自身を磨くことで、未来の可能性を広げようと考えることが、未来の予測の確率を上げることになるのではないかと思います。

スポーツ、身体活動、体育、武道。

スポーツ、身体活動、体育、武道を混合して語られることが多くありますが、実際は、これらはまったく異なる行為です。
今回は、そのスポーツ、身体活動、体育、武道の説明をしていきたいと思います。
目的を考えたら違いが分かると思いますが、スポーツ、身体活動、体育、武道のどれが1番良いのかということは言えません。
すべて、重要な役割を持っていて、それを行う人の価値判断によります。

 

スポーツ(SPORT)
スポーツは、もともと日常生活の労働から離れることを意味していたことからも、自ら楽しむもので、強制されて行うのではなく自らが判断して行うものです。
スポーツとは、難しいものではなく、「遊び」と「真剣さ」のバランスによって成り立つ、「ルールのある遊び」とも言えます。
人間が楽しみを求め、より善く生きるための自発的に行なう身体活動であり、ルールの中で、自由な能力の発揮と挑戦を試み、スポーツパーソンシップに則って行います。

 

身体活動(Physical Activities)
人が安静時よりも多くエネルギーを使う行為を身体活動と言います。
身体活動=運動+生活活動にまとめられます。
運動とは、身体活動のうち、体力の維持・向上を目的として計画的・意図的に実施するものです。
例えば、散歩をしたり、ジョギングをしたり、ジムやフィットネスクラブで行うトレーニングなどが運動です。
当然、野球、サッカー、バスケなどのスポーツも運動と言えます。

生活活動とは、身体活動のうち、運動以外のものを言います。
例えば、掃除機をかける、洗濯物を干す、などの家事。子供と屋外で遊ぶなども生活活動です。
通勤、営業の外回りもそうですが、荷物を運んだり、階段を上り下りしたりもそうです。
農作業、などの仕事上の活動なども生活活動です。

 

体育(Physical Education)
「Physical Education」とは、日本語に訳すと身体教育になります。
身体教育なので、身体を動かしながら、身体的動作や行為、他者との身体的関係性を学ぶことです。
それだけでなく、身体の構造や機能を知るために学ぶことも体育です。
「体育」は、学校教育が中心で行われているので、身体の向上と健康の促進が目的であることは、授業を通じて経験してきていると思います。
体育は心身鍛錬や集団訓練、軍隊教育などのために行われてきたという歴史があります。
軍隊教育では、戦争に勝つために兵士の身体を強くすることが目的で行われていました。
そのため、指導者(上官)が主導権を握り、その指示に従いながら、規律を守り訓練に耐えることが求められていました。

 

武道
「武道は、武士道の伝統に由来する日本で体系化された武技の修錬による心技一如の運動文化で、心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、人間形成の道であり、柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道の総称を言う。」(日本武道協議会より)
つまり、武術・武芸の修業を通じて自制を保ち、欲望や怒り等を消し去り悟りを得ることを目的として行うのが武道です。

 

このように考えると、スポーツ、身体活動、体育、武道は混合されて言われていることが多くありますが、それぞれ違いがあるということがわかると思います。

例えば、自宅周辺をただジョギングすることや野球ボールを持ってただ壁当てを行うことは、身体活動です。
そこから身体の構造や機能、健康概念に基づきジョギングの効果を学び教えることは体育です。
スローイングのメカニックや身体機能を学び、それを踏まえてより速い球やコントロール良くボールを投げることも体育と言えます。
さらに、ジョギングを5km走の競技として発展させルールを創り、より多数の人間がそのゲームに参加し競い合うのがスポーツです。
ただ投げるだけではなく、そこに打者がいて、打たれたボールを守る野手がいて、ルールに則って勝敗を競うのが野球というスポーツになります。
スポーツには他者がいるとも言えます。

 

身体活動も体育もスポーツもどれも重要な役割を持っているということです。
体育とスポーツは異なりますが、体育がいらないというわけではなく、目的としているものが異なるということです。
それぞれの違いを理解し、何を目的にしているのかを考えることで「より善く生きる」ということにつながるのではないかと思います。

ただ、スポーツ、身体活動、体育、武道、どれも共通して言えることは「継続は力なり」ということです。
継続して行うことで、心身ともに変化していき、自分の人生を豊かなものにしていけるのではないかと思います。

成長期の怪我。

現在、僕自身、多くの成長期の選手を指導しています。
早い子では、小学生高学年くらいから一気に身長が伸び始めます。
かなり個人差はありますが、その時期が中学生、高校生の選手もいます。
成長期には、成長痛を含め、怪我のリスクが高くなります。
そんな成長期の障害の話です。

 

僕は、周りの人に比べ、成長が遅かったので、身長が急激に伸びたのは中学生から高校生にかけてでした。
その間に成長痛で苦しんだという記憶はありません。
身長が174センチとあまり高くないので成長痛にならなかったのかもしれません。
鈍感で気がついていないだけかもしれませんが・・・。

急激に身長が伸びると怪我のリスクが高くなります。
なぜかというと、骨と筋肉の成長度合に違いがあるからです。

骨の方が早く伸び、その後に筋肉がそれに追いついていきます。
そのために、骨の長さと筋肉の長さに差が出てしまい、筋肉は普段から引っ張られた状態になります。
筋肉は引っ張られているので、硬くなり、柔軟性が低下します。
そうすると可動域が狭まり、怪我や故障のリスクが高くなります。
それだけでなく、骨自体もまだ未成熟のため、関節付近の骨はまだ軟骨成分が多く、大きな負荷に耐えられません。
競技によって、痛めやすい部分は変わってきますが、どの競技をするのにも注意が必要です。
野球では、肘の故障、肩の故障は多く見られます。
膝や腰、足首を痛めるケースもあります。
骨や筋肉、関節、腱などを痛めやすく、筋肉に骨が引っ張られ、その骨が剥がれ、疲労骨折になってしまうこともあります。

この身長が大きく伸びる成長期は、親や指導者は特に注意が必要で、無理をさせないようにしなければなりません。

僕の感覚では、背の高い選手ほど成長痛になりやすく、痛みを訴えてくることが多いように感じます。
個人差がかなりあるので、練習量や強度を上手くコントロールしながら、個別にメニューを組むことが良いのではないかと思います。
痛みが出ていなくても予防の意識を持ち、ストレッチを多めに行うなどして、成長期に備えることも大切です。
野球は典型的ですが、多くのスポーツが身長の高い方が有利になります。
それなので、身長の伸びが止まるまでは、少しでも身長を伸ばすことができるように努力するべきだと思います。
身体を上に大きくすることは、成長期しかできないことですが、横に大きくすることは、何歳になってからでもできます。
たしかに、野球などのスポーツでは、体重を増やせば、試合で結果を残せる確率は上がると思いますが、優先順位の上にあるのは、身長を伸ばすことだと思います。
体重を増やして、見た目を大きくしても、骨はまだまだ未成熟です。
特に、膝や足首など体重を支えなければならない箇所は、重たい上半身を支えるために、関節痛や疲労骨折を起こす可能性が高まります。

運動、栄養(食事)、休養(睡眠)のバランスを取り、身長を伸ばす努力をするべきというのが僕の考えです。

 

成長期に起こる障害は、気をつけていても完全になくすことは難しいことです。
もし痛みが出てしまった時は、無理をせずに専門家に診察してもらうことが必要です。
実際に、どのような状態になっているのかを知ることで、より適切なリハビリメニューを組むことができます。
どの程度の休養が必要なのか、どの程度の練習までならしていいのか、このようなことは診察を受けなければ、なかなか判断することができません。

無理して練習や試合に出場させるよりかは、今できることを全力でやる方が、選手のためになると思います。
しっかりとした目標を立て、計画的にトレーニングすることで、早く復帰できるようになるだけでなく、再発防止にもなります。
考えればできることはたくさんあります。
自分の身体と向き合いながらできることを全力で行うことは将来必ず役に立ちます。

 

成長期には、怪我のリスクは高まりますが、大きく成長できる時期でもあります。
身体も成長しますが、考え方や精神的にも大きく成長します。
成長期という大切な時期を無駄にしないように、大人がブレーキをかけながら、目先のことだけでなく将来を見据えて過ごしてほしいと思います。

過労。

トレーニングは、日常の身体活動のレベルより大きな負荷の運動をすることによってトレーニング効果が得られます。
しかし、大きな過負荷を続けると同時に、疲労回復に必要な栄養と休養が不十分であった場合には、パフォーマンスやトレーニングの効果が低下してしまいます。

疲労を上手くコントロールできずに過度の疲労である「過労」となってしまう選手がいます。
今回はその「過労」についての話をしたいと思います。

 

成績が残せずに、調子が上がらないのを、コンディションが原因であると考え、調子を上げるためにさらにトレーニングに励んでしまい悪循環に陥っていく選手がいます。
特に、真面目で責任感があり、練習熱心な選手が「もっと頑張らなくては」と自分を追い込んだ結果としてそうなってしまいます。
過剰なトレーニングが長時間続くことによって疲労が徐々に蓄積し、回復できなくなり、疲労が抜けない状態になってしまうと、いつも通りパフォーマンスを発揮できなくなってしまいます。
筋力の低下や持久力の低下はわかりやすいですが、投球時などでは連動性が落ち、出力が低下します。
集中力が低下すればイライラしたり、思考力が落ち、判断力も鈍ります。
そうなるとトレーニングで得られる効果も少なくなります。
身体が疲労すれば障害リスクも上がります。
さらに酷くなれば日常生活でも身体が重く感じたり、食欲が低下したり、体重の減少などが起こります。
不眠や不安、集中力低下などの精神的な症状がでることもあります。

 

毎日頑張って練習やトレーニングを行っているにもかかわらず、効果が上がらない。
それどころか、逆に調子が悪くなってパフォーマンスが低下してしまうという選手をプロ野球の世界でも何人か見てきました。

選手のコンディションを決めるのはトレーニングだけではありません。
トレーニング以外にも食事(栄養)、休養(睡眠)、精神状態、なども影響します。
それらは、他人に管理してもらうことはなかなかできないので、自分で意識してコントロールすることが大切です。
ついついトレーニングに目がいきがちですが、その他の要素にも十分、気を配るようにしなくてはなりません。

そこで、疲労が蓄積し過ぎてパフォーマンスが上がらなくなってしまう要因を考えてみました。
まず考えられることは、トレーニング量が適切ではないということです。
強度と回復期間のバランスが崩れてしまい回復が間に合わないことです。
トレーニング負荷に見合うエネルギーを摂取することができない、休養、睡眠が十分ではないと回復にも影響します。
急激なトレーニング負荷の増加も身体が対応できずに疲弊してしまいます。
練習やトレーニングだけでなく、試合が続いたりすることも、身体の負担になります。
単調なトレーニング内容が続くことも肉体的にも精神的にも疲労しやすくなります。
家族や指導者からの期待や記録への期待などが高くなれば精神的なストレスになります。
競技とは関係のない家族、友達、恋人、などが精神的ストレスとなり疲労となることも考えられます。
仕事や学校などの生活でも疲労は起こります。
風邪をひいている時や体調不良の時では、また違ってきます。
当然、気温が高かったり、湿度が高かったり、環境でも疲労は変わってきます。

このような要因が考えられますが、個人差がかなりあり、同じことをしていても全く問題ない選手もいれば、過度の疲労となってしまう選手もいるということを頭に入れておく必要があります。

 

ちなみに、プロ野球で長く活躍している選手は、これらの負荷に異常に強いということが言えると思います。
練習量も多いですが、食べる量も多い。
単純なトレーニングを毎日続けられ、毎日試合をする体力、精神力を兼ね備えています。
プレッシャーを力に変える能力も持っています。
だから、僕はプロ野球選手を例外と考えることが妥当だと思っています。

とはいうものの、同じ人間であるので近づくことは可能だと思います。
例えば、自分自身を良く知るために練習日記やパフォーマンスの記録をつける。
そうすることで、練習やトレーニング内容をより適切に設定でき、練習量をコントロールしやすくもなります。
自分を客観視できるようになれば、その日のコンディションを自覚でき、精神の緊張とリラックスのバランスを保つことにもつながります。
もっと細かく、食事や水分摂取を把握することで、エネルギーや炭水化物、たんぱく質などの栄養を適正量摂取できるようになっていきます。
睡眠の質や量もコントロールできます。

これらを習慣にできれば、疲労と上手く向き合える選手に近づきます。
疲労を上手く使うことで、身体も精神も成長させることができます。
そのためには自分にとってどこまでが適正な疲労で、どこからが過度の疲労である過労になるのかを把握する必要があります。

 

普段から自分の体調をチェックする習慣を持ち、どこからが休み過ぎなのか、あるいは休みが少なすぎるのか。
どれだけ追い込んだら負荷のかけ過ぎなのか、あるいは足りないのか。

自分自身の能力や経験、体調、あるいは天候などを考慮し、自分で適正な負荷を決めていけるようになることも磨かなければならない能力だと思います。