大人と子供。

大人と子供では、考え方が違います。
歳を重ねるごとに思考も変わってきますが、そこには個人差もあります。
思考の成長度合いの個人差は、5歳差あると言われています。
例えば、同じ10歳でも、12歳くらいの子もいれば、8歳くらいの子もいます。
さらに、3月生まれと4月生まれでは約1年の差があるので、上と下で1年ずつプラスして考えると、同じ学年でも7歳くらいの差があってもおかしくありません。

そのことを踏まえて子供たちと接していく必要があると思います。

 

まず知っておかなければならないことは、子供が何かをする動機は「楽しいから」です。
例えば、野球の練習をする理由も楽しいからです。
大人になれば「この目標を達成したい」「成長したい」という動機で何かをすることができますが、子供はそうではありません。
目の前の興味で行動します。

それだけでなく「チームのために」ということも理解できません。
「チームを勝たす」「負けたくない」といった意識よりも自分が「打ちたい、抑えたい」という考えでやります。
まず理解できるのは「自分のために」だけです。
だから、チームワークは、みんなで揃ってやチームのためにではなく「自分のために一生懸命やること」がチームワークと教えるべきだと思います。
その中で少しずつ「自分がどうしたら上手くなるか」「どうしたら成長できるか」といったことを教えながら、他人の意見や価値観を尊重し、耳を傾け、お互いに卓越性を追求するということを理解できるようにしていきます。

また、子供は「努力」すれば「勝利」が近づくという「努力」と「勝利」を結び付けて考えることができません。
例えば、子供に「遅刻するから、早く準備して」と何回言っても子供は急がずにゆっくり、といったような経験があると思います。
それは、未来と今を結び付けられないからです。
大人は論理的に未来を見通し、現在の行動における結果を予測できるのですが、子供はそれができないので「今急がないと、後々の行動に影響がでる」「今急がないと、他の人に迷惑がかかる」といった因果関係を理解できません。
言って急ぐのは「言われたから」や「怒られたから」という理由です。
未来と現在を結び付けられないので、勝つために練習するということも理解できません。
「練習しろ」「勉強しろ」「早くしろ」と命令したり、「それじゃ無理」「そんなんじゃ失敗する」と否定したりすることよりも、子供の発想で経験を積ませることの方が、子供の成長につながります。

「負けて悔しくないのか」「チームのために動け」「勝つために練習しろ」と言って動くのは、それを理解しているわけではなく「コーチが怒るから」「コーチに言われるから」といったような動機でやっているだけだと思います。
このように言うことは、子供の成長を妨げます。
それだけでなく、こうした関わり方をすればするほど、脳が育っていかないので、集中力のある子に育っていきません。

中学生くらいになれば理解できるようになってきますが、1人1人成長度合いが大きく違うので、それぞれの個性に合わせて接することが大切になります。
ゴール(目標)に向かって行動すれば、成長できるということを、少しずつ理解させていくことが重要です。

自分で考えて行動に移すことや失敗の体験をさせずに、手っ取り早く結論や成功ルールを導き出す方法を教えることは、過程での経験を積めず思考が育ちません。
考える経験を十分にさせないで先に教えることは、創造性が育たず、新しいことを見つけたり、人と人との関係の中で、上手に生きたりしていくことができる人には、なりにくいと思います。

 

子供にとって今やるべきことは何なのか。
どのようなやり方が子供の将来のためになるのか。

日々研究が進み、今までのやり方より、もっと効果的なやり方が出てきたり、分からなかったことが証明されたりしてきています。
親や指導者の我慢強さや知識が子供をより成長させることになると思います。

スポーツセンシング、感覚

前回の投稿で「センスのある人の記憶」(スポーツセンシング、記憶)について書きました。
センスのある人とない人の記憶に、大きな差があるということは、感じることができたのではないでしょうか。

記憶だけでなく、「感じとる感覚」にも、非常に大きな差があります。

今回は「センスのある人の感覚」について考えてみたいと思います。

 

優れたスポーツセンシングを持った選手の感覚は想像以上です。
おそらく、この投稿を読んでくださっている方たちの想像をはるかに超えているのではないかと思います。

優れたスポーツセンシングを持った選手は、とんでもなく感覚が研ぎ澄まされています。

プロ野球選手のバッターを例に説明すると、
一流のバッターは、バットにかなりのこだわりを持っていますが、木製バットの素材をアオダモは柔らかくしなりやすく、メープルは硬くてしなりにくいと言います。
しかし、あんなに硬い木製バットがしなったとしても1ミリにも満たないのではないかと思います。
それをよくしなるやしならないと感じています。

それだけでなく、ボールを打ったとき、バットによって、バットとボールがくっついている時間が違うという表現もします。
アオダモは柔らかいので、バットとボールが接地している時間が長く、その時に後ろの手で押し込む、などと言います。
バットとボールがくっついている時間なんて、ほんの一瞬でしかありません。
そのくらい感覚が研ぎ澄まされています。
その研ぎ澄まされた感覚は、バットを通しても感じられているところからも、バットと一体になっているとも言えると思います。

ピッチャーでは、リリースの直前で「これはボールが抜ける」や「これは打たれそうだ」というのを感じ、ボールを押さえつけたり、直前で対応したりしています。
ゴルフでも、プロゴルファーがスイングの途中に打ち損ねるのを感じとり、スイングを微妙に変化させたりする、と聞いたことがあります。
陸上選手は風を感じて走ると多くの選手がコメントしています。
水泳でもプールと一体になっている感じと言います。

優れたスポーツセンシングを持った選手がプレー中に感じていることは、一般人の想像をはるかに超えています。

 

一流ピッチャーが「今日はフォームを変えて投げた」ということがよくあります。
しかし、はたから見たらまったく違いがわかりません。
感覚が優れているので、ほんのわずかな違いをとても大きな違いに感じています。

これはバッターも同じです。フォームを微調整したと言っても、ほとんどの人は、気がつかないくらいわずかな違いです。

でも、同じレベルかそれ以上のセンスを持っている人は、その違いに気がつくことができます。
わずかに変わったタイミングや動きを見て、ピッチャーはバッターの狙い球を予測したり、バッターはピッチャーの球種やコースを判断しています。

ピッチャーは、例えば「チェンジアップを投げる時、着地の瞬間に膝の力を抜く」「スライダーを投げる時、身体の開きを一瞬我慢する」などといったような、それぞれ独自の感覚を持っています。
しかし、どんなに映像で見比べても同じフォームで投げているようにしか見えません。
誰も気がつかないくらいのほんのわずかな違いで球種を投げわけています。
もし、これが、ピッチャーよりもバッターの感覚(センス)の方が優れていれば、フォームから球種がわかってしまいます。

例えば、ボクシングでは、相手がパンチを打ってくる時のわずかな初動や雰囲気を感じとり対応しています。
決して右のパンチを右手の動きだけを見て対応しているわけではありません。

卓球も、球だけを見て、返してるわけではなく、相手の身体の動きやラケットの振り始めのわずかな違いを感じとり対応しています。

サッカーの一対一の場面でも、わずかな重心の移動を感じとって相手を抜いていったり、逆に、わずかな動きからこれはフェイントだと感じ、フェイントにかからずにボールを奪ったりします。

人それぞれ感じとれる感覚の違いがあるので、もしそれが、本人は感じとれないわずかな差が、相手には感じとれる差であれば勝負は見えています。

 

前回の「記憶」と合わせて考えると、優れたスポーツセンシングを持った人は、感覚が研ぎ澄まされ、そこから仕入れた情報をどんどん記憶していくので、同じことをしていてもどんどん成長していきます。
感じとる力が違うので、わずかな動作を修正し記憶していくので、教えられたことを、自分の感覚に変えて記憶します。
トレーニングでも、感覚に優れているので、細かく意識できたり、より正確な動きができるだけでなく、動作を記憶する能力もあるので、効率よくトレーニングできます。

「なんでわからいの」「なんでできないの」というのは、スポーツセンシングが低いからです。
でも、スポーツセンシングは、鍛えることができる能力なので、鍛えることで、人の可能性は広がっていくと思います。
「記憶」「感覚」だけでなく他にも得られることが多くあるので、スポーツセンシングを身につけることは、とても重要だと思っています。

スポーツセンシング、記憶

僕は、以前から「センスを鍛えることをしなくてはならない」「優れたスポーツセンシングを身につけなければ、上のレベルにいけない」と言ってきました。
そのくらい、スポーツセンシングの差は、大きな差だと思っています。
同じ練習を同じ量しても、スポーツセンシングの能力の差で、結果に大きな差がつきます。
スポーツセンシングを持たない選手が、どんなに練習しても、優れたスポーツセンシングを持つ選手に勝てない、というのが僕の経験から感じることで、僕の考えでもあります。
現実に、アマチュア選手と比べて、センスがないプロ野球選手を見たことがありません。

今回は「センスのある人の記憶」について考えてみました。

 

「センスの差を練習量で埋めることは現実的ではない」という理由を「記憶」という観点から見てみます。

例えば、ある選手(A投手)が、ピッチング練習を50球したとします。
それを、後から振り返った時、A投手は、1球目から50球目まで、何の球種をどこのコースに投げたのか、すべて覚えていました。
同じように、別の選手(B投手)がピッチング練習を50球したとします。
それを、B投手が後からそれを振り返った時に、最後の1球だけ覚えていました。
そうしたら、このA選手とB選手の、この練習で覚えられた差は、50倍あると言えます。
単純計算で、B投手がA投手と同じ効果を出すには、2500球投げなくてはなりません。

これは練習だけでなく試合でも同じです。
優れたスポーツセンシングを持った選手は、試合で投げたボールすべてを記憶しています。
「あのバッターの時は、こういう配球をして、こう打ち取った」というのをすべて覚えています。

プロ野球の先発ピッチャーは、試合前のブルペンでの投球練習も記憶しています。
このボールの後は、この球種を、このコースに投げた、というのを覚えています。

これはまったく大袈裟な例ではなく、よくある例です。
僕も現役時代、その日を振り返った時に、投げたボールすべてを、思い出すことができました。
しかし、ピッチング練習の最後の1球しか思い出せないという選手も多くいます。

これは、覚えようと思って覚えているわけではなく、僕がスポーツセンシングといっている、自動化された脳が、その時の感覚も含め、自然と記憶していっています。
表面的な、球種とコースを覚えているだけでなく、その時の感覚も合わせて記憶しています。
これを毎日繰り返していたら、どんどん差がついていくことは、容易に想像できると思います。

ピッチャーの例を出しましたが、バッターも同じです。
1打席1打席すべてのボールを、その時の感覚も合わせて記憶しています。
それなので、打席に立てば立つほど感覚が磨かれていきます。

 

これが僕が、スポーツセンシングを身につけなければ、上のレベルにたどり着かないと言っている理由のひとつです。

生活している中で、「覚えよう、覚えよう」と思っているのになかなか覚えられないのに、覚えようと思っていないのに、頭に入っていることがたくさんあります。
音楽が頭に残っていたり、食べた料理の味を覚えていたり、旅行した時の風景を覚えていたり、1度の経験で忘れられない記憶になることがあります。

この「覚えようと思っていないのに、頭に入っている」というのを、作り出せれば成長が加速します。
間違えてほしくないのは、覚えようとして覚えるのではないということです。
ピッチング練習や試合で、自分の投げたボールを覚えることが目的になってしまっては、パフォーマンスを発揮できないだけでなく、スキルも上がりません。
「覚えようと思っていないのに、頭に入っている」という状態でなければなりません。

特にスポーツでは、これを使って、動作や感覚を身体に覚えこませていきます。
これができるのが、スポーツセンシングの優れた人です。

センスのない人が練習をしても、教えられても、なかなかできるようにならないのは、脳や身体が記憶していかないからです。
センスを身につけて、記憶できる状態を作ることをしなければ、どんなにいいと言われている指導者の指導を受けても、どんなにいいと言われているトレーニングをしても、なかなか成長できません。

 

これは野球だけに言えることではなく様々なことに言えることです。
他のスポーツでも、仕事や勉強でも記憶することができなければ、なかなか成長できません。

センスのある人は、自分が必要だと思ったことは、どんどん記憶していきます。
だから、僕が、以前から言っているように、センスを身につければ、いろいろな分野で力が発揮できるようになるのではないかと思っています。

今回は、センスがある人の記憶の話をしましたが、他にもセンスがある人とない人では、たくさんの差があります。
そこの差を縮めることができなければ、センスがない人は、いつまでも「センスがないから」で片付けられてしまうのではないかと思います。

スポーツセンシング。

野球センス、運動センス、勉強センス、ビジネスセンス、営業センス、音楽センス、ファッションセンス、お笑いセンス、料理センス。
日本では様々なところでセンスという言葉を使います。

しかし、このセンスという言葉が曖昧なので、僕は、「スポーツセンシング」という言葉を使って、体系立てました。
センシングとは、「感じる」「感じ取る」という意味もあります。
自動運転の車にも、センシング技術という言葉を使っています。

「スポーツセンシング」とは、僕が作った言葉で、センス、優れた感覚、自動化された運動、などを持った人のことを指す言葉です。

スポーツセンシングをいくつかの能力に体系立てました。

 

野球センス、運動センス、勉強センス、ビジネスセンス、営業センス、音楽センス、ファッションセンス、お笑いセンス、料理センス…等。
このセンスは、ほとんどが共通の能力です。
その証拠に、本当に優秀な人は、何をしてもできてしまいます。

そのほとんどが共通の能力ですが、違うのが、五感を通じて得た情報を脳が処理する能力です。

球技では、目でとらえた情報をどう脳が処理するかです。
料理センスでいえば、味覚を通じてとらえた情報を脳がどう処理するかであり、音楽センスでは、聴覚でとらえた情報をどう脳が処理するかです。
つまり、五感を通じて得た情報を脳が処理する能力とは、「物事のとらえ方」のことです。

「物事をどうとらえるのか」です。

本当にセンスのある人は、レベルの高い、物事のとらえ方さえできれば、なんでもできてしまいます。

同じピッチャーを見ても、人によって見え方は違います。
同じ料理を食べても感じ方は違います。
それは、勉強でも音楽でもお笑いでも人によって感じ方は違います。

しかし、スポーツセンシングで最も難しいのが、この物事のとらえ方です。
特にスポーツで、このレベルの高い、物事のとらえ方をすることは非常に難しく、すぐにできることはありません。

優れた、物の見方ができれば、野球でボールが止まって見えたという人もいます。
サッカーやラグビーやバスケットボールでは、視野が人より広いと言われます。
ボクシングや格闘技では、相手とのスピード感がまったく違ったりします。

スポーツセンシングがある選手は、見ている世界が違います。
しかし、他の人の物事の見方がわからないので、優れた選手も、そうでない選手も、自分の物事の見方を、みんながしていると思っています。
ここが変わらなければ、センスがない選手がセンスのある選手を超えることはできないと思います。

野球の中でも、野手と投手では、物事のとらえ方は全然違います。
野手は、それを身につけることが大変で、時間もかかります。

それに比べて、ピッチャーは、物事のとらえ方が難しくありません。
なぜなら、いいと言われるフォームがある程度決まっていて、わかっているので、その通りに身体を動かせれば、いいパフォーマンスが出せます。
試合でのプレーも1回1回止まり、自分から動き出せるので、瞬時に物事をとらえて判断するという作業は、野手ほど必要ありません。

これはアメリカンフットボールのオフェンスにも言えることです。
サインによって動きが決まっていて、その通りに動くことが重要だからです。
プレーも1回1回止まり、自分たちから動き出せるので、瞬時に物事をとらえて判断するという作業は、そこまで必要とされていません。

だから、物事のとらえ方以外は、共通の能力なので、日本でもっとも勉強センスがある人が集まる東京大学からプロ野球選手になれるのはピッチャーばかりということになっています。
京都大学からプロ野球選手になったのもピッチャーでした。

アメリカンフットボールは、偏差値が高い大学が結果を出しやすいのも同じ理由です。

 

このようなことから言えることは、人やチームによって、鍛えるところが違うということです。
スポーツセンシングの劣っている能力が、物事のとらえ方なら、物事のとらえ方を重点的にトレーニングすれば可能性が広がると思います。
他の能力が劣っているならそこにアプローチすれば、センスを身につけられます。

以前にも書きましたが、重要なことはセンスを身につけることです。
センスを身につけることは、さまざまな分野で、活躍できる可能性を高めるということです。

野球が好きなら、野球を通じてセンスを鍛える。
勉強が好きなら、勉強を通じてセンスを鍛える。

今回説明したのは、「物事のとらえ方」ですが、スポーツセンシングは、いくつかの能力に分かれています。
それぞれを高めることができれば、センスは持って生まれた能力ではなく、鍛えることは可能だと思っています。

チームの特徴。

野球というスポーツは、年代が替わるごとにチームが変わります。
監督が代われば違うチームに変化します。
今まで経験したチームの特徴を振り返りながら、どのようなチームがあるのかを考えてみました。

これは、チームの目的によって違ったり、時代や、チームが求められていること、社会が求めている人材によっても違ってくるので、良い、悪いを判断するのはとても難しいと思います。
良い、悪いではなく、これを踏まえて、参考になることが少しでもあればと思います。

 

まず初めに、独裁チーム。
ひとりのトップが全てを決めるようなチームのことです。
トップに立つ個人の力で支配的に運営します。トップの言うことは絶対です。
そのために、トップの力が重要で、トップに全員が依存する状態になります。
このやり方では、トップに立つ人の能力以上の人材は生まれないと思います。

僕自身は、このようなチームは経験したことはありませんが、話で聞いたりはしました。

 

次に、数十年前の部活動によくあった、トップダウンの年功序列に基づくチーム。
軍隊や昔の部活動をイメージするとわかりやすいと思います。
監督→コーチ→キャプテン→上級生→下級生のように、上下関係が決められています。
その上下関係が年功序列のように決まっていて、変えることができません。
チームの決まりに順応し、下の者は「はい」「いいえ」の答えのみというように、発言権は与えられてはいません。
そのため、指示や命令に順応に従う人を育てます。
変化や競争よりも上下関係が優先されるために、成長しようとするモチベーションはなかなか生まれません。
チームワークは生まれずに、チームワーク=支配という形になります。
同じ階級で励まし合ったり、慰め合うことで仲間意識をつくります。

 

次に、上記のチームの上下関係が年功序列ではなく、成果や成功により変わるチーム。
年功序列ではなく、実力や評価を得た人が上に立つことができます。
成長しようとするモチベーションは生まれ、競争が可能になります。
その代わりに、結果を出し続けなくてはなりません。
上に立つ者の態度が大きくなったり、偉ぶるということがよく見られます。
常に、評価を気にするあまり、幸福度が低くなる恐れがあるのと、好きという感覚がなくなるということが問題になります。
しっかりした上下関係があるので、例えば、選手間で問題が発生した時に、選手→キャプテン→コーチ→監督のように伝言ゲームをしなくてはならず、問題が正確に伝わらない可能性が高くなるのと、時間がかかってしまうということも起こります。

 

次に、ファミリーのようなチーム。
ファミリーなので、チーム内の人それぞれが、お互いを大切にします。
結果や成果だけでなく、それぞれの幸せまで考えます。
共有された価値観(目標)を持ちやすく、チームワークが生まれます。
主体性が発揮され、個人個人の多様性が尊重されるので、新しくチャレンジすることも可能です。
決定権は上に立つ人が持っていますが、意見はみんなが出せます。
しかし、最終的な意思決定は上の人がするので、上の人に頼る傾向も生まれます。

 

最後に、チームワークをもった個々の集合体チーム。
偉い人がいないで、チームワークのあるチームです。
「監督」や「コーチ」はいますが、偉いという感覚ではなく、単なるチームメートで、違う役割の仕事をしてくれている仲間という感じです。
命令をすることはなく、お互いにコミュニケーションをとり、どうしたらより上手くいくのか、より成長できるのかを考え、協力するということです。

上の人が下の人に指導するといったような関係ではなく、誰も年齢や役職を気にせず、自分で考えて、お互いが助け、助けられ、尊重し、感謝します。
自分で意思決定をして物事を進めることができます。
全員が対等に意見でき、価値観のすり合わせができます。
その反面、全員に責任が生まれ、全員が責任感を持つ必要があります。
練習や試合に対する姿勢が無責任な選手、誰かに依存的な選手、どうすればより成長し、良いチームになるか考えていない選手、などがいなくなるので、チームワークが最大限に発揮されます。

このようなチームは、いきなりできるわけではないと思います。
このようなチームを目指すには、チーム方針やチーム理念に基づいた、共通の認識が必要です。
自制を保つ、思いやりをもつ、フェアプレー、卓越性をお互いに追求する、といったようなスポーツパーソンシップの理解がなければ実行できません。
お互いを尊重し、目的のために協力する姿勢が重要です。

 

時代の変化とともにチームのあり方も変化してきています。
学校教育も詰め込み教育から考える教育に変わってきています。
忍耐力を持った人材よりも主体性を持った考えられる人材の育成が求められるようになってきました。
そう考えると、これからのチームは、ファミリーのようなチームであり、チームワークをもった個々の集合体のようなチームが求められるようになってくるのではないでしょうか。

すべてをいきなり変えるのではなく、所属する人の成長度合いに合わせて、バランスを取りながら、ファミリーのようなチームからチームワークをもった個々の集合体のようなチームに変えていくというやり方も必要だと思います。

 

どんなチームにも信頼関係は必要であり、個人として、それぞれが、満足度が高く幸せを感じられるか。学ぶことが多く、成長を感じられるか。
チームとして、良い結果が残せるか。効率よく発展できるか。
このようなことが可能なチームを目指すことがひとつの基準になるのではないでしょうか。

チームワーク

チームワークはとても大切です。
これを否定する人はいないのではないでしょうか。
スポーツに限らず、人が集まればチームワークが必要になります。
野球やサッカーのようなチームスポーツだけでなく、体操やマラソンのような個人スポーツでも、コーチやトレーナーなどとのチームワークはとても重要です。
仕事でも学校でも家族でもチームワークは必要になります。

僕も、いろいろなチームに属し、それぞれのチームにある、チームワークを経験してきました。
そのチームワークについて考えてみました。

 

野球では、多くのチームがチームワークを発揮しきれていないというのが、僕の感想です。

「チームワーク、チームワーク」と過剰に言うことで、個性や個人の能力を抑えつけてしまっています。
チームワークとは、みんなで揃って、同じことに取り組むことであると誤解されているように感じます。
個性を抑えつけて、見た目で、まとまった感じを作ることでチームワークがあるように見せています。
「個」を潰すことが、まとめるためには、簡単で楽だと思いますが、それでは選手が育たず、結局はチームも育ちません。
指示待ち人間のイエスマン集団を作るには、いいかもしれませんが、選手1人1人の将来を考えて、それぞれを導いてあげるのが理想だと思います。

そもそも、みんなが全員で同じことをやっていたら人数がいる意味はありません。
このチームワークの考え方だと、人数が増えれば増えるほど、まとめるのが難しくなり、チームワークがなくなることになります。
反省では、ダメだった人や、ダメだったところをあげ、建設的ではない議論になってしまいます。

 

僕が考えるチームワークとは、他人の意見や価値観を尊重し、耳を傾け、お互いに卓越性を追求するということです。
お互いに刺激し合うことで、向上心を生み出し、ひとりでは達することのできなかった、高みへと成長させてくれます。
すでに持っている個人の能力を合わせ、更なる力を発揮するためのものであり、多種多様な知識やスキルやアイデアが集まるほどチーム力は高まるはずです。
チームワークによって、より多くの可能性を生む、きっかけになると思います。

では、どのようにすることがよいのかというと、

「それぞれが自分のためにやる」

ということです。

それがチームのためになると思います。
個々が持っている力を発揮して、役割をはたし、それが結果としてチームの力になります。
チームのためにという考えよりも自分のためにと考える方が、自分に厳しくできるし、言い訳もできません。

チームワークのよいチームとは、ひとりひとりが、成長するための努力をし、お互いに成長するためにはどうするべきかを考え、その上で連携や組織力を高めようと考えているチームということです。
「個人の成長」「個人の努力」がないチームはチームワークがよいとは言えないと思います。
チームワークがあるチームでは、努力をしないことは、チームワークを乱しているという考えになるはずです。

人は、それぞれに、得意不得意があります。上手くいくときもあれば上手くいかないときもあります。
それを、メンバー同士が理解し合い、カバーし合うことによって、得意な分野に対する能力を最大限に発揮させることができるだけでなく、苦手な分野や上手くいかない場合の対処に役に立ちます。
例えば、
なにか新しいことにチャレンジするときに、それぞれが、自分が思う最善のやり方をすると、上手くいく人と、そうでない人が出てきます。
上手くいかなかった人は、上手くいった人に「なぜ上手くいったのか」「どのようにしたのか」と聞く、または、観察することで、次に自分が上手くできる確率を上げることができます。
もし、全員で同じことをしていては、それができません。それだけでなく、上手くいったか、いかなかったのかの比較がないので、次につなげることが難しくなります。
自分が上手くいったと思っていても、もっと上手くいった人がいるかもしれません。逆に上手くいかなかったやり方をみて、これでは上手くいかないのかと知ることもできます。
それぞれの経験を、チーム全体の経験に変えることができます。

それがなければ、上手くいかないことも、ひとりの力で対処しなければならず、多くの時間と労力を奪われてしまいます。
チームの成長は、個人の成長の単純な合計ではなく、それ以上のものへとなっていきます。

 

個人個人が、どうしたら上手くなるか、どうしたら成長できるかといった、卓越性を追求した上で、技術面、精神面、フィジカル面、環境面、などみんなで協力体制が整えられた状態がチームワークです。
この共通認識がないまま、チームワークという言葉を使うと、連携面ばかりが言われてしまい、最も重要な、個人の成長が軽視されるチームになってしまいます。

チームメートを尊重するということを守った上で、それぞれが自分が思う最善のやり方をし、チームでお互いの意見を出し合うことにより、改善策や、新たなアイデア、発見を目指すことがチーム力の向上につながると思います。

指導に暴力は必要なこともあるのか?

今月初めに、「スポーツパーソンシップからハラスメントについて考える」というセミナーを行いました。
その中で、テーマにしたことと同じことが、話題になっています。
体操でのパワハラの問題です。
セミナーの内容を取り上げつつ、考えてみたいと思います。

 

セミナーで行った内容が以下です。

あなたはスポーツチームの監督をしています。
ある熱心な保護者から
「子供を厳しく指導してください」
「強くなるために、殴って指導してもらっても構わないです」
「子供もそれを望んでますから」
「どうかよろしくお願いします」
とお願いされました。
あなたならどうしますか?

 

ということを議論しました。

 

指導や教育は、人それぞれ違うので正解はありませんが、このような保護者をどう説得するかということはとても重要になります。
異なる価値観の人に「体罰はいけませんから」では、なかなか納得してもらえません。

なぜ暴力や体罰がいけないのかを説明しなければいけません。
厚生労働省が出している、「愛の鞭ゼロ作戦」はとても参考になります。
http://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/ainomuchizero.pdf

脳の観点から、悪影響であることが証明されています。
前頭前野(前頭連合野)の機能は、思考(考える)、学習(記憶する)、感情のコントロール、創造性(イメージをつくる)、意欲(やる気)などです。
集中力にもかかわります。
前頭前野の委縮は、ドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質の分泌にも、大きく関係するので、パフォーマンスを発揮するのにも、物事を記憶するのにも大切な、ゾーンやフローといわれる状態を作ることも難しくなります。

日本で育ったなら、怒鳴られて育つのが当たり前で、自分は体罰で強くなったという人も多くいるように感じます。
体罰や暴力、暴言、きつく怒るというのは、短期では、とても効果的な手段です。
特に子供は、恐怖を与えれば、言うことを聞きます。
これは、その物事の本質を理解して、言うことを聞いているわけではなく、恐怖から逃れるための防衛本能で言うことを聞いているだけです。
長期的な視点で見れば、脳が委縮してしまうのでマイナスということが証明されています。

日本の野球が中学生くらいまでは、世界一強いのに、メジャーリーガーが数人しかいないのも、もしかしたら、このあたりが関係しているのかもしれません。
日本の少年野球を観たら、ほとんどのチームがミスをすれば、怒鳴られたり、罵声を浴びせられています。
逆に、アメリカやドミニカなどの中南米などの指導は、ミスをしても怒らずに、チャレンジしたことをほめる指導が中心と聞きます。
短期では、成長が遅いかもしれませんが、長期的にみたら脳が育つので、大人になってから日本人よりもはるかに多い選手がメジャーリーガーになり、活躍できているのかもしれません。

脳への悪影響は、体罰や暴力を受けた人だけでなく、それを見た人にもあると言われています。
日本のスポーツでよくある、見せしめで殴るや怒るというのも、脳科学的な観点からは、マイナスということになります。
たとえ本人が体罰を受けなくても、それを見るだけで脳に悪影響があるので、仮に、怒鳴ることが必要だと判断しても、他の人には見せてはいけないということになります。

 

様々なことがどんどん証明されていき、今まで当たり前にしてきた指導方法が、実は、もっといいやり方が存在した。ということが出てきています。
アンテナをはって、自分の経験と上手く融合させ、よりいいものを作っていくことが重要です。
自分はこれでよくなったを、もしかしたら、こうしてたらもっとよくなったのでは?と考えることが大切だと思います。

また、人それぞれ価値観も違えば、性格も違うので、例外もあるかもしれません。
本当に、殴られて怒鳴られて強くなった人もいるかもしれません。
でもそれは例外ということになります。

同じ人間はいないので、指導の正解は、わかりませんが、脳科学的な視点からは、選手が怖がるコーチは必要ないと言えます。

選手のために、愛の鞭だと思ってしていることが、選手を苦しめる可能性があります。

本当に選手のためになってるのかを勉強し、考え続けることが大切です。

スポーツパーソンシップの先に。

夏の甲子園と言われる、全国高等学校野球選手権大会が終わりましたが、猛暑の中の試合や選手の酷使の問題など賛否両論ある大会になったのではないかと思います。

今年に入りスポーツで話題になった問題をあげてみました。
カヌーのライバル選手の飲み物に、禁止薬物を混入した問題。
大相撲(スポーツと言っていいのかわかりませんが…)の問題。
レスリングの問題。
アメリカンフットボールの問題。
アマチュアボクシングの問題。
そして高校野球。

このすべての問題の改善策に、スポーツパーソンシップの徹底があります。

僕は、日本中にスポーツパーソンシップが浸透したら、日本のスポーツが劇的に発展するのではないかと思っています。
理想論で現実的ではないと思われてしまうかもしれませんが、スポーツパーソンシップが浸透したスポーツ界を想像してみました。

 

「部活動は学校教育の一環」という捉え方が変わります。
現在、その解釈が曖昧で、学校教育と人間教育が、ごちゃごちゃになり、多くが人間教育のことを言っています。
スポーツとは、学生だろうと、子供だろうと、大人だろうと、おじいちゃんだろうと、プレーするすべての人にとって人間教育という要素が含まれています。
部活動だけが人間教育の一環ではなく、スポーツとは誰がやろうと、人間教育の一環です。
スポーツパーソンシップが広がれば人間教育の一環は当たり前なので、学校教育の一環というのが、認識されてくるのではないでしょうか。
そうなると学生の本分である、勉強を疎かにすることが減ってくると思います。

 

選手の身体が守られるようになります。
例えば、野球の球数制限。
アメリカで導入されている、ピッチスマートと言われる球数制限は、スポーツパーソンシップがあるから成り立っていると思います。
もし、今、日本で導入されたら、待球作戦やカット打法などをするチームが出てくることが想像できます。
また、試合では球数制限があるから、練習でたくさん投げさせるということも、起こるかもしれません。

野球というスポーツを理解し、卓越性を相互に追及するというスポーツパーソンシップがなければ、球数制限も効果が少なくなってしまいます。

そもそも、選手への尊重、選手を大切に思う気持ちがあれば、球数制限をルールにしなくても、選手に無理をさせることがなくなるはずです。

体罰、暴言、いじめ、などのハラスメントがなくなるだけでなく、怒るという行為自体が少なくなるのではないでしょうか。

競技人口が激減している今、競技人口を増やす努力も必要ですが、競技を続けてもらう努力も必要です。
怪我や燃え尽き症候群、競技を嫌いになるなどの、競技を辞めてしまう原因にもアプローチをしなくてはなりません。

 

スポーツパーソンシップが優先されると、勝利至上主義がなくなり、選手の将来やその競技の将来が考えられるはずです。
勝利至上主義のチーム同士が戦えば、勝たなければ無意味ということになってしまいます。
勝たなければ価値がないという勝利至上主義の考えは、勝てなかった時に、不幸を生む、戦争と似たような争いになってしまいます。
勝っても負けても、価値のあるものでなければならないのがスポーツです。

これは社会人野球がいい例になっているのではないでしょうか。
企業チームの数が、数十年前の約半分になっています。
その間の社会人野球とは、僕の知る限り、多くのチームが「反則してでも勝て」「勝たなきゃ意味がない」という考えで、相手に野次を言ったりスポーツパーソンシップを無視してきました。
そのやり方では、1年間で評価されるチームが、優勝した1チームだけになってしまうので、チームの価値を持ち続けることは難しく、休部や廃部に追い込まれていくのは、仕方のないことだと思います。

 

スポーツをビジネスにして、資金調達でき、そのお金をスポーツの発展に使うという流れを作ることが可能になります。
スポーツパーソンシップがなければプレーヤーが利用されるだけになってしまうので、スポーツパーソンシップの浸透が必要不可欠です。
それぞれの競技の発展には、お金が必要です。
そのお金をどう作り出すのかを考えることは、これからのスポーツには欠かせないことだと思います。

 

優れた人格を身につけられるので、スポーツパーソンの価値が上がり、スポーツ自体の価値も上がる。
そうすることにより、見る人が増え、競技人口が増え、スポーツが発展します。

 

スポーツが日本の社会に貢献できることはたくさんあります。
今の日本は、スポーツの力を活かしきれていないと思います。
スポーツパーソンシップが日本中に浸透した時、スポーツだけでなく、日本全体が発展するのではないかと思います。

スポーツパーソンシップが浸透した日本の未来を見てみたいです。

プロアマ問題をアマチュア選手目線から考える。

野球界にはプロアマ問題というものがあります。
現在は、多少緩和されましたが、それでも現役のプロ野球選手が高校生や、大学生に技術指導することは、禁止されています。

プロアマの問題は、ずっと昔からあり、とても根深い問題ですが、今回はアマチュア選手の立場から考えての話をしたいと思います。

上を目指す選手にとって、プロアマ問題が、どうなることがいいのか考えてみました。

 

現在、プロ野球を辞めた選手でも、正式な手続きをすれば、高校生も大学生も指導することができます。
一昔前に比べれば、だいぶ緩和されましたが、他のスポーツや海外と比べると理解に苦しみます。

プロアマの垣根がありすぎたためか、プロとアマチュアの力の違いが理解されていないように感じます。
技術もフィジカルも考え方も違います。
練習やトレーニングも違います。

アマチュア選手のためには、もっともっとプロとアマチュアが協力し合うべきです。

元プロはしつけを教えないからそういうやり方では困るという話を耳にします。

それを聞いて思うことが、

元プロ野球選手に求められているのは、プロの世界で培った、技術や経験を伝えることではないのか?

ということです。

もちろんしつけも大切ですが、技術を教えることとは別の話だと思います。
それではプロ野球を経験した人間を活かしきれないのではないでしょうか。

選手を指導する上で、考えなくてはいけないことが、課題を分析しなくてはならないということです。
これができないと、技術に問題があるのに、髪型が悪いだの、態度が悪いだのの、しつけがなってないからだとなってしまいます。
テクニカルな指導としつけを一緒にしては技術は伸びていきません。
しつけだけでは、技術は上がりません。

これは技術に問題があるのにメンタルのせいにしているのと同じことです。
課題に対して、アプローチをすることが大切です。

プロ野球選手のもつ経験や技術は、とても勉強になります。
長く活躍し、実績を残した選手の話は、目からうろこが落ちるような話ばかりです。
必ずしも、名選手だから指導力があるという訳でありませんが、名選手が持っている技術や経験、感覚は、これから上を目指す選手にとっては、非常に貴重で、プラスになることがたくさんあると思います。

 

プロ野球選手が行なっている野球教室のほとんどが、ただ楽しませるだけや思い出になるようなものになっています。
それは、子供たちが普段、自分のチームのコーチに教えてもらっていることと、プロ野球選手が教えたいことに大きく違いがあることを知っているからです。
子供たちが混乱しないように、技術を教えることはしません。
それだけ、プロの持つ技術と、子供たちが教えてもらっている技術に、違いがあるということでもあります。
もちろん、野球人口が激減している今、楽しませるやり方も必要ですが、もっとプロ野球選手の技術がアマチュアに広がるようなシステムを考えるべきだと感じます。

もっとプロ野球選手がアマチュア野球に経験や技術を還元できるようになれば、日本の野球のレベルは格段に上がると思います。

子供たちや選手のことを考えたら早くルールを変えるべきだと思います。

例えば、実際に、甲子園で見た場面で、
9回ウラ、2アウト満塁。2塁ランナーが同点、1塁ランナーがサヨナラ。カウント3ー2(フルカウント)。
この場面は、ランナーはピッチャーのモーションと同時にスタートするので、ヒットで外野手が2塁ランナーをホームでアウトにするのは現実的ではありません。
だから、外野手は1塁ランナーを返さないような深い守備位置に守るべきです。
にもかかわらず、甲子園に出るチームでさえ、外野が前進守備をしている場面を見ました。
毎日、力の差が少ない相手と試合をしているプロ野球選手は、こういう経験は豊富です。

 

一流の世界を経験した人の指導を受けることは、選手の競技能力の向上だけでなく、戦術、考え方、ケガの予防など、野球の発展につながります。
高いレベルの技術や話を聞ける環境があれば、もっと野球のレベルが上がり、人間としての成長にもつながってくるのではないでしょうか。

野球界には、様々な問題がありますが、いつも被害者になるのは発言力のない、まだ狭い世界しか知らない子供たちであり学生たちです。
そういう選手は、プロ野球選手の指導を望んでいます。
もっとこれからの選手に目を向けて考えていくべきだと思います。

高校野球の次のステップ。

いよいよ夏の甲子園と言われる全国高校野球選手権大会が開幕します。
高校野球を初め、アマチュア野球は日本の野球の発展に大きな影響を与えてきました。
野球だけでなくスポーツの発展にとても貢献してきたと言えるのではないでしょうか。

今までやってきたやり方を土台に、次のステップに移ることで、よりスポーツの発展に影響を与えられるのではないかと思います。
そのためには、変えていかなくてはいけないことがあると思います。
これは、いままでのやり方がダメというわけではなく、次のステップに進む時期が来ているということです。

そんな考えを書いてみました。

 

多くの現場を見てきて、僕が1番に思うことは、選手の健康、安全を最優先してほしいということです。
最も大切にすることは、「選手の将来である」ということです。

高校野球の甲子園予選を見ていると、連投をして、何百球という球数を投げるのが当たり前になっています。
これは、大学野球でも、少年野球でも同じです。

子供たちや高校生という、まだまだ先のある選手の身体よりも、勝ちが優先されていることに、とても違和感を感じます。

甲子園で何百球投げたと話題になった選手のほとんどが、その後、肩や肘を壊しているという現状があります。
壊していないピッチャーの方が例外といってもいいくらい、多くの選手が肩や肘を壊しています。

壊れるという前例がたくさんあるにもかかわらず、対策をしないで、連投させ、何百球と投げさせるのは、怪我をしろと言っているのと同じだと思います。

さらに、よく見るのが、故障した選手は、治療やリハビリではなく、練習の手伝いに回すことです。
ただでさえ、好きな野球ができなく、精神的にも苦しんでいる選手に、追い打ちをかけるような行為であり、選手の気持ちを一切理解していないと言えると思います。

そういう選手が、やらなければならないことは、治療であり、リハビリです。
それをしっかりやらないと、復帰に時間がかかるだけでなく、復帰できないということも考えられます。
復帰したとしても、しっかりとした、リハビリがなければ、再発の可能性も高くなります。
チームのためを思うなら、練習を手伝うのではなく、チームのために、1日でも早くレベルアップした姿で復帰する、ということだと思います。

選手は、「壊れてもいいから投げたい」と言うかもしれません。
それを止めるのが指導者であり、周りの大人です。

僕は、もし仮に、「故障をしているが、最後だから無理してでも投げたい。」といったような、話をしてくる選手がいたら、「NO」と答えます。

僕も、怪我や故障をたくさん経験してきているので、その選手の気持ちは痛いほど理解できます。
しかし、何がその選手の為になるのかと考えると「全力で今できる、治療であり、リハビリをやる」ということになります。
例えそれが、その試合までに復帰できる可能性が0だとしても、全力で復帰を目指してほしいと思います。
そんな厳しい状況で、今できることに全力で向き合うことができたなら、それは何よりの財産になるからです。
今後の人生に間違えなくプラスになると思います。

また、野球がスポーツである以上、身体を壊してまでやる必要はないし、身体を壊すことを防がなければなりません。
それは、本人だけでなく、野球に関わる全ての人が、認識しなくてはならないことだと思います。
普段から、野球とはそういうもので、スポーツとはそういうものだと、教育していかなくてはなりません。

 

健康、安全を最優先するという意味では、猛暑の中の試合も対策が必要です。

一生に1度しかできない高校野球なのでどうするのがよいのかを大人が考えていかなくてはいけないと思います。
高校野球は観客動員を見ても、とても人気があります。
選手の安全だけでなく、応援に来る生徒や観客の健康、安全も一緒に考えていく必要があると思います。

 

野球に関わるすべての人に、スポーツパーソンシップと選手の将来を最優先するという意識があれば、野球界が今よりも、もっと発展していくのではないかと思います。

夏バテ対策。

夏バテをすると、パフォーマンスが下がるだけでなく、練習ができなくなったり、食欲がなくなり、体重が減ってしまったりと、大きなダメージが残ります。
スポーツをしていると、怪我につながることもあります。
近年、夏の暑さが増し、夏バテをする人も増えてきています。

そこで、僕のやってきた夏バテ対策を紹介したいと思います。
とはいうものの、対策と言っても、たいしたことをしているわけではなく、当たり前のことをしているだけなのですが…。
適度な、食事、睡眠、運動を心がけるということです。

 

特に、食事と水分補給には、気をつけていました。
夏バテ対策とは、熱中症予防でもあり、この季節には、欠かすことができません。

以前、投稿した「水分補給」のやり方が基本ですが、それを、夏は特に、意識します。

練習や試合後に、のどが渇いていないように、運動前や運動中にしっかりと水分補給をするようにします。
食事の前に水分を摂りすぎると、胃液が薄まり、胃腸の働きが弱まり、消化吸収が上手くいかなくなり、食欲の低下につながります。
それを避けるために、運動後はなるべく飲み物は飲まないようにしていました。
逆に言えば、練習中や試合中にしっかりと水分を摂るようにしているということです。

しっかりとした食事をする上で、胃腸の強化は、重要になります。

消化器官の働きを助けるために、暑いときでも、味噌汁などの温かい汁物を摂るようにします。
食事を、ゆっくり、よく噛んで食べることも、消化器官の働きを助けます。
冷たい飲料や食事を避けるようにすることも大切です。

食べるものとしては、たんぱく質と炭水化物をしっかり摂ることが重要です。
それ以外にも、カルシウムやカリウム、マグネシウムなどのミネラルを摂り、筋肉の疲労を軽減するビタミンB群も摂取するように心がけます。
豚肉やウナギなどがビタミンB群を多く含む、食べ物です。

トマトも水分補給に適しているだけでなく、トマトに多く含まれるリコピンは紫外線から身体を守る抗酸化作用もあるために積極的に食べます。
水分を多く含む、野菜やフルーツを上手く使うことも心がけます。

糖質過剰摂取を控えることも、夏バテの対策になると思います。

 

質の高い睡眠を取る対策としては、快適な睡眠環境を作ることが大切です。
室温や湿度を上手くコントロールし、深い眠りに入れるようにします。

入浴やストレッチは、筋肉の緊張をほぐし、睡眠の質を上げるのに効果的です。
自律神経のバランスを整えることも、睡眠に大きく関わってきます。

しっかりとした睡眠を取ることで、疲労の回復につながり、夏バテを防ぐことになります。

身体が疲れすぎると、睡眠の質が落ちるので、適度な運動が大切です。
ただ、競技力の向上には、練習量を確保することも、重要なので、無駄な体力を使わないようにすることも必要です。
無駄に、日に当たらないようにしたり、最低限のウォーミングアップにしたりしていました。

 

日焼けをすることで体力を奪われるので、日焼け止めを塗ることも、対策になります。
紫外線対策は、屋外でやるスポーツでは、考えなくてはなりません。

 

このように、夏バテにならないための対策には、十分な睡眠と規則正しい生活、そしてバランスよい食事が重要です。
3食をバランスよくきちんと食べて、食事の中からしっかりと栄養を摂るとともに、水分や塩分などのミネラルを摂り、自律神経のバランスを維持し、よく眠り、しっかり休む。
これが、夏バテの対策になると思います。
つまり、良い習慣を作ることが夏バテ対策になるということです。

食事、睡眠、運動を見直して、夏を乗り切りましょう。

ルールとフェアプレーとスポーツパーソンシップ

今まで、スポーツパーソンシップについて、何度か投稿してきましたが、今回は、その中の「フェアプレー」について書きたいと思います。

スポーツには、ルールがあります。スポーツに関わるにあたり、「ルールを守る」「フェアプレー」「スポーツパーソンシップ」の違いを理解することで、よりスポーツを楽しむことができると思います。

先ず、簡単にそれぞれを説明すると、

・ルールを守る
これは、そのまま、そこにあるルールを守るということです。

・フェアプレー
プレーヤー(味方と相手)、ルール、審判を尊重し全力を尽くすことです。
そうすることにより、より良い試合ができるようになります。
そのルールを運用し試合を円滑に進めるサポートをするのが審判です。

・スポーツパーソンシップ
「感情の抑制」「相手に対する思いやり」「フェアプレー」の精神を持つことです。
優れた人格を身に付けるための心構えであり、スポーツを通じて少しずつ身に付ける人格的な総合力のことだと言えます。
その競技の歴史的な成り立ち、伝統を学び、理解した上で、その競技自体を尊重する心を持つことも大事な要素です。

この3つがどのように違うかというと、スポーツパーソンシップの中にフェアプレーがあり、フェアプレーの中にルールを守るということがあるということです。

ルールを守るだけではフェアプレーとは言えません。

フェアプレーをするだけではスポーツパーソンシップに則っているとも言えません。

当然、ルールを守るだけでは、スポーツパーソンシップに則っているとも言えません。

逆に、スポーツパーソンシップに則ることはフェアプレーをするということであり、フェアプレーをするということは、ルールを守るということになります。

スポーツパーソンシップとフェアプレーの違いは、フェアプレーとは、プレーヤー(味方と相手)、ルール、審判を尊重し全力を尽くすことで、スポーツパーソンシップとは、スポーツパーソンが持つ、スポーツ精神であり、スポーツを行う心構えを言います。
つまり、競技中だけでなく、競技を離れても発揮しなくてはいけないのが、スポーツパーソンシップです。
フェアプレーとは、競技中に発揮するもので、スポーツパーソンシップとは、スポーツを離れても発揮できる人格的な総合力のことを言います。

ルールを守ることとフェアプレーの違いは、フェアプレーは、ルールを守るだけでなく、プレーヤー(味方と相手)、ルール、審判を尊重するということと、勝利を目指し全力を尽くすということです。

相手への尊重がなく、ルールを守るというだけでは、ルール内なら相手を蹴落としたり、怪我をさせても良いということになってしまいます。
また、お互いが全力でプレーしてこそ、良いゲームになるので、自分のためにも、相手のためにも全力でプレーすることが大切です。

ルールへの尊重がなく、ルールを守るというだけでは、反則にならないギリギリまでなら良いということになってしまいます。
そのルールがなぜできたか、という本質を考えてプレーすることがルールを尊重するということです。
ルールの本質とは、暴力をなくすことや、相手と条件を同じにするためや、ルールを作ることにより難易度を上げ、より楽しめるようにするということです。

審判への尊重がなく、ルールを守るというだけでは、審判を騙したり、見つからなければ良いということになってしまいます。
自分が思っていた判定と違う判定が出た時に、審判を責めることにもつながります。

このように、プレーヤー、ルール、審判を尊重せずに、ルールを守れば良いという考えはフェアプレーとは言えません。

スポーツをするにあたり、これはルールを守っているのか。
守っているなら、さらに、フェアプレーなのか。
フェアプレーなら、さらに、スポーツパーソンシップに則っているのか。

こう考えることが重要です。

環境の僅かな違いから結果が変わる。

前回、ボールの縫い目の違いの投稿をしましたが、今回は縫い目だけでなく、野球ボールと環境が僅かに変わるだけで、野球が変わるという話をしようと思います。

プロ野球は、2011年に統一球になり、ホームランが激減し打率までもが下がりました。
正直、反発係数が僅かに変わるだけで、こんなにも野球が変わるのかと驚きました。

ボールが環境から受ける影響や、環境から身体が受ける影響により、パフォーマンスや結果が変わってきます。

ボールが環境から受ける影響とは、風によってボールが伸びたり、沈んだりします。
千葉マリンスタジアム(ZOZOマリンスタジアム)で何度も投げたことがあるので、風の影響で変化球の変化が変わったり、ストレートの軌道が変わったりすることを経験してきました。
マウンドの固さや土の質によってもパフォーマンスが変わります。
気温や気圧によっても、空気抵抗が変わるので打球の飛距離が変わります。
雨や湿気によってボールが重くなったりもします。
「湿気で重くなったぐらいで変わらないだろ」と思うかもしれませんが、ピッチャーはとても敏感です。
硬式野球をしているピッチャーが「軟式ボールを投げたら、軽すぎて肩や肘を痛めるから投げられない」と言う人がいるくらいです。軟式球と硬式球の重さの違いは、僅か10グラム以下です。例えが悪いかもしれませんが、この差は、小さじ2杯以下です。
これで投げられないというのも問題だと思いますが、そのくらいボールの重さに敏感です。

環境から身体が受ける影響とは、気温や湿度によって汗の量が変わります。環境により集中力を欠いたりもします。緊張やプレッシャーにより心拍数など、身体に変化がでます。

ボールの皮の質や手との相性、気圧や湿度などによって、パフォーマンスに違いが出ます。
様々な要素が絡み合いパフォーマンスが決まります。

僕は、手に汗をよくかくので、とにかく、梅雨時の西武ドームのような湿気の多い球場は苦手でした。
僕の場合は、汗で滑るようになった手の湿り具合をコントロールするためにロージンを使います。

逆に、ロージンを使わないような選手は、手にあまり汗をかかないタイプの選手だと思います。そのような選手は、湿気があった方が投げやすいため、手に汗を付けたり、指を舐めたり、ボールを手でこねたりして、投げやすくしています。

アメリカでは、ボールが滑ると言われますが、日本のボールと使っている皮が違うことと、日本よりも空気が乾燥していることで、滑りやすくなります。
シアトルからマイアミまで約4400キロ離れているように、球場により環境も大きく異なります。
日本より、ボールへの対応も、環境への対応も、はるかに難しいことが想像できます。

アメリカは日本とは違って、砂漠の近くの球場や標高約1600メートルにある球場など、球場によって環境がかなり違います。
標高約1600メートルにあるコロラド・ロッキーズの本拠地のクアーズ・フィールドは、気圧が低く、打球が飛ぶことからメジャーで最も打者が有利な球場と言われています。
コロラド州には、砂漠もあるので乾燥もしています。

次に打者有利と言われているのが、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの本拠地のチェイス・フィールドです。
アリゾナの砂漠の中にあるので、気温が高く乾燥しているため、打球が飛びます。
打球がよく飛ぶだけでなく、乾燥しているため、ボールが滑りやすく、ピッチャーがコントロールをつけることが難しいのと、回転数が上がりにくくなると思います。

この2つの球場とも、回転数が必要なスライダーやカーブよりも回転数を抑えたいフォークやスプリットのほうが有効になりやすいと思います。(コントロールは難しいですが)
野茂投手がクアーズ・フィールドでノーヒットノーランをしたことと、平野投手がチェイス・フィールドを本拠地にスプリットを武器に活躍していることは、もしかしたら、関係しているのかもしれません。

野球では、相手との勝負以外にも、環境により、どのような影響があるのかを理解し、対応する、対応力も勝敗を分ける大切なスキルになるということがわかると思います。

ボールの僅かな違いから結果が変わる。

日本のプロ野球とメジャーリーグの違いについての話題になると「必ずボールが違う」という話になります。
ボールが変わるだけで、そんなに変わるのかと思われるかもしれませんが、僅かな違いが、大きく影響するのが野球です。
実は野球以上に、サッカーもボールによって、大きく変わるスポーツに思えます。
そんなボールの話をしていこうと思います。

野球のストレートも変化球もサッカーのカーブやブレ球と言われる無回転シュートもボールの皮をつなぎ合わせる縫い目によって生まれています。

野球のピッチャーが投げる球種の、ほぼすべてが、回転数が多いほど変化する、ストレート、シンカー、カーブ、スライダー系と重力の力で自然の軌道を描く、フォーク、スプリット系です。
ストレートを変化すると表現したのは、縦回転が増えるほど浮力が生まれ、落ちにくくなる。つまり、上方向に変化しているとも言えるからです。
フォークやスプリットは、縦の回転数を減らして浮力を少なくすることにより、重力の力で自然の軌道を描く。つまり、変化が少ないと言えます。
野球は、ストレートを基準にボールを見るので、フォークボールを落ちたと表現しますが、重力通りの自然の軌道がフォークボールで重力とは反対方向に伸びているのが、ストレートになります。

先ほど、「ほぼすべて」と言いましたが、その「ほぼすべて」に当てはまらないボールが無回転を意図的に投げるナックルボールです。回転数が多いほど変化する他の球種とは違い、ナックルは回転数が少ないほど変化するボールです。
サッカーのブレ球と言われる、無回転シュートは野球のナックルに近いボールになります。

ナックル以外の変化球は、回転軸の違いで生まれます。回転した方向にボールが変化するということです。

ナックルを含め、ボールが変化する理由が縫い目があるからです。

実は、野球ボールの108個ある縫い目が、研究を難しくし、データを集めにくくしています。
データを集めようと研究しても、縫い目の幅や高さが数ミリ変わるだけでも、違うデータになってしまうからです。

数年前に、野球の流体力学を研究している専門家に、同じ、打球速度、回転数、回転軸、打ち出し角度の打球で、フォーシームの打球とツーシームの打球では、どのくらい飛距離に差が出るのかを聞いたことがあります。
答えは、「同じだ」と言われました。
理由は、飛距離は、気圧や風などの条件が全て同じなら、初速、打ち出し角度、回転軸、回転数で決まるとのことでした。
僕の感覚では、違うと思っています。
ツーシームで遠投をしたら、フォーシームで遠投するよりも圧倒的にボールが伸びていかないからです。
僕は、打たれた打球がツーシームの打球になるように計算して投げていました。それが全て無意味だったことになってしまいます。
しかし、感覚だけで、データを持ち合わせていないので、何も反論できなかったことを覚えています。

理論上は、ピッチャーの投球もリリースの瞬間の、初速、回転数、回転軸、ボールの方向で到達点も変化量も決まると言われてますが、僕は、縫い目やボールの僅かな個体差によって変わると思っています。
傷のついたボールの傷を横に置いて縦回転のボールを投げたら、傷のある方に曲がります。この説明ができません。
プロ野球やメジャーリーグの試合で、直ぐにボールを替えるのは、このような理由もあるのではないでしょうか。

ボールが僅かに違うだけで、変わってしまうのが野球の難しさです。

野球だけでなくサッカーもボールが僅かに変わるだけで、ボールの軌道が変わってしまいます。

僕が小さい時は無回転シュートというのが今ほど、効果的なシュートではありませんでした。ブレ球というのも聞いたことがありませんでした。

それは、昔のボールは、今よりも多い枚数の、五角形と六角形の皮をつなぎ合わせてできていたからだと思います。現在このようなボールはワールドカップ等では使われない。

このつなぎ合わせる皮が、少ない方が無回転のボールは変化します。
子供が遊ぶ、柔らかいゴムボールは、つなぎ目がないので、蹴ったらどんな回転をかけようが、ブレ球にしかならないのは、そのためです。

おそらく、ボールを作る技術が上がり、少ない皮の枚数でボールを作れるようになったのではないかと思います。

今も五角形と六角形の皮でできたボールもありますが、ワールドカップなど、プロの試合で使うボールの方が、無回転のボールは変化が大きくなります。
一時期、フリーキックやロングシュート、ミドルシュートでのゴールが量産されましたが、今はそれほどでもなくなっています。最近は、無回転のボールの変化が大きくなりすぎないようにボールが変わってきたように思えます。

無回転シュートでのゴールが圧倒的に減っていて、特に、フリーキックで無回転シュートでゴールする場面を見ることが少なくなったように感じます。
無回転シュートでゴールする確率が減ったことにより、無回転シュートでゴールを狙う選手が減ったので、ますますゴールが見られなくなったのだと思います。

ボールが変わることにより、戦術が変わるくらい、サッカーも僅かなボールの違いによって変わります。

 

野球ボールもサッカーボールも、とても奥の深い道具だということが言えます。

そんな視点でワールドカップを見るのも面白いと思います。

ルールも守ればなんでもしていい?

スポーツには、ルールがありますが、ルールよりも大切なのがスポーツパーソンシップです。
その精神がなければどんなにルールを作ろうと、スポーツとして成り立ちません。

「ルールを守れば何をしてもいい」という考え方ではなく、スポーツパーソンシップに則った行動をしなくてはいけません。

日本のアマチュア野球では、10点も20点も勝っているのに盗塁をするということがよく見られます。
ダメというルールはありませんがスポーツパーソンシップを欠いてると言わざるえません。
このような意見に対して必ず出てくるのが、「手を抜くほうがよくない」「ルールにない」「逆転されたらどうするんだ」などの意見です。

相手を尊重し、その競技の歴史的な成り立ち、伝統、慣習を学び、理解した上で、競技自体を尊重する心を持つことがスポーツパーソンシップです。
野球の文化や慣習を学べば点差が開いている場面で盗塁をしないということは世界的に広まっていることだとわかると思います。
もっと身近な日本のプロ野球でも点差が開いた場面で盗塁することはありません。
それは負けたら次のないプレーオフや日本シリーズでも同じです。
昔は、少年野球や学生野球に世界大会のような国際大会がなかったので、日本独特の野球だけしか知らなくてもよかったのかもしれませんが、今はそういう時代ではありません。
それで逆転されて負けてしまったら、実力が足りなかっただけです。

お互いがよい試合をしようと思ってプレーすることが大切であり、相手にも気分よくプレーしてもらい「それでも勝つ」という精神を持ってプレーすることがスポーツです。

相手が気分がよくないと思うような行いは、考えなくてはいけません。
これは試合中だけでなく試合の前後においても同じです。
例えば、試合終了になり、派手にガッツポーズをしたら相手が怒ったとします。
その時に「こっちはガッツポーズをしただけで悪くない」という考えは、相手への尊重を欠いています。
もし、相手が気分を悪くしたのなら、こちらも、その行動を考えなくてはいけないことです。

そして、それを教えることも指導者がやらなければいけないことです。

サッカーの試合で倒れている選手がいたときにボールを蹴り出し、プレーを止めます。プレーが再開されたら、相手にボールを返します。
しかし、ボールを返さないといけないというルールはありません。
これは、サッカーでは、小さい頃からこのように教えられるので、おかしいと言う人はいないのではないでしょうか。
このように、小さいころからスポーツパーソンシップを教えていくことが重要です。

スポーツでは、ルールを守り、ファウルをしない努力をしなくてはなりません。
しかし、バスケットボールでは、試合の終盤にわざとファウルをし、時計を止めてフリースローを打たせるという作戦があります。
これは多くのチームが使う戦術です。
故意にファウルをするということは、他のスポーツからは考えられないと思うかもしれませんがバスケットボールでは認められているプレーです。
このことからもスポーツパーソンシップとは、そのスポーツの文化や慣習を学ぶことが必要だということがわかると思います。

大切なのは「このスポーツとはどんなものなのか」「スポーツパーソンシップとはなんだろうか」と考えることです。

勝利だけを求める指導者に育てられれば、フェアプレーや正直さよりも、勝利を優先させる選手に育つ可能性が高くなると思います。
逆に、そのスポーツの成立や歴史、本質を理解している指導者に育ててもらえれば、スポーツを通じてスポーツパーソンシップやフェアプレーを学ぶことになり、スポーツパーソンシップを身につけた選手に育っていくと思います。

つまり、指導者の指導によって、今後のスポーツを担うスポーツパーソンが育てられ、人だけでなく、そのスポーツの文化や慣習が作り出されていくということです。
そのことを自覚し、選手を育てていくことが大切だと思います。