自主練習で上手くなれる選手は?

一昔前のチームの多くは指導者が命令し、それに選手たちが従うという上意下達のやり方をしてきました。
そのために、指示を出す人の判断ミスや気まぐれな意思決定に振り回されたという経験を誰しもが持っているはずです。
昔話をすれば、笑い話として必ずと言っていいほど、出てくるのではないでしょうか。

しかし、近年は、手取り足取り教えるよりも、むしろ選手に多くの権限を持たせ、自主練習などを増やし、課題を選手自身の力で解決させることで選手を育てると考える指導者が増えてきています。
僕自身も、選手自身に考えさせることで、選手の成長を促そうと思っています。

今は、指導理論やトレーニング理論が多く存在し、ネットで調べれば無数の情報に溢れています。
YouTubeのような動画でも多くの情報が手に入ります。
さらには国内だけでなく、海外の情報も得ることができます。
情報や知識の量は、どんな指導者でも、ひとりで処理し切れるレベルのものではないので、選手たちが自分から情報を取り、実践していくというやり方も必要ではないかと思います。

 

しかし、ただ単に、選手に自由にさせて、多くの権限を与えてしまうというのでは、成長につながるのかわかりません。
指導者にも選手にも持つべき考え方があるのではないかと思います。
それは、指導者も選手も「自分自身を成長させたい」という考えを持っているかです。
自分に必要な能力やスキルを学習することに貪欲か。
自分が成長するためなら、それが年下だったり、苦手な相手だったりする場合でも、自分の意地やプライドを捨て、話を聞くことができるのか。
といったような考えを持つことが大切です。
これは、選手だけでなく指導者にも言えることです。

さらに、プロを目指す選手なら、人生をかけて、自分自身を磨き続ける覚悟があるのか。
実際には、「磨き続ける」というよりも「磨き続けてしまう」という状態をつくれるのかです。
そして、困難なことも楽しむことができるのか。
創造性を働かせ、向上心を高め、探求心や好奇心を持つことが、とんでもないエネルギーを生み出します。
探求心や好奇心により、いつまでも飽きることなく取り組むことができます。
これがなければ、一流選手になることは難しいのではないかと思います。

 

プロとアマチュアの差のひとつに、自分自身を磨き続ける覚悟の差があると思います。
プロ野球選手になるような選手は自分を成長させることに貪欲です。
普段の生活から、自分の知らないことを貪欲に吸収しようという姿勢でいます。
新しいことに興味を持ち、変化することを恐れません。
向上心と探求心があり、行動が明確になっているので「妥協」をしません。

その反対に、プロ野球選手になれない選手は自己防衛に走り、ミスをしないように保守的な考えを持っています。
可もなく不可もなくという状態で満足してしまいます。
中学生や高校生には、強豪チームに所属することで、満足して、チームの強さを自分の強さであると勘違いしている選手も多くいます。
自分の成長につながらないだけでなく、チームの成長の足を引っ張ってしまうこともあります。
そんな選手にチームに貢献するように言ったところで、大きな力は発揮できません。
妥協することが当たり前になっている人に、いくら練習させてもその効果は知れています。
自ら、成長を放棄しているので、なかなかチームに貢献することも難しいと思います。

 

そのような選手を自主練習などを増やして、選手が主体的に練習するやり方で成果を出すには、価値観を共有することが必要です。
それは、「全員が自分自身の成長を目指す」ということです。
仮に、自分の成長を目指さない選手がいたとするなら、それはチームワークを乱しているということであり、チームの規律を守っていないという状況にすることです。
誰もが
「辛いことはやりたくない」
「誰かに怒られたくない」
「失敗したくない」
などとは、本音では思っていると思います。
そこで、自制を保ち、感情をコントロールして行動できる人間に育てていくことを目指さなければなりません。
自分で自分に厳しくでき、自分で自分を育てていけるということです。

 

練習時間が短縮されるようになり、練習の量よりも質を高める方向に進んでいっています。
その時に、必要になってくることが、今回書いてきたことです。

人間力を土台に場面場面に適応したスキルを身につけることで、様々な環境に適応できます。
そのような人になることができれば、野球だけでなく、それ以外の場面でも力を発揮できるのではないかと思います。

成長期の怪我。

現在、僕自身、多くの成長期の選手を指導しています。
早い子では、小学生高学年くらいから一気に身長が伸び始めます。
かなり個人差はありますが、その時期が中学生、高校生の選手もいます。
成長期には、成長痛を含め、怪我のリスクが高くなります。
そんな成長期の障害の話です。

 

僕は、周りの人に比べ、成長が遅かったので、身長が急激に伸びたのは中学生から高校生にかけてでした。
その間に成長痛で苦しんだという記憶はありません。
身長が174センチとあまり高くないので成長痛にならなかったのかもしれません。
鈍感で気がついていないだけかもしれませんが・・・。

急激に身長が伸びると怪我のリスクが高くなります。
なぜかというと、骨と筋肉の成長度合に違いがあるからです。

骨の方が早く伸び、その後に筋肉がそれに追いついていきます。
そのために、骨の長さと筋肉の長さに差が出てしまい、筋肉は普段から引っ張られた状態になります。
筋肉は引っ張られているので、硬くなり、柔軟性が低下します。
そうすると可動域が狭まり、怪我や故障のリスクが高くなります。
それだけでなく、骨自体もまだ未成熟のため、関節付近の骨はまだ軟骨成分が多く、大きな負荷に耐えられません。
競技によって、痛めやすい部分は変わってきますが、どの競技をするのにも注意が必要です。
野球では、肘の故障、肩の故障は多く見られます。
膝や腰、足首を痛めるケースもあります。
骨や筋肉、関節、腱などを痛めやすく、筋肉に骨が引っ張られ、その骨が剥がれ、疲労骨折になってしまうこともあります。

この身長が大きく伸びる成長期は、親や指導者は特に注意が必要で、無理をさせないようにしなければなりません。

僕の感覚では、背の高い選手ほど成長痛になりやすく、痛みを訴えてくることが多いように感じます。
個人差がかなりあるので、練習量や強度を上手くコントロールしながら、個別にメニューを組むことが良いのではないかと思います。
痛みが出ていなくても予防の意識を持ち、ストレッチを多めに行うなどして、成長期に備えることも大切です。
野球は典型的ですが、多くのスポーツが身長の高い方が有利になります。
それなので、身長の伸びが止まるまでは、少しでも身長を伸ばすことができるように努力するべきだと思います。
身体を上に大きくすることは、成長期しかできないことですが、横に大きくすることは、何歳になってからでもできます。
たしかに、野球などのスポーツでは、体重を増やせば、試合で結果を残せる確率は上がると思いますが、優先順位の上にあるのは、身長を伸ばすことだと思います。
体重を増やして、見た目を大きくしても、骨はまだまだ未成熟です。
特に、膝や足首など体重を支えなければならない箇所は、重たい上半身を支えるために、関節痛や疲労骨折を起こす可能性が高まります。

運動、栄養(食事)、休養(睡眠)のバランスを取り、身長を伸ばす努力をするべきというのが僕の考えです。

 

成長期に起こる障害は、気をつけていても完全になくすことは難しいことです。
もし痛みが出てしまった時は、無理をせずに専門家に診察してもらうことが必要です。
実際に、どのような状態になっているのかを知ることで、より適切なリハビリメニューを組むことができます。
どの程度の休養が必要なのか、どの程度の練習までならしていいのか、このようなことは診察を受けなければ、なかなか判断することができません。

無理して練習や試合に出場させるよりかは、今できることを全力でやる方が、選手のためになると思います。
しっかりとした目標を立て、計画的にトレーニングすることで、早く復帰できるようになるだけでなく、再発防止にもなります。
考えればできることはたくさんあります。
自分の身体と向き合いながらできることを全力で行うことは将来必ず役に立ちます。

 

成長期には、怪我のリスクは高まりますが、大きく成長できる時期でもあります。
身体も成長しますが、考え方や精神的にも大きく成長します。
成長期という大切な時期を無駄にしないように、大人がブレーキをかけながら、目先のことだけでなく将来を見据えて過ごしてほしいと思います。

過労。

トレーニングは、日常の身体活動のレベルより大きな負荷の運動をすることによってトレーニング効果が得られます。
しかし、大きな過負荷を続けると同時に、疲労回復に必要な栄養と休養が不十分であった場合には、パフォーマンスやトレーニングの効果が低下してしまいます。

疲労を上手くコントロールできずに過度の疲労である「過労」となってしまう選手がいます。
今回はその「過労」についての話をしたいと思います。

 

成績が残せずに、調子が上がらないのを、コンディションが原因であると考え、調子を上げるためにさらにトレーニングに励んでしまい悪循環に陥っていく選手がいます。
特に、真面目で責任感があり、練習熱心な選手が「もっと頑張らなくては」と自分を追い込んだ結果としてそうなってしまいます。
過剰なトレーニングが長時間続くことによって疲労が徐々に蓄積し、回復できなくなり、疲労が抜けない状態になってしまうと、いつも通りパフォーマンスを発揮できなくなってしまいます。
筋力の低下や持久力の低下はわかりやすいですが、投球時などでは連動性が落ち、出力が低下します。
集中力が低下すればイライラしたり、思考力が落ち、判断力も鈍ります。
そうなるとトレーニングで得られる効果も少なくなります。
身体が疲労すれば障害リスクも上がります。
さらに酷くなれば日常生活でも身体が重く感じたり、食欲が低下したり、体重の減少などが起こります。
不眠や不安、集中力低下などの精神的な症状がでることもあります。

 

毎日頑張って練習やトレーニングを行っているにもかかわらず、効果が上がらない。
それどころか、逆に調子が悪くなってパフォーマンスが低下してしまうという選手をプロ野球の世界でも何人か見てきました。

選手のコンディションを決めるのはトレーニングだけではありません。
トレーニング以外にも食事(栄養)、休養(睡眠)、精神状態、なども影響します。
それらは、他人に管理してもらうことはなかなかできないので、自分で意識してコントロールすることが大切です。
ついついトレーニングに目がいきがちですが、その他の要素にも十分、気を配るようにしなくてはなりません。

そこで、疲労が蓄積し過ぎてパフォーマンスが上がらなくなってしまう要因を考えてみました。
まず考えられることは、トレーニング量が適切ではないということです。
強度と回復期間のバランスが崩れてしまい回復が間に合わないことです。
トレーニング負荷に見合うエネルギーを摂取することができない、休養、睡眠が十分ではないと回復にも影響します。
急激なトレーニング負荷の増加も身体が対応できずに疲弊してしまいます。
練習やトレーニングだけでなく、試合が続いたりすることも、身体の負担になります。
単調なトレーニング内容が続くことも肉体的にも精神的にも疲労しやすくなります。
家族や指導者からの期待や記録への期待などが高くなれば精神的なストレスになります。
競技とは関係のない家族、友達、恋人、などが精神的ストレスとなり疲労となることも考えられます。
仕事や学校などの生活でも疲労は起こります。
風邪をひいている時や体調不良の時では、また違ってきます。
当然、気温が高かったり、湿度が高かったり、環境でも疲労は変わってきます。

このような要因が考えられますが、個人差がかなりあり、同じことをしていても全く問題ない選手もいれば、過度の疲労となってしまう選手もいるということを頭に入れておく必要があります。

 

ちなみに、プロ野球で長く活躍している選手は、これらの負荷に異常に強いということが言えると思います。
練習量も多いですが、食べる量も多い。
単純なトレーニングを毎日続けられ、毎日試合をする体力、精神力を兼ね備えています。
プレッシャーを力に変える能力も持っています。
だから、僕はプロ野球選手を例外と考えることが妥当だと思っています。

とはいうものの、同じ人間であるので近づくことは可能だと思います。
例えば、自分自身を良く知るために練習日記やパフォーマンスの記録をつける。
そうすることで、練習やトレーニング内容をより適切に設定でき、練習量をコントロールしやすくもなります。
自分を客観視できるようになれば、その日のコンディションを自覚でき、精神の緊張とリラックスのバランスを保つことにもつながります。
もっと細かく、食事や水分摂取を把握することで、エネルギーや炭水化物、たんぱく質などの栄養を適正量摂取できるようになっていきます。
睡眠の質や量もコントロールできます。

これらを習慣にできれば、疲労と上手く向き合える選手に近づきます。
疲労を上手く使うことで、身体も精神も成長させることができます。
そのためには自分にとってどこまでが適正な疲労で、どこからが過度の疲労である過労になるのかを把握する必要があります。

 

普段から自分の体調をチェックする習慣を持ち、どこからが休み過ぎなのか、あるいは休みが少なすぎるのか。
どれだけ追い込んだら負荷のかけ過ぎなのか、あるいは足りないのか。

自分自身の能力や経験、体調、あるいは天候などを考慮し、自分で適正な負荷を決めていけるようになることも磨かなければならない能力だと思います。

疲労って何?

人は生きていく中でどう疲労と付き合っていくのかは重要なことです。
しかし、その疲労とは、とても奥が深くまだまだ分からないことだらけです。
一昔前には、疲労とは乳酸が溜まることであり、疲労回復とは乳酸が減ることであると言われていました。
ランニングメニューをしたりウエートトレーニングをしたときに「疲れた。乳酸が溜まった!」と言ってきましたが、近年では、乳酸が疲労の原因ではないと言われています。
今は、乳酸は疲労を起こすどころか、疲労を抑制する働きがあると言われています。
そんな疲労の話をしてみたいと思います。

 

何をすると疲労をもたらすのか?
疲労度を左右する要因は何なのか?
僕の知る限り、疲労を正確に測ることはできていません。
疲労は多くの場合、複合的な要因で起こります。
運動内容や活動時間、暑さや寒さなどで変わってきます。
性別、年齢、睡眠や食事などの生活習慣、健康状態、などでも疲労度に影響を与えます。

一概に、身体をたくさん動かしているから疲労度が高いというわけではありません。
逆に、身体を多く動かしている人ほど疲労が低く、身体をあまり動かしていない人ほど疲労が高いというのが僕の感覚です。
プロスポーツ選手よりも、サラリーマンの方が疲労しているように感じます。
これは人によって感覚は違うと思いますが、そのくらい疲労を判断することは難しいことだと思っています。

疲労には、筋肉が疲労するような肉体的な疲労と、脳が疲労するような精神的な疲労があります。
肉体的な疲労は、身体活動で求められるエネルギーとそれをこなせる体力のバランスによって生じます。
僕は現在、トレーニングや投球練習をまったくしていないので、少し投げただけでかなりの筋肉痛になってしまいます。
現役時代には、筋肉痛にならないレベルの運動でも今は筋肉痛になってしまいます。
このような筋肉の疲労はトレーニングや投球練習を行い、体力が増せば疲労は生じにくくなります。

精神的な疲労とは、人間関係や悩みなどの心理的ストレスによって起こります。
精神的に緊張状態を強いられる環境にいることで疲労を感じます。
自律神経のバランスが乱れることでも起こります。
例えば、忙しすぎて気が休まらないといった量が多い場合やミスできない、よく考えないとできない、といった質が高い場合などでも疲労が溜まっていきます。
自分の思い通りにならないような我慢がストレスとなり疲労を感じるようになることもあります。

 

運動や睡眠不足やストレスなどで心身に負担がかかった結果として起こる疲れですが、「疲労」と「疲労感」は違ったりもします。
好きなことをしていたり、成果が出ていたり上手くいっている場合など、頑張って活動してもあまり疲れを感じないことがあります。
夢中になって遊んでいるときや、夢中になって練習しているときはあまり疲れを感じない経験があると思います。
ランニングメニューなどで、多くの選手がゴール前のラストスパート時では多少疲労していてもスピードアップできます。
ゴールを脳が認識することで走るスピードを上げられることから、疲労を感じていても身体が疲労しきっているわけではないということが言えると思います。
このように、「疲労」と「疲労感」が一致しているとは言えない場合もあります。
その時の気持ちや報酬、達成感や集中状態などにより疲労感は変わります。
疲労を感じず活動を継続してしまい、その結果、気がつかない間に、疲れが蓄積し、怪我や故障につながってしまうことがあります。
特に子供は、疲労を上手く言葉にできないので注意が必要になります。
疲労は本人が自覚するかどうかという主観的な問題だけでないことも知っておかなければなりません。

 

「疲労」は超回復を使って、身体を成長させたり、爽快感を得たりと悪いものだけではありません。
心身を休めるようにという自分の身体や脳からのメッセージであり、人間が生き抜いていくために備えている、過度の活動を防ぐ心身の防御機能とも言えます。

疲労と上手く向き合い、どこまでいったら過労なのかを判断することは重要なことです。
「疲労」と過度の疲労である「過労」の境界線は曖昧です。
人によって大きく異なるとも言えると思います。

少なくとも過労を生じることのないように気をつけなければなりません。
過労は、疲労骨折を招いたり、怪我や故障につながります。
精神的な疲労が酷くなれば、うつ症状や引きこもり、過労死につながります。

 

大人や指導者が知っておかなければならないことは、疲労の原因は様々あって、多くの要因がある。疲労は複合的な現象であり、個人差があるということです。
そして、疲労についてわかっていないことが様々あります。
今後、テクノロジーの進化によりいろいろ解明されていくとは思いますが、疲労をどのように見るのかはとても重要なことだと思います。

他者からの評価。

他者からの評価というのは、1度失ってしまうと取り戻すことが大変です。
評価を上げることは、一歩一歩なのに対して、評価を下げるのは一瞬です。

第一印象でネガティブな印象を与えてしまっても同じです。
そんな他者評価の話です。

 

他人の評価に振り回されて生きていく必要はありませんが、他人からの評価が低かったり、他人から信用されないのは、良いことではありません。
他人から好かれようと生きていく必要はありませんが、他人から嫌われるようなことは避けるべきだと思います。
他人の評価を上げようと毎日を過ごす必要はありませんが、他人からの評価を落とすような言動は避けるべきだと思います。
人に嫌われて得はありませんし、他人からの評価を下げていいことはありません。

その場、その瞬間での言動の大切さを軽視する、もしくは考えないのは、改めるべきです。
なぜなら、築き上げてきた信用が壊れたり、信頼されなくなるのは、とても簡単だからです。
ひとつの行動やひとつの発言によって、一瞬にして失われてしまいます。
たった1度の失敗で全てが崩れてしまうこともありますし、ちょっとした気の緩みによって今まで積み上げてきたものが崩れてしまうこともあります。
不祥事や失言、ついてはいけない嘘をついたり、約束を守らなかったり、などで、すべてを失うこともあります。
すべてを失うというところまでいかなくても、その一瞬があったがために、後々に響いていくこともあります。

イライラして自制を保てなかった瞬間にした行動により、評価を落とすことも考えられます。
ミスをしてしまったときに、照れ隠しの言動や言い訳をすることで評価を落とすこともあります。
独りよがりのプライドや必要のないプライドにより評価を落とすこともあります。

一瞬の行動や一言を誤ってはならないということです。

1度信用を失い、不信感を抱いた相手にまた信用してもらうには大変な時間と労力がいります。
自分が不信感を抱いた相手をまた信用するのが、どのくらい難しことかを考えれば分かると思います。

人は信用を失うと、その後、相手は否定の目で見るようになります。
裏切られた人を見ていたとしたら「また裏切るのではないか」という目で見るので、日々評価が下がっていきます。

失った信用は継続的に時間をかけないと取り戻せません。
その人に対して常に誠実に接する事ができて、初めて回復していきます。
継続を辞めれば「やっぱり」となり、その時点で振り出しに戻ります。
このように、失った信用を取り戻すのは、簡単なことではありません。

 

信用を取り戻すために必要なことは、今の現状を受け入れ、言い訳をせずに自分ができることに集中し、今まで以上に自分に厳しく生きていくことです。
可能な限りコツコツと地道に積み上げていくしかありません。
そしてしっかり反省して行動で示すことです。
自分に厳しく、同じ過ちを繰り返さないことです。

1度下げてしまった評価を取り戻せるかどうかというのは他人の評価なので自分で決められるものではありません。
しかし、その後の自分の行動によって、その後の評価が変わってきます。
失敗したりしても腐らずに、しっかり反省して自分に出来ることを精一杯することが何よりも大切なことです。
自分自身がブレる事なく行動していくことです。

信用を取り戻すことは本当に大変です。
常にブレがなく続けていくことで少しづつ取り戻していけます。
ひたむきな行動と素直な心が大切になってきます。
日々の積み重ねが自分自身の成長につながり、成長することで他者からの評価も上がっていきます。

 

誰でもミスはありますし、上手くいかないこともあります。
大切なことは、それを受け入れ、しっかりと反省する心を持つことです。
そしてどんな状況になろうとも、それを乗り越えるくらいの努力と行動をすることです。
日々の努力の積み重ねが、気がつけば周りの評価を上げていくことになるのではないでしょうか。

規律正しい生活。

前回の投稿で「自由と規律。」の話をしました。
規律を持つことは重要だということを言いました。
今回はその規律をもう少し詳しく話していきます。

 

プロ野球の世界にいて感じたことは、プロ野球選手になるような選手や野球が上手くなるには「規律正しい人」で「規律正しい生活」を送れる人にならなければいけないと思われていますが、そうではないということです。
たしかに活躍する人は規律正しい人であってほしいというのはわかりますが、実際には、規律正しくなくてもプロ野球選手になり、活躍している選手もいます。
しかし、そのような選手でも、自分がやると決めたことは徹底して守ります。

それを踏まえて、僕が重要だと思うのは、世間一般に言われるような規律正しい生活を身につけることではなく、自分にとって適切な規律を身につけるということです。
これはプロ野球選手を目指す人だけでなく、むしろ、これから社会に出ていく人にも必要だと思っています。
自分が成長するために必要な習慣を作るための規律を持つことが重要です。
規律正しい人になるためではなく、成功に必要な習慣を見極め、その習慣を身につけるために必要な規律を自ら選んで実践していくことです。
トップ選手は自分を律することができ、自分にとって必要だと思う練習やトレーニングを毎日続けることができます。
それは習慣になっているからです。
習慣は努力を努力と思わなくなり、辛いことを楽にしてくれます。

僕自身の幼少期を思い出してみると、小学生の時に「野球が上手くなるために時間を使う」という自分自身に作った規律に全力を注ぎ、それが毎日練習するという習慣になり、その後の生活をシンプルにし、すべての生活が楽にできるようになっていきました。
たったひとつの「野球が上手くなるために時間を使う」という規律が充実した日々をもたらし、現在の人生を作っていったと言えると思います。
人生の核になるような習慣を小学生の時に身につけることができたことは、とても運がよかったと言えます。
良い習慣を作るために規律を作るということを理解できたことは、現在までの成長に役立っているのではないかと思います。

 

重要なのは、他人から与えられた規律ではなく、自分で作る自己規律を身につけることです。
鍛えれば身につけることができ、自己規律を守れば、自信になり、目標達成に近づき、充実感や達成感を得ることができます。
さらに、時間ができるようになるので、より多くのことができるようになります。

目的を持ち、自己規律を持つことで、今だけを考えて行動するのではなく、将来を見据えて行動できます。
意志の強さや努力は、限度があり、それを頼りにするのには限界があると思っています。
意志の強さや努力は、習慣を作るために必要になりますが、習慣さえ作ればそれほど必要ありません。
成長する人を見ていると、重要なのは行動ではなく習慣だと感じます。

明確な目的・目標を持ちひとつずつ達成していくことで、成長していきます。
その方向が的確なら、努力すれば目標に近づくということになるはずです。

 

規律正しい人にならなくても良い、規律正しい生活をする必要がないと言っているわけではありません。
目指すべきは規律正しい人ではなく、日常生活や社会で役立つものを見極め、身につけることができる人だと思っています。
規律正しい生活が必要だと思えばそれができる人です。
規律で重要なことは、自分で決めた規律であり、自分との約束です。
これが徹底できれば、自分が必要だと思う規律は守ることができるからです。

必要なのは、良い習慣を身につけるための規律です。
人は良い習慣も悪い習慣も持っています。
優秀な人とは、自分にとっては何が良い習慣なのかを見極めて、その良い習慣を多く持っている人とも言えると思います。
自分で規律を作り良い習慣を作っていくことが、目標を達成する近道です。

自由と規律のバランスを理解し、自分自身を育てていきましょう。

自由と規律。

昔に比べて最近は怒られることが少なくなってきています。
だからと言い、何をしてもいいわけではありません。
いつの時代もダメなものはダメであり、怒られないからと言って、してはいけないことが少なくなったわけではありません。

一昔前は、ダメなことをすれば、殴られたり、怒られたりしていました。
今、同じようなやり方をすれば、問題になってしまいます。
しかし、殴られないからといい、何をしてもいいというようになったわけではありません。
むしろ、より規律が必要になったといえるのではないかと思います。

 

運動部では、長時間練習が良くないと言われ、練習時間が短くなってきています。
ここで重要になってくるのが、練習の質であり、練習が短くなったことで生まれる、自分の時間の使い方です。

「好きにしていいよ」と言われて、自分を成長させれるように行動し、パフォーマンスがさらに向上する人がいます。
その一方で、自分がやるべきことができずに、生活が乱れて、なかなか成長できない人がいます。

この違いは、単純に自分の中に「規律」があるかないかの違いです。
規律がある人は、自分の中にルールを設定しています。
だから、誰も見ていなくても、どれだけ権力が与えられても、自分の決めたルールを守ることができます。
しかし、規律がない人は、自由になった途端に崩れてしまいます。
ひとりの時の自分が、本当の自分であり、誰からも見られていないところでいかに自分を磨いていけるのかが重要です。

 

自由と規律のバランスを理解し、実行できる選手に育てていくことは、僕の目指しているところのひとつでもあります。
そのために、僕が教えている選手によく言うことが「自分との約束を守ろう」ということです。
自分がやると決めたこと、または、やらないと決めたことを守ることができるようにすることは、自分を成長させるためにも、他人から信頼されるためにもとても重要なことです。

個人の成長だけでなく、自由と規律のバランスを理解した選手を増やすことが、チームワークを高めることにつながると考えています。
自由を尊重して、その中でも、自分をコントロールして責任のある行動を心掛けます。
その責任のある行動を決める基準は「スポーツパーソンシップ」にあります。
自制を保ち、周りを思いやる。ルールを守る。そしてお互いに成長を目指す。
この基準で行動することが自由と規律のバランスを保つことになります。

子供たちには、自分の発言や行動が、結果として他の選手たちの「自由」を阻害してしまうことがよくあります。
チームでは、お互いの自由を尊重するため、規律が必要です。
なぜ規律があるのかというと、お互いを思いやり、お互いに成長を目指すためであり、自由を作るためということになります。

 

それを理解し、自分で自分の規律を作ることができれば、
時間を守る。
身だしなみを整える。
あいさつをする。
人や道具を大切にする。
マナーを守る。
などといったことの本質を理解できるのではないかと思います。
これを、怒られるからやる。ガミガミ言われるからやるでは、自立(自律)した選手になったとは言えないと思います。
人権を無視するような、暴力や罵声ではなく、時間はかかるかもしれませんが、辛抱強く自由と規律の重要性を理解させていくことが大切です。
ルールで縛るのではなく、最低限のルールで組織を円滑に運営し、発展させていくことが理想的です。
そのためには、個人個人が自分のルールを決め、守っていくことが必要です。
簡単に身につけられるわけではないので、指導者や大人が自己規律を自らの背中で見せることで、選手、子供が自ら学習し、自律的な子供を育てることにつながると思います。

 

自由や自主性と言われますが、自由をはき違えて、マナーやモラルがない人に何も言わずに放っておくというのは、違います。
それを、暴力や罵声というやり方ではなく、指導者の指導力によって、理解させなければなりません。
つまりは、指導者は、今まで以上に指導力が求められ、指導者自身が成長していくことで、子供の成長を促していくことが、必要になってきているのではないでしょうか。

これからの時代の人の評価は、今まで以上に、年齢や学歴や国籍などよりも、人間性という物差しで評価されるのではないかと思います。
スポーツを通じて、評価される人間を育てていくことはスポーツの発展においても重要になってくると思います。

価値観。

物事の考え方は様々あります。
物事をどのような視点から見るかで大きく変わってきます。
しかし、自分の価値観でしか物事を見ることができなければ見えないものがたくさんあります。
物事を多方面から見て考えるということで今まで見えなかったことが見えてくることがあります。

 

昔、暗記をするときに、緑のマーカーペンと赤い下敷きを使って勉強していました。
暗記したい単語を緑のマーカーで塗ってそれを赤い下敷きを使って見ると単語が黒く塗りつぶされ見えなくなるという仕組みです。
または、オレンジのペンで文字を書くとその文字自体が消えて見えなくなります。

何が言いたいかというと、赤い下敷きというフィルターを通して物事を見ていると緑で塗りつぶされたものは理解できないということです。
さらには、オレンジで書かれたことは、書かれていることすら気がつかないということです。
それを見るためには赤い下敷きを緑の下敷きや違う色の下敷きに変えなければなりません。
自分の価値観というフィルターでしか物事を見ることができないと、ほかの人の価値観が全く理解できずに衝突してしまいます。
物事を違う角度から見ることをしないと入ってこない情報もあります。
自分のフィルターを通して物事を判断しているという認識を持つ必要があります。
他の人の意見を聞くときに、自分のフィルターだけで聞くのではなく、物事を俯瞰し、異なる立場や方向から判断することが重要です。

今話題となっている高校野球の投げさせるべきか、投げさせないべきかの問題もそうです。
観る人の立場から考えれば、多くの人が160キロを超えるような高校生を見たいと思います。
選手の身体を守るという視点から考えれば、まだ大人の身体になっていない選手に登板間隔が少ない中で多くの球数を投げさせるべきではないという考え方になります。
学校の経営という視点から考えると、とにかく甲子園に出て、名前を売ってくれということになります。
メディアにしてみれば、話題性も抜群で注目度もあるので、毎試合出て、勝ち上がってほしいと考えると思います。

この間に立たされている監督はとても難しい判断をしなければならないので本当に大変です。
どんな判断をくだそうとも批判を避けられないのではないかと思います。
そういう意味では、監督を守る意味でも何かしらのルールを作る必要があるのかもしれません。

 

「価値観」は、育った環境や社会環境によって大きく変わってきます。
時代によってもどんどん変わってきます。
その時代時代で、なにが良くてなにが悪いのかという基準は大きく違うこともあります。
長時間働くことが求められていた時代もありましたが、今は短時間で効率的に働くことが求められています。
同じ人でも価値観は変わるということです。

そんな中でも、物事を判断し行動していかなければなりません。
その基準になるものは、根本にある本質的な目的ではないかと思います。
様々な価値観を持った人が集まった時に、目指すべきところを共通認識することが必要です。
ここが曖昧ではなかなか意見をまとめることは難しいと思います。

高校野球を例に出して言えば、「教育を受ける権利」を前提とする「教育の一環」であり「野球はスポーツである」ということから考えるということです。

 

違う価値観というのは自分にとって新しい考え方です。
価値観が違う人との出会いは、新しい物事の見方に気がつくきっかけになります。
同じような価値観を持った人といる方が楽で居心地がいいかもしてませんが、様々な価値観に触れることで自分自身をより成長させることができます。
時代が変化するスピードが加速度的に早くなっている現代において、多くの色のフィルターを持つことが、考え方が多様化している今の時代を生きる上で必要になってくるのではないかと思います。

ピッチ・スマート

「ピッチ・スマート」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

「ピッチ・スマート」とはアメリカメジャーリーグが出している育成期の投手のためのガイドラインのことです。
日本ではあまり馴染みがないと思いますが、このガイドラインはアメリカだけでなく中南米、欧州、など多くの育成年代の野球に導入されています。

アメリカでの子供たちの投げすぎによる故障を危惧し、若い選手の腕の故障を減らすために何年もの間、データを集め研究を重ね、考えられました。

故障を完全になくすことはできませんが、一定の成果が出ていることは証明されています。

日本の子供たちは世界的に見ても肩、肘の故障が多いと言われています。
この「ピッチ・スマート」というガイドラインは参考にするべきではないかと思います。

 

「ピッチ・スマート」というガイドラインはメジャーリーグの公式サイトで閲覧することができます。
8歳以下、9~12歳、13~14歳、15~18歳、19~22歳と細かく分かれています。

例えば、日本の高校生にあたる15~18歳で書かれていることを紹介したいと思います。

・ストレートとチェンジアップを完璧に習得した後に変化球を投げ始めることが出来る
・12ヶ月の間に合計100回イニングを超えて投げてはいけない
・毎年最低でも4ヶ月は投げるのをやめ、そのうちの少なくとも2〜3ヶ月は継続して休まなければいけない
・ピッチングの前に適切なウォームアップをする
・投球数の制限と必要な登板間隔を設定してそれに従う
・同時に複数のチームにてプレーすることを避ける
・交代した後のピッチャーはキャッチャーを兼任出来ない
・プレイヤーは同じ日に複数の試合に参加してはいけない
・リーグ、トーナメント、ショーケースでは必ずガイドラインに従う
・年間に野球以外のスポーツをすることを推奨する
・選手の疲労の兆候を把握する
・一度交代し守備についたピッチャーが再び登板するのは一度までとする
・連日の試合において投球数にかかわらず、連投は2日までとし3日以上の連投は出来ない

このようにかなり細かくガイドラインとして書かれています。

それ以外にも、投球数のガイドラインとしても細かく示されています。

(https://www.mlb.com/pitch-smartより)

1日の上限だけでなく、投球数によっての休息期間まで細かく決められています。
例えば、高校生が81球投げたら、4日間の休息が必要です。
31球投げただけで、次の日は投げることができません。
日本人の感覚では、ありえないくらい厳しいと思うのではないでしょうか?
おそらく、このガイドラインレベルで子供たちを育成しているチームはほとんどないのではないかと思います。

しかし、海外ではこのような投球制限を設けて、それに従うのは当たり前になってきています。
アジアでも、台湾や韓国は投球制限を導入して子供たちの故障を防ごうとしています。
子供たちの身体を大切にするという部分では、日本の野球は遅れていると言わざるを得ない状況だと思います。
最優先されるべきは、選手の安全であり、健康であるべきだと思います。
プレーヤーだけでなく、指導者、保護者、観客、メディアを含め、もっと子供たちの身体を大切にするということが必要ではないかと思います。

 

目先の勝利やその時の感情に任せて、将来の可能性を狭めることがないようにと願うばかりです。

目指すべき選手。

僕が子供たちを指導するときに心掛けていることです。
どのような人になってほしいのかという理想を常に頭に置いて子供たちに携わっています。
決して目先の結果だけにとらわれないように意識しています。
そんな話をしていきたいと思います。

 

僕が目指している理想の選手とは「勝手に自分自身で上手くなっていく選手」です。
自分で自分の人生を切り開く力をつけてほしいと願っています。
この力が低いと何かに依存するという状態になりやすくなってしまいます。
依存とは、他のものに頼って成立・存在することを言います。
ギャンブルやお酒、たばこ、薬物、人への依存もあります。
ギャンブルやお酒、たばこ、薬物、などの依存は説明するまでもないと思いますが、人への依存には、常に相手にしがみついたり、相手を支配したり、束縛することで安心や満足を得ようとします。
このような依存の原因として、自分で自分の人生を生きるという感覚が損なわれてしまうことがあると思います。
ギャンブルやお酒、たばこ、などは「どのような危険があるのか」「どのくらいの量なら問題ないのか」といったことが理解していて、実行できることが重要です。

コーチに依存していたり、親に依存しているのは、良いことではありません。
これを作り出しているのは、コーチであり、親です。
いつまでも、親やコーチに「こうやりなさい」「これをしなさい」と課題を与えられていては、考える力が身についていきません。
大人は子供に簡単に答えを教えるのではなく、子供が自分で考え、時には質問し、話し合い、自分で決断し行動していくことが重要です。
小さな頃からの小さな決断の習慣の積み重ねがどんな状況下でも、自分の意思、判断で行動し、その自分の行動の根拠を説明できる人に育っていきます。
子供が自分で課題を見つけ、考え、話し合い、自分で選択して、自分なりの解決をしていく、というサイクルを支えていくのが大人の役割です。

これは、決して、大人は子供に任せっぱなしで、大人は何もできないということではありません。
子供を放置しておくということでもありません。
子供の話をよく聞き気持ちを考え、よく話し合うことが大切です。
悪いことは悪いとはっきり伝え、ダメなものはダメと言わなければなりません。
その時に大人としての意見を言う必要があります。
ただし「あなたはどう思う?」と聞くことは忘れてはいけません。
決定は本人がすることが重要だと思っています。
自分で自分の人生をコントロールできているという感覚を身につけることは必要なことです。

 

僕が見ているのは今だけではありません。
決して小学生を今、良い子に育てることではなく、中学生を完成された中学生として良い子に育てることではないと思っています。
今、良い子だからといい、将来、幸せになれるわけではないからです。
その代わりに、選手が30歳、50歳、70歳、となった時に、幸福に生きていける力を身につけられるように接していきます。
選手が幸福な人生を生きていくことができるような人間に育てることを目指します。

大人は、子供に安心感、安全感を持ってもらうことや、必要とされている、愛されているという感覚を与えることが何よりも大事だと思っています。
親や指導者から必要とされるため、愛されるためにいつも気を使い、ビクビクしながら育てば、育ちに悪影響を及ぼすことになります。

例え失敗しても「失敗はするもの、しても何とかなるものだ」というのを子供の頃から身につけていくことは重要です。
失敗の1つや2つ何とかなるという安心感、安全感を育てることでチャレンジ精神を育むことにつながります。
選手が何かミスや大失敗をしてしまったときに、隠される人ではなく、1番に話をされる存在でありたいと思っています。
選手が上手くいっているときよりも上手くいかずに悩んでいるときこそ、指導者の資質が試されると思っています。

 

人生というのは自分で決めて自分で実行するしかないものです。
だから、育成とは、選手を上手くすることではなく、自分自身で上手くなれる選手にする手助けをすることだと思っています。
何かに振り回されるのではなく、周りのものを上手く使ったり、自分自身をコントロールできるようにしていきます。

自分で課題を見つけ、自分でどんどん成長していく。
自分で自分の人生を切り開いていく。
そして、自分の人生を自分自身で幸福にしていく。

このような生きる力を「スポーツセンシング」と言っていますが、人が成長するための本質的な能力を育んでいくことが選手の育成において重要なのではないかと思います。

忍耐力を発揮しない。

忍耐力とは「辛いことや苦しみなどを耐え忍ぶ力。辛抱する力。」のことを言います。
時と場合によるとは思いますが、忍耐力を発揮しないことで上手くいくと思うことが多々あります。
そんな話をしたいと思います。

 

忍耐力が成長を阻害していると思う選手を何人も見てきました。
忍耐とは同じところでとどまることです。
例えば、寒さに耐える。暑さを我慢する。といったように苦しみなどを耐え忍ぶ力のことです。
現状を改善しようと前向きに行動することは忍耐ではなく努力と言います。

肉体的に限界を超えた我慢や忍耐は身体を傷つけ、酷くなれば故障に繋がります。
精神的に度量を越えたパワハラなどの我慢や忍耐は心がすり減り崩壊します。
酷くなれば引きこもりやうつ症状になることすらもあります。

このような過度の肉体的、精神的ストレスに忍耐力を発揮する必要はありません。
耐え忍ぶことを美徳だと勘違いし、理不尽なことや嫌なことに我慢し続けることは良いことだとは思いません。
指導者や大人が子供に対して、本人が嫌なものを無理矢理継続させようとしたところで、そこに集中力は生まれません。
集中して物事に取り組むことができなければ、期待しているほど、子供の力を伸ばすことはできないと思います。

たしかに、嫌なことを我慢しなくてはいけない場面はあるとは思いますが、ずっと我慢を続けていたら、人間の心と身体はすり減っていってしまいます。
それを防ぐためには、ただ我慢し続け、耐えるのではなくて、回避する方法を考えたり、現状から抜け出す努力をしていくことです。

僕が感じたトップ選手が持つ能力は、嫌なことや辛いことを我慢し続ける忍耐力ではなく、それをどうやれば成長につなげられるのかを考える力であり、自分の夢や目標に向かって努力する力です。
目標を実現するためのチャレンジする力と粘り強く継続していく力を持っています。
ここに忍耐力はありません。

本人に話を聞くと、努力をしているという感覚よりも、好きで楽しいから、他人からやり過ぎるなと言われても勝手に好きでやってしまうというように感じます。
心の底から好きなことは楽しいから続くのであって、完全に習慣化できているので、努力して続けているわけではありません。
表現は難しいですが、トップ選手は忍耐も努力もしていません。(している感覚はありません。)

 

指導者は忍耐力を育むことや物事を継続させようとしますが、僕はそれはそこまで重要だとは思っていません。
それよりも、競技を好きにさせることや、好奇心や創造力、そこにチャレンジする能力のほうが重要だと思っています。
そうすると結果的に辛いことやハードなトレーニングを継続できるようになっていきます。

上のレベルになればなるほど、現状を大きく変えることは簡単なことではありません。
だからこそ、どうすれば現状を変えることができるのかを試行錯誤しながら、何度も粘り強くチャレンジする必要があるはずです。
その場で耐え忍ぶ忍耐力ではなく、自分を成長させるために何度もチャレンジし続けられる力が必要です。

 

場面によっては忍耐力が必要ないと思うこともあります。
忍耐力がないが故に、自分ができないことがあることに耐えられないのでできるまで練習するということができます。
下手に忍耐力があると、できない自分に耐えられてしまうので忍耐力が成長を阻害してしまいます。

僕は、忍耐することがとにかくできません。
嫌なことに耐えることが苦痛です。
小さな頃から、勝負に負けることに我慢ならなかったので、負けないようにいつも考えていました。
負けることに耐えられないので練習を繰り返していました。

嫌なことが目の前にあり続けていたり、何度も起こっていたら、忍耐力を使わないことが物事を良い方向に持っていけると思います。
嫌なことを我慢するのではなくそれを回避するために行動することが重要です。

何かを成し遂げるのに必要なのは忍耐力ではなく努力です。
努力を続けることです。

努力をすれば成長できるという成功体験を多く経験することができれば、成長するために、努力することができるようになってきます。
これを続けて、努力することを習慣化できれば、努力ではなく習慣になります。
習慣化されれば頑張る必要もなくなり、自然と練習ができます。

 

なかなか、わかりにくい表現になってしまいましたが、仮に、忍耐力が必要だというのなら、自分の目標に向かう過程に忍耐があるのだと思います。
忍耐力をつけるのではなく、学びの過程に忍耐があるということです。
物事を耐え忍ぶ力よりも、現状を切り開く力を身につけてほしいと思います。

生涯学習。

生涯学習という言葉は最近よく使われるようになってきています。
学習するということは、生きていくうえでとても重要なことです。

その学習を2つの側面から考えてみたいと思います。

 

ひとつが自分が成長するために学ぶという学習です。

もうひとつが社会が変化するにつれてそれに適応するためにする学習です。
すでに学習したことの構造を変えるということでもあります。

赤ちゃんや子供の学習は、自分が成長するために学ぶことが中心に行われてます。
参加しているコミュニティが家族であり、そのあと仲間ができてきて、学校に行ってと、大人に比べ、社会に十分参加していないので自分が成長するために学ぶことが中心になります。

もうひとつの社会が変化するにつれてそれに適応するためにする学習は、大人になってから様々なコミュニティに属し、その社会を構成し、動かしているときに重要度が増し、行われる学習です。

どちらの学習も重要ですが、昔に比べ、近年は、後者の学習力をつけることが重要視されています。
なぜなら、社会が変化するスピードが格段に上がっているからです。
昔は時代の変化するスピードも遅かったのでこの学習能力はそこまで重要視されていなかったのですが、現代は時代の変化が加速度的に起こっているからです。
仕事を例に出しても、僕が学生の頃には、ユーチューバーという仕事もなかったしプロのeスポーツ選手が生まれるなんて想像もできませんでした。
もちろん、将来ユーチューバーになりたいなんて人はひとりもいませんでした。そもそもユーチューバーという言葉すらありませんでした。

今後更に、様々なことが今までにないスピードで変化していくことが予想できます。
今持っている知識だけで、10年、20年先の社会で生きていくことは難しいと思われます。
だから「生涯学習」と言われるようにいつまでも学び続けることが求められてきています。
社会が変化するにつれてそれに適応するために必要な学習という部分が重要であるということです。
これが、国を挙げて、「生涯学習できる人」を育てようとしている理由だと思います。

 

スポーツに求められることも同じです。
日本のスポーツは、体育と混合していることから、多くの選手が練習や課題は、指導者に用意して貰って、与えられてやるものだと思い込んでいます。
思い込まされていると言ったほうが妥当なのかもしれません。

しかし、社会が求めている「生涯学習できる人」とは、スポーツでは課題を自分で見つけて練習できる人のことです。
自分の理想とする選手に近づけるよう自ら考えることができる選手です。

僕は、スポーツを上手く使うことができれば、スポーツはこのような力を育むことに非常に適していると思っています。
スポーツもテクノロジーの進化により、様々なことが証明され、どんどんレベルが上がってきています。
ピッチャーの球速を見ても、僕が、小さい頃は140キロを投げることができるピッチャーは注目されていましたが、今は150キロを投げなくては注目されません。
ここ何年かで、格段にレベルが上がっていると感じます。
プロ野球では、どんな選手でも進化していかなければ毎年成績を残すことは難しいと思います。
これは他のスポーツでも言えることだと思います。
スポーツでは、現状を見て、課題を見つけ、それに対して目標を明確化します。
そして、練習内容やトレーニングを決定し、実行します。
その振り返りをし、次の目標の設定をしていきます。
これを繰り返していくことが上達に繋がります。
これを根気強くできることが求められます。
これができるということは、「生涯学習できる」と同じことです。

学校教育でやろうとしていること。つまり、国が求めている人材を育成することにスポーツが適しているということです。
スポーツで、課題に対して、調べて、情報を入手し、そこから学んで、問題を解決する能力を身につける。
「学ばなければならないのだ」という心構えと「学ぶ方法を知っている」という学習技術は様々な分野で活かせます。

 

スポーツを通じて、どんな社会になろうとも、その変化に適応する力を身につけることができると思います。
そのためには、指導者自身が学び続ける姿勢を持ち、時代の変化に適応していく必要があります。
スポーツ界は時代遅れと思われるのではなく、スポーツ界が時代の先を目指していくことが重要だと思います。

アメとムチ。

前回、「基礎・基本」が重要だという話をしましたが、それを身につけるには本人の根気とやる気がなければなかなか身につけることは難しいと思います。
人が行動を起こすにはやる気が必要です。
どうやったらやる気にすることができるのかという話をしたいと思います。

 

人が行動を起こすきっかけの根本には「やりたい」か「やりたくない」かがあります。
「やりたい」と思うきっかけは、自分が達成したいと思うような、自分が希望する何かがあるときです。
こうしたいという面に注目し、自分や他人にとって良い結果をもたらすように行動計画を立てます。
「やりたくない」と思うきっかけは、自分が避けたいストレスや不快な何かがあるときです。
自分の周りに潜んでいるリスクに敏感になり、最悪な事態を考え、そうならないように計画を立てます。

「アメとムチ」で説明するなら、「アメ」は報酬を得るために「やりたい」というきっかけでやる気を促し、「ムチ」は罰を避けるために「やりたくない」というきっかけでやる気を促すということです。

この「ムチ」は短期的にだけ考えると効果的です。
なぜなら、大抵の人は「アメ」と「ムチ」が近くにあるときには、「ムチ」の強さの方が「アメ」の強さよりも強いからです。
安全を確保するのは動物の本能だからです。
しかし、「アメ」と「ムチ」が遠くにあるときには、これが逆になり、「アメ」の強さの方が「ムチ」の強さよりも強くなります。

暴力や脅しで恐怖を与えるようなやり方が近くにある場合と、報酬として何かが与えられるというやり方が近くにある場合では、恐怖を避けようとすることの方が選ばれやすいということです。
しかし、これが遠くにある場合は、恐怖を避けようとするよりも報酬を得たいと思う方が多いということです。
だから、短期的にだけ考えると「アメとムチ」では「ムチ」の方が効果的だと言えます。

「ムチ」による「やられたくない」から行動するというのは、ストレスを避ける行動です。
ストレスは過度にかかると、多くのマイナスな結果を引き起こすことは証明されています。
ストレスがかかると短期的には活気づけられますが、長期的にわたってストレスを感じながら生きていると、病気のリスクも高くなります。
罰に対して逃避行動を取ることは、人間の自然な反応です。
これがいつもだと、結局、ストレスを受けたくないという思いから行動を考えるようになってきます。
脅しの環境を逃れないと、いつかは練習や競技を続ける意欲がなくなります。
脅しを多用する環境では、安心して時間を過ごせるようにいつの間にか、その環境を避けるようになっていきます。
過度のストレスを受けている選手が練習が休みだと喜ぶというのはこの最たる例だと思います。

「ムチ」を避けるというきっかけで行動するのは、自分を成長させるという考えや良い結果を出すという考えにはなかなかなりません。
そうすると、結果を得るための過程は重要視しなくなります。その結果、練習で手を抜いたり、相手を蹴落としたりミスや間違いを隠しがちになるということが起こり、成長が促されません。

それなので僕は、「ムチ」で指導するというやり方は「絶対にダメだ」とは言いませんが、リスクがありすぎると思っています。

 

その反対の「アメ」を上手く使うことで得られることは多くあります。
プロ野球で活躍しているような選手は、練習やトレーニングを楽しんでやっていて、失敗したり怒られることを回避する手段としてではなく、自分の理想に近づくための手段として練習を考えています。
プロ野球選手のやる気は自分がやりたいからやっているという考えで行動しているということです。

多くの能力を自分が考え、行動することで必ず取得できるものだと信じています。
ミスや間違いは練習が足りなかったという証拠になります。
考えてやれば上手くなるのだと信じて、間違いを自分の能力不足の証拠として恐れることなく、目標達成の手段として使うことができます。
新しいことを試してミスをして、そこから学びます。失敗はその時には悪いかもしれませんが、長い目で見れば成長へのきっかけになります。
さらに、自分のミスだけでなく、他の人のミスや過去のことからも同じように学ぶことをしています。

さらにトップ選手は、他人から与えられる「アメ」だけでなく、自ら「アメ」を用意して行動するのでやる気を保てます。
そのポイントは上手くなっている、なっていないが感じられることです
費やした努力の量とそれに合った成長の関係を知ることは、やる気を起こさせるコツで、達成した時の喜びを報酬として得ることです。
それを経験させ、実感させることが重要です。

 

普段「ムチ」を使わない人がごくたまに「ムチ」使えば、あまりやる気が見られない人をやる気にさせるのに効果があると思います。

成長を促すにはアメとムチをバランスよく使うことは必要です。
しかし、してはいけないことはそのバランスが「ムチ」側に傾くことです。
罰が強くなりすぎては、競技が嫌いになったり、ストレスにより身体を壊してしまいます。
褒めながらバランスよくストレスを掛けていくことが成長を加速させていくと思います。

基礎・基本

僕は、野球の基本というのはとにかく重要だと思っています。
基本がしっかりできているからこそ、そこから応用して様々なことができるようになります。
基本があってこその応用なので早いうちに基本を身につけることは大切なことだと思っています。
そんな基本を身につけるための話をしたいと思います。

 

基本を身につけることは大切と言いましたが、だからといい、いきなり基本練習を繰り返して基本を身につけようとしてもなかなか上手くいきません。
なぜなら、基本を身につけるためには、基本を身につけるための基礎的な部分が必要だからです。
基礎的な部分とは、基礎体力であったり、基礎的な動きのことを言っています。
基礎体力は運動の基本になっていて、体力がないと運動はできません。極端に言えば、寝たきりの人が運動をしようと思ってもできません。
当然基本動作を身につけることも難しいです。

基礎的な動きは、しっかり立つことから始まり、そこから歩く、走る、跳ぶ、前後に移動する、横に移動する、などの動きがあります。
投げる、捕る、振る、なども動きの基礎的な部分です。
このような動きをスムーズに適切にできる身体操作の基礎がなければ基本動作を身につけることは難しいです。
基礎ができてこそ、難易度の高い動きへ変えたり、ひとつの動きから類似した動きや、多様な動きを獲得していくことになっていきます。

 

野球の基本と言われる動作の前に身体操作の基礎・基本があるということです。
この身体操作の基礎を身につけるには遊びの要素がとても適していて、外遊びの中で自然と覚えていくことができます。
夢中になって遊んだ経験が、知らぬ間に効率的なトレーニングになっていたということです。
外遊びのような経験が少ない選手にはトレーニングとして行う必要があります。
走る、跳ぶ、投げる、捕る、などいくつかの基礎的な動きが組合わさり身体操作の基礎となります。
その動きの基礎ができていないのに技術の基本を身につけることはなかなか難しいと思います。

例えば、守備の基本練習として腰を落としてボールを転がして捕るという練習をよく見ますが、この練習こそ、身体操作の基礎がなければ効果的ではありません。
「腰を落とせ」と言われたときにお尻を落とすような身体の使い方をする選手は、先ずは「腰を落とす」という基礎的な動作をできるようにしなければなりません。
両足を広げ、裏もも(ハムストリング)を上手く使って、股関節を折るような動きで腰を落とすことができなければ、形だけ低く構えられるようになり、逆に動けなくなり守備力が向上しないということが起こってしまいます。
このように守備の基本を身につけるには、身体操作の基礎ができているかが重要になります。
その基礎的な動作をできるようにすることが先決です。
(そもそも「腰を落とせ」と言う表現が選手がどう感じるかを知る必要があります。「腰を落とせ」と言われ、お尻を落とすような選手には別の言葉を選ぶべきです。)

 

野球が上手くなるためには、基本を身につける。
その基本を身につけるためには、身体操作の基礎を身につける。
そこから応用していくということが野球が上手くなることにつながると思います。

応用力をつけることも、とても重要ですが、応用力とは、基礎・基本がしっかりあった上で探究し新しいことにチャレンジすることでついていきます。
上手くいくこともいかないことも含め、「これはこうだった、次はこうしてみよう」とリフレクションし試行錯誤を繰り返した結果で伸びていく力です。
応用力は、基礎・基本を身につけた選手が自分自身でしか伸ばせないものだと思います。

例えば、投球動作を身につけたピッチャーがボールの握り方を変えるという応用をすることで、変化球を投げることができます。
基本となる投球フォームがなければ効果的な変化球を身につけることはなかなか難しいことだと思います。

プロ野球選手やメジャーリーガーの投球フォームやバットを振るフォームも人によってさまざまなスタイルがありますが、これも基本の応用のひとつの形と言うことができると思います。

 

基礎・基本が身についてるからこそ、高いパフォーマンスが出せます。
だからこそ基本というのを大切にしていくことが重要です。
その基礎を作るのが遊びなので、野球が上手くなりたければ、遊びを大切にするということでもあると思います。

大人の熱心さが子供の成長を止める。

僕が子供たちの指導をする上で、どのように考えているのかを書いてみました。
先ず、根本にあることは「子供の才能を潰してはいけない」ということです。
子供ひとりひとりを大切にし、どう才能を伸ばしていくのかと考えれば、行動は決まってきます。
何か参考になることがあればと思います。

 

いつも考えていることは、子供を変えようとするのではなく、子供を変えるために自分がどう変わるかということです。
子供を変えようと大人が熱心になりすぎることで、才能が潰れていくのをたくさん見てきました。
子供に合わせることをせずに、「自分のやり方はこうだから従え」というやり方では、多くの選手は伸びません。
子供のためを思い「勉強しろ」「練習しろ」「真面目にやれ」などと言いうことにより、伸びない子供に変えていってしまってると感じることが多々あります。

多くの選手が練習や課題は、指導者に用意して貰って、与えられてやるものだと思い込んでいます。
それは、大人によって思い込まされているとも言えると思います。
少なくとも、僕の見てきたトッププレーヤーにこのような考えの選手はひとりもいませんでした。
課題は自分で見つけて、それに対して練習します。
自分の理想とする選手に近づけるよう考えるということです。

僕は「教えたことは身につかない」と思っています。
教えたことが身につくのなら、みんなテストで高得点を取れるし、みんなプロ野球選手のように上手くなれるはずです。
いつもフォアボールを出すなと教えられている野球のピッチャーがフォアボールを出すようなことはなくなるはずです。
しかし、現実はそうなっていません。
多くの指導者が、自分が教えられて身につかなかったことを体験していながら、子供たちに同じことをしています。

僕は、選手に技術を教えて上手くさせようとすることは選手のためにならないと思っています。
指導者が選手を上手くするのではなく、勝手に上手くなる選手にどう変えてあげられるのかを考えるのが指導者だと思っています。

本人が「どうしたら身につくのか」「どうしたら上手くなるのか」考えなければ身につきません。
重要なことは考える習慣を作ることです。
早く結果を出させようと、考える時間を削り、答えを教えていくことで、考える習慣が失われていきます。
そうすることで知らず知らずのうちに子供の才能が潰されていきます。

正しいことを教えることで成長するという考え方は、勉強や練習の本質ではなく「自分はこう考える」や「自分はこう感じる」「こうやってみよう」というように、あくまで自分で決め、行動に移すことが重要だと思います。
自ら学びたいと思い、学び続けることが成長に繋がります。
スポーツを通じて主体的に学び、自分で考えることが好きになれば、その先の将来にも役に立つと思います。
「今結果を出すことだけに関心を置く」「試合での勝利にこだわりすぎる」「大人主導の練習をする」「練習を多くやらせる」「上手ければなんでもいい」などの考え方では、子供の才能を引き出せません。

野球やスポーツや勉強自体を好きだったり、考えることや学びが好きになった上で次のカテゴリーに進むのと、もう野球やスポーツは嫌だな、勉強は嫌だな、というふうに感じて次のカテゴリーに進むのでは、その後、大きな差になることは想像できます。

 

大人や指導者に求められることは、完全な人間はいないという大前提の上で、子供の存在自体を認めるということです。
子供はみんな未熟です。
どんな子供にも居場所が必ずあるということを本人に理解させることをしなければなりません。
どんなに野球が下手だろうと、どんなミスをしようと、どんなに悪いことをしようと、その中でも、子供が持っている輝ける部分を見つけてあげることが指導者だと思っています。

そもそも大人ですら完璧な大人はいないわけで、子供の未熟さにイラッとしてしまう時点で、大人が自分はまだまだ未熟であると思うべきです。
大人が子供にイラッとするというのは、大人自身に弱さがあるからであり、自分の我慢強さが足らないことや自分の思い通りにならないことで怒りを生んでいることを正当化してはいけません。
大人自身が自分の弱さを認めることができれば、子どもの未熟なところにいちいちイライラしなくなります。
逆に言えば、子供の未熟さにイライラしてしまうということは、大人自身が自分の未熟な部分を直視できていないということです。
自分が未熟なのに子供にだけそれを直させようと考えるのは、難しい話です。
子供と一緒に成長していくということが大切な心構えだと思います。

 

つまりは、子供を成長させたければ、自分自身を成長させなければならないということです。
自分のやりやすいように管理するよりも、突拍子もないことをする子供に接する方が、自分自身の引き出しも増え、より成長できます。
それが、子供の才能を潰さないことにつながるのではないかと思います。
子供を育てているようで子供に育てられている。
この関係が重要なのではないかと思います。