子供の成長段階。

子供には成長の段階があり、いきなり大人になるわけではありません。
これは、身体的な部分だけでなく、精神的な部分や考え方も同じです。
子供たちに大人と同じように接したり、大人と同じようなトレーニングをやらせることが効果的ではないことも多々あります。
僕が子供たちと接する時に注意していることを書いてみました。

 

スクールや様々なチームを見ているので本当にいろいろな子供がいるということが良くわかります。
その中で、それぞれの子供に成長してもらいたいと考えたときに、その子供に適した接し方ができるかで成長が大きく変わってくると感じます。

先ずは、子供たちが積極的に身体を動かす習慣を作ることを心掛けます。
特定のスポーツをやるよりも、遊びでもいいので身体を動かすことで様々な動きを覚えていくことが重要だと思っています。
身体を動かすことが好きという子供にすることが、後のスポーツ競技での成長につながると思います。

その中で、スポーツを少しずつ覚えていき、スポーツを好きになってもらえるよう楽しませることを心掛けます。
その競技が好きだというようになることがその競技力を上達させるのに欠かすことができないことです。

競技の技術や体力を高めていくのはその後だと思っています。
野球でいえば「打った」「抑えた」といったような個人のスキルをどう伸ばしていくかを考えます。
まだこの段階では、チームの勝利を求めることはしません。
個人のスキルが上がることで、さらにその競技が楽しくなり、ますますその競技が好きになるという循環を作ることが大切です。

もっと上手くなりたいという思考と、「試合で勝ちたい」「勝つことがうれしい」といったような感情が芽生えてきてから、チームプレーやチームの勝利にどう貢献するのかを教えていき、相手に勝つことを目指します。

さらに上を目指したいという選手には、プレッシャーなどのストレスをストレスとして感じるのではなく力に変えていくことを教えていきます。
カテゴリーが上がれば厳しさが増していくということも教えていく必要があります。

 

大まかに、このような段階を踏んでいくことを心掛けています。
この順番を無視して選手を育てていくことは難しいと思っています。

外遊びなどで身体を動かして遊ぶことで土台を作り、スポーツが好きで楽しいと思うことで自分から進んで練習に取り組むようになります。
これがないのに技術や体力をつけさせようとトレーニングさせても選手にとっては苦痛になってしまいます。
本人が「上手くなりたい」「成長したい」「いいプレーをしたい」と思って初めてトレーニングに積極的に取り組むことができます。

ある程度まで成長しなければ「チームにどう貢献するか考えろ」や「負けて悔しくないのか」と言ったところで理解できません。
だから、子供の中には、チームが勝っても自分が活躍できなければ落ち込んでいる子供がいるし、逆に、チームが負けても自分が活躍できていたら喜んでいる子供もいます。
チームが負けたことをチームメートと悔しがり、負けたことから何を学び、それを次にどう活かしていくかが考えられるようになってやっとチームの勝利を全力で目指しにいくということができます。

これらの段階は、積み上げていくものなので、いつになっても身体を動かすことが好きで、スポーツを楽しめないといけません。
上のレベルになれば、自分をどうしたら成長させれるかを常に考え、献身的にチームのために動くことを考えることが必要です。

 

このような段階で子供たちに接することで子供たちは、競技を夢中になって行い、楽しむことができます。
夢中になれないようなら、ひとつ前の段階に戻って子供のやる気を引き出す必要があります。

どうやっても夢中になれない、心の底から楽しめないようなら、他の競技をしたり、他のことをしたりしてその子供に合うものを探すことも考える必要があると思います。
親や大人がやらせたいものを無理強いするのではなく、子供がやりたいこと、打ち込めることを一緒に探してあげることも重要なことです。

子供たちの成長段階には個人差があります。
それを見極め、その選手に適した接し方ができるようコミュニケーションを取りながら成長を促していけたらと思っています。

指導者は、子供たちがどうしたらスポーツを楽しめるかを考えることが大切です。
その競技を嫌いにさせないということは、選手を上手くすることよりも遥かに重要なことだと思います。
スポーツを通じて人格を身につけ、生きていく力を育み、それを次の世代に伝えていくという流れを作ることがこれからのスポーツ界が目指さなければならないことではないかと思います。

相手に対する思いやり。

スポーツはスポーツパーソンシップに則って行われます。
スポーツパーソンシップとは、「感情の抑制」「相手に対する思いやり」「フェアプレー」そして「卓越性を相互に追求する」といった、スポーツをする上での心構えのことをいいます。

なぜ、スポーツマンシップではなくスポーツパーソンシップという言葉を使っているかというと、最近は「ビジネスマン」という言葉を使わずに「ビジネスパーソン」「スチュワーデス」は「キャビンアテンダント」のように男女を別ける言葉は使わなくなっています。
実際、「スポーツマンシップ」でひとつの単語であり、「man」という単語には「人、人間」という意味もあるので問題はないのかもしれませんが、「person」には「人、人間」という意味と「人格」といった意味もあるので、今後のスポーツの持つ位置づけも考え「スポーツパーソンシップ」という言葉を使っています。

今回は、スポーツパーソンシップの中の「相手に対する思いやり」について考えていきたいと思います。

 

「相手に対する思いやり」とは、相手を尊重する、敬意を払う、リスペクトするといったようなことを言います。
相手を大切に思うこととも言えます。

この大切に思う相手とは、対戦相手だけのことを言っているわけではありません。
相手以外にもチームメートや、審判、指導者、観客、家族、関係者、など競技に携わる人たちのことを指します。
それだけでなく、道具、施設、ルール、歴史や伝統なども尊重する対象です。
そして忘れてはならないのが、自分自身を大切に思うことです。
自分自身を大切に思えば、自分自身に正直になり、誇りを持った行動ができると思います。

相手に対する思いやりを持つことで、相手の素晴らしかったプレーを評価し敬意を払います。
思いやりのある人というのは、相手の立場になって考えることができる人であり、まわりの人の感情を思いやって行動することができる人です。
自分がやられて気分が悪いと感じることは相手にもしてはいけません。

相手あってのスポーツなので、相手に気分よくプレーしてもらい、それでも負けないという気持ちでお互いに勝つために全力でプレーします。
常に全力を尽くしてプレーすることは、相手に対する思いやりでもあります。
試合には勝ち負けがありますが、より強い相手に勝てたときの方が大きな喜びがあります。
相手のおかげで自分も頑張れたし、成長できたと思えるはずです。
お互いにベストを尽くせたときに、純粋にスポーツを楽しいと感じ、充実感や達成感があるのではないかと思います。

また味方同士も思いやりを持つことが大切です。
味方の足りないところを補い合い、味方のミスを怒ったり責めたりするのではなく、カバーすることが大切です。
ひとりひとりを大切にし、個人個人が持っている個性を尊重しながらチーム力の向上を目指していきます。

また負けた時でも、他人のせいにしたり、ふてくされた態度をとるのではなく、自分より相手のほうが強かった、上手かったと思うことが大切です。
自分の弱さや課題を教えてくれたと思うことで次の目標ができ、次に進んでいけます。
このような態度が人間的な成長やプレーの向上につながるだけでなく、皆からも尊敬される良い人間になれるのではないかと思います。

思いやりの心は、他から強制されてできるものではなく、日頃から自分で意識し個人として判断力を磨かなければ、なかかな身につきません。

思いやりを持てる子供に育てるには、周囲のすべての大人が「思いやりの心」を持って子供に接することだと思います。
親、先生、指導者、審判員、など、周囲の大人が、子供の人格を認め、思いやりの心を持って接すれば、子どもは自然に思いやりの心を持つようになるのではないでしょうか。
自らが相手への尊重を示せば、相手からも尊重が返ってくると思います。
スポーツでは、その競技の歴史的な成り立ち、伝統を学び、理解した上で、その競技自体を尊重する心を持つ必要があります。
それを少しずつ教えていくことも指導者の役割です。

 

スポーツにおいて相手に対する思いやりを持つことは、勝利よりも優先すべきことだということを忘れてはいけません。
人間の尊厳を保ち、個人の人格を尊重し、ルールを守り、他人や周囲を思いやる気持ちを持った中でベストを尽くすのがスポーツです。
スポーツである以上優先されることは、個々の選手の健康・安全、そして努力から得ることができる喜びだと思います。
勝利は、喜びの中のひとつの要素にすぎないと思います。

 

スポーツパーソンシップとは、優れた人格を身に付けるための心構えであり、スポーツを通じて少しずつ身に付ける人格的な総合力のことだと言えます。
スポーツに大切なものを尊重し、自らが判断するということは、スポーツをする上で求められる最も基本的な要素です。

プレーヤー、審判、観衆、など、スポーツに携わるすべての人の行動がスポーツを作っていくということだと思います。

子供のスポーツ離れ。

今、野球人口が激減しています。
特に小学生や中学生の野球離れが進んでいます。
その原因を考えてみました。
野球だけでなく、子供の競技人口が減ってきているスポーツは共通しているところが多くあると思います。
スポーツ離れが進んでいるという現状を踏まえて考えてみました。

 

子供のスポーツ離れの原因はいろいろ考えられると思います。

公園や広場など、子供が外でスポーツをする機会が減ってきました。
スポーツの楽しさを知る機会が減り、室内で簡単に遊ぶことができるゲームやスマートフォンに魅力を感じる子どもが増え、ゲームやスマートフォンの利用時間が増えたといったような環境的要因もあります。

監督、コーチが上手な選手、レギュラー選手のみ大事にしたり、勝つことがもっとも優先されるような勝利至上主義。
子供それぞれの能力を伸ばすような関りなどポジティブな指導を行っているかといったようなチームの方針や指導者のやり方の問題もあります。

塾や習い事を多く習わせる傾向が強まっているという社会的背景がある中で、練習を休んだら試合に出さないといった指導者もいます。

親の関わりの問題もあります。

さまざまな問題が考えられますが、その中で「親の関わりの問題」を掘り下げて考えてみたいと思います。

 

親とキャッチボールをしたりボールを蹴ったりする中で、楽しいと思うことで子供はスポーツに興味を持ちます。
環境の問題もあるとは思いますが、核家族化や共働きで、子どもの面倒を見る時間が少なくなり、親が子供と一緒に公園などで外遊びをして身体を動かす機会が少なくなっています。
また、地域の父兄さんたちもスポーツ少年団などの指導をする時間的余裕がなくなっています。

特に野球では保護者に負担が大きくかかります。

休日に早く起きて、弁当作りをします。
お茶出しやお茶当番などがあり、グランドにいかなければなりません。
試合や練習の送迎や道具を車で運んで準備することもあります。
グランド整備や草むしりなどもします。
ボランティアでコーチを頼まれたり、球拾いをすることもあります。
試合になれば審判をしたりします。
父親だけでなく、母親も試合中のアナウンスをしたりスコアを書いたりもします。
大会ともなれば声を出して応援しなければいけないチームもあります。
家に帰ればユニフォームの洗濯もしなければいけません。

これらは、やり方やチーム方針次第で大きく減らすことができます。
チームによって大きく異なりますが、昔からやるのが当たり前でやってきたので、なかなか改善されていない現状があります。

時代も変わってきて保護者自身のプライベートな時間も尊重し、好きな保護者は来ればいいし無理してくる必要はないといった雰囲気を作ることも大切だと思います。

また、保護者間で子供のレギュラーをめぐる争いがあったり、保護者同士で揉め事があったりするチームもあります。

せっかく見に行っても自分の子供が全く試合に出られないことも親としても子供としても面白くはありません。
チームに所属しているのに、いろんな経験を積むことができないということになってしまいます。

金銭的な負担になるということもあります。
学校の部活動は金銭的な負担も保護者が関わる負担も少なく済みますが、全国的に縮小傾向にあります。
地方では、運動部が2つや3つしかないという学校もあります。

そのようなことも子供のスポーツ離れに大きく影響していると思います。

 

せっかく子供がスポーツをやりたいにも関わらず、「親の当番の負担」や「親同士の人間関係」が原因でチームに入れないということをなくさなければいけません。

今まで当たり前だったやり方が原因で子供をチームに入れたくない保護者が多くいると思います。
多くの家庭が、習い事を多く習わせている現状を考えると、時代の変化を感じ取り、子供の将来に役に立つと思わせることができれば、スポーツ離れを食い止め、競技人口を増やしていくことは可能なのではないかと思います。
そのためには、スポーツの本質を考え、スポーツの価値を高めていく必要があると思います。

現代の子供の体力・運動能力の低下。

数十年前よりも子供の体力、運動能力の低下が見られます。
小学校、中学校で行われる体力テストの結果としてはっきりと示されています。
現代の子供の体力・運動能力の低下について書いていこうと思います。

 

体力は人間の発達・成長にとても重要なものです。
体力をつけることで、病気への抵抗力を高めたり、健康を保つことができます。
体力が向上することで、身体がよく動くようになると気力が湧いてきたり、何かをする意欲が増したりとモチベーションにも関わります。
精神的ストレスに対する抵抗力も高まります。

より豊かで充実した人生を送るためにも、体力を高めることは必要な要素です。

その体力を高めるために適しているのが、運動やスポーツです。

近年よく言われている、子供の運動やスポーツ離れが進んでいることが、子供の体力・運動能力の低下の原因にひとつになっていると考えられます。
子供の野球の競技人口が激減していると言われていますが、これは野球だけの問題ではなく、サッカーなど他のスポーツにも言えることです。
野球離れという問題で考えるのではなくスポーツ離れという問題で考えるべきだと思います。

 

子どもは、外遊びなどによる運動を通して、体力をつけ、五感を鍛え、身体の動かし方を学び、脳の発達を促していくなど、運動が心身の発達に深く関わっています。
外遊びのような運動は、ただ身体能力を向上させるだけでなく,知力や思考力の向上の基礎になります。
外遊びのような運動をすることで、身体を自分の思う通りに動かす能力を向上させることにもなります。

幼少期には、特定のスポーツをするよりも、外遊びの方が動きの種類が豊富なので、運動能力が高くなると言われています。
決まった動きを繰り返すよりも、好き勝手に遊ぶ方が多くの種類の動きを経験できるので、外遊びをすることはとても重要なことです。

さらに、スポーツをすることで、自己のコントロールや仲間との関わりから思いやりの心などの精神的な面を育むことができます。
優れた人格を身に付け、生きていく上で重要な自ら学び自ら考えることができる人材を育てるのにスポーツがとても役に立ちます。

 

このように本来、運動をすることやスポーツをすることで得られることはたくさんあります。
人間が生きていく上で、運動やスポーツは必要なことだと思います。

しかし、現状を見てみると、スポーツ離れが進み、子供の体力は低下していっています。
なぜそうなるのかを考えると、多くの人が運動やスポーツの価値を感じていないからだと言えます。
もちろん、多くの公園で野球やサッカーが禁止されていたり、少子化の影響でスポーツチームが減ってきていたり、受験勉強が優先されるといったこともありますが、人々の意識の中に運動やスポーツをする意義が薄れているということだと思います。

親やスポーツ指導者が、子供の発達段階に応じた指導方法を知らずに、いきなり技術的なことを教えたり、勝ちにこだわった指導をして、子供がスポーツの楽しさを知ることなくやめてしまったり、スポーツ嫌いになってしまうこともあります。
スポーツの本質を教えることなく技術指導を中心にすることにより、楽しくスポーツをする環境を作れないことも問題になっています。

スポーツを好きな子供を増やすためにも、子供の発達段階に応じて指導し、先ずは、スポーツをする楽しさを感じさせることをしなければならないと思います。
早期に特定種目へ専門化してしまうよりも、遊びやいろいろなスポーツに挑戦したり触れることで、その楽しさや喜びを味わったりすることができます。
自分にあったスポーツを見つけるためにも多様なスポーツをすることは必要です。
親や指導者は、個人の能力・適性を伸ばしていく視点に立って、体力や運動能力を向上させていくことで、子供の将来につなげていけると思います。
学生時代に運動部やスポーツクラブに所属していた人は、大人になっても高齢者になっても運動をするケースがそうでない人に比べ、多いと言われています。
健康的で歳を重ねても体力テストの点数が高いそうです。

生涯スポーツを楽しむためには、大人になってから突然スポーツを始めるのは難しいので、子供時代からスポーツに親しんでおくことが良いと思います。

 

生活習慣の基本は、バランスの良い食事、適度な運動、十分な睡眠(休養)です。
これは何歳になっても言えることで、子供の時からの習慣にすることで、充実したより良い人生を送ることにつながると思います。
スポーツをするということは、肉体的にも精神的にも得るものは多く、教育的な人材育成だけでなく、地域振興や地方創生、スポーツ産業、など多くの価値を生み出します。
もっともっとスポーツの価値を示し、スポーツを発展させていく必要があります。

子供の遊びの重要性とスポーツの本質を広めることが、子供の体力・運動能力の低下に歯止めをかけ、スポーツ離れをなくすことにつながると思います。

イチロー選手は何がすごいのか?②

前々回の投稿で「イチロー選手は何がすごいのか?」という投稿をしました。
それをさらにかみ砕いて説明していきたいと思います。

イチロー選手の優れた能力のひとつに「目標設定能力」があります。
その「目標設定能力」について説明していきます。

 

目標設定は能力です。
よく「目標を立てろ」と言われますが、能力なので能力がない選手は言われただけでは目標は決められません。
考える技術を上げなければ、的確な目標設定はできません。
優れた思考技術がなければ優れた目標設定ができないということです。

この目標設定能力が低いと、練習やトレーニングを継続することが難しいだけでなく、適切な練習もできません。
明確な目標設定をすることで得られる効果はたくさんありますが、そのひとつが行動力が上がることです。
目標を設定することで学び続けることもできるようになります。
成長するためには欠かすことができない能力です。

 

明確な目標を設定するには、目的がなければなりません。
目的にいくまでの通過点が目標だからです。
「こうなりたい」しかし「今はこうだ」というのを理解して、それを近づけていくのが目標になります。
それなので、目標は何個もあって当然ということになります。
大きな目標から小さな目標までたくさんの目標を設定することです。
その目標が、易しすぎず難しすぎない難易度であることが重要です。
挑戦と自分の能力のバランスが大事で、能力を超えすぎた挑戦はやる気を失うことになります。
逆に、能力以下の挑戦は成長機会を失うことになります。

少し頑張れば達成できる目標を大量に設定し、それを達成し続けることで、頑張ればできるという確固たる自信が身についていきます。
達成感や満足感から得られる喜びは、味わえば味わうほど、さらに前に進めるエネルギーになると思います。

目標は達成することが重要であるということです。
つまり、目標設定能力と目標達成能力はセットで考える必要があります。
そのためには、自分を客観視できなければ的確な目標は立てられません。
自分の能力を客観的に見る能力を養い、能力に合わせた目標設定をすることです。

「試合に勝つ」「ヒットを打つ」などの結果目標だけにならずに、自分が頑張れば達成できるような「練習でしてきたことを出す」「自分のスイングをする」などのプロセス目標にすることも重要です。
与えられた目標ではなく、自分が本当に目指している目標で、なるべく具体的なものにすることです。

「明確な目標設定をする」ことで成果を出すことや成長につながります。
ここで本当に重要なことは「目標設定」よりも「明確な」の部分です。
「明確な」というのは、今やることを指します。
そうすることで「他人」や「環境」や「出来事」といった自分でコントロールできないことに意識を向けるのではなく、今やるべきことに集中できます。
これが成長につながり、パフォーマンスを発揮するにも重要な思考でもあります。

また、目標の1つに「家族のため」「チームのため」プロ選手であれば「ファンのため」など誰かのために頑張るのだという目標を入れることで、やる気を高めることもテクニックのひとつです。

 

「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道」とイチロー選手はコメントしていましたが、まさにその通りだと思います。
それを身をもって体現したのが、イチロー選手ではないでしょうか。
自分に常に課題を持って、さらなる成長を目指す姿は、見習うべきポイントです。
イチロー選手の行動が、毎日24時間をどれだけ目標に支配させることができるかが重要であるということを証明していると思います。
自分自身をコントロールできていなければできないことです。

 

目標設定能力を高めるためには、他の能力も高めなければなりません。
例えば、客観的に見る能力がなければ自分にあった目標設定はできません。
自分自身を知るということはとても重要です。
高い目標を立てることで行動力が上がる人は高い目標を立てれば良いと思います。
しかし、全員が高い目標を立てることが良いというわけではなく、人によっては、高い目標を立てることで不安な気持ちになる人もいます。
そのような人は、無理をして高い目標を立てる必要はないと思います。

人それぞれ目標が違って当然です。
自分に合った目標を設定できるように思考技術を高め、目標設定能力を上げていくということも必要なことだと思います。

イチロー選手は何がすごいのか?

先日、イチロー選手が現役を引退しました。
僕の講演やスポーツセンシングの話を聞いたことがある方はわかると思いますが、僕の言う「スポーツセンシング」の塊のような選手がイチロー選手です。
プロ野球を見ていると、選手のスピードやパワー、体格、技術、結果などに目が行きます。
それで、スピードやパワー、体格、技術、などを向上させようと練習しますが、そのような選手のようにはなれません。
一流選手がパフォーマンスを生み出している本質的な能力は、スポーツセンシングだからです。
その極みがイチロー選手です。
イチロー選手の引退会見などから考えてみたいと思います。

 

イチロー選手の根本にあるのは、野球を誰よりも愛して探究することで充実感や喜びを得ているということではないでしょうか。
この「喜び」という部分は「楽しむ」と表現するトップ選手が多くいますが、会見の中で、「楽しかったか」という質問に「楽しい」とは言いませんでした。

この感覚はトップ選手とアマチュア選手では、大きく異なっているように感じます。
トップ選手の楽しむは、達成感や喜びを表しています。
それを得るために、練習中でも試合中でも、自分のやるべきことを明確にし、感情を消して夢中になります。
夢中なので、そこに楽しさは感じません。
逆に、苦しさも感じません。
だから、ハードな練習にも取り組めるし、練習を長く続けることもできます。
はたから見たら「努力している、頑張っている」と見えますが、そういう意識は本人にはないように感じます。

僕がプロ野球の世界に入り、トップ選手を見て感じたことは、努力を努力と思った時点で勝負にならないということです。
周りから見たらすごい努力しているように見えても、本人は努力だと思っていないで、当たり前にやらなければいけないこと、やるべきことだと思ってやっています。
イチロー選手の話を聞いていると、努力とは、やる気でするものではなく習慣であると感じます。
自分がやると決めたことは、やる気のあるないにかかわらず、やるべきこととして、いつも通りできます。
「やりたいこと」と「やるべきこと」が同じ、もしくは近い認識をしていることが重要です。
「やりたいこと」より「やるべきこと」が優先して行われるのがトップ選手です。

その積み重ねが良い結果や成績につながるのだと思います。

 

そうなるには、イチロー選手のように自分を成長させるということに価値を持つことも重要な要素です。
比較対象が周りの選手ではなく今までの自分と比較して成長することを目指していることがわかります。
だから、数々の記録や成績を残しても、人々に称賛されても、浮かれることも慢心することもないのではないでしょうか。
所属チームが決まっていなくても、試合に出場する権利を持っていなくても、黙々とトレーニングができるのも昨日の自分よりも成長したいという想いと、そうすることが道を切り開く最善だと考えているからだと思います。
メジャーリーガーは筋肉増強剤などのドーピング疑惑がかかる選手がいますが、イチロー選手は、まったくクリーンな選手であり、初動負荷トレーニングによって、自らを鍛え上げ、感覚を研ぎ澄ましてきたことからも、常に自分自身と向き合ってきたことがわかると思います。

 

スポーツセンシングに優れているとは、いくつかの能力が優れているということですが、その中に、優れた感覚を使って物事をとらえる能力があります。
まさしくイチロー選手が、他の選手と比べ、特に突出して高い能力です。
人よりも優れた繊細なセンサーを身に付けてるので、僅かな違いを感じ取り、パフォーマンスに生かすだけでなく、それを身体に記憶させていくことで次にもつなげていきます。
それだけでなく、怪我を予防することにも役立ちます。
多くの選手が、怪我や故障に苦しんでいますが、イチロー選手は引退まで徹底した自己管理と優れたセンサーにより自分自身の身体を守ってきました。
その物事をとらえる能力を磨くためにやっていることのひとつが、自分の決めたルーティンを決して怠らないことです。
試合の日は朝起きるところから寝るまで、球場入りの時刻やアップ、練習、食べ物まで、同じ行動パターンを一貫して繰り返しているそうです。
それが習慣として定着しているので、身体の僅かな変化に気がつき、微調整できます。
何年も一貫して、同じ行動をしているのに対して、バッティングフォームは毎年変化しています。
探求心を持って、これが自分にとって最善だと思う方法を追求し続けているということです。
自分で様々なことを試し、チャレンジする判断力がなければ、なかなかできることではありません。

 

フィジカルトレーニングや技術練習は重要ですが、もっと重要なのがスポーツセンシングを磨くことです。
イチロー選手を見ていると本当にそう思います。
行動すべてがそこにつながっています。
スポーツセンシングを磨くこととは、それに必要な様々な能力を向上させることですが、イチロー選手の会見を聞いてさらに確信を深めることができました。

選手宣誓。

スポーツ大会の開会式では、選手宣誓を行います。
この選手宣誓とは何を宣誓するのか?
最近、選手宣誓の本来の意義が忘れられてしまっているように感じる選手宣誓を聞くことがあります。
しっかりした選手宣誓をすることが、スポーツを正しい方向に持っていくことにつながるのではないかと思います。
少し説明していきたいと思います。

 

「我々選手一同は、スポーツマンシップに則り、正々堂々プレーすることを誓います。」

定番の選手宣誓ですが、これが選手宣誓です。

「我々選手一同は」という部分は、選手宣誓する人は、選手を代表して宣誓しているので、必ず言う必要があります。
そして、選手の総意を言わなければいけません。

「スポーツマンシップに則り」という部分は、「感情の抑制」「相手に対する思いやり」「フェアプレー」というスポーツパーソンシップを守るということです。
自制を保ち、自らの感情をコントロールし、味方、相手、審判を尊重し、その競技、ルールを尊重し、フェアーにプレーするということです。

「正々堂々プレーする」という部分は、公正で偽りなく、卑怯なことなどをせずに堂々とプレーすることを言っています。

これらのことを、自分自身、相手、審判、観客などに宣言するということです。
「我々選手一同は、スポーツマンシップに則り、正々堂々プレーすることを誓います。」
と誓うことにより、勝つためにどんなことでもやっていいわけではなく、スポーツパーソンシップに則ってプレーすることを再認識します。
たとえルールでは禁止されてなくても、やってはいけないことはあるということを選手全員に周知させ、確実にそれに則ってプレーさせるためのものです。

「スポーツパーソンシップに則って、正々堂々とプレーする」と宣言することにより、卑怯なことはしにくくなります。
周りの人も宣言している様子を見ることで、「きっと卑怯なことはしないだろう」と安心します。
対戦相手も、それを聞いて安心して、試合に集中して、正々堂々と戦えるようになります。

この選手宣誓が曖昧では、その大会での各選手の行いや、各チームの戦い方に違いが出てくるのではないかと思います。

また、大会は普段の練習の成果を披露する場と考えるならば、普段の練習から、スポーツパーソンシップに則り、正々堂々プレーするということを磨いていなければなりません。
大会でしっかりした選手宣誓をすることで、普段の行いを正す効果も期待できるのではないかと思います。

 

選手宣誓とは、宣誓する人の個人の決意表明ではないということです。
「感動を与える」「勇気を与える」というのではなく、選手の代表として、自分たちがどのような行いをするのかを宣言しなければなりません。

そこで、オリンピックで行われる宣誓がとても参考になります。
スポーツの世界基準がわかると思います。

オリンピックの宣誓では、選手・審判・コーチのそれぞれの代表が出てきて、それぞれが宣誓した後、選手代表が宣誓文を読み上げます。
その内容は、決まっています。

「私たちは、すべての名において、オリンピック憲章に則り、公平なルールを尊重し、スポーツマンシップとフェアプレーの精神を増進させることで、スポーツの栄光と、チームの名誉のため、決してドーピングをしないよう、オリンピック競技大会に参加することを誓います。」

というものです。

全選手の総意でなければならないという点でも、余計なことを言うよりもこのような形が適切なのではないかと思います。

 

今、日本のスポーツに1番欠けていることはスポーツパーソンシップだと思います。
それが選手宣誓に出ているのではないかと思います。
スポーツパーソンシップに則りという一文を使わない、選手宣誓にとても残念に思います。
僕は、スポーツの本質はスポーツパーソンシップにあると思うのでスポーツパーソンシップがもっと広まることを願っていますし、それに少しでも貢献していきたいと思っています。

スポーツパーソンシップの理解がなければ、解決できない問題はたくさんあります。
野球界で話題になっている投球制限もそのひとつです。
少なくともスポーツパーソンシップに則り、正々堂々プレーすれば、待球作戦などの発想は起こらないのではないかと思います。

選手宣誓の意味を教えることは、指導者が選手に教えなければならないことのひとつです。

ボランティア指導者

日本の子供たちの野球、サッカー、バスケ、バレーボールなどの多くのチームスポーツはボランティアコーチに支えられて成り立っています。
お金を貰うわけでもなく、ボランティアでチームに携わっています。
そのため、子供たちは月に数千円の活動費を払うことで、チームに入ることができます。
僕自身もそのような環境で野球をしてきました。

中には、週6日活動をしているチームも珍しくありません。
それだけボランティアコーチが頑張ってくれているということでもあります。
ボランティアコーチには、感謝しかありません。

 

小学生のチームの父兄コーチは、自分自身の子供がチームに入り、そこでコーチになり、子供が所属している間、コーチをすることが大半だと思います。
その中で、自分の子供がチームを卒業した後も残ってコーチを続ける人もいます。

チームの活動のために家庭の理解を得て、時間を作りチーム運営を助けています。
仕事が忙しい中でも、時間を作ってやっています。

また、コーチだけでなく、審判をやったり、連盟の手伝いをしたり、選手の送迎をしたりと試合運営やチーム運営のために、時にコーチとして、時に審判として、時に連盟の役員としてグランドに足を運んでいます。

そこまで人生に打ち込むことができることがあることは素晴らしいことだと思いますし、スポーツ少年団や学童チーム、町クラブはそういう無償ボランティアの方に支えられて活動できているのが事実です。

そういう方々が多くいて、頭が上がらないし、本当に頑張っていると思います。

現状の子供たちのスポーツチームには、ボランティアコーチは必要な存在だと思っています。

 

自分の暮らしている地域で、その競技が好きで教えているのであれば、それはすごく良いことだと思います。
また、そこには少なからず「現状よりも少しでもチームを良くしたい」「試合で勝ちたい」「子供たちに成長してほしい」というような意気込みもあると思います。

そこで重要になることは、子供たちに愛を持って接するということです。
子供が生まれたときに「生まれてきてくれてありがとう」「そこにいてくれるだけでいい」と思えるその気持ちが「愛」です。
尊重する、感謝する、信じて耐える、認める、許す、学ぶ、などが愛で接するということです。
愛の対象の心の自由を奪わないことでもあります。
愛は見返りを求めないということです。
「自分がこんなにやってあげているのだから、感謝しろ」とは言いません。

そこに大人の感情が加わると上手くいかなくなってしまいます。

子供たちのスポーツをする環境に、大人のエゴやプライド、欲、しがらみ、嫉妬、などといった様々な感情が絡んでくることで様々な問題が生まれてきます。
いかに、大人が感情をコントロールしてチームや子供たちに関わるかが重要です。

「愛情」ではなく「愛」で接するということです。
愛情は、字のごとく「情(感情)」が入ってしまうので「こういう人にしたい」「言うことを聞かせたい」と言ったように自分の感情を押し付けることになってしまいます。
世間体や見栄えがあったりで、子供たちをコントロールし、思い通りにさせたいだけだったりします。
「選手のため」と言いながら、実は自分のためだったりします。
酷くなると、暴言や体罰に発展します。
その時によく聞くのが「子供のためを思って愛情を持って怒っている」という言葉です。
「愛情」ではなく「愛」で接すればそうはなりません。

大人の感情が加わらなければ、子供がスポーツを心の底から楽しめ、それを見た誰もが楽しくなる、素晴らしい活動になっていくと思います。
親は、いつでも我が子が心の底から楽しんでいる姿を見たいと思います。

 

愛を持って子供たちに接するボランティアコーチがたくさんいることを知っています。
問題はそのようなコーチがなかなか学ぶことができずに、自分が昔、やっていたことを思い出し、それを子供たちにそのままやらせています。
学ぶ気持ちがないわけではなく学ぶ時間と環境がないだけのように思います。

志あるボランティアコーチに感謝すると共に、学べる場を作ることが、より子供たちの楽しめる、成長できる環境につながっていくのではないかと思います。

今後、そんなことができる環境を作っていきたいと思っています。

卓越性の追求。

スポーツでは、「卓越性の追求」という概念を忘れてはいけないと思います。
僕がスポーツパーソンシップを教える時に、同時に教える概念です。
それだけスポーツをする上で欠かすことができない考え方であるとも言えます。

何かヒントになることがあればと思います。

 

卓越性とは、より高いところを求め続ける心と行動を言います。
スポーツで重要なことは、卓越性をお互いに追求するということです。
対戦相手同士が同意したルールのもとで、選手が互いに最善を尽くし、卓越性を相互に追求するということです。
勝ちを目指して全力でプレーする中で、自分自身がより成長することを目指すだけでなく、チームメートや相手チームの選手も卓越性を追求し、お互いのパフォーマンスの向上、上達を目指すことがスポーツでは重要です。

スポーツでは、相手を騙すプレーや弱点を突くプレー、相手の嫌がることをする、などということは試合で勝つために必要になります。
「騙す」「嫌がることをする」といったことのすべてがスポーツパーソンシップに反しているわけではなく、スポーツを面白くするための要素でもあります。

野球では、ストレートと思わせて、変化球を投げる。インコースと思わせてアウトコースに投げる。
走らないと思わせて、盗塁する。
といったような駆け引きがあります。
サッカーやラグビー、バレーボール、バスケットボール、格闘技、などの対面のスポーツには、相手との駆け引きでフェイントを使います。
「弱点を突く」「嫌がることをする」というのは、相手の能力の劣るところを狙ったり、技術が低いところを攻めたりします。
例えば、サッカーで足の遅い選手のサイドを狙ったり、バスケで背の低いところに背の高い選手をマッチアップさせたり、バレーボールでレシーブが苦手な選手を狙ったりといったことです。
または、ピッチャーの癖を探したり、こう動いたら牽制球を投げるなどを知り、攻略に役立てる。
サッカー、ラグビー、バスケなどでは、こうパスを回したらここにスペースができるからそこを狙うといったこともあります。
そのためにデータを集めたり、相手を観察したりして戦略を立てます。
これらの「騙す」「弱点を突く」「嫌がることをする」というのは勝つための戦略になります。
戦略を立てて駆け引きをすることはスポーツの楽しみのひとつです。

逆に、「騙す」「弱点を突く」「嫌がることをする」といったことがスポーツパーソンシップに反していると捉えられる場合もあります。
審判を騙してプレーする。サッカーでレフリーに見えないように相手を引っ張る。野球でバッターがキャッチャーの位置をチラ見する。相手に野次を言いプレーの質を下げる。大声で威圧する。などの行為です。

これはわかりやすい例を挙げましたが、判断に迷うことがあると思います。
その判断材料になるのが、お互いに卓越性を追求できているのかということになります。
スポーツは、ただ勝てば良いのではなく、スポーツパーソンシップに則り、お互いが成長につなげることができなければなりません。

試合の本質とは、スポーツパーソンシップに則り、相手より優れていることを示す。また、相手と共に成長を目指し、お互いが充実した感情を得ることであると言えます。
卓越性を追求することで、成長につながり、充実と自信が生まれます。
成長で得た自信や能力は、プレーの質を変えるだけでなく人間そのものを変えることができます。

技術的成長、身体的成長、精神的成長、などが、選手が目指すべき目的です。
勝敗は、卓越性を追求する過程でどちらかに決まります。勝者がいれば敗者もいます。
だから、目先の勝利よりも、勝っても負けても人間的な成長を目指すことが重要になります。
勝利だけを目指し、成長を考えずに小手先だけで勝とうとすることはスポーツの理解に乏しいと言えます。
また、相手や味方選手に怪我をさせては、その選手の成長機会を奪うことになります。
そうなれば相互に成長を目指すことはできなくなります。
選手の身体を守ることも考えなくてはなりません。

 

まとめると、
競技スポーツの本質は、対戦相手同士が同意したルールのもとで、スポーツパーソンシップに則って、卓越性を相互に追求するということです。
さらに、これらのことをプレーヤーだけでなく、監督、コーチ、観客も含めた関係者が理解することで、より良いスポーツ環境になっていくと思います。

「卓越性の追求」を頭に入れて考えることは、選手や指導者が肯定的で健全な選択をし、何をするときにも、どうすることが成長につながるのかを考える助けとなるのではないでしょうか。
これは、人により考え方に違いが出てくるとは思いますが、自分なりの「卓越性の追求」の考えを持ち、物事を判断することが重要だと思います。

教育とは。

「教育とは流水に文字を書くようなはかない業である。
だがそれを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。」(森信三)

僕がいろいろと勉強させていただいている先生がいます。
先日、その先生が大切にしている言葉として、紹介していただきました。

とても心に響く言葉だったので共有したいと思いました。
この言葉が教育の本質であり、教育者の我慢強さなしには、人は育たないということを表しています。
子供たちを育てるスポーツの現場でも同じことが言えると思います。
自分自身に言い聞かせる意味でも書いてみました。

 

「流水に文字を書く」というのは、いくら文字を書いてもあっという間にかき消されてしまうという例えです。
指導者がいくら情熱を傾けて子どもたちに指導しても、それがすべて結果につながるわけではありません。
教えたことが、まったく身につかないこともよくあります。
いくら情熱を持って取り組んだとしても、それがすべて身になることはあり得ないことです。
なかなか思うようにならないのが「教育」だということです。

そんな中でも「巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」ということです。
何度も、我慢強く、忍耐強く、刻み込むように取り組む覚悟がなければ、教育はできません。
指導者はそれだけの真剣さを持たなければいけないということです。
「流水に文字を書く」「巌壁に刻む」くらいの信念と熱意を持って取り組んでいかなければならないということを改めて感じました。

 

「何度教えればわかるんだ」と言う前に、「まだ、たった10回しか言ってないのか」「まだ20回しか言ってないのか」「まだ30回しか言ってないのか」そんな考えで接することが教育ではないでしょうか。
もしくは、「この言い方では伝わらないのか」「教え方を変えてみよう」と考えることが重要だと思います。

練習前に言ったことを直後の練習で覚えていないこともあります。
それが次の日ともなれば、覚えていることのほうが少ないはずです。
書いても、書いてもその場から消えていく文字、それでも真剣に書き続けるのが教育ということです。
「何度言ったらわかるんだ!」は教育者の発言ではないということです。

少しでも少ない回数で理解してもらうには、「わからない」「理解できない」と言える環境を作ることが有効です。
わからないときにわからないと言える環境を作るには、指導者の姿勢が重要です。
「なんで、わからないんだ」という叱責ではなく、「言い方が悪かった。ごめんごめん、これじゃ、わからないよね。」という姿勢で選手に接することです。
選手に責任を押しつけるのではなく、指導者が責任を負います。
選手が意欲的に練習に取り組まないときや、やる気がないときに、与えたメニューが悪いからそうなるんだと考えることです。
そうすることで選手とのコミュニケーションが取れるようになっていきます。

例えば、見逃し三振をした選手に「バットを振らなきゃ話にならないだろ」と指導したとします。
それは、ただ叱っただけの自己満足で指導とは言えないと思います。
「どうタイミングを取っていたのか」「どういうボールを待っていたのか」「何を考えていたのか」「なぜ手が出なかったのか」などと、一緒に考えて、改善策を探すことが指導です。
指導とは、諭すことであって、叱ったり、脅したりして言うことを聞かせるという単純なことではないということです。

 

この言葉で思うことは、人への教育のその前に、自分自身を育てることが目の前の選手を育てる1番の教育なのではないかということです。
人を「教え」「育てる」と同時に、指導者自身が「教えられ」「育てられる」という意識を持つことが必要なのではないかと思いました。
「選手だけが」でもなく「指導者だけが」でもない。共に成長を目指すということです。

子供を育てるのでも、仕事でも、何事にでも、共に成長を目指すという気持ちは大切ではないかと思います。

子供よりも大人になってからの人間教育のほうがはるかに難しいと思います。
年を重ねるほど、さまざまな人生経験から自分が正しいと思い込みがちになります。
また、自分を守るために、自分のしてきたことを正当化し、否定することが難しくなります。
そんな考えに陥らずに、先ずは、自分自身からと強く思いました。

教育に正解があるのか、ないのかわからない中で、何が正しくて何が間違っているのかの判断はとても難しいことだと思います。
さまざまな情報が溢れる中で指導していくのに、自らが学び、後ろ姿で見本を示すために行動する。
そして「子供たちのためになるか」という判断基準を持っていれば、間違った方向に行くことは少ないのではないかと思います。

投球数制限。

今、新潟県での高校野球の投球数制限が話題になっています。
投球数制限には、たくさんの考え方があると思います。
実際に意見がかなり分かれているように感じます。

僕の個人的な意見としては、高校生だけでなく育成年代はすべて、今すぐにでも厳しい投球数制限を設けるべきだと思っています。
その理由を書いてみました。
長文になってしまいましたが、お付き合いいただければと思います。

 

肩や肘を痛めないようにするために、注意しなければならないことは、大きく5つあると思います。
・投球数
・フォーム
・疲労
・投球強度
・成長度合い

この5つです。

・投球数
どんなに良いフォームでも、投げ過ぎれば故障します。
フォーム、疲労、投球強度、成長度合いによって投げられる球数は変わってきますが、それを判断するのは、とても難しいことだと思います。
その中でも言えることは、どんな選手でも、ある一定の投球数を超えれば、投球数が増えれば増えるほど故障のリスクは上がるということです。

・フォーム
身体に負担の少ないフォーム。関節に過度の負荷がかかっていないフォーム。
このようなフォームを身につけることができれば格段に、故障するリスクは下げることができます。
これは見た目だけの動きではなく、どこの筋肉を使っているのかまで注意を払う必要があります。

・疲労
人それぞれ回復力も違うので、疲労を見極めるのは非常に難しいと思います。
筋肉が疲労すれば柔軟性が落ちます。それだけでなく、筋出力が低下するので、関節を守る力が弱くなります。
投球数、フォーム、投球強度、成長度合いによっても大きく違ってきます。
その日や前日の投球数だけでなく、過去を見る必要もあります。
勤続疲労や蓄積疲労という言葉が使われるように、疲労は蓄積されていくと考えるべきです。
栄養不足、休養、睡眠不足も原因のひとつになります。
疲労は筋肉だけでなく精神的な疲労もあるということも忘れてはいけません。

・投球強度
投球強度が上がれば上がるほど負担は大きくなります。
出力する技術が高い選手はより注意が必要です。
身体ができていないのに速い球が投げられる選手や常に全力投球する選手も注意が必要になります。
それぞれの選手の投球強度が、どのくらい故障につながるのかの判断は非常に難しいことです。

・成長度合い
大人と子供では骨が違います。
子供の骨は、大人の骨に比べ、柔らかいので、外力や負荷に弱いです。
骨は、そのままの形で大きくなるのではなくて、骨の端に軟骨ができ、それが骨に置き変わることで大きくなります。
軟骨部分と骨の間が開いていて、そこが徐々に閉じていくということです。
この軟骨と骨の間に見られる線を骨端線と言います。
最終的には、骨端線の両側の骨が癒合し、骨端線が見えなくなり大人の骨になります。
骨端線が消えるまでは、関節部分は軟骨でできているので、特に弱いということです。
骨端線が消えるのは身長が伸びなくなることが目安になりますが、定期的に検診を受けて、レントゲンで見ることが大切です。
骨の成長度合いだけでなく精神的成長度合いもあります。
考え方もまだ成長段階で大人ほど先を考えて行動することができないということも理解しておかなければなりません。

 

この5つを常に注意しておくことが選手の身体を守ることになります。

実際に投球数制限をしたところで、5つの内の1つしかクリアできません。
しかし、投球数以外のフォーム、疲労、投球強度、成長度合いは、指導者の目が必要です。
経験、技術的、医学的、身体的な知識などがなければ正確に判断することが難しく、医療機関の協力も必要になります。
指導者の育成には相当な時間がかかると思います。

それに対して、投球数をルール化することは今すぐできる対策です。
投球数制限をしたら終わりではありません。
スポーツやスポーツパーソンシップ(スポーツマンシップ)を理解した行動をすることや、指導者の育成を進めなければ根本は解決しませんが、それらをしている間にも、身体を壊す選手は存在するということです。
現状を考えたら、早く対策をする必要があります。
指導者の目が確かで、スポーツパーソンシップに則った判断ができれば、投球制限はいらないので、厳しい投球制限をルールにして、そこから緩和していくという方向が良いのではないかと思います。
投球制限の撤廃を目標に、投球制限がなくても選手の身体を守れるということを証明することです。
投球制限の目的は、ピッチャーの身体を守ることなので、この意識がなければ練習で投げる分には関係ないという考えになってしまいます。

 

このような意見を言うと必ず出るのが、子供の投げたいという気持ちを尊重するべきだという意見です。
子供は大人よりも危険を察知する能力が低いというのは誰もがわかっていることだと思います。
子供が怪我をしそうな危険なことをしたら、いくら子供がやりたいと言っても注意したり、やめさせるのに、なぜ、投球においては、投げすぎたら危険とわかっていながら、選手(子供)の気持ちを尊重するという発想になるのか、ということです。

もうひとつが、チームに複数の投手が必要になるので、部員数が多い学校ではそれは可能だが、部員数が少ない学校では難しい。投球制限をすれば勝てなくなる、格差が広がるという意見です。
部員数が少ないのは選手の問題ではなく、指導者や学校、もしくは仕組みの問題であり、それを一部の選手の肩に背負わせるというのはいかがなものかと思います。
昨夏の大阪桐蔭がなんの努力もせずに、3人のピッチャーをそろえたわけではありません。
勝ちたければ普段からあらゆる努力をする。部員集めもそのひとつです。
それを怠って大会の時だけ勝つためにと、ひとりの選手に背負わせ、投球制限をすれば勝てなくなると言うのは、大人の言い訳に聞こえてしまいます。
部員数の減少は、野球界、スポーツ界が早急に、取り組まなければならない別の問題です。

 

投球数制限のルール化により、監督を守ることにもなると思います。
もしルールがない中で、エースピッチャーを交代して逆転を許してしまったときに、「なぜ交代した」というバッシングから守ることができます。
ピッチャーを交代するハードルを下げることができます。

スポーツパーソンシップに則り、医学的な視点から選手の身体を守り、選手の将来を考えた上で、「全力で勝ちを目指し、強いチームを作ってください。」
という話です。
何をしてでも強いチームを作れば良い、勝てば良いという話ではありません。

僕が会社で働いていた時も、「健康・安全はすべてに優先する」といろいろな職場に書かれていました。
人が生きていく上での、基本的な考え方だと思います。
それが野球は違う。スポーツは違う。とはならないと思います。
「定年でもう仕事を辞めるから、健康・安全を無視して働いてくれ」とはなりません。
それと同じで、もう野球をやらないからという理由で、健康・安全が優先されないとはならないと思います。

投球数制限の導入で選手の肩、肘を守るだけではなく、投球数制限の導入により、世間に考えるきっかけにしてもらい、スポーツに携わる人のマインドを変えることで、選手の肩、肘だけでなく、将来や人権を守るところまで見据えることが必要だと思います。
その一歩として投球数制限を導入してほしいというのが、僕の考えです。
それと同時に、スポーツの本質、投球制限の本質の理解を広めていくことが必要です。
球数を投げさせるために、待球作戦をしたり、ファールを狙って打ったりは、野球というスポーツの理解に乏しいと思います。
試合で投げれないから練習で投げる、というのも投球数制限の本質を理解できていないと起こってしまいます。

 

今までの野球のあり方が悪いと言っているわけではありません。
今までのやり方があったからこそ、ここまで野球が発展してきたのだと思います。
野球には素晴らしい伝統があり、甲子園を見ても、これほど注目されるスポーツは日本の中には数えるほどしかありません。
今まで多くの人が作り上げ、積み上げてきた実績であり、守っていかなければならないものでもあると思います。
日本のスポーツをリードしてきた野球がこれからの時代でも日本のスポーツをリードしていくために、時代の変化に沿ったやり方に変えていく必要があると思います。
その一歩が投球数制限になるのではないかと思います。

野球が安全なスポーツであり、生涯スポーツとして楽しめる。誰でもピッチャーができるということを広める方が野球界にとって、プラスが多いのではないかと思います。

2020年の東京オリンピック期間中に高校野球の地方大会が行われることになると思います。
世界中から集まるスポーツパーソンに、日本の誇る、部活動をアピールするチャンスになります。
そこに現状のような、選手を酷使するやり方では、海外の人たちには評価されません。
これまでとは時代が変わってきたということです。
来年いきなりは変えるのは難しいので、今から変えていくべきではないのかと思います。

アグレシーボ体験会。

先日、堺ビッグボーイズの主催するアグレシーボ体験会に行ってきました。
この体験会は、野球チームに入っていない幼稚園児、小学生低学年を対象にした野球の体験会です。
どの子供たちも楽しそうに、積極的に走り回る姿が印象的でした。

体験会終了後に筒香選手が報道陣に向けて、野球界の現状。どうすることが良いのか。といったような内容の話をしました。
それを現場で聞いていました。
指導者や大人が変わらなければ、子供たちの野球の環境は良くならない。皆で、子供の将来を考えて、より良い環境を作っていきましょう。
といったようなメッセージでした。

彼は、数年前にドミニカのウインターリーグに参加したときに、ドミニカの野球環境を見てきています。
ドミニカは人口1000万人くらいの国ですが、日本とは比較にならないくらいメジャーリーガーを多く輩出しています。

現役選手でありながら、日本の学童野球にも注目していて、現状をよく理解しています。
実際に学童野球の現場を見に行ったという話もしていました。

日本の良さ、ドミニカの良さ、自分の育った環境、今ある子供たちの環境、それらを踏まえて、日本の子供たちの野球環境について発言をしています。

今回、筒香選手と直接話をしましたが、一流選手の考え方に触れることは非常に貴重であり、いろいろと勉強させてもらいました。

その中で、感じたことは、なぜ自分が成長できたのかを深く理解しているということです。
僕の言っているスポーツセンシングも今まで会った選手の中でも最高クラスだと感じました。

そしてなによりも、日本の子供たちの野球環境を良くしたいという、高い志を持っています。
僕自身も子供たちのために何かできないかと考えさせられました。

 

プロ野球選手になるために重要なことは、野球を好きであることです。
どんなに才能があろうと、身体能力を持っていようと野球が嫌いで辞めてしまってはプロ野球選手にはなれません。
これは当たり前のことです。

少なくとも、指導者や大人が子供の好きという気持ちを失わせるようなことをしてはいけないと思います。

もうひとつが、どんなにいい選手だろうと、怪我をしてしまったらプロ野球選手にはなれません。
プロ野球選手になれないどころか、野球を楽しむこともできません。
特に、ピッチャーは、肩や肘を痛めたら、取り返しのつかないことになりかねません。
子供たちの身体は、指導者や大人が責任を持って守っていかなければならないことです。

これらは、プロ野球選手を目指している選手だけのことではありません。
野球がスポーツである以上、上手い下手関係なしに、どの選手だろうと、スポーツを楽しむ権利を持っています。
それを奪ってはいけません。
高校野球で、「高校卒業後、野球を続けない選手も多くいるのだから、選手の投げたいという気持ちがあれば、無理させてでも投げさせてあげるべき」といった意見を聞きますが、人の身体の健康や安全以上に優先されることがあるのでしょうか。
もしそのような選手がいたなら、「スポーツとはそういうものではない」ということを教えるのが指導者の役割だと思います。

指導者は預かった選手を無傷のまま、次のステップに進ませる努力をすることは当然のことだと思います。

選手の目標に向かう手助けをするのが指導者で、指導者のエゴを押しつけてはいけないと思います。
指導者の勝ちたいという気持ちを押しつけることもするべきではありません。
主役は子供たちであり、子供たちのための野球であるからです。

本気でプロ野球選手になりたいという選手がいれば、相当な覚悟が必要だということも教えなければならないと思います。
しかし、これは小学生に「覚悟を持て」と言ったところで理解できません。
選手の成長を見てどう声をかけるのかを考えなければなりません。
それにはコミニュケーションは必要不可欠です。
選手の考えていることを理解しないことには、指導方法は決まらないと思います。

指導者は選手のためにいるはずです。
指導者が勉強を怠っては、選手のためにはなりません。
もし勉強を怠っている指導者がいれば、それは選手のために指導しているのではなく自分の自己満足のために指導者をしているということであると思います。

野球の技術もトレーニングもすごいスピードで変化してきています。
スポーツのあり方も変わってきています。
世間のスポーツを見る目も変わってきています。
それらを踏まえて、どうするべきなのか考えなくてはいけません。

そして現在、過去最高にたくさんの情報であふれています。
今後、さらに多くの情報であふれることが予測できます。
動画を探せば、多くの動画があり、映像で確認するということもできます。
アンテナを張って日々勉強していかなければ、ついていけないということになります。
情報処理能力はこれからの時代の必須能力であると思います。

 

筒香選手が発言したように指導者や大人が変わらなければ、子供たちの野球の環境は良くなりません。
皆で、子供の将来を考えて、より良い環境を作っていきましょう。

大人と子供。

大人と子供では、考え方が違います。
歳を重ねるごとに思考も変わってきますが、そこには個人差もあります。
思考の成長度合いの個人差は、5歳差あると言われています。
例えば、同じ10歳でも、12歳くらいの子もいれば、8歳くらいの子もいます。
さらに、3月生まれと4月生まれでは約1年の差があるので、上と下で1年ずつプラスして考えると、同じ学年でも7歳くらいの差があってもおかしくありません。

そのことを踏まえて子供たちと接していく必要があると思います。

 

まず知っておかなければならないことは、子供が何かをする動機は「楽しいから」です。
例えば、野球の練習をする理由も楽しいからです。
大人になれば「この目標を達成したい」「成長したい」という動機で何かをすることができますが、子供はそうではありません。
目の前の興味で行動します。

それだけでなく「チームのために」ということも理解できません。
「チームを勝たす」「負けたくない」といった意識よりも自分が「打ちたい、抑えたい」という考えでやります。
まず理解できるのは「自分のために」だけです。
だから、チームワークは、みんなで揃ってやチームのためにではなく「自分のために一生懸命やること」がチームワークと教えるべきだと思います。
その中で少しずつ「自分がどうしたら上手くなるか」「どうしたら成長できるか」といったことを教えながら、他人の意見や価値観を尊重し、耳を傾け、お互いに卓越性を追求するということを理解できるようにしていきます。

また、子供は「努力」すれば「勝利」が近づくという「努力」と「勝利」を結び付けて考えることができません。
例えば、子供に「遅刻するから、早く準備して」と何回言っても子供は急がずにゆっくり、といったような経験があると思います。
それは、未来と今を結び付けられないからです。
大人は論理的に未来を見通し、現在の行動における結果を予測できるのですが、子供はそれができないので「今急がないと、後々の行動に影響がでる」「今急がないと、他の人に迷惑がかかる」といった因果関係を理解できません。
言って急ぐのは「言われたから」や「怒られたから」という理由です。
未来と現在を結び付けられないので、勝つために練習するということも理解できません。
「練習しろ」「勉強しろ」「早くしろ」と命令したり、「それじゃ無理」「そんなんじゃ失敗する」と否定したりすることよりも、子供の発想で経験を積ませることの方が、子供の成長につながります。

「負けて悔しくないのか」「チームのために動け」「勝つために練習しろ」と言って動くのは、それを理解しているわけではなく「コーチが怒るから」「コーチに言われるから」といったような動機でやっているだけだと思います。
このように言うことは、子供の成長を妨げます。
それだけでなく、こうした関わり方をすればするほど、脳が育っていかないので、集中力のある子に育っていきません。

中学生くらいになれば理解できるようになってきますが、1人1人成長度合いが大きく違うので、それぞれの個性に合わせて接することが大切になります。
ゴール(目標)に向かって行動すれば、成長できるということを、少しずつ理解させていくことが重要です。

自分で考えて行動に移すことや失敗の体験をさせずに、手っ取り早く結論や成功ルールを導き出す方法を教えることは、過程での経験を積めず思考が育ちません。
考える経験を十分にさせないで先に教えることは、創造性が育たず、新しいことを見つけたり、人と人との関係の中で、上手に生きたりしていくことができる人には、なりにくいと思います。

 

子供にとって今やるべきことは何なのか。
どのようなやり方が子供の将来のためになるのか。

日々研究が進み、今までのやり方より、もっと効果的なやり方が出てきたり、分からなかったことが証明されたりしてきています。
親や指導者の我慢強さや知識が子供をより成長させることになると思います。

スポーツセンシング、感覚

前回の投稿で「センスのある人の記憶」(スポーツセンシング、記憶)について書きました。
センスのある人とない人の記憶に、大きな差があるということは、感じることができたのではないでしょうか。

記憶だけでなく、「感じとる感覚」にも、非常に大きな差があります。

今回は「センスのある人の感覚」について考えてみたいと思います。

 

優れたスポーツセンシングを持った選手の感覚は想像以上です。
おそらく、この投稿を読んでくださっている方たちの想像をはるかに超えているのではないかと思います。

優れたスポーツセンシングを持った選手は、とんでもなく感覚が研ぎ澄まされています。

プロ野球選手のバッターを例に説明すると、
一流のバッターは、バットにかなりのこだわりを持っていますが、木製バットの素材をアオダモは柔らかくしなりやすく、メープルは硬くてしなりにくいと言います。
しかし、あんなに硬い木製バットがしなったとしても1ミリにも満たないのではないかと思います。
それをよくしなるやしならないと感じています。

それだけでなく、ボールを打ったとき、バットによって、バットとボールがくっついている時間が違うという表現もします。
アオダモは柔らかいので、バットとボールが接地している時間が長く、その時に後ろの手で押し込む、などと言います。
バットとボールがくっついている時間なんて、ほんの一瞬でしかありません。
そのくらい感覚が研ぎ澄まされています。
その研ぎ澄まされた感覚は、バットを通しても感じられているところからも、バットと一体になっているとも言えると思います。

ピッチャーでは、リリースの直前で「これはボールが抜ける」や「これは打たれそうだ」というのを感じ、ボールを押さえつけたり、直前で対応したりしています。
ゴルフでも、プロゴルファーがスイングの途中に打ち損ねるのを感じとり、スイングを微妙に変化させたりする、と聞いたことがあります。
陸上選手は風を感じて走ると多くの選手がコメントしています。
水泳でもプールと一体になっている感じと言います。

優れたスポーツセンシングを持った選手がプレー中に感じていることは、一般人の想像をはるかに超えています。

 

一流ピッチャーが「今日はフォームを変えて投げた」ということがよくあります。
しかし、はたから見たらまったく違いがわかりません。
感覚が優れているので、ほんのわずかな違いをとても大きな違いに感じています。

これはバッターも同じです。フォームを微調整したと言っても、ほとんどの人は、気がつかないくらいわずかな違いです。

でも、同じレベルかそれ以上のセンスを持っている人は、その違いに気がつくことができます。
わずかに変わったタイミングや動きを見て、ピッチャーはバッターの狙い球を予測したり、バッターはピッチャーの球種やコースを判断しています。

ピッチャーは、例えば「チェンジアップを投げる時、着地の瞬間に膝の力を抜く」「スライダーを投げる時、身体の開きを一瞬我慢する」などといったような、それぞれ独自の感覚を持っています。
しかし、どんなに映像で見比べても同じフォームで投げているようにしか見えません。
誰も気がつかないくらいのほんのわずかな違いで球種を投げわけています。
もし、これが、ピッチャーよりもバッターの感覚(センス)の方が優れていれば、フォームから球種がわかってしまいます。

例えば、ボクシングでは、相手がパンチを打ってくる時のわずかな初動や雰囲気を感じとり対応しています。
決して右のパンチを右手の動きだけを見て対応しているわけではありません。

卓球も、球だけを見て、返してるわけではなく、相手の身体の動きやラケットの振り始めのわずかな違いを感じとり対応しています。

サッカーの一対一の場面でも、わずかな重心の移動を感じとって相手を抜いていったり、逆に、わずかな動きからこれはフェイントだと感じ、フェイントにかからずにボールを奪ったりします。

人それぞれ感じとれる感覚の違いがあるので、もしそれが、本人は感じとれないわずかな差が、相手には感じとれる差であれば勝負は見えています。

 

前回の「記憶」と合わせて考えると、優れたスポーツセンシングを持った人は、感覚が研ぎ澄まされ、そこから仕入れた情報をどんどん記憶していくので、同じことをしていてもどんどん成長していきます。
感じとる力が違うので、わずかな動作を修正し記憶していくので、教えられたことを、自分の感覚に変えて記憶します。
トレーニングでも、感覚に優れているので、細かく意識できたり、より正確な動きができるだけでなく、動作を記憶する能力もあるので、効率よくトレーニングできます。

「なんでわからいの」「なんでできないの」というのは、スポーツセンシングが低いからです。
でも、スポーツセンシングは、鍛えることができる能力なので、鍛えることで、人の可能性は広がっていくと思います。
「記憶」「感覚」だけでなく他にも得られることが多くあるので、スポーツセンシングを身につけることは、とても重要だと思っています。

スポーツセンシング、記憶

僕は、以前から「センスを鍛えることをしなくてはならない」「優れたスポーツセンシングを身につけなければ、上のレベルにいけない」と言ってきました。
そのくらい、スポーツセンシングの差は、大きな差だと思っています。
同じ練習を同じ量しても、スポーツセンシングの能力の差で、結果に大きな差がつきます。
スポーツセンシングを持たない選手が、どんなに練習しても、優れたスポーツセンシングを持つ選手に勝てない、というのが僕の経験から感じることで、僕の考えでもあります。
現実に、アマチュア選手と比べて、センスがないプロ野球選手を見たことがありません。

今回は「センスのある人の記憶」について考えてみました。

 

「センスの差を練習量で埋めることは現実的ではない」という理由を「記憶」という観点から見てみます。

例えば、ある選手(A投手)が、ピッチング練習を50球したとします。
それを、後から振り返った時、A投手は、1球目から50球目まで、何の球種をどこのコースに投げたのか、すべて覚えていました。
同じように、別の選手(B投手)がピッチング練習を50球したとします。
それを、B投手が後からそれを振り返った時に、最後の1球だけ覚えていました。
そうしたら、このA選手とB選手の、この練習で覚えられた差は、50倍あると言えます。
単純計算で、B投手がA投手と同じ効果を出すには、2500球投げなくてはなりません。

これは練習だけでなく試合でも同じです。
優れたスポーツセンシングを持った選手は、試合で投げたボールすべてを記憶しています。
「あのバッターの時は、こういう配球をして、こう打ち取った」というのをすべて覚えています。

プロ野球の先発ピッチャーは、試合前のブルペンでの投球練習も記憶しています。
このボールの後は、この球種を、このコースに投げた、というのを覚えています。

これはまったく大袈裟な例ではなく、よくある例です。
僕も現役時代、その日を振り返った時に、投げたボールすべてを、思い出すことができました。
しかし、ピッチング練習の最後の1球しか思い出せないという選手も多くいます。

これは、覚えようと思って覚えているわけではなく、僕がスポーツセンシングといっている、自動化された脳が、その時の感覚も含め、自然と記憶していっています。
表面的な、球種とコースを覚えているだけでなく、その時の感覚も合わせて記憶しています。
これを毎日繰り返していたら、どんどん差がついていくことは、容易に想像できると思います。

ピッチャーの例を出しましたが、バッターも同じです。
1打席1打席すべてのボールを、その時の感覚も合わせて記憶しています。
それなので、打席に立てば立つほど感覚が磨かれていきます。

 

これが僕が、スポーツセンシングを身につけなければ、上のレベルにたどり着かないと言っている理由のひとつです。

生活している中で、「覚えよう、覚えよう」と思っているのになかなか覚えられないのに、覚えようと思っていないのに、頭に入っていることがたくさんあります。
音楽が頭に残っていたり、食べた料理の味を覚えていたり、旅行した時の風景を覚えていたり、1度の経験で忘れられない記憶になることがあります。

この「覚えようと思っていないのに、頭に入っている」というのを、作り出せれば成長が加速します。
間違えてほしくないのは、覚えようとして覚えるのではないということです。
ピッチング練習や試合で、自分の投げたボールを覚えることが目的になってしまっては、パフォーマンスを発揮できないだけでなく、スキルも上がりません。
「覚えようと思っていないのに、頭に入っている」という状態でなければなりません。

特にスポーツでは、これを使って、動作や感覚を身体に覚えこませていきます。
これができるのが、スポーツセンシングの優れた人です。

センスのない人が練習をしても、教えられても、なかなかできるようにならないのは、脳や身体が記憶していかないからです。
センスを身につけて、記憶できる状態を作ることをしなければ、どんなにいいと言われている指導者の指導を受けても、どんなにいいと言われているトレーニングをしても、なかなか成長できません。

 

これは野球だけに言えることではなく様々なことに言えることです。
他のスポーツでも、仕事や勉強でも記憶することができなければ、なかなか成長できません。

センスのある人は、自分が必要だと思ったことは、どんどん記憶していきます。
だから、僕が、以前から言っているように、センスを身につければ、いろいろな分野で力が発揮できるようになるのではないかと思っています。

今回は、センスがある人の記憶の話をしましたが、他にもセンスがある人とない人では、たくさんの差があります。
そこの差を縮めることができなければ、センスがない人は、いつまでも「センスがないから」で片付けられてしまうのではないかと思います。