実力?運?

野球は確率のスポーツと言われていますが、運の要素が多いスポーツとも言えると思います。
だからこそ、運の要素をなるべく減らせるように、プロ野球ではシーズンを143試合と多くの試合数をするのではないでしょうか。
そんな確率の話をしていきたいと思います。

 

例えば、ジャンケンをして勝つ確率は5割です。
負ける確率も5割です。
勝敗は運によって決まります。
ジャンケンを5戦した時の勝ち負けを表してみました。
「○●○○●」
「●●○●●」
「○○○○○」
ジャンケンを5戦した時の勝率は毎回変わると思います。
5戦だけでは、5連勝の勝率10割も考えられます。

「○●○●○●○●○●」という10戦の勝敗を見て、11戦目の勝敗を予想すると「○」と思い込む人が多くいるのではないでしょうか。
しかし、11戦目の勝率も5割です。
「○●○●○●○●○●」のように勝ち負けが交互に続く確率も「●●●●●●●●●●」と10連敗になる確率も実は同じです。
常に次の勝負の勝ち負けは五分五分であるということです。
10戦だけでは勝率5割から大きく離れることもありますが、勝負の数が増えれば、勝率は5割に近づいていきます。

ジャンケンとプロ野球が同じとは到底言えませんが、今年のプロ野球は全球団が勝率4割~6割の中にいます。
大型連勝や大型連敗が多くなるのも野球の勝敗には運の要素が多くあるという証でもあるのではないでしょうか。

 

次は野球の打者の打つ確率を考えてみたいと思います。
プロ野球の打者でいえば、例えば、今年のここまでの打率が3割の選手が今日、打席に立ったとします。
しかし、その打席でヒットを打つ確率は、3割とは言えません。
投手との相性、打者の調子、環境、状況、運、など非常にたくさんの要素によって、打つ確率が決まります。
どんなに会心の当たりを打とうがそこに野手が守っていて捕ってしまえばアウトです。
当然、相手のバッテリーも球種別の打率やコース別の打率など、様々なデータを頭に入れています。
それを踏まえ、抑える確率が高いであろう配球をしてきます。
野球の面白いところは、投手がボールを投げる前は確率しかありません。
実際に投球した後には、結果しかありません。
確率の厄介なところは、実際に結果が出てしまうと、確率が意味を持たなくなってしまうということです。
しかし、結果を多く積み上げていくと、そこには再び確率が現れます。
それがシーズンの打率であり、対戦成績です。

確率のスポーツと言われる野球をするには、未来を予測して上手くいく確率の高いプレーを選択することはとても重要なことです。
先に起こることを確率的に捉えながらプレーする必要があります。
しかし、運の要素が多く、相手もいるので、一回一回の結果ではなく、パフォーマンスや長い目で見たトータルの結果でその善し悪しが判断されなければなりません。
判断材料を増やし、トータルで見ることが、運に対処するためには必要なことです。

 

未来をすべて予測することは難しいですが、未来には、予測可能な未来と予測不可能な未来とがあります。
例えば、技術や知識は未来の予測を可能にします。
今回の夏の高校野球の話題を呼んだ、佐々木朗希選手のドラフト1位指名は予測できます。
しかし、クジ引きになった時に、どこの球団がそのクジを引くかは予測できません。
すべてを予測しようという考え方ではなく、予測可能な未来においては、できるだけその精度を高められるように、全力で努力をしていくということです。
能力や技術を向上させることで、活躍できる確率を高めることは可能です。
しかし、相手がいることや運的な部分は予測ができません。
予測できる未来にアプローチせずに、見逃していたのなら、それは改善しておく余地がありますが、運が多く存在する場面では、上手くいかない出来事が起きたときに、いかに冷静に、いかに柔軟に対処できるかということが重要です。

 

すべての予測は、未来に起こることの、当たる保証のない仮説のひとつにすぎないということです。
予測が当たらないことが問題なのではなく、予測できないことに予測することで対処しようという考え方があまり良い考え方とは言えません。
自分自身を磨くことで、未来の可能性を広げようと考えることが、未来の予測の確率を上げることになるのではないかと思います。

自主練習で上手くなれる選手は?

一昔前のチームの多くは指導者が命令し、それに選手たちが従うという上意下達のやり方をしてきました。
そのために、指示を出す人の判断ミスや気まぐれな意思決定に振り回されたという経験を誰しもが持っているはずです。
昔話をすれば、笑い話として必ずと言っていいほど、出てくるのではないでしょうか。

しかし、近年は、手取り足取り教えるよりも、むしろ選手に多くの権限を持たせ、自主練習などを増やし、課題を選手自身の力で解決させることで選手を育てると考える指導者が増えてきています。
僕自身も、選手自身に考えさせることで、選手の成長を促そうと思っています。

今は、指導理論やトレーニング理論が多く存在し、ネットで調べれば無数の情報に溢れています。
YouTubeのような動画でも多くの情報が手に入ります。
さらには国内だけでなく、海外の情報も得ることができます。
情報や知識の量は、どんな指導者でも、ひとりで処理し切れるレベルのものではないので、選手たちが自分から情報を取り、実践していくというやり方も必要ではないかと思います。

 

しかし、ただ単に、選手に自由にさせて、多くの権限を与えてしまうというのでは、成長につながるのかわかりません。
指導者にも選手にも持つべき考え方があるのではないかと思います。
それは、指導者も選手も「自分自身を成長させたい」という考えを持っているかです。
自分に必要な能力やスキルを学習することに貪欲か。
自分が成長するためなら、それが年下だったり、苦手な相手だったりする場合でも、自分の意地やプライドを捨て、話を聞くことができるのか。
といったような考えを持つことが大切です。
これは、選手だけでなく指導者にも言えることです。

さらに、プロを目指す選手なら、人生をかけて、自分自身を磨き続ける覚悟があるのか。
実際には、「磨き続ける」というよりも「磨き続けてしまう」という状態をつくれるのかです。
そして、困難なことも楽しむことができるのか。
創造性を働かせ、向上心を高め、探求心や好奇心を持つことが、とんでもないエネルギーを生み出します。
探求心や好奇心により、いつまでも飽きることなく取り組むことができます。
これがなければ、一流選手になることは難しいのではないかと思います。

 

プロとアマチュアの差のひとつに、自分自身を磨き続ける覚悟の差があると思います。
プロ野球選手になるような選手は自分を成長させることに貪欲です。
普段の生活から、自分の知らないことを貪欲に吸収しようという姿勢でいます。
新しいことに興味を持ち、変化することを恐れません。
向上心と探求心があり、行動が明確になっているので「妥協」をしません。

その反対に、プロ野球選手になれない選手は自己防衛に走り、ミスをしないように保守的な考えを持っています。
可もなく不可もなくという状態で満足してしまいます。
中学生や高校生には、強豪チームに所属することで、満足して、チームの強さを自分の強さであると勘違いしている選手も多くいます。
自分の成長につながらないだけでなく、チームの成長の足を引っ張ってしまうこともあります。
そんな選手にチームに貢献するように言ったところで、大きな力は発揮できません。
妥協することが当たり前になっている人に、いくら練習させてもその効果は知れています。
自ら、成長を放棄しているので、なかなかチームに貢献することも難しいと思います。

 

そのような選手を自主練習などを増やして、選手が主体的に練習するやり方で成果を出すには、価値観を共有することが必要です。
それは、「全員が自分自身の成長を目指す」ということです。
仮に、自分の成長を目指さない選手がいたとするなら、それはチームワークを乱しているということであり、チームの規律を守っていないという状況にすることです。
誰もが
「辛いことはやりたくない」
「誰かに怒られたくない」
「失敗したくない」
などとは、本音では思っていると思います。
そこで、自制を保ち、感情をコントロールして行動できる人間に育てていくことを目指さなければなりません。
自分で自分に厳しくでき、自分で自分を育てていけるということです。

 

練習時間が短縮されるようになり、練習の量よりも質を高める方向に進んでいっています。
その時に、必要になってくることが、今回書いてきたことです。

人間力を土台に場面場面に適応したスキルを身につけることで、様々な環境に適応できます。
そのような人になることができれば、野球だけでなく、それ以外の場面でも力を発揮できるのではないかと思います。

成長期の怪我。

現在、僕自身、多くの成長期の選手を指導しています。
早い子では、小学生高学年くらいから一気に身長が伸び始めます。
かなり個人差はありますが、その時期が中学生、高校生の選手もいます。
成長期には、成長痛を含め、怪我のリスクが高くなります。
そんな成長期の障害の話です。

 

僕は、周りの人に比べ、成長が遅かったので、身長が急激に伸びたのは中学生から高校生にかけてでした。
その間に成長痛で苦しんだという記憶はありません。
身長が174センチとあまり高くないので成長痛にならなかったのかもしれません。
鈍感で気がついていないだけかもしれませんが・・・。

急激に身長が伸びると怪我のリスクが高くなります。
なぜかというと、骨と筋肉の成長度合に違いがあるからです。

骨の方が早く伸び、その後に筋肉がそれに追いついていきます。
そのために、骨の長さと筋肉の長さに差が出てしまい、筋肉は普段から引っ張られた状態になります。
筋肉は引っ張られているので、硬くなり、柔軟性が低下します。
そうすると可動域が狭まり、怪我や故障のリスクが高くなります。
それだけでなく、骨自体もまだ未成熟のため、関節付近の骨はまだ軟骨成分が多く、大きな負荷に耐えられません。
競技によって、痛めやすい部分は変わってきますが、どの競技をするのにも注意が必要です。
野球では、肘の故障、肩の故障は多く見られます。
膝や腰、足首を痛めるケースもあります。
骨や筋肉、関節、腱などを痛めやすく、筋肉に骨が引っ張られ、その骨が剥がれ、疲労骨折になってしまうこともあります。

この身長が大きく伸びる成長期は、親や指導者は特に注意が必要で、無理をさせないようにしなければなりません。

僕の感覚では、背の高い選手ほど成長痛になりやすく、痛みを訴えてくることが多いように感じます。
個人差がかなりあるので、練習量や強度を上手くコントロールしながら、個別にメニューを組むことが良いのではないかと思います。
痛みが出ていなくても予防の意識を持ち、ストレッチを多めに行うなどして、成長期に備えることも大切です。
野球は典型的ですが、多くのスポーツが身長の高い方が有利になります。
それなので、身長の伸びが止まるまでは、少しでも身長を伸ばすことができるように努力するべきだと思います。
身体を上に大きくすることは、成長期しかできないことですが、横に大きくすることは、何歳になってからでもできます。
たしかに、野球などのスポーツでは、体重を増やせば、試合で結果を残せる確率は上がると思いますが、優先順位の上にあるのは、身長を伸ばすことだと思います。
体重を増やして、見た目を大きくしても、骨はまだまだ未成熟です。
特に、膝や足首など体重を支えなければならない箇所は、重たい上半身を支えるために、関節痛や疲労骨折を起こす可能性が高まります。

運動、栄養(食事)、休養(睡眠)のバランスを取り、身長を伸ばす努力をするべきというのが僕の考えです。

 

成長期に起こる障害は、気をつけていても完全になくすことは難しいことです。
もし痛みが出てしまった時は、無理をせずに専門家に診察してもらうことが必要です。
実際に、どのような状態になっているのかを知ることで、より適切なリハビリメニューを組むことができます。
どの程度の休養が必要なのか、どの程度の練習までならしていいのか、このようなことは診察を受けなければ、なかなか判断することができません。

無理して練習や試合に出場させるよりかは、今できることを全力でやる方が、選手のためになると思います。
しっかりとした目標を立て、計画的にトレーニングすることで、早く復帰できるようになるだけでなく、再発防止にもなります。
考えればできることはたくさんあります。
自分の身体と向き合いながらできることを全力で行うことは将来必ず役に立ちます。

 

成長期には、怪我のリスクは高まりますが、大きく成長できる時期でもあります。
身体も成長しますが、考え方や精神的にも大きく成長します。
成長期という大切な時期を無駄にしないように、大人がブレーキをかけながら、目先のことだけでなく将来を見据えて過ごしてほしいと思います。

過労。

トレーニングは、日常の身体活動のレベルより大きな負荷の運動をすることによってトレーニング効果が得られます。
しかし、大きな過負荷を続けると同時に、疲労回復に必要な栄養と休養が不十分であった場合には、パフォーマンスやトレーニングの効果が低下してしまいます。

疲労を上手くコントロールできずに過度の疲労である「過労」となってしまう選手がいます。
今回はその「過労」についての話をしたいと思います。

 

成績が残せずに、調子が上がらないのを、コンディションが原因であると考え、調子を上げるためにさらにトレーニングに励んでしまい悪循環に陥っていく選手がいます。
特に、真面目で責任感があり、練習熱心な選手が「もっと頑張らなくては」と自分を追い込んだ結果としてそうなってしまいます。
過剰なトレーニングが長時間続くことによって疲労が徐々に蓄積し、回復できなくなり、疲労が抜けない状態になってしまうと、いつも通りパフォーマンスを発揮できなくなってしまいます。
筋力の低下や持久力の低下はわかりやすいですが、投球時などでは連動性が落ち、出力が低下します。
集中力が低下すればイライラしたり、思考力が落ち、判断力も鈍ります。
そうなるとトレーニングで得られる効果も少なくなります。
身体が疲労すれば障害リスクも上がります。
さらに酷くなれば日常生活でも身体が重く感じたり、食欲が低下したり、体重の減少などが起こります。
不眠や不安、集中力低下などの精神的な症状がでることもあります。

 

毎日頑張って練習やトレーニングを行っているにもかかわらず、効果が上がらない。
それどころか、逆に調子が悪くなってパフォーマンスが低下してしまうという選手をプロ野球の世界でも何人か見てきました。

選手のコンディションを決めるのはトレーニングだけではありません。
トレーニング以外にも食事(栄養)、休養(睡眠)、精神状態、なども影響します。
それらは、他人に管理してもらうことはなかなかできないので、自分で意識してコントロールすることが大切です。
ついついトレーニングに目がいきがちですが、その他の要素にも十分、気を配るようにしなくてはなりません。

そこで、疲労が蓄積し過ぎてパフォーマンスが上がらなくなってしまう要因を考えてみました。
まず考えられることは、トレーニング量が適切ではないということです。
強度と回復期間のバランスが崩れてしまい回復が間に合わないことです。
トレーニング負荷に見合うエネルギーを摂取することができない、休養、睡眠が十分ではないと回復にも影響します。
急激なトレーニング負荷の増加も身体が対応できずに疲弊してしまいます。
練習やトレーニングだけでなく、試合が続いたりすることも、身体の負担になります。
単調なトレーニング内容が続くことも肉体的にも精神的にも疲労しやすくなります。
家族や指導者からの期待や記録への期待などが高くなれば精神的なストレスになります。
競技とは関係のない家族、友達、恋人、などが精神的ストレスとなり疲労となることも考えられます。
仕事や学校などの生活でも疲労は起こります。
風邪をひいている時や体調不良の時では、また違ってきます。
当然、気温が高かったり、湿度が高かったり、環境でも疲労は変わってきます。

このような要因が考えられますが、個人差がかなりあり、同じことをしていても全く問題ない選手もいれば、過度の疲労となってしまう選手もいるということを頭に入れておく必要があります。

 

ちなみに、プロ野球で長く活躍している選手は、これらの負荷に異常に強いということが言えると思います。
練習量も多いですが、食べる量も多い。
単純なトレーニングを毎日続けられ、毎日試合をする体力、精神力を兼ね備えています。
プレッシャーを力に変える能力も持っています。
だから、僕はプロ野球選手を例外と考えることが妥当だと思っています。

とはいうものの、同じ人間であるので近づくことは可能だと思います。
例えば、自分自身を良く知るために練習日記やパフォーマンスの記録をつける。
そうすることで、練習やトレーニング内容をより適切に設定でき、練習量をコントロールしやすくもなります。
自分を客観視できるようになれば、その日のコンディションを自覚でき、精神の緊張とリラックスのバランスを保つことにもつながります。
もっと細かく、食事や水分摂取を把握することで、エネルギーや炭水化物、たんぱく質などの栄養を適正量摂取できるようになっていきます。
睡眠の質や量もコントロールできます。

これらを習慣にできれば、疲労と上手く向き合える選手に近づきます。
疲労を上手く使うことで、身体も精神も成長させることができます。
そのためには自分にとってどこまでが適正な疲労で、どこからが過度の疲労である過労になるのかを把握する必要があります。

 

普段から自分の体調をチェックする習慣を持ち、どこからが休み過ぎなのか、あるいは休みが少なすぎるのか。
どれだけ追い込んだら負荷のかけ過ぎなのか、あるいは足りないのか。

自分自身の能力や経験、体調、あるいは天候などを考慮し、自分で適正な負荷を決めていけるようになることも磨かなければならない能力だと思います。

疲労って何?

人は生きていく中でどう疲労と付き合っていくのかは重要なことです。
しかし、その疲労とは、とても奥が深くまだまだ分からないことだらけです。
一昔前には、疲労とは乳酸が溜まることであり、疲労回復とは乳酸が減ることであると言われていました。
ランニングメニューをしたりウエートトレーニングをしたときに「疲れた。乳酸が溜まった!」と言ってきましたが、近年では、乳酸が疲労の原因ではないと言われています。
今は、乳酸は疲労を起こすどころか、疲労を抑制する働きがあると言われています。
そんな疲労の話をしてみたいと思います。

 

何をすると疲労をもたらすのか?
疲労度を左右する要因は何なのか?
僕の知る限り、疲労を正確に測ることはできていません。
疲労は多くの場合、複合的な要因で起こります。
運動内容や活動時間、暑さや寒さなどで変わってきます。
性別、年齢、睡眠や食事などの生活習慣、健康状態、などでも疲労度に影響を与えます。

一概に、身体をたくさん動かしているから疲労度が高いというわけではありません。
逆に、身体を多く動かしている人ほど疲労が低く、身体をあまり動かしていない人ほど疲労が高いというのが僕の感覚です。
プロスポーツ選手よりも、サラリーマンの方が疲労しているように感じます。
これは人によって感覚は違うと思いますが、そのくらい疲労を判断することは難しいことだと思っています。

疲労には、筋肉が疲労するような肉体的な疲労と、脳が疲労するような精神的な疲労があります。
肉体的な疲労は、身体活動で求められるエネルギーとそれをこなせる体力のバランスによって生じます。
僕は現在、トレーニングや投球練習をまったくしていないので、少し投げただけでかなりの筋肉痛になってしまいます。
現役時代には、筋肉痛にならないレベルの運動でも今は筋肉痛になってしまいます。
このような筋肉の疲労はトレーニングや投球練習を行い、体力が増せば疲労は生じにくくなります。

精神的な疲労とは、人間関係や悩みなどの心理的ストレスによって起こります。
精神的に緊張状態を強いられる環境にいることで疲労を感じます。
自律神経のバランスが乱れることでも起こります。
例えば、忙しすぎて気が休まらないといった量が多い場合やミスできない、よく考えないとできない、といった質が高い場合などでも疲労が溜まっていきます。
自分の思い通りにならないような我慢がストレスとなり疲労を感じるようになることもあります。

 

運動や睡眠不足やストレスなどで心身に負担がかかった結果として起こる疲れですが、「疲労」と「疲労感」は違ったりもします。
好きなことをしていたり、成果が出ていたり上手くいっている場合など、頑張って活動してもあまり疲れを感じないことがあります。
夢中になって遊んでいるときや、夢中になって練習しているときはあまり疲れを感じない経験があると思います。
ランニングメニューなどで、多くの選手がゴール前のラストスパート時では多少疲労していてもスピードアップできます。
ゴールを脳が認識することで走るスピードを上げられることから、疲労を感じていても身体が疲労しきっているわけではないということが言えると思います。
このように、「疲労」と「疲労感」が一致しているとは言えない場合もあります。
その時の気持ちや報酬、達成感や集中状態などにより疲労感は変わります。
疲労を感じず活動を継続してしまい、その結果、気がつかない間に、疲れが蓄積し、怪我や故障につながってしまうことがあります。
特に子供は、疲労を上手く言葉にできないので注意が必要になります。
疲労は本人が自覚するかどうかという主観的な問題だけでないことも知っておかなければなりません。

 

「疲労」は超回復を使って、身体を成長させたり、爽快感を得たりと悪いものだけではありません。
心身を休めるようにという自分の身体や脳からのメッセージであり、人間が生き抜いていくために備えている、過度の活動を防ぐ心身の防御機能とも言えます。

疲労と上手く向き合い、どこまでいったら過労なのかを判断することは重要なことです。
「疲労」と過度の疲労である「過労」の境界線は曖昧です。
人によって大きく異なるとも言えると思います。

少なくとも過労を生じることのないように気をつけなければなりません。
過労は、疲労骨折を招いたり、怪我や故障につながります。
精神的な疲労が酷くなれば、うつ症状や引きこもり、過労死につながります。

 

大人や指導者が知っておかなければならないことは、疲労の原因は様々あって、多くの要因がある。疲労は複合的な現象であり、個人差があるということです。
そして、疲労についてわかっていないことが様々あります。
今後、テクノロジーの進化によりいろいろ解明されていくとは思いますが、疲労をどのように見るのかはとても重要なことだと思います。

生涯学習。

生涯学習という言葉は最近よく使われるようになってきています。
学習するということは、生きていくうえでとても重要なことです。

その学習を2つの側面から考えてみたいと思います。

 

ひとつが自分が成長するために学ぶという学習です。

もうひとつが社会が変化するにつれてそれに適応するためにする学習です。
すでに学習したことの構造を変えるということでもあります。

赤ちゃんや子供の学習は、自分が成長するために学ぶことが中心に行われてます。
参加しているコミュニティが家族であり、そのあと仲間ができてきて、学校に行ってと、大人に比べ、社会に十分参加していないので自分が成長するために学ぶことが中心になります。

もうひとつの社会が変化するにつれてそれに適応するためにする学習は、大人になってから様々なコミュニティに属し、その社会を構成し、動かしているときに重要度が増し、行われる学習です。

どちらの学習も重要ですが、昔に比べ、近年は、後者の学習力をつけることが重要視されています。
なぜなら、社会が変化するスピードが格段に上がっているからです。
昔は時代の変化するスピードも遅かったのでこの学習能力はそこまで重要視されていなかったのですが、現代は時代の変化が加速度的に起こっているからです。
仕事を例に出しても、僕が学生の頃には、ユーチューバーという仕事もなかったしプロのeスポーツ選手が生まれるなんて想像もできませんでした。
もちろん、将来ユーチューバーになりたいなんて人はひとりもいませんでした。そもそもユーチューバーという言葉すらありませんでした。

今後更に、様々なことが今までにないスピードで変化していくことが予想できます。
今持っている知識だけで、10年、20年先の社会で生きていくことは難しいと思われます。
だから「生涯学習」と言われるようにいつまでも学び続けることが求められてきています。
社会が変化するにつれてそれに適応するために必要な学習という部分が重要であるということです。
これが、国を挙げて、「生涯学習できる人」を育てようとしている理由だと思います。

 

スポーツに求められることも同じです。
日本のスポーツは、体育と混合していることから、多くの選手が練習や課題は、指導者に用意して貰って、与えられてやるものだと思い込んでいます。
思い込まされていると言ったほうが妥当なのかもしれません。

しかし、社会が求めている「生涯学習できる人」とは、スポーツでは課題を自分で見つけて練習できる人のことです。
自分の理想とする選手に近づけるよう自ら考えることができる選手です。

僕は、スポーツを上手く使うことができれば、スポーツはこのような力を育むことに非常に適していると思っています。
スポーツもテクノロジーの進化により、様々なことが証明され、どんどんレベルが上がってきています。
ピッチャーの球速を見ても、僕が、小さい頃は140キロを投げることができるピッチャーは注目されていましたが、今は150キロを投げなくては注目されません。
ここ何年かで、格段にレベルが上がっていると感じます。
プロ野球では、どんな選手でも進化していかなければ毎年成績を残すことは難しいと思います。
これは他のスポーツでも言えることだと思います。
スポーツでは、現状を見て、課題を見つけ、それに対して目標を明確化します。
そして、練習内容やトレーニングを決定し、実行します。
その振り返りをし、次の目標の設定をしていきます。
これを繰り返していくことが上達に繋がります。
これを根気強くできることが求められます。
これができるということは、「生涯学習できる」と同じことです。

学校教育でやろうとしていること。つまり、国が求めている人材を育成することにスポーツが適しているということです。
スポーツで、課題に対して、調べて、情報を入手し、そこから学んで、問題を解決する能力を身につける。
「学ばなければならないのだ」という心構えと「学ぶ方法を知っている」という学習技術は様々な分野で活かせます。

 

スポーツを通じて、どんな社会になろうとも、その変化に適応する力を身につけることができると思います。
そのためには、指導者自身が学び続ける姿勢を持ち、時代の変化に適応していく必要があります。
スポーツ界は時代遅れと思われるのではなく、スポーツ界が時代の先を目指していくことが重要だと思います。

アメとムチ。

前回、「基礎・基本」が重要だという話をしましたが、それを身につけるには本人の根気とやる気がなければなかなか身につけることは難しいと思います。
人が行動を起こすにはやる気が必要です。
どうやったらやる気にすることができるのかという話をしたいと思います。

 

人が行動を起こすきっかけの根本には「やりたい」か「やりたくない」かがあります。
「やりたい」と思うきっかけは、自分が達成したいと思うような、自分が希望する何かがあるときです。
こうしたいという面に注目し、自分や他人にとって良い結果をもたらすように行動計画を立てます。
「やりたくない」と思うきっかけは、自分が避けたいストレスや不快な何かがあるときです。
自分の周りに潜んでいるリスクに敏感になり、最悪な事態を考え、そうならないように計画を立てます。

「アメとムチ」で説明するなら、「アメ」は報酬を得るために「やりたい」というきっかけでやる気を促し、「ムチ」は罰を避けるために「やりたくない」というきっかけでやる気を促すということです。

この「ムチ」は短期的にだけ考えると効果的です。
なぜなら、大抵の人は「アメ」と「ムチ」が近くにあるときには、「ムチ」の強さの方が「アメ」の強さよりも強いからです。
安全を確保するのは動物の本能だからです。
しかし、「アメ」と「ムチ」が遠くにあるときには、これが逆になり、「アメ」の強さの方が「ムチ」の強さよりも強くなります。

暴力や脅しで恐怖を与えるようなやり方が近くにある場合と、報酬として何かが与えられるというやり方が近くにある場合では、恐怖を避けようとすることの方が選ばれやすいということです。
しかし、これが遠くにある場合は、恐怖を避けようとするよりも報酬を得たいと思う方が多いということです。
だから、短期的にだけ考えると「アメとムチ」では「ムチ」の方が効果的だと言えます。

「ムチ」による「やられたくない」から行動するというのは、ストレスを避ける行動です。
ストレスは過度にかかると、多くのマイナスな結果を引き起こすことは証明されています。
ストレスがかかると短期的には活気づけられますが、長期的にわたってストレスを感じながら生きていると、病気のリスクも高くなります。
罰に対して逃避行動を取ることは、人間の自然な反応です。
これがいつもだと、結局、ストレスを受けたくないという思いから行動を考えるようになってきます。
脅しの環境を逃れないと、いつかは練習や競技を続ける意欲がなくなります。
脅しを多用する環境では、安心して時間を過ごせるようにいつの間にか、その環境を避けるようになっていきます。
過度のストレスを受けている選手が練習が休みだと喜ぶというのはこの最たる例だと思います。

「ムチ」を避けるというきっかけで行動するのは、自分を成長させるという考えや良い結果を出すという考えにはなかなかなりません。
そうすると、結果を得るための過程は重要視しなくなります。その結果、練習で手を抜いたり、相手を蹴落としたりミスや間違いを隠しがちになるということが起こり、成長が促されません。

それなので僕は、「ムチ」で指導するというやり方は「絶対にダメだ」とは言いませんが、リスクがありすぎると思っています。

 

その反対の「アメ」を上手く使うことで得られることは多くあります。
プロ野球で活躍しているような選手は、練習やトレーニングを楽しんでやっていて、失敗したり怒られることを回避する手段としてではなく、自分の理想に近づくための手段として練習を考えています。
プロ野球選手のやる気は自分がやりたいからやっているという考えで行動しているということです。

多くの能力を自分が考え、行動することで必ず取得できるものだと信じています。
ミスや間違いは練習が足りなかったという証拠になります。
考えてやれば上手くなるのだと信じて、間違いを自分の能力不足の証拠として恐れることなく、目標達成の手段として使うことができます。
新しいことを試してミスをして、そこから学びます。失敗はその時には悪いかもしれませんが、長い目で見れば成長へのきっかけになります。
さらに、自分のミスだけでなく、他の人のミスや過去のことからも同じように学ぶことをしています。

さらにトップ選手は、他人から与えられる「アメ」だけでなく、自ら「アメ」を用意して行動するのでやる気を保てます。
そのポイントは上手くなっている、なっていないが感じられることです
費やした努力の量とそれに合った成長の関係を知ることは、やる気を起こさせるコツで、達成した時の喜びを報酬として得ることです。
それを経験させ、実感させることが重要です。

 

普段「ムチ」を使わない人がごくたまに「ムチ」使えば、あまりやる気が見られない人をやる気にさせるのに効果があると思います。

成長を促すにはアメとムチをバランスよく使うことは必要です。
しかし、してはいけないことはそのバランスが「ムチ」側に傾くことです。
罰が強くなりすぎては、競技が嫌いになったり、ストレスにより身体を壊してしまいます。
褒めながらバランスよくストレスを掛けていくことが成長を加速させていくと思います。

基礎・基本

僕は、野球の基本というのはとにかく重要だと思っています。
基本がしっかりできているからこそ、そこから応用して様々なことができるようになります。
基本があってこその応用なので早いうちに基本を身につけることは大切なことだと思っています。
そんな基本を身につけるための話をしたいと思います。

 

基本を身につけることは大切と言いましたが、だからといい、いきなり基本練習を繰り返して基本を身につけようとしてもなかなか上手くいきません。
なぜなら、基本を身につけるためには、基本を身につけるための基礎的な部分が必要だからです。
基礎的な部分とは、基礎体力であったり、基礎的な動きのことを言っています。
基礎体力は運動の基本になっていて、体力がないと運動はできません。極端に言えば、寝たきりの人が運動をしようと思ってもできません。
当然基本動作を身につけることも難しいです。

基礎的な動きは、しっかり立つことから始まり、そこから歩く、走る、跳ぶ、前後に移動する、横に移動する、などの動きがあります。
投げる、捕る、振る、なども動きの基礎的な部分です。
このような動きをスムーズに適切にできる身体操作の基礎がなければ基本動作を身につけることは難しいです。
基礎ができてこそ、難易度の高い動きへ変えたり、ひとつの動きから類似した動きや、多様な動きを獲得していくことになっていきます。

 

野球の基本と言われる動作の前に身体操作の基礎・基本があるということです。
この身体操作の基礎を身につけるには遊びの要素がとても適していて、外遊びの中で自然と覚えていくことができます。
夢中になって遊んだ経験が、知らぬ間に効率的なトレーニングになっていたということです。
外遊びのような経験が少ない選手にはトレーニングとして行う必要があります。
走る、跳ぶ、投げる、捕る、などいくつかの基礎的な動きが組合わさり身体操作の基礎となります。
その動きの基礎ができていないのに技術の基本を身につけることはなかなか難しいと思います。

例えば、守備の基本練習として腰を落としてボールを転がして捕るという練習をよく見ますが、この練習こそ、身体操作の基礎がなければ効果的ではありません。
「腰を落とせ」と言われたときにお尻を落とすような身体の使い方をする選手は、先ずは「腰を落とす」という基礎的な動作をできるようにしなければなりません。
両足を広げ、裏もも(ハムストリング)を上手く使って、股関節を折るような動きで腰を落とすことができなければ、形だけ低く構えられるようになり、逆に動けなくなり守備力が向上しないということが起こってしまいます。
このように守備の基本を身につけるには、身体操作の基礎ができているかが重要になります。
その基礎的な動作をできるようにすることが先決です。
(そもそも「腰を落とせ」と言う表現が選手がどう感じるかを知る必要があります。「腰を落とせ」と言われ、お尻を落とすような選手には別の言葉を選ぶべきです。)

 

野球が上手くなるためには、基本を身につける。
その基本を身につけるためには、身体操作の基礎を身につける。
そこから応用していくということが野球が上手くなることにつながると思います。

応用力をつけることも、とても重要ですが、応用力とは、基礎・基本がしっかりあった上で探究し新しいことにチャレンジすることでついていきます。
上手くいくこともいかないことも含め、「これはこうだった、次はこうしてみよう」とリフレクションし試行錯誤を繰り返した結果で伸びていく力です。
応用力は、基礎・基本を身につけた選手が自分自身でしか伸ばせないものだと思います。

例えば、投球動作を身につけたピッチャーがボールの握り方を変えるという応用をすることで、変化球を投げることができます。
基本となる投球フォームがなければ効果的な変化球を身につけることはなかなか難しいことだと思います。

プロ野球選手やメジャーリーガーの投球フォームやバットを振るフォームも人によってさまざまなスタイルがありますが、これも基本の応用のひとつの形と言うことができると思います。

 

基礎・基本が身についてるからこそ、高いパフォーマンスが出せます。
だからこそ基本というのを大切にしていくことが重要です。
その基礎を作るのが遊びなので、野球が上手くなりたければ、遊びを大切にするということでもあると思います。

大人の熱心さが子供の成長を止める。

僕が子供たちの指導をする上で、どのように考えているのかを書いてみました。
先ず、根本にあることは「子供の才能を潰してはいけない」ということです。
子供ひとりひとりを大切にし、どう才能を伸ばしていくのかと考えれば、行動は決まってきます。
何か参考になることがあればと思います。

 

いつも考えていることは、子供を変えようとするのではなく、子供を変えるために自分がどう変わるかということです。
子供を変えようと大人が熱心になりすぎることで、才能が潰れていくのをたくさん見てきました。
子供に合わせることをせずに、「自分のやり方はこうだから従え」というやり方では、多くの選手は伸びません。
子供のためを思い「勉強しろ」「練習しろ」「真面目にやれ」などと言いうことにより、伸びない子供に変えていってしまってると感じることが多々あります。

多くの選手が練習や課題は、指導者に用意して貰って、与えられてやるものだと思い込んでいます。
それは、大人によって思い込まされているとも言えると思います。
少なくとも、僕の見てきたトッププレーヤーにこのような考えの選手はひとりもいませんでした。
課題は自分で見つけて、それに対して練習します。
自分の理想とする選手に近づけるよう考えるということです。

僕は「教えたことは身につかない」と思っています。
教えたことが身につくのなら、みんなテストで高得点を取れるし、みんなプロ野球選手のように上手くなれるはずです。
いつもフォアボールを出すなと教えられている野球のピッチャーがフォアボールを出すようなことはなくなるはずです。
しかし、現実はそうなっていません。
多くの指導者が、自分が教えられて身につかなかったことを体験していながら、子供たちに同じことをしています。

僕は、選手に技術を教えて上手くさせようとすることは選手のためにならないと思っています。
指導者が選手を上手くするのではなく、勝手に上手くなる選手にどう変えてあげられるのかを考えるのが指導者だと思っています。

本人が「どうしたら身につくのか」「どうしたら上手くなるのか」考えなければ身につきません。
重要なことは考える習慣を作ることです。
早く結果を出させようと、考える時間を削り、答えを教えていくことで、考える習慣が失われていきます。
そうすることで知らず知らずのうちに子供の才能が潰されていきます。

正しいことを教えることで成長するという考え方は、勉強や練習の本質ではなく「自分はこう考える」や「自分はこう感じる」「こうやってみよう」というように、あくまで自分で決め、行動に移すことが重要だと思います。
自ら学びたいと思い、学び続けることが成長に繋がります。
スポーツを通じて主体的に学び、自分で考えることが好きになれば、その先の将来にも役に立つと思います。
「今結果を出すことだけに関心を置く」「試合での勝利にこだわりすぎる」「大人主導の練習をする」「練習を多くやらせる」「上手ければなんでもいい」などの考え方では、子供の才能を引き出せません。

野球やスポーツや勉強自体を好きだったり、考えることや学びが好きになった上で次のカテゴリーに進むのと、もう野球やスポーツは嫌だな、勉強は嫌だな、というふうに感じて次のカテゴリーに進むのでは、その後、大きな差になることは想像できます。

 

大人や指導者に求められることは、完全な人間はいないという大前提の上で、子供の存在自体を認めるということです。
子供はみんな未熟です。
どんな子供にも居場所が必ずあるということを本人に理解させることをしなければなりません。
どんなに野球が下手だろうと、どんなミスをしようと、どんなに悪いことをしようと、その中でも、子供が持っている輝ける部分を見つけてあげることが指導者だと思っています。

そもそも大人ですら完璧な大人はいないわけで、子供の未熟さにイラッとしてしまう時点で、大人が自分はまだまだ未熟であると思うべきです。
大人が子供にイラッとするというのは、大人自身に弱さがあるからであり、自分の我慢強さが足らないことや自分の思い通りにならないことで怒りを生んでいることを正当化してはいけません。
大人自身が自分の弱さを認めることができれば、子どもの未熟なところにいちいちイライラしなくなります。
逆に言えば、子供の未熟さにイライラしてしまうということは、大人自身が自分の未熟な部分を直視できていないということです。
自分が未熟なのに子供にだけそれを直させようと考えるのは、難しい話です。
子供と一緒に成長していくということが大切な心構えだと思います。

 

つまりは、子供を成長させたければ、自分自身を成長させなければならないということです。
自分のやりやすいように管理するよりも、突拍子もないことをする子供に接する方が、自分自身の引き出しも増え、より成長できます。
それが、子供の才能を潰さないことにつながるのではないかと思います。
子供を育てているようで子供に育てられている。
この関係が重要なのではないかと思います。

理想のフォームを身につけるには

前回の投稿で「フォームの重要性。」についての話をしました。
だからといい、フォームを教えても選手はよくならないということが現実だと思います。
多くの選手がフォームに明らかな改善点があるにもかかわらず改善できません。
実際に、フォームを教えても身につけることができないという選手をたくさん見てきました。
僕自身も、フォームを変えることが大変であるということは、たくさん経験してきました。

 

フォームを変え、身につけることは簡単ではありません。
しかし、大谷選手は足を上げる打撃フォームから足を上げない打撃フォームに数日間で変え、結果につなげました。
ダルビッシュ選手もどんどんフォームが変化していっています。
イチロー選手の打撃フォームも毎年のように変わっていました。
フォームを身につける差はとんでもなく大きな差として存在しています。
何年かかっても身につけることができない選手もいれば、数日で身につけるとこができる選手もいます。

僕はこの差を能力として捉えています。
僕の提唱する「スポーツセンシング」とは、このような能力のことも含めて言っています。

 

理想のフォームを身につけるには
・何が良いフォームで何が悪いフォームかを知る。
・理想のフォームをイメージする。
・現状のフォームを知る。
・現状と理想を埋めるために必要なことを決める。
・練習を決める。
・必要なトレーニングを決める。
・練習を実行する。
・練習を繰り返す。努力を続ける。
・身体が動きを記憶する。
・感覚をすり込んでいく。
・どう変わったのかを振り返る。
・再構築して次の行動を決める。

簡単にフォームを改善するといってもそこにはたくさんの能力が必要になります。
上に挙げたことがひとつでもできなければ、理想とするフォームを身につけることができない確率が高くなります。
フォームを教えることよりも、どの作業をする能力が低いのかを知り、そこを優先的に鍛えることの方が重要だと思っています。

理想のフォームがわからずに、イメージできないのであれば、メカニックの仕組みを理解する必要があります。
努力を続けられないのであれば、努力できる選手に導くことが選手のためになります。
努力をしてもフォームが身につかないのであれば、努力の方向性を考えなければなりません。

ただフォームを指摘するだけでは、人によっては不十分だということです。
自分の身体がどう動いているのかわからないという選手は非常に多くいます。
そのために、理想としているフォームと実際の自分のフォームの違いがわかりません。
そんな選手にフォームを「こうしろ」「ああしろ」と言ったところで効果的だとは思えません。

形を教えても見た目ではどこの筋肉がどのタイミングで使われているのか等は、なかなかわかりません。
外見上の形だけでなく、動員する筋肉や力を入れる(力を抜く)タイミングなど僅かな違いがとても重要なことです。
つまり、本人の理解なしに理想的なフォームを身につけることは難しいということです。
だから、人から教えられてもなかなか変わらない選手が大多数ではないかと思います。

理想的なフォームに変えていくことができるのが能力なら、理想的なフォームを身につけられないのも能力ということです。
「こういうフォームにしろ」という指導で追い込まれていく選手を多く見てきました。
野球のピッチャーでは「テークバックをこうしろ」という指導でおかしくなる選手が本当に多くいます。
フォームをどう教えるのかで、選手の人生を左右します。

 

僕の考えは、フォームを教えるよりも、フォームを身につけられる能力を鍛えることが必要だということです。
この能力を持った選手は、自ら、フォームを理想に近づけていくことができます。
逆に、この能力がなければ、どんなにフォームを教えたとしても、成長に繋がりません。
パフォーマンスを発揮するにはフォームが重要ですが、単純にフォームを教えれば解決するわけではないということです。
指導者に「選手を成長させるために何ができるのか」という考えがあれば、一方的にフォームを押し付けるとはならずに選手に寄り添って考えることができるのではないかと思います。

フォームの重要性。

野球では、打つのも、投げるのも、走るのも、守るのも、とにかくフォームが重要です。
これは野球だけでなくすべての競技に言えることだと思います。
パフォーマンスを発揮するにはパフォーマンスが発揮できるフォームでプレーすることが重要です。
そんなフォームの話です。

 

野球の投球でフォームが重要なのは、始球式を見れば分かりやすいと思います。
「おっ」と驚くようなボールを投げる人はそれなりのフォームをしています。
逆に、とんでもない方向に投げてしまう人やボールがキャッチャーまで届かない人はフォームに問題があるということは野球経験者ならわかると思います。

スポーツの技術の向上はフォームの向上でもあると言えます。
逆に言えば、フォームが変わらなければスポーツの技術もなかなか向上しないということです。

 

しかし、「正しいフォームを教えてくれ」と言われてもなかなか正しいフォームを示すことはできません。
なぜなら、「正しいフォーム」とは、何をもって正しいと言っているのかがわからないからです。
人の身体はそれぞれ違います。
体格も違えば、骨格も柔軟性も筋力も持久力も耐久力も回復力も違います。
野球の投手の投球フォームでは、肩や肘を痛めないフォームが正しいのか、速い球を投げられるフォームが正しいのか、バッターを抑えることができるフォームが正しいのかわからないからです。
正しいフォームとは、選手や目的によって変わってくるということです。
極端な例えを出すと、ウサイン・ボルトの走るフォームが正しいから同じフォームを身につけろとフルマラソンの選手に言いますかということです。

大きな力を生み出すのに適切なフォーム。
素早く動くのに適切なフォーム。
素早く回転するのに適切なフォーム。
長時間反復できるのに適切なフォーム。
すべて違います。

選手それぞれが、どのような選手を目指し、どのようなパフォーマンスをしたいのかを考えた上で、その選手の身体にあった理想的なフォームを追求することが重要です。

野球の投手で言えば、関節に掛かる負担を極力少なくできるか。
「ボール」に対してどれだけ大きなエネルギーを伝えることができるか。
同じ動きをどれだけ再現性高く繰り返すことができるか。
いかにバッターにタイミングを合わせにくくできるか。
などを考え、理想とするフォームをイメージしていきます。
そしてそのイメージしたフォームを身につけるために練習します。
いかに試合で理想的なフォームを繰り返せるかが勝敗を左右します。
そのために普段から理想のフォームを徹底して作り、いざという時にそのフォームで投げられるようにする必要があります。

 

フォームによって、怪我のリスクを減らすことができたり、疲れにくくなったり、リラックスできたりと楽にプレーすることができます。
無駄を省くことでパフォーマンスを上げることもできます。
見た目も、しなやかで綺麗でカッコよくもなります。

練習の効率を高めることにもなります。
フォームが悪ければ、いくら練習を重ねたところでその効果はなかなか得ることができません。
フォームが悪いと刺激が入ってほしい筋肉に刺激が入らず、筋肉も成長していきません。
走るフォームが良ければ、走れば走るほど筋肉は発達していきますが、走るフォームが悪ければ発達してほしい筋肉に刺激が入らずに筋肉が発達していかないということです。
フォームと体力は密接な関係にあり、トップアスリートは、フォームが悪いから体力がつかないのか、体力がないからフォームを身につけられないのかを考えなければなりませんが、トップアスリート以外の大半は、フォームが悪いから体力がつかないと考えるべきだと思います。
「ピッチャーの体力がないから投げ込みをさせる」となる前に、フォームを良くしなければならないということです。
悪いフォームで投げ込みをすれば、悪いフォームを脳や身体が記憶していきます。
フォームを修正していくのには集中力が必要です。
今までの癖や動きのパターンをやらずに、違う動きをするのには集中力を高めなければできません。
その選手の集中力が続く範囲で練習を切り上げるべきです。
集中できない状態でフォームを変えることは難しいということです。

 

フォームを良くしていくことが、どの競技でも、とても重要なことです。
どうしたら理想的なフォームを身につけられるのかを考え、アプローチすることが、競技力を上げる一歩になると思います。

教育の優先順位。

スポーツをする目的のひとつに教育があると思います。
教育と言っても、技術を教えるのも教育。身体を鍛えるのも教育。人格を育てるのも教育。
教育には様々あります。
僕のスポーツを通じた教育に関する考え方です。

 

僕は教育の優先順位を間違えないように気をつけています。
優先順位の上にあるのは、人間性を高め、人格の形成を目指すということです。
人として生きていくには、理性や倫理があり、外れることなく生きることをしなければなりません。
社会に出て、真っ当な生き方ができる人に育てるのが教育です。
理性や倫理は人である以上、全員が持っていなければいけません。

これを育むのに必要なことがスポーツパーソンシップを理解し実行することです。
スポーツパーソンシップとは「感情の抑制」「相手に対する思いやり」「フェアプレー」そして「卓越性の追求」です。
理性を保ち、周りを尊重し、ルールや倫理を守る。そして自分を育てるということです。

優先順位のその次が、それぞれの人が持つ目標が達成できるように、技術や身体を教育することです。
この優先順位を守ることが教育では重要だと考えています。

これは技術や身体教育が重要ではないと言っているわけではありません。
技術を習得したり身体を育てることで、自分の可能性を広げていくことができます。
しかし、これらの技術や身体をどのように使うのかは、人間性や人格が関係してきます。
スポーツパーソンシップに則ってプレーすることができなければ、いくら技術を身につけようとスポーツにはなりません。

ドーピング違反がこの優先順位を誤ったいい例だと思います。
技術や身体を作るためにアンフェアなことをするということです。
これからのドーピングはゲノム編集なども考えられます。
遺伝子操作は倫理の問題でもあります。
高度なドーピングが考えられる今こそ、倫理を守ることが必要だと思います。

ドーピング違反は規則違反なので厳しく罰せられますが、ルールがなくても守らなければならないのがスポーツパーソンシップです。
指導者はスポーツを通じて人間性や人格を育てる努力をしなければなりません。
試合で勝つというのは、その上で目指すものです。
どうしても勝負がかかると熱くなりこの優先順位を誤りそうになりますが、指導者が理性を保ち、行動で示すことで、選手の人格形成につながっていくのではないでしょうか。
指導者がスポーツパーソンシップに則った行動をできなければなかなか選手が育つことは難しいと思います。

 

僕は、選手に対して、「人格を磨く」「自分自身を成長させる」などの人生の目的を持つことの重要性を伝えています。
幸せになるために自分を育てるということです。
そう思えれば、自分の感情をコントロールできます。
我慢強くいられ、現実を受け入れ、不幸を幸せに変える努力ができます。
人のためになるように一生懸命に働くこともできます。
自分を育てるという目的があれば、ストレスになるような出来事や嫌なことも「成長のためのいい経験」と捉えることができると思います。

 

優れた人格を持った人が高い技術を使うことで、様々なところで評価されます。
技術を持ってもそれを真っ当に使えなければ、宝の持ち腐れになってしまいます。
逆に、優れた人格を持っていても、技術がなければ人の役に立つことがなかなかできません。

スポーツの素晴らしさのひとつが、人の教育に適しているものだと思っています。
スポーツではスポーツパーソンシップを理解し少しずつでも実行できるように努力することで人格を育てることができます。
そこから、技術の習得を目指すことで、生きていく力をつけることができます。
自分で課題を見つけ、それに対してアプローチすることで、技術を身につけていきます。
生きていく力とは、技術を習得するやり方であり、課題をクリアするやり方です。

しかし、先程書いたように、教育の優先順位の上には、人間性を高め人格の形成を目指すということがあることを忘れてはいけないと思います。
理性を保ち、周りを尊重し、ルールや倫理を守る。そして自分を育てる。
スポーツを通じて身につけた能力を社会や学校、仕事などで活かしていき、人生を豊かなものにしていってほしいと思います。

防衛本能を働かせない。

前回の投稿で「子供の成長段階」があるという話をしました。

子供が、スポーツにどのように向き合っているのかを見て、接し方を変えていくという話をしましたが、それだけでなく、子供が置かれている状況にも目を配る必要があります。
どのくらいのストレスを与えることが適切なのかを考える必要があります。
筋肉をイメージしたらわかりやすいと思いますが、適度な負荷をかけることで筋肉は成長していきます。
人の成長も同じで、適度なストレスは成長には欠かせません。
しかし、過度なストレスは成長を阻害します。

それをどのように判断するのが良いのかという僕の考えです。

 

人間には防衛本能が備わっています。
自分を守るということを本能的(無意識)に行ってしまいます。
この機能を作動させないことが成長には重要になります。
人を成長させるには、自分を守るという行動ではなく、上手くなりたいと思い、自分を成長させる行動をする必要があります。

例えば、お腹が空いて空腹では、練習どころではありません。
水分を摂らずに、喉がカラカラになれば、ハードな練習はできません。
睡眠不足で眠くなれば、集中できません。
上手くなりたいと思う前に身体を守らなくてはという防衛本能が働いてしまいます。
これは極端な例ですが、食事、睡眠が重要であり、疲れていては成長につながらないということがわかると思います。

怪我をしている状態でのプレーも防衛本能が働いてしまいます。
怪我を悪化させないと思えば、上手くなるという考えではなく、身体を守るという考えになってしまいます。
僕自身が、そうでした。
痛みがある中で無理してプレーしていた時は、成長しようという考えではなく、どうしたら痛くないかという考えになってしまっていました。
自分を成長させるにはどうするかという考えにはなりませんでした。

怒鳴られたり、殴られたりすると思えば、怒鳴られないようにや殴られないようにという思考が働いてしまいます。
これも防衛本能が働いてしまい、「どうしたら怒られないか」といったような、自分を守るための行動を取ってしまいます。
これでは「上手くなるためにどうしよう」「成長するためにどうしよう」という思考にはなりません。
「これをしなければ練習させない」「これをしろ」というような強制による支配も同じです。
成長するためではなく自分の立場を守るためにそれをしなければという発想では、なかなか上手くなりません。
ミスすると怒られたり、「ああしろ、こうしろ」と細かく言われ続けている選手は、チャレンジすることをしません。
このような選手は、話をしている時に視線が定まらなかったり、練習中や試合中にベンチやスタンドに視線を送るのですぐにわかります。
自己防衛のために言い訳を考えたり、人のせいにしたりします。
自分が成長するためにという思考は追いやられてしまっています。

特に問題なのが、監督やコーチにそうされているよりも、親にそうされている選手です。
子供は親に認めてもらいたいというのは本能です。
上手くなるためには上手くなりたいと思い、チャレンジすることが重要です。
「こうやったらどうなるのかな」「こんなやり方思いついた」と好奇心と遊び心を持ってやってみることが成長につながります。
しかし、そのような新しい挑戦には、ミスが付き物です。
それを怒られてしまったり、ふざけないでやれと言われてしまっては、成長につながりません。
見ていても楽しそうではないし、誰のためにスポーツをしているのかがわからなくなるような選手を見るのは辛くなります。

このような選手には、その競技を好きで楽しいと思ってもらうことを考えます。
挑戦レベルを下げ、遊びに近い形で楽しませることが必要です。
そして、どんなにミスをしようと、チームの勝利に貢献できなかろうと、人格が否定されることはないということを理解させていかなければなりません。
「今は上手くいっていないかもしれないが、選手を成長させるためにチームがあり、そのためにコーチがいる」ということを伝え続けることが重要です。

防衛本能が働かない状態ができなければ、成長しようという思考にはなかなかなれません。
「怒られるからやろう」から「期待されているからやろう」そして「成長するためにやろう」に持っていくことを考えます。

 

例外として、防衛本能が働かずに、自分を守るためには成長することや上手くなることだと考えられる人もいます。
思考技術が優れているので、本能(無意識)に思考(意識)を加えられるので、ストレスに対する耐性が非常に高いです。
このような人はかなりのストレスを与えてもそれを力に変えて成長します。
海外の貧困を脱出するためなどのハングリー精神を持った選手や強烈なストレスをかけた指導で成長した選手などは、僕は例外だと思っていますが、一定数いることも事実です。
このような選手も含めて、選手の状況を見極める努力をすることも指導者の役割のひとつです。

 

前回書きましたが、子供たちの成長段階には個人差があります。
適切な負荷も人それぞれです。
与えるストレスを適切にすることが成長には欠かせません。
それを見極め、その選手に適した接し方ができるようコミュニケーションを取りながら成長を促していけたらと思っています。

子供の成長段階。

子供には成長の段階があり、いきなり大人になるわけではありません。
これは、身体的な部分だけでなく、精神的な部分や考え方も同じです。
子供たちに大人と同じように接したり、大人と同じようなトレーニングをやらせることが効果的ではないことも多々あります。
僕が子供たちと接する時に注意していることを書いてみました。

 

スクールや様々なチームを見ているので本当にいろいろな子供がいるということが良くわかります。
その中で、それぞれの子供に成長してもらいたいと考えたときに、その子供に適した接し方ができるかで成長が大きく変わってくると感じます。

先ずは、子供たちが積極的に身体を動かす習慣を作ることを心掛けます。
特定のスポーツをやるよりも、遊びでもいいので身体を動かすことで様々な動きを覚えていくことが重要だと思っています。
身体を動かすことが好きという子供にすることが、後のスポーツ競技での成長につながると思います。

その中で、スポーツを少しずつ覚えていき、スポーツを好きになってもらえるよう楽しませることを心掛けます。
その競技が好きだというようになることがその競技力を上達させるのに欠かすことができないことです。

競技の技術や体力を高めていくのはその後だと思っています。
野球でいえば「打った」「抑えた」といったような個人のスキルをどう伸ばしていくかを考えます。
まだこの段階では、チームの勝利を求めることはしません。
個人のスキルが上がることで、さらにその競技が楽しくなり、ますますその競技が好きになるという循環を作ることが大切です。

もっと上手くなりたいという思考と、「試合で勝ちたい」「勝つことがうれしい」といったような感情が芽生えてきてから、チームプレーやチームの勝利にどう貢献するのかを教えていき、相手に勝つことを目指します。

さらに上を目指したいという選手には、プレッシャーなどのストレスをストレスとして感じるのではなく力に変えていくことを教えていきます。
カテゴリーが上がれば厳しさが増していくということも教えていく必要があります。

 

大まかに、このような段階を踏んでいくことを心掛けています。
この順番を無視して選手を育てていくことは難しいと思っています。

外遊びなどで身体を動かして遊ぶことで土台を作り、スポーツが好きで楽しいと思うことで自分から進んで練習に取り組むようになります。
これがないのに技術や体力をつけさせようとトレーニングさせても選手にとっては苦痛になってしまいます。
本人が「上手くなりたい」「成長したい」「いいプレーをしたい」と思って初めてトレーニングに積極的に取り組むことができます。

ある程度まで成長しなければ「チームにどう貢献するか考えろ」や「負けて悔しくないのか」と言ったところで理解できません。
だから、子供の中には、チームが勝っても自分が活躍できなければ落ち込んでいる子供がいるし、逆に、チームが負けても自分が活躍できていたら喜んでいる子供もいます。
チームが負けたことをチームメートと悔しがり、負けたことから何を学び、それを次にどう活かしていくかが考えられるようになってやっとチームの勝利を全力で目指しにいくということができます。

これらの段階は、積み上げていくものなので、いつになっても身体を動かすことが好きで、スポーツを楽しめないといけません。
上のレベルになれば、自分をどうしたら成長させれるかを常に考え、献身的にチームのために動くことを考えることが必要です。

 

このような段階で子供たちに接することで子供たちは、競技を夢中になって行い、楽しむことができます。
夢中になれないようなら、ひとつ前の段階に戻って子供のやる気を引き出す必要があります。

どうやっても夢中になれない、心の底から楽しめないようなら、他の競技をしたり、他のことをしたりしてその子供に合うものを探すことも考える必要があると思います。
親や大人がやらせたいものを無理強いするのではなく、子供がやりたいこと、打ち込めることを一緒に探してあげることも重要なことです。

子供たちの成長段階には個人差があります。
それを見極め、その選手に適した接し方ができるようコミュニケーションを取りながら成長を促していけたらと思っています。

指導者は、子供たちがどうしたらスポーツを楽しめるかを考えることが大切です。
その競技を嫌いにさせないということは、選手を上手くすることよりも遥かに重要なことだと思います。
スポーツを通じて人格を身につけ、生きていく力を育み、それを次の世代に伝えていくという流れを作ることがこれからのスポーツ界が目指さなければならないことではないかと思います。

現代の子供の体力・運動能力の低下。

数十年前よりも子供の体力、運動能力の低下が見られます。
小学校、中学校で行われる体力テストの結果としてはっきりと示されています。
現代の子供の体力・運動能力の低下について書いていこうと思います。

 

体力は人間の発達・成長にとても重要なものです。
体力をつけることで、病気への抵抗力を高めたり、健康を保つことができます。
体力が向上することで、身体がよく動くようになると気力が湧いてきたり、何かをする意欲が増したりとモチベーションにも関わります。
精神的ストレスに対する抵抗力も高まります。

より豊かで充実した人生を送るためにも、体力を高めることは必要な要素です。

その体力を高めるために適しているのが、運動やスポーツです。

近年よく言われている、子供の運動やスポーツ離れが進んでいることが、子供の体力・運動能力の低下の原因にひとつになっていると考えられます。
子供の野球の競技人口が激減していると言われていますが、これは野球だけの問題ではなく、サッカーなど他のスポーツにも言えることです。
野球離れという問題で考えるのではなくスポーツ離れという問題で考えるべきだと思います。

 

子どもは、外遊びなどによる運動を通して、体力をつけ、五感を鍛え、身体の動かし方を学び、脳の発達を促していくなど、運動が心身の発達に深く関わっています。
外遊びのような運動は、ただ身体能力を向上させるだけでなく,知力や思考力の向上の基礎になります。
外遊びのような運動をすることで、身体を自分の思う通りに動かす能力を向上させることにもなります。

幼少期には、特定のスポーツをするよりも、外遊びの方が動きの種類が豊富なので、運動能力が高くなると言われています。
決まった動きを繰り返すよりも、好き勝手に遊ぶ方が多くの種類の動きを経験できるので、外遊びをすることはとても重要なことです。

さらに、スポーツをすることで、自己のコントロールや仲間との関わりから思いやりの心などの精神的な面を育むことができます。
優れた人格を身に付け、生きていく上で重要な自ら学び自ら考えることができる人材を育てるのにスポーツがとても役に立ちます。

 

このように本来、運動をすることやスポーツをすることで得られることはたくさんあります。
人間が生きていく上で、運動やスポーツは必要なことだと思います。

しかし、現状を見てみると、スポーツ離れが進み、子供の体力は低下していっています。
なぜそうなるのかを考えると、多くの人が運動やスポーツの価値を感じていないからだと言えます。
もちろん、多くの公園で野球やサッカーが禁止されていたり、少子化の影響でスポーツチームが減ってきていたり、受験勉強が優先されるといったこともありますが、人々の意識の中に運動やスポーツをする意義が薄れているということだと思います。

親やスポーツ指導者が、子供の発達段階に応じた指導方法を知らずに、いきなり技術的なことを教えたり、勝ちにこだわった指導をして、子供がスポーツの楽しさを知ることなくやめてしまったり、スポーツ嫌いになってしまうこともあります。
スポーツの本質を教えることなく技術指導を中心にすることにより、楽しくスポーツをする環境を作れないことも問題になっています。

スポーツを好きな子供を増やすためにも、子供の発達段階に応じて指導し、先ずは、スポーツをする楽しさを感じさせることをしなければならないと思います。
早期に特定種目へ専門化してしまうよりも、遊びやいろいろなスポーツに挑戦したり触れることで、その楽しさや喜びを味わったりすることができます。
自分にあったスポーツを見つけるためにも多様なスポーツをすることは必要です。
親や指導者は、個人の能力・適性を伸ばしていく視点に立って、体力や運動能力を向上させていくことで、子供の将来につなげていけると思います。
学生時代に運動部やスポーツクラブに所属していた人は、大人になっても高齢者になっても運動をするケースがそうでない人に比べ、多いと言われています。
健康的で歳を重ねても体力テストの点数が高いそうです。

生涯スポーツを楽しむためには、大人になってから突然スポーツを始めるのは難しいので、子供時代からスポーツに親しんでおくことが良いと思います。

 

生活習慣の基本は、バランスの良い食事、適度な運動、十分な睡眠(休養)です。
これは何歳になっても言えることで、子供の時からの習慣にすることで、充実したより良い人生を送ることにつながると思います。
スポーツをするということは、肉体的にも精神的にも得るものは多く、教育的な人材育成だけでなく、地域振興や地方創生、スポーツ産業、など多くの価値を生み出します。
もっともっとスポーツの価値を示し、スポーツを発展させていく必要があります。

子供の遊びの重要性とスポーツの本質を広めることが、子供の体力・運動能力の低下に歯止めをかけ、スポーツ離れをなくすことにつながると思います。